■桜に祈りを■


−前編−


 桜が舞う、この日。
 新しい日。
 今日から始まる新しい日常。



 私立清脩(せいしゅう)学園高等部の体育館。
 ざわざわと、あちらこちらで雑談の声が聞こえる。
 同時に、所々で教師の注意の声が上がる。
 あと僅かで入学式が始まるという時間、体育館は喧噪で溢れていた。



「上総」

 ざわつきが収まってきた頃、上総が空けておいた隣の席に、ようやく彼が座った。
「颯太、遅い!」
「悪ぃ悪ぃ。ちょっと寝坊しちゃってさ」
 苦笑いを浮かべているのは親友の水上颯太(みずかみ・そうた)。
 高校1年2年と、ずっと同じクラスだ。
「何で新学期早々、寝坊するんだよ」
「新学期だから、だろ? まだ休み気分が抜けない」
 小さな声で軽口を叩き合う。
 2週間ぶりだ。
「……そういえば、上総の彼女も今日は入学式なんだろ?」
「え? ああ、うん……」
 思い出したように言った颯太に、今度は上総が苦笑いを浮かべた。
 ――本当は、彼女じゃなくて彼氏なんだけど。
 その苦笑いにはそんな思いがあったのだけれど、颯太は気付いてないようだった。


 去年のクリスマスイヴ、彼女と別れたばかりで、ひとりでいた上総をナンパしてきた廉という男。
 その彼と一緒にイヴを過ごし、何だか良く解らないうちに、付き合うことになってしまっていたのだ。
 からかわれ、それにいちいちひっかかる上総のことを、彼は気に入ってしまったらしい。
 気をつけようとは思うのだけれど、結局いつもひっかってしまうので、面白いと笑われ続けている。
 そして、20歳くらいに見えた彼は、実は15歳――中3だった。
 そのおかげで、益々やりきれない気分になってしまう。
 中学生にからかわれた、と。
 付き合ってる今でもそう思わないでもないけれど、そんななかでも、それなりにうまくやっていると……思っている。
 未だに、「好き」とは言えていないのだけれど。

 何故、颯太がそのことを知っているかといえば。
 クリスマスイヴの夜、彼女がいない者同士騒ごうと誘いに来た時、上総が家にいなかったかららしい。
 翌日、何処にいたのかと問いつめられ、呆気なく白状してしまったのだ。
 もちろん、彼女ではなく彼氏だということは伏せて。
 それからは、しょっちゅう状況を訊かれてしまい、今日の入学式のことも話してしまっていた。


「で? 入学式が終わった後は? 彼女と会う?」
「うちの学校の校門まで迎えに来るって言ってたけど」
「何〜? お前なあ、こういうのは迎えに行ってやるもんだろ? 彼女に迎えに来て貰ってどーすんだよ」
 それは……廉は男だし。
 とは、言えず……。
「……むこうが勝手に迎えに来るって言うから」
 仕方なくそう言うと、
「冷たい奴だなー」
 と、また怒られてしまった。



 上総の学校と同じく、廉の学校も中等部と高等部がある。
 中等部を卒業すれば、その高等部へと進学できる。
 試験はあるものの、外部入学よりは遙かに楽なのだ。
 勿論、高等部に進学せず、他高校を受験・入学する者もいるけれど、廉はそのまま高等部へと進学することを決めていた。
 そして、今日。
 上総の学校で入学式が行われるのと同じ日。
 廉の学校でも入学式が行われ、廉はその新入生なのだ。
 その入学式が終わってから、廉は上総の学校へ来るという。
 別に来なくて良いいのに。
 未だに「好き」と言えないばかりか、素直にもなれない上総だった。




 颯太と話しているうちに、新入生が入場し始めていた。
 体育館の真ん中の通路を、真新しい制服に身を包んだ初々しい新入生が進んでいく。
 それは、長い間続いた。
 生徒や教師、新入生の父兄の拍手に迎えられ、新入生全員が席に着く。
 そして、国歌、校歌、校長先生や諸々の話……。
 上総も2年前に体験したこと。
 式は滞りなく進行する。

