猫耳頭巾



 暑からず寒からず、程好いという言葉がピッタリくるそんな陽気の中、ゾロはミカン畑の木陰で寝転がっていた。いつもなら甲板のど真ん中、といかないまでも、近くの壁やマストに凭れて寝ているのに、今日はその場所を年少組の三人が陣取って騒がしく何やら怪しげな実験を繰り返していた。
 で、仕方なく他の場所へ移動した訳だが、ウロウロと寝場所を求め彷徨った結果、見つけたのがミカン畑の木陰。人一人寝れるくらいの丁度いい広さのその場所を、ゾロは本日の昼寝の場所にしていた。
 服に土が付くのを気にすることなく、木のすぐ傍で寝返りを打つ。さっき昼食を終えたばかりの身体は、今丁度良い満腹感で満たされていた。おまけにこの陽気。それら全てがゾロの眠気を誘っている。
 しかし、いい気持ちでウトウトし始めた頃、急に頭の天辺がむず痒くなってきた。木に付いていた虫でも落ちてきたのだろうか。そう思って手探りで痒い部分を触ってみるが、特に何もない。それでも、痒いことは痒いので、ゾロはボリボリとその部分を爪で引っ掻いた。
 頭をボリボリ掻きながら、またウトウトする。
 穏やかな日差しと、時折吹く爽やかな海風。
 本当に気持ちが良かった。ゾロは寝ていると起きているの丁度中間辺りをふわふわと浮かんでいるような、そんな感覚の中にいた。なんというか、おそらくこういうのが夢心地、とでも言うのだろう。

『今日はとっても天気がいいわね、風も気持ちいいし』
『そうね。午前中に水もいっぱいもらったし、本当にいい日だわ』

 ふと、耳元で話し声か何かが聞こえたような気がした。
 ゾロは寝ぼけながら目を開けると、辺りを見回してみた。しかし、近くに仲間達の姿はない。空耳だったろうかと、首を捻っていると

『でもさっき、ルフィさんがこっちに来たからドキドキしたわ』
『え? 本当に? 大丈夫だったの?』
『ええ、皆無事よ。いつものようにルフィさんが手を出す前にサンジさんが来て助けてくれたから』
『まぁ、それは良かったわね』
『そうなの、危なかったわぁ。もしルフィさんに取られたりしたら、そのまま丸呑みですもの。どうせなら、サンジさんの手で綺麗なゼリーとかにしてもらいたいもの』
『わかるわぁ、その気持ち』

 やはり、何か聞こえた。遠くでルフィ達がわーわー騒いでいるが、それとも違う。仲間達の誰とも合致しない声。女の声に聞こえなくもないが、船に乗ってる二人のとも違う、鈴が鳴ってるような高くて澄んだ声だ。
 第一、ナミとロビンは今、女部屋にいるはずだ。午後は二人で本の整理がどうとか言っていたのだ。
 そして、先刻同様、辺りに人の気配は全くない。気配に敏感な自分が気がつかないなどありえない。
 そう思っても、確かに声は聞こえる。

『ほら、またルフィさんが』
『ウソップさん大丈夫かしら?』
『大丈夫じゃない? ほらチョッパーさん笑ってるし』
『ホントだわ』

 どこから聞こえるのかわからない不思議な声。仲間の誰でもない、どこかの誰か。だが、少々うるさいと感じるだけで、悪意などの類いはなさそうだ。
「……まぁ、いいか」
 その程度のことを気にするような細やかな性格をしていない男は、放って置いても平気だろうと判断したらしい。まぁ、たまにはこういうこともあるだろうなんて、普通あるわけないだろオイコラ、という突っ込みも深読みせず、それよりも昼寝の方が重要だと、ゾロはまたゴロリと横になった。

『そういえば、昨日の夜もサンジさん此処に来たわね』
『そうなのよ、一昨日の夜も来てたわ』
『なんだかあれね、見てるこっちが辛くなるわ……』
『なになに? どういうこと?』
『ほらあれよ、人間風に言えばお医者様でも治せないっていうア、レ』
『それに悩んで、毎晩毎晩、溜息ばっかり』
『ああ、なるほどぉ……恋煩いね。此処に来て、隠れて悩むくらいならさっさと言えばいいのに』
『それが出来れば苦労しないんですって』
『どうして?』
『それを言って、今の関係が壊れてしまうのが怖いらしいの。だから言えないって』
『壊れるくらいなら、今のままでいいんですって』
『今のままって……仲間のままがいいってことかしら?』

