ひそ、と遠慮がちに掛けられた声を拾ってはヘッドホンを少しずらす。はっきり聞こえなかったので横目で首を傾げれば、ヘッドホンをコツコツと叩いて問うてきた。
「何、聴いてるの」
「クラシック……、ええと、唐じゃなくて南蛮でもなくて」
「西洋?」
「そう、西洋の――古典音楽。……あれ?」
 あまり知識のないは何を説明するのにも四苦八苦、記憶を総動員して頑張っているつもりだったのだが、佐助はあっけなくの頑張りを水泡に帰す発言をしてくれた。はちくりと瞬いて佐助を見れば、悪戯気に目を細めていた。
「テレビと新聞は毎日見てるから。もう一月にもなるし、そこそこの知識はね」
「偉い……。ってことはこれが音楽を聴くものだっていうのも判ってる?」
 首に下げたヘッドホンを示せば当然のように頷く。
「耳に当ててるしねー、そりゃ判るでしょ」
「あ、そっか」
 おバカさん、と少し呆れたように言ってから佐助はキッチンの方へ向かう。すらりと細くて長身の体型には適当なシャツとジーンズさえも格好良く見せる魅力があるらしい。姿勢が悪いのが気に食わないと佐助の後ろ姿に歯噛みしていれば、振り返りそうになったのでは慌ててヘッドホンを引っ掛けてPCに向き直った。
「……言うことがあるなら口でよろしく」
 溜息と共に吐き出された言葉は聞かなかったことにした。


 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。机に向かったまま寝てしまったものだから体が痛い。うーん、と伸びをして、ようやく日が暮れているのに気が付いた。
「洗濯物取り込んでない!」
 慌てて椅子から立ち上がり、かけて、痺れの切れた両足にうめきながら崩れ落ちた。
「なにやってんの。洗濯物なら畳んだよ」
 いつものことだが、佐助はよく気のつく男だった。の奇声に隣の部屋から顔を出して微妙な表情を浮かべている。ありがと、と苦笑いで答えながら心で泣いた。

 中・近世の日本のような土地――当人の話によれば――で生まれ育ったらしいが、どんな職についていたかは知らない。戦争をしている風な事はほのめかしていたけれど、その世界の人間は小競り合いが日常にあっただけかもしれない。ただ、確信を持って言えるのは、どこかのお屋敷に仕えていたのだろうという事。所作に無駄がなく、洗練されていた。常に気を張っているような真似は、ぬるま湯の環境に慣れきったには逆立ちしても無理だった。
 細々とした仕事が気になるのか好きなのか、簡単な家事ならさっさと片付けてしまう。自分より先に終わらせてしまうことが多くなってきたと嫌味の一つでも口にしようものなら、が取りかかるのが遅いだの面倒くさがってやらないのはどうなのかだの軽い説教を受ける。この辺り、部下を叱る上司のようで慣れた感じがするのだ。
 そういうところで佐助の来歴を想像してみるのだが、どう頑張ってみてもはっきりと形を思い描くことができない。大名に仕える下級の武家だろう、と勝手に決め付けて接することにした。

「……なんか変な事考えてない?」
 訝しむ声にはっとする。思考に沈んでしまっていたらしい。佐助が眉根を寄せてじっとを見ていた。なんでもないよ、と緩く首を振る。
「居眠りしてごめんなさい。お夕飯はあり合わせでもいい?」
「それはいいけど、いいの?」
 忙しいのなら代わる、と言外に込められていた。ちらりと向けられた視線の先は書類の積まれた机とぼうっと光るPCのディスプレイ。見られて困るものではないが自分の情けない部分を具象化したようで、いい気はしなかった。PCをスリープモードにして書類はバインダーに戻して引出しにしまう。
「今日の当番は私でしょ。いい気分転換だし、きっと食べたら捗るよ」
 自分に言い聞かせるようにして、佐助の気遣いをきっぱりと断っておく。お互いに干渉しすぎない、ルールは絶対。
 溜息とニュースの音声を背後に聞きながら冷蔵庫を開けた。使い掛けのそうめんと野菜がいくつかあるから冷やし中華風そうめんでも作ろうか、と缶ビールのプルタブを引きながら呟く。こっちも、とひらひら手を振られたので、発泡酒を投げてやった。
「ちょっとー! これおいしくないやつー」
 見事な素早さで冷蔵庫に近寄って取り換えると、偉そうにビールと発泡酒と第三のビールについてうだうだと語り出したので、異邦人風情が、と上背のある佐助を睨み上げた。
「贅沢は敵です!」
「どの口がそれを言うのかね」
 むにーっと左頬を摘ままれる。痛いと言ったら負けな気がして無言で抵抗することおよそ一分。どちらともなく噴き出した。二人手に持った色違いの缶を打ち合わせてゴクリと喉を鳴らして飲む。
「旨いな」
 嘆息雑じりにこぼれ落ちた一言は佐助のもの。酒はイコール日本酒らしかった佐助はビールがお気に召したようで、週末に決めたビールの日はいつもどれを飲むか至極真面目な顔で悩んでいるのが微笑ましい。その姿に日本文化に触れて喜ぶ外国人を連想してしまっているとは、口が裂けても言わないでおこうと、は心に決めたのだった。