 不意に腕を引っ張られて、上総は驚きつつ隣を見る。
 颯太が内緒話のように上総の耳に顔を近づけ、話しかけてきた。
「今年の新入生代表、外部受験で満点だったんだってさ」
「え? 満点?」
「そうそう。すげーよな? 俺たちの時も去年も満点なんかいなかったのに」
「…………」
「あ、もうすぐみたいだぞ」
 颯太が離れたので、上総も前に向き直ろうとする。
 と、同時に聞こえてきた言葉。

「新入生代表、水嶋廉(みずしま・れん)」

「なっ!?」
 聞き覚えのある名前……。
 名前を呼ばれて立ち上がった新入生。
 その見知った姿。
「れ、廉!? お、おま……っ。何でここに……っ!!」
 思わず立ち上がり、叫んでしまう。
 途端、体育館内が、水を打ったように静まりかえった。
 大勢の視線が上総に向けられる。
 廉も、すぐに上総に気付いたようで笑みを見せている。
「……な、何笑ってんだよ!」
 ここにいるはずのない廉が、ここにいる。
 廉の学校は、ここではないのに。
 今の上総には、周囲の状況など頭になかった。
 それを無理矢理引き戻したのは、颯太だ。
「お、おい、上総……!」
 そう言って腕を引っ張って、座らせようと思い切り引き寄せたのだ。
 上総は突然のことによろめいて、颯太に倒れ込んでしまう。
「い、いきなり何だよ!?」
「今、入学式中」
「……あ」
 慌てつつもそれを隠して冷静に言った颯太のおかげで、ようやく上総も今の状況を思い出した。
 自分の失態にも気付く。
 一瞬で、顔中が火照った。
 廉の馬鹿――っ。
 馬鹿、馬鹿、馬鹿――!!
 声には出せないので、心の中で散々罵ってやった。
 大勢の前で、しかも、入学式の場で。
 大注目を浴びて。
 その原因である廉は、笑っていて。
 恥ずかしい思いをしたのは上総ひとり。
 3年にもなって、何でこんな目に……。
 かなりやりきれない。
 後で、文句を言わなければ気が済まない。
 学校が終わったら廉をとっちめてやろうと、上総は決意に燃えた。


「上総……おい、上総。……上総ってば!」
 頭上から声が聞こえてくるけれど、上総には全く聞こえていない。
 気にも止めていなかった。
 廉に何て言ってやろうかと、そればかりを怒りの冷めない頭の中で考えていたのだ。
 周囲には聞こえないように、小さく呟きながら。
「……絶対、今度という今度は許さないからな……」
「聞いてんのか、上総。かーずーさー、上総ってば! 重いから退いてくれない?」
「…………へ」
 颯太の声に、大分経ってから気付いた上総。
 頭上から聞こえたことを訝しみながら、颯太を見上げる。
「あっ……ご、ごめ……」
 よろめいて倒れ込んだままだったことに今更ながら気付いた上総は、慌てて颯太の上から飛び退く。
 自分の席に座ったのは良いけれど、さすがにしばらくは顔を上げられなかった。
 その間、動揺から脱した入学式は、何事もなかったように続けられたようだ。
 ようやく上総が顔を上げられた時には、既に新入生は退場した後だったのだから。
「なあ、上総」
 顔を上げたのに気付いた颯太が、声を掛ける。
「……何?」
 ……嫌な予感がした。
「さっきの新入生……廉だっけ? 知り合い?」
「……まあ」
「へえ? じゃあ、もしかして上総の彼女って、あの新入生?」
「…………」
 小さな声で話してくれるのはありがたい。
 ありがたいけれど……嫌な予感は当たってしまったようだ。
 颯太は勘が良い。
 付き合っている相手に関して、性別と名前以外のことは全て颯太に話しているのだ。
 進学先がうちの学校ではないことも。
 そのことと、廉を見た時の上総の言動で、解ったのだろう。
 彼女が廉だということ、そして、本当は彼氏だということが。
 それが解っても、颯太の態度が変わらないのには安堵するけれど、上総は初めて颯太の勘の良さを恨みたくなってしまった。




