特別待遇日



 ―――襟足からのぞく白い項。

 ゾロが酒を取りにラウンジに入ると、テーブルを挟んだ向こう側にそれがあった。
 いつもの襟のついたシャツではなく、Tシャツというラフな格好のせいで、俯いて作業しているサンジの項は、いつも以上に露出していた。
 思わずその場に足を止め、そこばかりをじっと見る。
 何しろ、いつもは真っ暗とか、よくて月明かりが少しあるとか、そういうトコでしか見れない場所である。ゾロの目がどんなに野性味溢れてても、さすがに暗くてはよく見えない。しかも、襟付きのシャツを今日は寒いからと言って着たままヤると、確実に見えない。
 それが今日はどうだ。あの忌々しい襟がない上に、明るい光の下にあれがあるではないか。あの白いヤツが。美味そうだなぁと思っていたあれが。これはもう、絶対にじっくりと見なければ。
「何突っ立ってんだよ……」
 声をかけられ我に返る。白い項の持ち主が不審そうな顔でこちらを見ていた。
「あー……」
 項を鑑賞してた、ではなく。
「酒」
 本来の目的を思い出す。
 そうだった。自分は酒を取りに来たのだ。項のことですっかり忘れていたが、そうだ、自分は酒を取りに来たのだ。
 目的のモノを尋ねると、サンジはクイッと顎で棚を指し、「三段目」と答えた。ゾロは言われた通り、三段目の酒を取りに棚へ向かった。
 途中、あの項の横を通り過ぎる。
(おお、絶景)
 思わずその場で立ち止まった。
 背後に立つと、ちょうどサンジは下を向いたまま野菜を切ってて、実にいい具合に項がよく見えた。ふわふわした産毛までハッキリ見える。
(いっつもこれぐらい見せてくれるといいのにな)
 そう思いながら、ゾロはじっくり鑑賞した。
 白いだろうなぁと想像していた項は、やっぱり白くて、しかも風呂に入ったのか、ほんのりピンクになっていた。非常に美味そうだ。
 ゾロは知らず、その項へ顔を近づけた。
「何してんだよ」
 急に、サンジが居心地悪そうな顔をしてこっちを向いた。
 それに驚いて、がばっと大袈裟なくらい仰け反る。
「何もしてねぇよ……邪魔してねぇだろ」
 いい訳ではないが、いい訳らしい言葉が口から出る。そう邪魔してたわけではない、見ていただけだ。ちょっと顔を近づけ過ぎただけで。
 その明らかに挙動不審なゾロを前に、サンジの眉がグッと寄った。しかし
「そうかよ」
 サンジはそれだけ言うと、また前を向いて元の作業に戻っていった。
 ゾロはしばらく顔を仰け反らせた体勢でその様子を見ていた。また振り向くだろうかと思ったが、サンジはさして気にする様子もなく黙々と野菜を切っている。
 ほっと息をついた。
(バレてないな)
 いや、確実にバレてるだろうといった感じなのだが、ゾロは懲りずにまた項へ顔を近づけた。今度は慎重に。
 鼻先三センチ程でクンクンと匂いを嗅いだ。石鹸のいい香りがする。吸って吐いてを繰り返す。だが、そのゾロの鼻息のせいでサンジの襟足がそよそよとなびいた。
 この時点で、もうバレるバレないの問題ではない。バレてる。
 しかし、ゾロはそれに気づくこともなく吸って吐いてを繰り返して、項から漂う石鹸の香りを堪能していた。
 そして気がつけば、ゾロはカプッとそれに噛みついていた。噛みついて、ペロペロ舐める。ああ、やっぱ美味ぇなぁなんて浸りながら何度も何度も舐めていると、サンジの肩がピクピク震え出した。
 その反応にビクリとなる。しまった、調子に乗りすぎた。そう思ったが既に噛みついて舐めてしまった後だ。
 反射的に身構えた。そんな身構えるくらいなら、さっさと離れればいいのだが、一度吸いついた項からはどうにも離れがたい。というか、離れたくない。
 そうやって項に吸い付きながら、待つこと数秒。
 しかし、待ってど暮らせどあのすさまじい蹴りはやってこなかった。
 不審に思い、ちらりとサンジの方を見ると、サンジはまるで何事もなかったかのように野菜の続きを切っていた。
(なんだ?)
 普段なら、そんなことをしようものなら、邪魔をするなとか、近寄るなとか、殺すぞとか喚き散らして、回し蹴りの一発でも飛んでくる。
 なのに、そのどれでもない。怖いくらい無抵抗のまま。なんというか、今までにない反応だ。
「おい……」
 そして、明らかに様子がおかしい。
 声をかけてもサンジはゾロを無視したまま、トントンと綺麗に野菜を切るばかり。
「おい」
 もう一度声をかけたが、やはり無視された。なので今度は後ろ髪をツンツンと引っ張ってみる。
 すると、ようやくといった感じでサンジはゾロの方を見た。
 しかし、やっぱりどこかおかしい。サンジは口をへの字に結んでゾロの方を見るだけで、何も言おうとしない。おかしい、というか怪しい。
「……なんだ?」
 訊いてみたが、サンジは相変わらず黙ったまま。アヒルみたいな顔で、さっき以上に眉間に皺を寄せている。
「なんだ?」
 もう一度訊いてみた。するとサンジは

