■幻想のなかに見出すもの■


−1−


 がたがたと、ひっきりなしに揺れる馬車の中で、流れていく景色を見続けている。
 見慣れた場所が、段々遠ざかっていった。
 心が少し痛む。
 けれど、これは自分が決めたことだから。
 両親と村の人たちのためだから。
 そう、納得して村を出てきたものの、いざとなると寂しくて仕方がなかった。
 名残惜しそうに自分を送り出してくれた村の人たちを……そして、最後まで反対してくれた両親を想う。
 もう、これから2年間は一度も会えない――。
 その事実に、唇を噛み締めて耐えていた。



 レイリック・バレリー(リック)は、テリベルン領内の一部である小さな村に住む16歳の少年だ。
 働き者で親思いの彼は、村の人たちからも勿論両親からも可愛がられていた。
 バレリー夫妻の本当の息子ではないけれど、子供のない夫妻にとっては我が子も同然だった。
 この村では、作物を育てるのが主な仕事だった。
 そして、その作物を売り、定められた金額の税を領主に納める。
 そのため、日照りや台風などは大敵だった。
 作物が育たないから、納税も困難になるのだ。
 この領内では、作物が豊作だろうと不作だろうと税額は変わらない。
 だから、この制度は、豊作の時は有難いが、不作の時は生活を圧迫される。
 それでもここ十数年程は、作物が育つのに適した天候が続いていたのだ。
 しかし、今、この村では不作の危機に陥っていた。
 今年の夏は例年にない猛暑で、前に雨が降ったのはいつだったかと考え込んでしまうほど、一滴の雨も降ってこない。
 そうなると、作物は萎び枯れていく。
 今が、まさにその状況だった。
 それどころか、水がなければ生活すらもままならない。
 そこで、一家にひとり、外へ働きに出ようということになった。
 お金があれば、外から水や食料などを買うことができる。
 作物が育たなくても、何とか納税と生活だけは送れるようにと考えた結果だった。
 困ったのは、バレリー夫妻だ。
 出稼ぎに行けるのは、ひとり息子のレイリックだけだったから。
 レイリックがいなくなれば、ここでの働き手がいなくなってしまう。
 何より、大切なひとり息子と会うことさえもままならないような所へは行かせたくなかった。
 けれど、レイリックは村を出て働くことを決めていた。

『俺、行くよ。一生会えないわけじゃないし……ちゃんと帰ってくるし。今は作物ができる天候じゃないから、働き手が少なくても平気だよ』
 レイリックがそう言った時の、両親の顔は忘れられない。
 あんなに哀しそうな両親を見たことはなかったから。
 それに、何度も何度も反対された。
 けれど、レイリックの意志が固いことを悟ると、2人とももう何も言わなかった。


 それからすぐ、雇ってくれる所を探し始めた。
 なかなか見つからないだろうと思っていたけれど、意外にもあっさりと働く所が見つかった。
 この村からは馬車で1週間程かかるところにある、モンティールという所の、領主館。
 雇い主は、モンティール領主・レガード・シルフィスだった。
 他の領主である人が、余所の領の村に住む少年を、雇ってくれた。
 それも、レイリックが頼んだのではない。
 向こうから、レイリックを雇いたいと言ってきたのだ。
 レイリックは訝しみながらも、選り好みなどできないと、レガードの元で働くことに決めた。
 そして今は、モンティールに向かっている馬車の中だ。
 レガードは、こうして馬車まで用意してくれていたのだ。
 揺れはするが、乗り心地は良い。
 けれど、レガードが出かける時もこの馬車を使っているのだと聞いた時はさすがに驚いた。
 たかだか余所から雇っただけの相手に、領主ともあろう人が自身の馬車を使わせるとは……。
 一体、レガードはどんな人なんだろう?
 そういえば、雇われたは良いけれど、仕事の内容も教えてもらっていない。
 掃除や洗濯、料理など家のことなら一通りできる。
 勿論、力仕事も。
 だから、どんな仕事だろうと頑張れる。
 そう思ってはいるけれど、仕事の内容が解らないのは不安だった。

