そのペット、凶暴につき



『これで貴方のペットもいい子になります』

 殴り書いたような汚い字のそれは、店の装いに似合わない綺麗なケースの横に添えられた言葉だった。古臭く雑然としたその店へふと立ち寄ってみようと思ったのは、その言葉に目を奪われたからだ。
 これで貴方のペットもいい子。
 現在、サンジが抱えている問題はこの一点に尽きる。実に切実な問題だった。それを解消出来るという、これほど魅力的な言葉の響きはない。これこそが希望であり、夢でもある。けれども心のどこかで叶わないだろうと半ば諦めかけていたのだ。それだけに、この言葉はとてつもなく輝いて見えたのだ。
 だが、ケースの中を見て驚いた。
 並べてあったのは、大小様々な形をした犬の首輪だ。緑色の革に金色の留め金がついているシンプルなデザインのもので、その全てのサイズが微妙に違っている。
 驚いたのは、その値段。
(ご、五十万ベリー?!)
 ケースへ厳重に仕舞われているだけに、安くはないだろうとは思っていたが、これには流石に驚いた。首輪一つで五十万とは。いくらなんでもぼったくり過ぎだ。これを買う客なんているのだろうか。
 チラリと横目で店主らしき男を見ると、商売っ気がないのか、客であるサンジなど見ようともせず、黙って新聞を読んでいる。
「なぁ、おっさん。ホントにこれが五十万なのか? 犬がつけるには高過ぎるだろ」
「……なんだって?」
 声をかけると、新聞から顔を上げた店主がサンジの方を見た。
「これだよ、首輪。高過ぎねぇ?」
 高過ぎる、という言葉に一瞬怪訝な顔つきをした店主だったが、サンジが指すケースの中身がわかると「ああ……」と、したり顔で頷いた。
「そりゃ、特別だ」
「特別?」
「その首輪は、この島でしか採れない薬草の葉で出来とるからな」
「薬草? おいおい、それじゃすぐに壊れるだろうが。五十万もする消耗品かよ」
「そんな柔な葉じゃない。その辺の安物の革より固くて丈夫だ」
「へぇ……」
 確かに、ケース越しとはいえ言われなければ薬草の葉には見えない代物だ。
「それに、それは普通の首輪と違って特別な効能がある」
「効能?」
「そうだ。それをつけると、どんな獰猛な犬でも従順になるらしい」
「どんな犬でも?」
「詳しくはわからんが、その薬草の香りが犬を服従させるって話だ。一部の愛犬家でも有名で、わざわざこの島へそれを買いにくる客もいるほどだ」
「ホントか?」
「信じるか信じないかは、客の勝手だ。買う気がないならそれに触るな」
 俄かには信じがたいその話に、思わず疑り深そうな目を向けると、店主の機嫌は明らかに悪くなった。フンと鼻を一つ鳴らし、冷やかしなら他の店へ行けと、追い払うように手を振る。
「あー……なんつうか、別に全く信じねぇってわけじゃねぇけど、値段が値段だろ? そうだ。これにお試し期間ってのはないのか?」
「そんなもの、あるわけないだろう」
「いや、だってよぉ、もし買いました、でもぜんぜんそんな効果なんかありませんじゃ、五十万も出すだけ損だろ?」
「信じるか信じないかは、客の勝手だと言ったはずだ。その後のことなど知るか」
「それじゃあんまりだろ。だから、試してみて良かったら買うってことでどうだ?」
「いい加減にしろ」
「勿論、タダとは言わねぇさ。これでどうだ?」
 サンジはポケットから紙幣を一枚取り出すと、店主の前に差し出した。
 しかし、それを見た店主はふっと鼻で笑うだけだった。
「話にならんな、帰れ」
「そう言うなって。これでも今持ってる全財産なんだぜ」
「駄目だ」
「なあ、人助けってことで、そこをなんとかしてくれね? 俺、マジで困ってんだよ。でっけぇ猛獣を一匹飼ってんだけどな、そいつが全く言う事聞いてくれねぇんだわ」
「猛獣? おい、これは犬用だぞ」
「あー……、犬っていやぁ犬だ、駄犬。けどまぁ、猛獣って表現の方が正しいな。肉食っぽいし、目つきが凶悪だし、緑の体毛してるし」
「緑って、そんな犬がいるのか? 聞いたこと無いぞ」
「だよな、俺も初めて見たよ、あんな緑色したやつ。動物のくせにものすごい方向音痴で、刀を咥えて振り回すのが好きで、それ以外は日がな一日寝てるようなやつで。そのくせ妙な所で手は掛かるし、餌やって世話をするだけでも大変なのに、たまに遊んでやらねぇと拗ねるし」
「……お前さん、本当にそんな犬を飼っているのか?」
