■風の鳴る島■


□序章□

− SIDE “KAGARI” −



 朝の決まった時間、ここに住まう者たちは一斉に家から出てくる。
 丘の上にに集まるのだ。
 そして、耳をすませる。
 無言で。
 ただ、風の音だけが響くなかで。
 皆がそれを捉えるまで。

 それは、儀式。
 ―――否、儀式といえるものではない。
 それほど大仰なものではないし、それは既に、当たり前の日常になっていたのだから。
 それでも皆、この行為を儀式と呼ぶ。
 何故なら。
 それ故に、日々の生活が成り立つと言っても過言ではないほどのことだったから……。
 例え欠かすことのない日常のことであっても、その重要さからそのように呼ぶようになったのだ。


 風が、今日も鳴る―――





「おはよっ、カガリ」
 朝、いつものように儀式を終えた後、カガリを呼び止める声がした。
 振り返ると、小走りに駆け寄ってくるアヤメがいた。
「早いよ、カガリってば。いつも儀式が終わったらすぐに帰っちゃって……そんなに急がなくても良いじゃない」
「帰るんじゃないよ。仕事に行くんだから」
 口を尖らせるアヤメに苦笑しながら、カガリは誤りを正す。
「それは、そうだろうけど……ちょっとくらい……」
 文句を言いながらも、アヤメは言葉を濁らせて、仕方ないというようにカガリを見た。
「ごめん、ごめん。でも、漁師の朝は早いんだよ、本当は。儀式があるから途中で帰って来ないといけないんだから、終わったらさっさと行かなきゃ」
「解ってる……解ってるけど……」
 悲しそうに言う。
 アヤメは、カガリがいなくなるのではないかと不安に思っているのだ。
 いつかこの島を出て行ってしまうのではないかと。
 それには、カガリの普段の言動に原因があった。

 海に浮かぶ小さな島。
 その周辺には、海が広々と続いている。
 近くには、この島しか陸地はないのだ。
 その島に住み、外界と全く接触を持とうとしない人々。
 それがカガリやアヤメたちだった。
 だが、カガリはそのことを疑問に思っていた。
 何故、こんなに閉鎖的なのか。
 何故、この島には外界から誰も入ってこないのか。
 そして、もっと根本的なことがある。
“何故、外界があると知っているのだろう? 何故、自分たち以外にも人間がいるということが解るのだろう?”
 見渡せる周りは、全て海。
 この島から出ていった人間もいなければ、この島に入ってくる人間もいない。
 なのに、何故?

 だが、それがカガリの好奇心を掻き立てることにもなった。
 この島以外に島があるのなら。
 自分たち以外にも人間がいるのなら。
 それを、この目で見てみたい。
 この広い海の先に何があるのだろう?
 どんな人々がいるのだろう?
 自分の目で、確かめたい。
 今のカガリにとっての、最大の夢だった。
 その夢のために出来ることを考えたカガリは、漁師という仕事を選んだ。
 漁師ならば海に出られるからだ。
 唯一、島を出られる仕事だった。
 ただ、問題はあった。
 それは、漁師たちは決して遠出をしないことだ。
 島が見えなくなるほど遠くには行かない。
 島を出るとはいっても、実質は島のなかにいるようなものだった。
 それでもカガリは、諦めていなかった。
 ようやく見習いから1人前として認められてから、小舟をその証として漁師の長に与えられたのだ。
 それまで他の漁師と一緒に仕事をしていたカガリだったが、1人前になったことでひとりで仕事を出来るようになっていた。
 カガリは、漁師たちの目を盗んでは、少しでも島から遠くへと行こうとした。
 未だ、成功した試しはなかったが……。
 周りから見れば甚だ不純な動機だろうが、カガリにとっては仕事は何よりも大切なもの。
 例え、その仕事の先にある夢を見ていたのだとしても……。




 引き留めるアヤメを振り切って、カガリは船着き場へと急いだ。
 急な坂道を滑るように駆け降りる。
 次第に海が近くなっていく。
 見慣れた船着き場近くに辿り着いて、ふと足を止めた。
「? 何か、騒がしい……」
 全員が揃うまでは漁には出ない筈なのに、小舟が数艘、海に出ているようだった。
 どうやら、その小舟に乗っている人たちが騒いでいるらしい。
 首を傾げながら、小舟の周囲を見ると、見慣れない大きな船があった。
 小さな小舟に取り囲まれた大きな船。
「……もしかして……!?」
 淡い期待で一杯になった。
 あんな大きな船、ここにはないし、必要もない。
 それならば、外界からの船かもしれない。
 可能性は、ある。
 逸る気持ちを抑えられず、カガリは大急ぎで船着き場へと走って行った。