「今日だけ―――だからな」

 ものすごい険しい顔をして、そう言った。
 今日だけ。
 何が今日だけなのかわからず、ゾロが黙っていると、そこを退けと言われた。
 思わず素直に横へずれると、サンジはテーブルに並べたタッパーに切った野菜を敷き詰め始める。
「何やってんだ?」
「マリネ作ってんだよ」
 今日、ウソップが作った釣竿で皆で釣りをしたら大漁だったらしい。だから、食べきれない分をマリネにして、後で食べるんだよと言った。
 ゾロが横でぼーっと見ている間も、切った魚の上に野菜が並べられ透明なマリネ液がかけられていく。そしてまたその上に魚。
 そんな作業が着々と進んでいる。
 完全にその場に取り残されたゾロは、一番手前のタッパーを見た。
 白い短冊に切られたイカらしきものが並んでいる。黄色い野菜と一緒になったそれは、さっき見たサンジの項に似ているような気がした。白と黄色のコントラスト。
 そして、やっぱりその白が美味そうだなぁと思うと、無意識の内にその中の一つを摘んで口の中に入れていた。やっぱりイカだった。イカの味がする。甘酸っぱい味がするイカだ。
 すると、忙しく作業していたサンジがピタリと手を止めて、ゾロの方をジーッと見ていた。目が合う。
 そこでようやくハッとした。
 冷蔵庫の横に貼り付けられた紙に、デカデカと書かれた『つまみ食い厳禁』の文字。
 ゾロは口をもごもご動かしながら、ドキドキした。何故だろう。噛んでも噛んでもイカが飲み込めない。焦って、ぬちぬちとムキになって噛んだ。しかし、噛めば噛むほど飲み込めない。
 ゾロは覚悟を決めると、ゴクンと一息で飲んだ。フーッと息をついたが、まだ喉の奥の方にイカが残ってる気がした。多分、サンジが黙ったまま自分の方を見ているからだ。
 ゾロの胸はドキドキする。なんだこの沈黙は。
「今日だけだからな」
「……な、何が?」
「それ」
 どれ、と聞きそうになって、ああ、イカのことかと気がついた。
 イカが今日だけ。今日だけ?
 どうにも妙だった。いや、前々から妙な眉毛をした男だと思っていたが、今日は特に妙だった。変だ。
 サンジはさっきから「今日だけ」と言う。
 つまりそれは、さっきみたくいきなり項に噛みつくのも、ツマミ食いをするのも今日だけならいいという意味なんだろうか。
 今日だけ。
 もう一度心の中で言ってみた。今日だけ。
 そして思いつく。他のことはどうだろう。例えばこんなこととか。
 ゾロはサンジの背後に移動すると、何も言わずサンジの肩口にトンと自分の顎を乗せた。
 途端、ものすごい至近距離で睨まれる。
「今日だけだ」
 思わず、焦りながら言ってみた。
 するとサンジは、フンと鼻を鳴らしただけでそのまま作業に戻ったのだ。しかも、肩にゾロの顎をのせたまま。
 今度は後ろからしがみつくような格好をしてみた。手を前に回して、抱きしめるようにすると、菜箸を持ったサンジの手がピタリと止まった。それを見て
「今日だけだ」
 また言ってみた。
 やはりサンジは何も言わない。ゾロの好きなようにさせている。
