出られない



「うー……冷たくて気持ちいい……」
 サンジは布団にパタッと倒れると、そのまま顔だけを動かしてすりすりと枕に頬擦りをした。
 外は雪。寒々とした風がびゅうびゅう吹いていたが、今このアパートの八畳間は炬燵の上にある鍋のおかげで結構な暑さになっていた。鍋から立ち昇る湯気で室温も高いが、湿度も高い。窓にはその湿度の所為で、水滴がびっしりと張り付いていた。
 最初は炬燵に入りながらのんびりと鍋をつついていた二人も途中からトレーナーを脱ぎ、今は半袖である。そして、酒で程よく火照ったサンジは、いち早く炬燵から脱出すると鍋から離れた布団の方へ非難したのだ。炬燵から脱出しただけでもかなり涼しくなったが、敷きっ放しの万年床に転がると余計に涼しく感じるらしい。布団に顔を擦りつけては、気持ちいい気持ちいいと言っている。
「おめぇ、熱くねぇの?」
「……ん、まぁまぁだな」
 何がまぁまぁなのかわからないが、ゾロは半袖になっても未だ炬燵に居座っていた。そこで今も白菜を生でパリパリ食べている。少し多すぎて鍋に入りきらず、皿に残したままのやつだ。鍋に入れて煮るのが面倒なのか、さっきからその白菜をツマミにして酒を飲んでいた。無精者め、とサンジが呟いたが、生でも美味いからいいんだと気にせずシャクシャク食べている。
 ふと、サンジは布団の横にセットしてある目覚し時計に目がいった。見れば時計の針が丁度十一時半を差したところだ。
「もうちょいしたら、仕上げに蕎麦入れるからな」
「蕎麦?」
「おう、蕎麦だ」
「普通、鍋の仕上げはうどんか雑炊だろ」
「馬鹿、今日は大晦日だから蕎麦なんだよ。年越し蕎麦だ、年越し」
「そうだな、蕎麦は食わねぇと」
「そうそう。んでもって、あれだ。蕎麦食ったらあれやるぞ、あれ」
「あれ?」
 すると、サンジはごろりと仰向けになると膝を立ててパカッと足を開いた。それから、ゾロの方を見てニカリと笑う。