 船着き場に着くと、漁師仲間のひとり、タイラが自分の小舟の点検をしているところだった。
「タイラ!」
 肩で息をしながら、タイラの元に辿り着く。
「カ……カガリ!」
「?」
 カガリは首を傾げた。
 タイラの様子が変だ。
 妙に落ち着きがなく、困ったような顔をしていた。
「タイラ? どうかした?」
「ん? あ、ああ……」
 ますます様子がおかしかった。
「お、遅かったな、坊主」
「アヤメと話してたんだよ。……って、坊主って言うなよ」
「坊主は坊主だろうが」
「だからっ、俺はもう1人前なの! 長だって認めてくれただろ」
「結婚もしてないくせに、坊主で十分だ」
「しょうがないじゃん。アヤメ、結婚できる年になってないし」
「ふん。ま、後1年の辛抱だ。それまで坊主だな」
「…………」
 タイラには何を言っても無駄だ。
 カガリはタイラに頭が上がらないのだ。
 漁師の仕事を教えてくれたのは、彼なのだから。
 そして、彼の指導は厳しいの一言に尽きる。
 カガリには夢があったから、それに耐えられたのだが。
「ところでさ、あれ何? もしかして……」
 大きな船のある方を指差すと、タイラの表情が変わった。
「な、何でもない、あれは何でもないんだ」
「嘘だ」
「嘘だって言われてもなあ……、とにかくカガリ。今日はもう帰りな」
 タイラも含め、ここに住む全ての人は、カガリが外の世界に興味を持つのを快く思っていない。
 むしろ、強く諫める。
 実際に外に行ったりしたわけではないのに、口にするだけで咎められる。
 おかげで、今では誰にも言うことが出来なくなっていた。
 それでも皆、カガリの思いを知っているから、今回のように外界から来た可能性のある船のことを教えてくれないのだ。
「……もう良いよ、俺、直接行ってみるから!」
 カガリは、点検もせずに自分の小舟に乗り込んだ。
「おい、待てカガリ!」
 後ろで叫んでいるタイラには耳も貸さず、急いで小舟を漕ぎ出した。
 今まで見たこともない船。
 この島の近くに船など来たことは一度もないという話だったが、あれが外界の船ならば。
 早く行かないと追い返されてしまう。
 折角のチャンスを逃すわけにはいかない。
 いつになく速いスピードで、小舟はどんどん大きな船に近づいていく。
 漕いでいるカガリは、辛そうに息をする。
 それもその筈、漁に出る時にはこんなにスピードを出すことはない。
 初めてと言っても良かった。
 それでも。
 船に辿り着くまで、休むことなど出来ない。
 船の方で言い争っている声に、カガリは不安になる。
「……ちょ、待って……その船、追い返すなよ……っ」
 いつ追い返してしまうかと気が気ではなかった。
 カガリは、小舟と小舟の隙間に、自分の小舟を割り込ませた。
「おい、何やってんだ! …………カガリ!?」
「何でここにいるんだ、タイラが引き留めただろ!?」
 騒々しい争いの声が、カガリの突然の乱入により収まる。
 その代わり、カガリを責めるような追求が押し寄せてくる。
「ちょ、皆黙ってくれよ。俺は、この船に用があるんだからっ」
「駄目だ」
 船に近寄ろうとしたカガリを止める、厳しい声が発せられる。
「漁師長!」
「島に帰れ、カガリ」
「何で!?」
 漁師長に臆することなく、カガリは反論する。
「何で外の船だからって、俺から遠ざけようとするんだよ? ……それに、別に外から船が来てもいいだろ!?」
「カガリ!」
「何で、あんたたちはそんなに閉鎖的なんだよっ」
 今まで言えなかったことが、口をついて出る。
 大きな船を目の前にして、そんなことはどうでも良くなったのかもしれない。
 カガリは一歩も引かなかったし、他の猟師たちも引くわけにはいかなかった。
 この外から来た船の存在を、カガリが知る前に早々に追い返さなくてはならなかったはずが、予定が狂ってしまったことで焦っていた。
 これ以上、カガリに外に興味を示されてはいけない。
 その思いで、必要以上に猟師たちの声音も厳しく険しくなっていく。
 収拾がつかなくなる程に荒れる。
 それを止めたのは、頭上からの声だった。
「……あの……貴方……カガリ殿、でしたか?」
 丁寧で、だが、力強い声。
 そんなに大きな声ではなかったはずなのに、言い争っていた彼らが思わず振り返ってしまうほどの、良く通る声。
 特にカガリは、自分の名前が呼ばれたことでいち早く声のした方を見た。
 その声の主を認めた瞬間、息を呑んだ。
「あ……」
 目の前に広がったのは、目を見張るような金髪と、海のように碧い瞳。
 この島に住む人々の茶髪で茶色の瞳とは全く違う、初めて見るもの。
 その碧い2つの瞳が、カガリを捉えて離さなかった。
 


2003/06/16



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