「着きましたよ。ここがモンティールの領主館です」
 言葉と同時に、馬車が止まる。
 御者は相変わらず――村に迎えに来た時もそうだった――丁寧な口調でレイリックに接する。
 御者にとって自分は、新参者の使用人なのに。
 おまけに、わざわざレイリックの手を取って馬車から降ろしてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ。さ、レガード様がお待ちですよ。早く、館に入りましょう」
「は、はい……」
 先を歩く御者に、慌ててついていく。
 そこで初めて、今日から自分が働く領主館を目にした。
 ……大きい。
 正直な感想だった。
 小さな村に住んでいたレイリックには、その言葉しか浮かばない。
 領主館というものをこんなに近くで見たことはなかった。
「どうしました? 気分でも?」
 ぼうっと館を見上げて立ち竦むレイリックに気付き、御者が心配そうに訊ねた。
「あ、すみません」
 御者は、レイリックが慣れない馬車で気分でも悪くなったのかと思ったのだ。
 レイリックの答えを聞いて、安心してまた先を歩き出す。
 大きな扉の目の前で御者は立ち止まり、脇に身を寄せた。
 扉を叩く。
「お連れしました」
 言って、ゆっくりと扉を開いた。
「さあ」
 レイリックに入るように促す。
 ぎくしゃくとした足取りで、入ろうとしたレイリックだったけれど、御者が入ってこないのに気付いて振り返った。
「貴方は……?」
「私は御者ですので、ここまでです。執事がおりますから、後は彼についていってください。……それでは」
 一礼して、御者は扉の向こうに消えていった。
 扉も閉じられてしまっている。
「レイリック・バレリー様ですね。お待ちしておりました。私、この館の執事でザーレと申します。レガード様の所へ案内いたしますので、どうぞこちらへ」
「え……あ、あの……?」
 御者ばかりではなく、執事にまでも殊更丁寧にされ、レイリックは面食らった。
 自分は、ここに働きに来たはずだ。
 使用人に対してこんな風に接する必要があるのだろうか。
 疑問の視線をその背中に向けるけれど、執事は振り向きもしない。
 やがて、二階の一室の前で、ようやくこちらを向いた。
「ここが、レガード様のお部屋でございます。……レガード様、レイリック様がお着きになりました」
 後半は部屋の中にいるレガードに向けて、話しかける。
「どうぞ」
 中からすぐに、返事があった。
「はい。ではレイリック様、どうぞ。私は下がっておりますので……レイリック様のお部屋には後程ご案内させて頂きます」
 執事はそう言って、恭しく頭を下げると、元来た廊下を戻っていった。
 レイリックはひとり残され、呆然となる。
 緊張して、仕方がない。
 中から入室の許可をもらっているのに、なかなか手が扉に向かわない。
「緊張しなくても良いよ。早く入って」
 中から優しげに声をかけられ、ようやく扉を開けた。
「良く来てくれた。俺が、このモンティールの領主のレガード・シルフィスだ。さあ、そこに座って」
 長椅子を進められ、座る。
 ふわりと柔らかく、レイリックを包んでくれた。
 改めて、レガードを見上げる。
 長身で、優しさを滲ませた顔が印象的だった。
 眼鏡の下の瞳は、綺麗な紫色をしていた。
 眼鏡を取ったら、もっと綺麗に映るのだろう。
 柔らかな茶色の髪を持つレガードは、好青年といった感じだった。
 自分と同じ色の髪なのに、髪質は随分と違うように見える。
 もっとも、瞳の色は同じだけれど。
「長旅、疲れただろう? ……そうだ、馬車はどうだった?」
 何とも気さくに話しかける人だった。
 使用人に対する口調とは思えない。
「は、はい、おかげさまで……」
 自分はといえば、ぎこちなく何とか返事をすることくらいしかできない。
「そう、良かった。いつも俺が使っていて乗り心地が良いのは解っていたから、リックにも乗ってみて欲しかったんだ」
「は、はあ……」
 “リック”
 村では呼ばれ慣れた呼び名だけれど……。
 レガードが言うと、違和感がある。
「ああ、急に馴れ馴れしかったかな」
「そ、そんなことは……」
「そう? だったら、これからもリックと呼ぶから」
「は、はい……あの……」
「うん? 何だい?」
「お、俺の仕事は何ですか。その、力仕事でも家のことでも何でもできますし、その……あ。でも、礼儀とかはあまり……あの、し、失礼じゃないですか、話し方!」
 レガードは、真っ赤になって捲し立てるレイリックを優しい目で見ていたが、
「そんなに、焦らなくても良いんだよ。俺はちゃんと聞いているし、ゆっくり話して」
 そう、穏やかに口を挟んだ。
「……それに、リックにはそんな仕事をしてもらうつもりはないから」
「え……」
「侍女も、コックも、力仕事をしてくれる人も、ここには十分いる」
「……じゃあ、俺は、何をすれば良いんですか、ここで……?」
「何も」
「え?」
「何もしなくて良い」
「それ、どういう……」
「ここにいてくれるだけで……それだけで良い」
 平然とそう言ったレガードに、レイリックは唖然とした。
 働きに来たはずなのに何もしなくても良いなんて――。
「なっ、そんなの駄目です! 俺は、給料を貰うんですから、何かしないと……」
「……それは……」
 だから、レイリックとしては、当然のことを言ったつもりだった。
 それなのに、その言葉を聞いた瞬間のレガードは……何とも言えないような、複雑な表情をしていた。
 どうして、そんな表情を……?
 疑問に思ったが、レガードは一度目を伏せると、すぐに言葉を継いだ。
「……なら、リックの演技に給料を払おう」
「え?」
「リックにはここで、俺の弟として生活して欲しい。俺は、“レガードの弟”という役を演じるリックに給料を払う、それなら構わないだろう?」
「そんなこと……」
 思わず、絶句する。
 仕事の内容が、“レガードの弟の役”――?
 本気で、冗談を言われたのかと思った。
 だって、そんな突拍子もない仕事なんて――。
 何か言わなければ、と口を開きかける。
 ……けれど、レガードの次の言葉に、レイリックは思考と言葉を奪われた。
「勿論、契約している間だけだよ。両親に会いたいなら、そう言ってくれれば家に帰っても良い。そう頻繁には無理だけれど、それで良ければ」
「い、良いんですか? 家に帰っても……」
 2年間、帰れないことも覚悟していた。
 ……否、覚悟ではなく、自分にそう言い聞かせていただけなのだが。
 だから、レガードのこの申し出は、レイリックに驚きと安堵をもたらした。
 ついさっきの、不可解な仕事の内容を一瞬、忘れるほど。
「勿論だ」
 レガードの凛とした声が、レイリックの耳にしっかりと届いた。





 レイリックが部屋を出ていった後、レガードは長椅子に倒れ込むように座った。
 無茶苦茶なことだと、頭では理解している。
 レイリックが戸惑ったのも解る。
 けれど、どうしてもレガードは、レイリックに“弟”としてここにいてもらいたかった。
 そのために、レイリックを呼び寄せた。
 全ては、レガード自身の、勝手な願いによって。
 “弟”として、側にいて貰うために……。
「……リック……俺の、ただひとりの“弟”……」
 自分を戒めるように呟くと、レガードはゆっくりと目を閉じた。



2005/01/05



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