 清脩の校門。
 足下には桜の花びら。
 上を仰ぎ見れば、満開の桜が、はらはらと花びらを舞い落としていく。
 上総の髪や制服にも、舞い落ちる。
 普段の上総ならば、桜を綺麗だと思ったり、眺めたりはしただろう。
 けれど今の上総の注意は、桜にはなかった。

 怒りの矛先は廉。
 けれどそれは、入学式でのことだけではない。
 校門で待っているのに、待てど暮らせど一向に廉が姿を現さないこともだ。
 携帯にメールを送ってみても、返事も来ない。
 既に新入生も生徒も、ほとんどの人は下校しているだろうに。
「何やってるんだよ……」
 太い桜の木に寄りかかり、溜息混じりに呟く。
「ここに迎えに来るって言ったくせに……」
「何ぶつぶつ言ってんだ?」
 その突然の声に、はっとする。
 声のした方を見た。
「……颯太」
 声を掛けてきたのは、廉ではなく颯太だった。
「? 何やってるんだ? 廉はまだ?」
 本人の知らないところで、すっかり呼び捨てで定着してしまったらしい。
 颯太は平然と廉を呼び捨てにする。
「……まだ」
「それで、ずっと待ってんの?」
「…………言いたいこと、山ほどあるからな」
 苦笑して、颯太は上総と同じように木にもたれた。
 言葉はない。
 けれど上総には、心地良い時間だった。
 少なくとも、いつ来るかも解らない廉をひとりで待ち続けるよりは。
 ふと、颯太の視線がある一点に注がれていることに気付いた。
「颯太……?」
 訝しんで、上総もそちらに視線を向ける。
「……廉」
 廉だった。
 来たことに少し安堵を覚えて。
 けれど、それ以上に。
「廉! 遅い!! 何やってたんだよっ。携帯にメールもしたんだからな!!」
 今の上総は怒りのほうが上回っていた。
「……それに、何でここにいるんだよ!?」
 近づいてくる廉を睨みながら、怒鳴る。
 廉は、ちらっと颯太に視線を向けてから、上総の目の前に立った。
「何でって。そりゃ、上総と同じ高校に通いたかったからだよ?」
「だったら最初からそう言えば良いだろ、何で黙ってたんだよ」
「そりゃあ、上総を驚かせたかったから」
 あっさりとそう言う廉。
「予想以上に驚いてくれて嬉しいよ。黙ってて良かったな」
「…………」
 そんなことだろうと思わないでもなかったけれど、実際に廉の口から聞くと、からかって遊んでいるようにしか思えない。
 否、事実、からかっているのだ。
「最近、俺、上総をからかうのが生き甲斐なんだよね」
 やっぱり。
「そんなもん生き甲斐にするなっ。俺は全然、嬉しくない」
「まあそう言わずに」
 口で廉に勝てた試しはない。
 けれど、今回こそは、負けずに言ってやる。
 そう、思っていた。
 実際に、言うつもりだった。
「れ、廉!?」
 不意に、廉に抱きすくめられなければ。
 抱き込まれてしまい、上総は言おうとしていた言葉を呑み込んでしまった。
「ちょ、こんなとこで……誰かに見られるだろ!?」
 下校する生徒とか、先生とか!
 そう言ったのに、
「誰もいないよ。それに、もうほとんど生徒は下校してるって」
 と、あっさりとかわされる。
 上総は焦って視線を彷徨わせた。
 確かに今のところは誰もいないようだ。
 けれど。
「颯太が見てるんだよっ」
「別に良いよ、俺は気にしないし」
「俺は気にするんだっ」
 良いながら、ちらちらと颯太を見る。
 颯太は、楽しそうな顔をしていた。
 この状況を楽しんでいるのだ。
「とにかく、離せ! 離せって!」
 けれど、拘束は緩まない。

「さっきと違って、ひとりしか見てないんだから、構わないよね?」

 小さな廉の呟きが、耳に聞こえた。
 さっき……?
 さっきって、いつのこと?
 ……何のこと?

 桜は、はらはらと止めどなく上総と廉、そして颯太に降り注ぎ続けていた……。



2003/05/22



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