 そこにきて、頭の悪いゾロでもこの現状が理解出来た。
 これはなんというか、大変非常に滅多にないほどすごく素晴らしいことなんじゃ。理由はまったくもって不明だが、今日のコックは何故か「今日だけ」と言うと怒らない。普段なら怒られる事も「今日だけ」は許してくれる。
 だったら
「あの棚の一番上にある酒が飲みてぇ」
 思い切って言ってみた。
 一番上にある酒は高いから、普段は絶対に飲むなと言われている。けれども、もしかしたら「今日だけ」はいいのかもしれない。
 サンジは、しばらくウーッと唸っていた。
 しかし、やっぱり駄目か。そうゾロが諦めた頃、小さく「今日だけだぞ」と呟いた。
(おお……)
 ゾロは感動した。ものすごく驚いて感動した。
 どうしてサンジがそんなことを言い出したのかさっぱりわからないが、これがまたとないチャンスであるということだけは、はっきりしている。
 本来なら色々とサンジから聞き出すべきなのかもしれないが、今はアレコレ考えるよりもこの事態を堪能しなければ。グズグズしてる間にサンジの気が変わってしまうかもしれない。
 そこからゾロの行動は素早かった。
 後ろから抱きついたまま、サンジのシャツをたくし上げ、乳首をきゅっと摘む。ついでとばかりにさっき噛みついた項にチュッと吸い付く。
「おいっ」
 流石に焦ったのか、少々声を荒げてサンジはゾロを睨みつけてきたが、ゾロが「今日だけだ」と言うと、ぐっと黙ってしまった。
 さらに気を良くしたゾロは、乳首を弄っている反対の手で、ベルトを外しにかかった。
「ちょっ、待てって。今、これ作ってんだろうがっ! 終わったら相手してやっから」
「おい、服全部脱いだら、アレ付けろ。あのエプロン」
「は? 何言って―――」
「それで立ったままヤんだ。でもその前に一回抜いとくか……いや待てよ、口でしてから……」
「ちょっ、だから落ち着けって」
「いや、一度上に乗ってから……」
「おい、人の話を聞け!」
「いや、やっぱり最初は立ってか。おい、立ったままでいいから前に両手ついてろ」
「てめっ、まさかここでヤる気か?!」
「おう」
「じょ、冗談じゃねぇぞ! 離せって! 神聖なキッチンをなんと心得る!」
 だからいいのだ。今日はどんなわがままも言っていい。何をしてもいい。
 ゾロは暴れるサンジの身体にがっちり抱きつくと、真っ赤になった耳に顔を寄せ、あの呪文を唱えた。
「今日だけだ」



 翌日―――
 昨夜、夢のような一夜を過ごしたゾロは、その日も昨日同様「今日だけ」と言って背後からサンジに抱きついた。あの白い項を舐めるのも忘れず。
 結果、ラウンジのドアを突き破るほどの勢いで蹴られ、海へと落下した。
 サンジは、壊れたドアの横にかけられたウソップ特製日捲りカレンダーを忌々しそう眺めると、その一枚破り捨てた。

 破られた日付は勿論、11月11日。



2004/11/27掲載
※おめでとう!

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