 一息ついてPCのディスプレイから目を離し、タスクバーの小さな時計を見ると午前二時を回っていた。この辺りで今日は寝ようとデータを保存してPCの電源を落とし、部屋の電気も切った。酷使していた目に急激な光量の変化が沁みる。真っ暗な中、手探りでベッドに倒れ込んでは大きく息を吐いた。
 カーテン越しに街明かりがうっすらと差し込むベランダに人影があった。早く寝ろと言ってやるつもりでのろりと起き上がってガラス戸を引いた。
 遠くを眺めていた視線を一度伏せて、吸い掛けの煙草を灰皿に押し付け、ゆっくり首を巡らせた男は、一瞬にしてそれまで纏っていた気だるげな雰囲気を払拭して微笑んだ。
「お疲れ。あんまり遅くまで頑張り過ぎちゃダメだぜ」
「もう寝るよ。……それ」
 佐助が煙草を呑むとは知らなかった。少し驚くと、おどけたようにポケットから箱とライターを出して揺すってみせた。
「随分前に覚えてさ。たまにこうしてぼんやり吸ってる」
「そっか」
 自分のことをほとんど話さない佐助に不満はないし、もわざわざ知りたいとは思わない。色々聞いて厄介事になってしまうくらいなら、SFやファンタジーな作り話にしておいた方が線引きを手前にする分、干渉が少なくて済む。
 行き倒れていた見ず知らずの男を助け、乞われて警察に突き出さず、衣食住を提供しているだけでは充分奇特な人間だろう。それに加えて佐助は普通に日常生活を送れている、バイトもしている、嗜好品に手を出しているときたら、彼の話が作り物だという線が濃厚であるというほかない。
「――佐助は本当はちゃんと戸籍もある出自もしっかりしてる日本人なんじゃないの。訳あってそれ全部捨てなきゃいけなくなって苦肉の策で異世界人の設定作ってみたら運良く親切な社会人の軒先借りれて一安心。さてこれからのためにどうしようかな、っていう」
「はは、何それ。でも、そうだったらいいね。……どっか遠く離れた町ですっげー悪いことしちまってさ、二度と故郷の土は踏めないんだぜ。きっと。もう死ぬしかないか、って自棄になってたところを救われたけど、自業自得のくせにどうしようもないほど人間不信になっててさ。あれやれ、これやるな、なんてものすっごい高圧的なの。助けてもらった恩も忘れて」
 どちらからともなく笑いがこぼれた。しばらく声を抑えて笑って、佐助が煙草に火を付ける。真剣な顔をして声を掛けた。
「佐助」
「うん?」
「それ書いて作家になれば? 大衆小説にありがちな話だから巧くやれば小銭は稼げるかも」
「じょーだん」
 もう一度ささめくように笑い合ってから、は尻を叩いて立ち上がった。
「寝るの?」
「うん。夜更かしも煙草も程々にしなよ。おやすみ」
「はーい」
 よい子な返事に生あくびを連発しつつ戸を閉め鍵をかけ、カーテンを引いてベッドに戻る。
 深呼吸をすれば、微かに佐助が吸っていた煙草の匂いがした。









戻る

2009/06/25
2009/07/29, 2009/11/05 訂正
裏設定はいろいろある逆トリップ猿飛佐助。
多分に恋愛に発展しなさそうなのが天王屋クオリティ(残念クオリティともいう)。
ボロが出ない程度に止めておきます。
よしわたり



テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル