いつも会社帰りに寄っているスーパーの花屋で、おもしろいものを見付けた。そういえばそんな時期だった。一人だったら気にすることもなかったけれど、あいにく今は独り暮らしじゃない。しばらく悩んではそれを買った。
「願い事なんて特にないけど。大人になっちゃったな」
 ぽつりと呟いて苦笑した。


「ただいま」
 玄関に買い物袋とバッグを置いてパンプスを脱ぐ。そのまま洗面所へ行って手を洗っていたらトイレから佐助が出てきた。
「おかえり」
「わ、……びっくりした」
「うん、顔がおっかなかった」
「失礼な」
 佐助は時々全く気配がないことがある。今もトイレはすぐ傍にあるのに扉が開く音さえしなかった。以前にどういう理屈か訊ねてみたら、アハー忍術と思い切りはぐらかされたのだった。
「あ、そうそう、また面白い飾りもの買ってきたよ」
「何? 前はそう言って魚の旗みたいなもの買ってこなかった?」
「こいのぼりね。うん、まあそれに近いかな」
 佐助が呆れた顔で溜息を吐く。
 五月五日には子供の日で男の子がいる家はこういうものを飾るのだ、とおもちゃのこいのぼりと柏餅を買った。男の子って、と微妙な表情を浮かべた佐助に新聞紙で折った兜を被せたのは記憶に新しい。ちなみにすごく似合わなかった。髪の色を抜いている武士はいないだろう。
 ほったらかしにしていた荷物をリビングキッチンに持っていく。食材冷蔵庫に入れといて、と頼んで隣の部屋で着替える。スーツから使い古したジャージへ。まとめていた髪も解いて適当に団子にして留める。よし、と呟いてからキッチンに戻ると佐助が困った顔をしていた。
「あのさ、これどうすんの」
 その手には30センチほどの笹の枝。瑞々しい葉を触ってさりさりと音を立てていた。
「食べられんの? 俺様さすがに笹は食べたことないんだけど……」
 生モノは大体食べられると説明して大型スーパーや輸入食材店で変なものを買ってきて食べさせたことは何回かある。そのせいか、が買ってくる生モノには驚きながらも果敢に挑戦する好奇心が身に付いたらしい。今度も食べ物だと信じて疑っていないようだったのでは吹き出してしまった。
「私も成長した笹は食べたことないなあ。タケノコなら食べるけど」
「じゃあどうすんの、これ」
「夕飯の後に説明するよ。あとやるから座ってていいよ、ありがとう」
 笹を持たせたままキッチンから佐助を追い出す。ええー、と不満そうな声を上げているが、いつものようにさらっと聞き流しておいた。



 風呂から上がったがリビングに戻ると、皿洗いを済ませた佐助が麦茶のコップ片手に報道番組を見ていた。
 佐助はニュースと紀行番組、料理番組が好きだ。家にいながらにして情報が得られて旅行気分が味わえるからお手軽でいいとのことらしい。本気でそう思っていたようなので、佐助の過去想像図に赤貧を加えておくことにした。反対に、バラエティやドラマはよく判らないからとほとんど見ない。何故かアニメを見ていることもあるが、そのおかげで大の大人が真顔でアニメというのは相当シュールな絵面になることを知った。
「何の話?」
「不況のことばっかり。俺様も来月から時給下げられたらどうしよう」
 さして深刻そうではない様子の佐助の言葉に、は麦茶をコップに注ぎながら溜息をこぼした。
「ボーナス……」
「あー……」
 佐助が無言になる。テレビの音声が耳障りなくらいに大きくなった気がした。
 あっと弾かれるようにして顔を上げたはバタバタと自分の部屋に入ってすぐに戻ってきた。勢いよくテーブルの前に座った、その手にはマジックとハサミ、無地の紙が一枚。
「それを書けばいいんじゃない! 私賢い!」
「なに、何の事?」
 呆気にとられた佐助に、はニヤニヤと何かを企んでいるような表情をしていた。
「さっきの笹出して、笹!」
「笹? なんでまた」
「いいからいいから。これから七夕かざりを作ります!」
「たなばた、棚機祭りのこと? 笹と紙をどうするの?」
 よく判らないといったふうに瞬く佐助に、短冊に切って上部に穴を開けるとこよりにした紙を通して結んだものを渡す。もう一枚同じものを作りはマジックでそれを指した。
「七夕はこれに願い事を書いて笹に下げるの。そうすると織姫と彦星が願いを叶えてくれるんだっていうお話」
「へえ、そーなんだ。なんでもいいの?」
 ペラペラと短冊を揺らしながら佐助が首を傾げる。つられても小首を傾げた。
「うん。佐助のいたところではしなかった?」
「ちょっと違うな。緑紅黄白黒の五色の糸を飾って供え物をする。んで、裁縫やら習字やら、芸の上達を祈る。何でも叶えてくれるなんて懐の広い話じゃなかったよ」
 からからと笑う佐助の話を聞いて、は子供の日も同じように説明を聞いたことを思い出した。
「子供の日、えっと、五月五日のお祭りも違ってたよね?」
「端午の節。菖蒲と蓬を軒に葺いて薬玉を飾るのは邪気払い。尚武にって騎射の披露もする。公家と違って、武士はやっぱり武芸を貴ぶから」
 七夕も子供の日のお祭りも古くからある祭りだと思っていたけれど、佐助のいたところはお祭りの仕方が少し違うらしいというのは不思議だった。しかもきちんと理由があってのことだという。
「ちゃんと意味があるんだね」
「そりゃそうでしょーよ。意味のない祭りはしないもんなの。こっちの人は年中お祭りしてるみたいなもんだから意味はなくていいのかもしれないけどさ」
「でも、お祝いごとがあったら飲み会したりするし、元々は全部意味があったのかな」
「そーなんじゃない? で、どうやって書けばいい?」
 うん、と頷いてがマジックで短冊に何事かを書いてみせると、漢字の少ない文章はあまり読めない佐助のために音読する。
「冬はボーナスが増えますように」
 予想通り佐助に哀れむような眼を向けられて、いたたまれなくなってきたのでさっさと短冊を裏返した。
「な、なに?」
「あんまり俗なことを書くってのも、ねぇ……。ホントに叶うわけじゃないんだし」
「最初は健康でありますようにとか天の川が見れますようにとか考えてたんだから」
「考えただけでしょ」
 頬杖をついてにまにまと楽しげな佐助はが裏返した短冊を取り上げると読めもしないのに文字を見ている。そこまでやられると書き直したくなってきたけれど、ぐっと我慢して佐助の手から短冊を引っこ抜いて睨んだ。
「もう、いいから早く書いてよ」
「はいはい」
 キュキュ、とマジックを走らせて書き上がった佐助の文字は古文の資料で見るように繋がっていて、には読めなかった。なんとなく不穏な気がする。
「……なんて書いたの?」
 案の定、佐助はにいっと歯を見せて笑う。
「アハー、秘密」
「やっぱり」
「そんな大したことじゃないって」
「別にいいけど。そしたらこうやって笹に結んで。できたらベランダに飾っておくから」
 さほど佐助の願い事にも興味はなかったので小さく肩を竦めるだけにして、手本を見せた笹を渡す。佐助は枝の先の細い所に落ちてしまわないように器用に結ぶ。これじゃ取れちまう、との短冊を高い位置で結び直してくれた。
「星あいだからできるだけ空に近い方がいいでしょ」
「ほしあい?」
「織姫と夏彦の逢瀬ってこと」
 にこりと微笑んで佐助はベランダに出るときょろきょろしてからを振り返った。
「紐、ないー?」
「あるよ。はい」
 礼を言った佐助がこれもまた器用にビニル紐で笹を物干し竿に括り付けてしまった。まっすぐ生えているかのように飾られて、の短冊は手が届かないほど。


 湿っぽい風が笹の葉を鳴らして吹き抜ける。
 薄く雲のかかった夜空を見上げていた佐助がに向き直る。すうっと目を細めて呟いた。
「明日、晴れるといいね」









戻る

2009/07/01
ちょっと迷ってカットしたセリフ。
「今晩はナスの甘味噌炒めとキュウリとタコの酢の物ね」
食事シーンを書くのが大好きです。ご飯は幸せの時間だと思います。
歴史、説話、星座、宇宙と一粒でたくさんおいしい七夕。後編に続く。
よしわたり



Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!