 そこへ強い風が吹いて来て、ミカンの葉が一斉にざわざわと揺れ出した。ゾロが静かに瞼を上げると、ミカンの葉が風に揺られて上下に忙しく動いているのが見えた。
 なんだ、今の話は。
 ゾロはパチパチと瞬きをした。夢じゃない。さて、今度こそ寝るぞと思っていたら、おかしな話を聞いてしまったような気がする。
 聞こえてきた会話を頭の中でゆっくり思い返す。
 どうやら、コックは悩んでいる……らしい。そして、その悩みは「コイワズライ」というヤツ……らしい。それから、今のままがいいとか、仲間がいいとか、不思議な声はそう言っていた。壊れるのが怖いとも。
 そういえば、最近あのアホの様子はおかしかった。今まで「やらせろ」と言えば、やらせてくれたのに、近頃は三回に一回「嫌だ」と言いやがる。しかも、今までなら顔を見せてくれたのに、見せようとしない。バック以外駄目だとか言うのだ。キスをするのも駄目だという。なんとなくそれに腹を立てて、この間無理矢理キスしてみたら、思いっきりぶん殴られた。以前なら、良かったことが、今ではその殆どが禁止されている。
 もしかしたら、それら全ての原因は「コイワズライ」という悩みの所為だろうか。
 コイワズライ。
 ゾロの頭の中の辞書という辞書を探しても見つからない単語だ。

『この前も、その所為で女の子が抱けないって嘆いていたわよ』
『でも、それってもう随分前からじゃない? ナンパして一晩町に泊まってくるって言っても、実際はデートした後別れて、夜になると一人で適当に時間を潰して帰ってくるの』

 初耳だ。どういうことだ、それは。
 確かに、いつもサンジは島へ上陸すると決まってレディが抱きたいと言って、ナンパしに出かける。それは、ゾロとそういった関係になっても続いていた。
 いつも抱かれる立場にある彼に、女が抱きたいと言われれば、ゾロとしては止めることが出来ずにいたのだ。例え、本心でそれが面白くないと思っていても、だ。
 それが、実は抱いてもいない。いつも一人で時間を潰している?

『多分、そうなった原因は自分が一番よくわかっているんだろうけど』
『きっと認めたくないのね』
『心のどこかで引っかかっているから、だからどんな相手でも上手くいかないのよ』
『人間って難儀な生き物ね。話し合って心が通じ合うことが出来る生き物なのに、それが出来ないなんて。思った通りのことを口に出せば、悩みなんかなくなるのに』
『なんとかならないの? 可哀想だわ』
『こればっかりはね、本人の問題みたいだし。自分でどうにかしないと』
『そうよね……せめて、コックさんがおかしな方向に走らないことだけ祈るわ』
『おかしな方向って?』
『女が駄目なら、男の方を試してみようかな? ですって。ヤケになってるのかしら』

「なんだと!」
 ゾロが大声を出して飛び起きると、周りの声がピタリとやんだ。
「あの野郎……」
 そのまま唸るように呟く。男で試してみるってことは、自分以外の男に抱かれてみようとでも思っているのだろうか。
「ふざけやがって」
 今夜きっちりと、その辺も含めて「コイワズライ」が何なのか、事の真相を確かめねば。その「コイワズライ」という悩みさえ解消されれば、元のコックに戻るはずだ。
「コイワズライ」
 ゾロは忘れないように声に出して復唱してみた。

『―――ホント、人間って難儀な生き物ね』

 その横で、ミカンの葉が風に揺られながら、クスクスと音を立てた。



 ***



「すげぇ……耳だ」
「耳だな」
「猫だ、猫」
「ああ、猫の耳だ」
「ゾロ、それどうやったんだ? 俺にもくれ」
 夕食になってゾロがのっそりとラウンジに現れると、辺りは騒然となった。
 それもそのはず。なんと、ゾロの頭に猫の耳が生えていたのだ。トラ模様の可愛い猫の耳がピョコンと。
 しかも、その猫耳。きっちりと頭にくっ付いてて、少し引っ張ったくらいでは取れないようになっていた。無理に引っ張ろうとすると
「痛ェ!」
 相当痛いらしい。

「―――おそらく、それは猫耳の芽ね。猫の耳のように見えるけど、立派な植物よ」
 博識のロビン曰く、ゾロの頭に生えたのは猫耳の芽という名の植物の一種らしい。普通は地面に自生する植物なのだが、たまに種が風に乗って人間や動物の身体に付着し、そこから猫の耳に似た芽を出すという、まさに不思議植物である。髪の毛より細い根を張り、上手に水分を与えれば愛らしい花を咲かせることもあるらしいが、生き物に根付いた芽のほとんどは、花が咲く前に枯れてしまうそうだ。
 ともかく。どこから、どうやってゾロの頭に芽を出したのかはわからないが、こうして根付いてしまった以上、後は放っておく以外手はないらしい。完全に根付いてしまったら、頭の皮を剥さないと取れないわよと、空恐ろしいことをロビンがさらっと説明した。