「姫始め」

「なんつってなぁー! よし来い、ゾロー! サービスタイム開始だー!」
「……」
 何のサービスだ。そう突っ込まずにいられなかったが、相手はわかりやすいくらいの酔っ払いだった。ちょっとだけよ〜んって、それはいつのギャグだ。ゾロの冷めた目つきにも負けず、飲んだらヤりたくなったー、なんて明け透けに喚く恥ずかしい酔っ払いは、布団の上でポンポン跳ねて無駄に大ハシャギだ。
「……まだ年明けてねぇだろ」
「いいんだよ。ヤってりゃそのうち十二時になる」
「……蕎麦は?」
「んじゃ、一回ヤッて蕎麦食って……それからもっかい?」
「お前もう寝ろ」
「あァ?」
 無論、寝ろを言われて素直に寝る酔っ払いではない。酔えば寝てくれる性質のいい酔っ払いでもない。サンジは布団をバシバシ叩くと、再びヤらせろーっと叫び出した。
 だが、ゾロはそんなことに慣れているのか、まるっと無視だ。隣の部屋に迷惑かけてんな、ぐらいにしか思っていない。サンジの一人漫才に背中を向けて一人静かに酒を飲み、時折リモコンを弄りながらテレビに映る格闘技なんか観ている。
「さっさとこっち来いよ!」
「嫌だ」
「だと、コラァ!」
「炬燵から出たくねぇ」
「出ろ!」
「面倒くせぇ」
「面倒くせぇとは、何事だ!」
 酔っ払いの戯言はさらにヒートアップしていった。
「年初めの神聖なる行事をしねぇつもりか!」
 その神聖な行事っていうのは、姫始めのことだろうか。いや、多分そうだろう。酔っ払い相手じゃ勃たないと言ったら諦めるだろうか。
(……蹴られるな)
 それより、蕎麦はどうしたんだ、蕎麦は。蕎麦を食べないつもりなのか。
 そう思うが、酔っ払いの様子を見る限り、すっかり忘れているようだ。それにしても、ご近所迷惑甚だしい男だ。どうしてあれしきの酒で、こんなに楽しく酔えるのか。酒に対してザルなゾロはいつものことながら、感心せずにいられない。
 とはいえ、感心してばかりいられる状況ではない。このままでは埒が明かない。完全に酔っ払いに絡まれた形になったゾロは、仕方がないので自分の隣をポンポン叩くことにした。そして、この状況を何とかするべく酔っ払いを自分の方へ呼ぶことにする。
「お前がこっち来い」
「俺がそっち行ってどうすんだよ」
「此処でやればいいだろ」
 此処。ゾロが指すのは炬燵という四角形の空間。
「……お前、その狭い場所に男二人入れると思うのか? どういう体勢とるつもりだ」
「あ? だから、こうやって横に……」
「いや、無理だろそれ」
「無理じゃねぇよ、こう……頑張りゃなんとかなるだろ」
「ならねぇよ」
「なる」
「お前、単に炬燵から出たくねぇだけだろ?」
 その言葉にゾロの手が一瞬止まる。そして、白々しく視線を逸らした。テレビの方を向いて、残りの白菜をもしゃもしゃ食べ始める。酒もぐびっと飲む。
「図星か」
「……」
「そういや、てめぇ今朝からずーっと炬燵にいるよな? 俺が買い物出かけた時も、帰ってきた時も、夕飯の鍋準備してる時も」
「……」
「ずーっとそこにいるよな?」
「……」
「おい、抵抗してないで大人しくそこから出て来い」
「うるせぇ、嫌だ」
「てめぇは炬燵で冬眠する気か!」
「そうだな」
「そうだな、じゃねぇだろ! 出て来い!」
 だが、サンジがゾロの腕を掴んで炬燵から引っ張り出そうとすると、ゾロも素早く炬燵を掴んでそれに抵抗し始めた。
「てめっ、その手ェ離せ!」
「てめぇが離せ!」
「早く出て来い!」
「俺はここにいるって決めてんだよ!」
「なに勝手に決めてんだ!」
 二人は炬燵を巡り、尚も攻防を繰り広げる。意地でも炬燵から引っ張り出そうとする男と、意地でもそこから出まいとする男。
 しかし、その攻防はテレビから聞こえてきたパパーンという賑やかな破裂音により、呆気なく終了した。テレビを観れば、明けましておめでとうございます、のテロップ。いつの間にか十二時になっていたらしい。
 けれども、布団にある目覚まし時計の針は未だ十一時半を指したまま。
「なんだよ、あの時計、遅れてるじゃねぇか」
「みてぇだな……」
「って、ああー! 蕎麦、蕎麦食ってねぇ!」
「今から食えばいいだろ」
「アホ! 年明けたら年越し蕎麦って言わねぇだろ! おめぇが炬燵から出てこねぇから忘れてたじゃねぇか!」
「俺のせいかよ……」
「それ以外に理由があるか! このアホ、炬燵バカが!」
 サンジは、炬燵に入って無防備になってるゾロの背中を容赦なく蹴った。酔っ払いの八つ当たりだ。だが、すぐにその蹴り足はガシッと掴まれてしまった。そして、問答無用で炬燵の中へ引きずり込まれる。
「なにすんだ!」
「いいから、とりあえず入っとけ」
 入っとけもなにも、サンジは熱くて炬燵から出たのだ。なのに、ゾロは引きずり込んだサンジを離そうとしない。サンジも負けじとそれに抵抗する。だが、所詮酔っ払いだ。少し暴れただけで酔いが回るのか、すぐにくたくたする。それでも、しばらくは往生際悪くバタバタ暴れていたが、やがて抵抗するのを諦めると、ゾロの隣で大人しくなった。
「あったけぇなぁ」
「だろ?」
「……」
「……」
「……此処でするか?」
「……狭ぇだろ」
「出来るだろ」
「できねぇよ」
「さっき、てめぇ出来るって言ったじゃねぇか」
「無理」
「無理じゃねぇよ、するぞ」
「しねぇ」
「するぞ」
「……」
「……」
 酔っ払いの決心は固い。
「……あったけぇよな」
 ゾロが炬燵の中に潜り込むと、隣から今年もよろしく、そんな声がした。



2006/01/29発行
※コミックシティ無料配布

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