「ああ、だから大変だって言っただろ。しかも、毎日噛んできたり舐めてきたり、その度に怒鳴っているけどよ、全然懲りねぇし。いくら馬鹿で可愛くても、限度ってものがあると思うわけよ」
「……なるほど」
 そこまで聞いて、店主は思った。
 確かにこの客はその犬相手に困っているようだ。緑という珍妙な色をしてるらしいが、気性はかなり荒そうだ。
 だが、こちらも商売をしているわけで、金を持たない客を相手にするつもりはない。しかも、希少価値の高いあの首輪を値切ろうとしているなら、尚更だ。あれは元値もかなり高いのだ。
 だったら、答えは一つ。穏便且つ速やかにお帰りを願うだけだ。
「躾とか、そういう事はきちんとしたのか?」
 店主は険しい表情を若干緩めると、そう尋ねてみた。
「躾? 一応、待て、だけは覚えたみたいだな……」
「お座りとかは?」
「お座りは……うん、きちんと座るな」
「お手は?」
「お手は……したことなかったなぁ……」
「なら、まずはそこら辺からきちんと躾けて正しい主従関係を築け。首輪に頼るのもいいが、基本となる躾の方が大事だぞ」
 そんな尤もらしい事を言う。店主自身、犬を飼ったことは一度もないが、おそらく言っている事に間違いはないだろう。半分は客である愛犬家達の受け売りではあるが。
 だが、多分これで客も首輪を買わずに納得するだろう。
 そう思っていたのに、客から返ってきたのは
「それじゃあ、躾はそれでいいとして、発情したらどうすればいいんだ?」
 そんな質問であった。
「は、発情?」
 この方向性での質問は、ちょっと予想外だ。
「実はそっちの方が困っているっていうか」
「発情っていうのは、犬がか?」
「そうそう、年中盛って正直参ってる」
「そういう抑制はこの首輪にはないぞ」
「マジかよ、そっちの方が重要なんだが……他になんかねぇの? 性欲減退させる薬とか」
「あるわけないだろ。それに、そんなに大変なら、去勢すればいい話じゃないか」
「いやいや、そりゃいくらなんでも。同じ男として可哀想っていうか」
「だが、困っているならそれが一番だろうが」
「でもなぁ、俺もぶっちゃけて言えば嫌いじゃないっていうか」
「何が?」
「何がって、セックスっていうか……交尾?」
「誰が?」
「俺が」
「交尾?」
「そう、そいつとの」
「……」
 思わず叫びそうになったところを寸前で踏みとどまった自分を褒めたい、と店主は思う。喉から半分出掛かった獣姦という恐ろしげな文字も無理矢理飲み込んだ。犬を相手にそういう事に及ぶ愛好家がいるという話を聞いてはいたが、まさか目の前にいるとは。長年この商売をしているが、こういうアブノーマルな客を相手にしたのは初めてだ。
 初めて過ぎてどうしたらいいのか、流石に無愛想で有名な店主とはいえ、動揺が隠せない。好きにしろ、と言ったらいいものか、それともやめておけと言っておくべきか。
 そんな店主の動揺を余所に
「まぁそうだなぁ、とりあえずもう一度きちんと躾してみるかなー」
 などと、客は能天気なものだ。
 そこへ、タイミングよく別の客がベルを鳴らして入ってきた。それに思わずホッとした店主は、そちらを向いて普段は口にしない「いらっしゃいませ」を言った。
 だが、入ってきたその客を見て驚いた。
「……みどり?」
 そう、緑色の髪をした男だった。
 すると、入って来た男を見た客は、知っている相手なのか、いきなりその男へ向かって怒鳴りだしたのだ。
「なんだてめぇ、この店になんの用だ!」
「ああ? 店に用なんかねぇよ、てめぇに用だ」
「俺はねぇ!」
「俺はあるんだよ」
「つうか、この島にいる間、二度と俺に近づくなって言っただろうが!」
「そんなの知るか」
「なんだその言い草は! おい、おっさん、これってどう思うよ。飼い主の言う事なんか聞きやしねぇ。やっぱりきちんと躾けなおさねぇと駄目だよな」
「……なんの話だ」
「うるせぇ、お前は黙って言う事を聞け! ほら、お手!」
 そういって、右手を差し出した客を、店主はなんとも言えない顔つきで眺めた後、大きな溜息を一つ零した。

「お客さん……ペットの持ち込みは困ります」



2009/12/22掲載
※お客さん……

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