「ニ、三日経てば自然と枯れるらしいから、それまで我慢することね」
「へぇ、でも本当に本物の猫の耳にしか見えないわねぇ」
「いやナミさん、これ本物ですよ。コイツ、こんな顔して実はそういう趣味とか持っていたりするんですよ、きっと」
 ナミの前でヒラヒラと手を振って、サンジがそんなことを言った。
「……テメェ」
「お? なんか文句があるのかよ、猫マリモちゃん」
「誰が猫マリモだ!」
「ちょっとゾロ、それ手ぬぐいでも被って隠しなさいよ。アンタにそんな愛らしいなものが付いてると、可愛いどころか、逆に凶悪で怖ろしいわ」
「ナミさんのおっしゃる通りだ。速やかにそれを目の前から抹消しろ、猫マリモ」
「だから、言ってんだろうが! 好きでこんなことしてんじゃねぇ!」
「何言ってんのよ。好きでそんなことしたんなら、今以上に軽蔑してるわよ」
「おい、ナミ……あんまりゾロを怒らすようなことをだなぁ……」
「ウソップもそう思うでしょ?」
「いや……思ってても、俺は口に出して言ったりしねぇぞ」
「やっぱり思ってるんじゃない」
「ゾロ、かっこいいぞ!」
「うん、かっこいいな!」
「ルフィもチョッパーも、それ、フォローになってねぇから」
 とまぁ、仲間達はそれはもう好き放題なことをゾロに向かって言っていた。言いながら、好奇心で猫耳を触ってみては、きゃー柔らかいとか、動くぞこれとか、大騒ぎだ。なんだかんだ言って、皆面白がっているわけだが。
 そんな大騒ぎの中、一人冷静なロビンが
「ねぇ、剣士さん。猫耳の芽が寄生した人間は不思議なことを体験するらしいけど……」
 と、ゾロに尋ねた。
「不思議なこと?」
「なになに? これがあるとなんかあるの?」
「私も詳しくは知らないけれど、猫耳が生えた人間は、その耳を通して植物や動物の声が聞こえるようになるって、本にそう書いてあったの。猫耳の生態同様、どうして聞こえるようになるのかは謎らしいけど、でも全員が何かしら聞こえるようになるらしいわ」
「へぇ、動物の声ってチョッパーみたいだな。ゾロ、そうなのか?」
 言われてから、思い当たる。
「ああ……」
 つまり、さっきのあの不思議な声はそういうことか。道理で、さっきからアレコレと聞こえてくるはずだと、やっとゾロは理解した。
「え? じゃ何か聞こえるの?」
「多分な」
「あのサボテンと話しが出来るとか?」
 ウソップが指差したのは、丸い窓に置かれたサボテンの鉢。前の島でサンジが福引で引き当てたヤツだ。
「別に話しが出来るわけじゃねぇよ。向こうが勝手に言ってることが聞こえるぐらいで」
「だったら、今なんて言ってんだ?」
「俺達のこととか言ってんのか?」
 しかし、ゾロはちらりとサボテンの方を見ると、ワクワク顔したウソップとチョッパーに向かって一言。
「……寝てるな」
「は?」
「寝てる?」
「ああ」
「寝てるってサボテンが?」
「ああ、鼾が聞こえるな」
 鼾。
 その言葉に全員がサボテンの方を見たが、サボテンはやはり普通にサボテンで、誰もがゾロの言葉に半眼になりかけたのは、しょうがない話ではある。
 で、その後どうなったかといえば、適当なこと言ってんじゃないわよとか、いくら自分に似てるからってサボテンが鼾かいて寝るはずねぇだろとか、やっぱり植物の声が聞こえるなんて嘘だろうとか、もしかしたら幻覚作用があるかもとか、やっぱりゾロは散々好き放題に言われていた。
「でも、仮にゾロの言ってることが本当だとして」
「本当だって言ってんだろうが、このアマ!」
「あまり役立つ機能とは思えないわね。猫耳が生える相手によっては精神衛生上よろしくない姿になるだけで」
「そうか? 面白いぞ」
「いや、面白いのはルフィ、お前だけだ」
 そして、その場の結論としては、ゾロの猫耳はあってもなくてもいい耳ということになった。
 ただ一つだけ。
「聞きたいことが聞けるわけでもねぇし、会話が出来るなら別なのにな」
 と何気に言ったサンジの言葉に
「……そうでもねぇよ」
「何がそうでもねぇって?」
「聞きたいことが聞けたからな」
 そう、小さく答え
「後できっちり話つけてやる」
 訳がわからないっといったサンジに向かって、ゾロは密かに宣戦布告した。他の人間はどうかわからないが、少なくともゾロにとっては、役に立つ猫耳であったらしい。何しろ、猫耳のおかげで二人の悩みは今日を限りに綺麗さっぱりなくなるのだから。



 『ホント、人間って難儀な生き物ね』



2005/10/02発行
※オンリー無料配布

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