――すっかり遅くなっちゃった。
 そこそこ空いている電車に揺られながら腕時計に目をやって溜息をついた。23時を過ぎている。固定電話はないし、佐助は携帯を持っていない。こういう時に連絡がつけられないのは難儀だ。今日も佐助は早上がりのはずだからとっくに帰っているだろう。
 今日になって同僚に飲みに行こうと誘われた。佐助の姿が脳裡を過ぎったけれど、早く帰ろうと遅くなろうと特に関係ないかと思い直して、ありがたく誘いを受けた。仕事のグチや彼氏のこと、ドラマや映画の話、将来のこと。つい盛り上がって遅くまで話し込んでしまった。明日も仕事頑張ろうね、と手を振って別れたのはついさっき。最寄り駅までは電車で三十分、駅から家まで徒歩十分。
 ――帰る頃には日付変わってるなあ……。
 規則正しい電車の揺れが眠りを呼ぶ。小さな欠伸を飲み込んでは目を閉じた。


 降車駅のアナウンスが流れ、パラパラと降りる人に混じっても降りた。定期をかざして改札を出て、視線を感じてふと顔を上げると佐助がいた。軽く手を上げて近づいてきた佐助はどこか楽しそうだった。
「おかえりー」
「ただいま、ってなんで駅にいるの?」
「迎えに来たから」
「え、別にいいって。時間だって判らないんだし」
「でも待ってたらそのうち帰ってくるでしょ」
「そりゃそうだけど……」
「まーまー、細かい事は気にしない」
 佐助はやたらと上機嫌に、けたけたと笑う。がどれほど遅くなってもこれまで一回も迎えに来た事はないし、頼んだ事もない。どういう風の吹き回しだろうと訝しんで、微かに酒臭いのに気が付いた。
「飲んでる?」
「んー、少しだけ」
 これほど信用ならない言葉もない。佐助はうわばみのはずだ。家で飲む時も、あまり飲まないからしてみれば気持ち悪くなるくらいの量を飲んでいるくせに酔ったところを見たことがない。足取りはしっかりしているし顔色も全く変わっていないけれど、表情がへらへらと緩みっぱなしなところから察するにおそらく浴びるほど飲んでいる。
 じいっと向けられたの視線に居心地悪そうに頬をかいて、佐助は先を行く。肩越しに振り返ってを促した。
「ま、帰ろうよ。すっかり夜も更けちまってる」
 明るい駅構内からロータリーに出ると一気に明かりが少なくなって、寝静まった駅前はもの寂しい雰囲気だった。停車したタクシー、シャッターの下りたドラッグストアに立ち食い蕎麦屋、帰宅を急ぐ人々。人はいるはずなのに佐助と二人きり取り残されてしまったようで、は小さく身震いすると足早に歩き出した。




 二人分の足音だけが静かな住宅街によく響いている。何かを話すわけでもなく、なんとなく無言のまま歩き続けていた。一台のタクシーが二人を追い越していって再び静けさが戻った頃、佐助が口を開いた。
「残業?」
「ううん、同僚と飲んできた」
 そう、とだけ答えるとまた佐助は黙ってしまうが、居心地の悪い沈黙ではなく、は不思議と落ち着くような気もしていた。
 ふっと息をついた佐助が空を見上げて、も同じように広いとはいえない夜空を仰いだ。この時期にしては珍しく晴れ渡って円い月が天頂付近に昇っており、星の光は弱くなってしまっていた。
「晴れたね」
「うん」
 屋根によって四角く切り取られた空は狭く、は星を探そうとしたものの早々に諦めて俯いた。もとより、知っている星座はオリオンか北斗七星くらいだから探したところで判るはずもない。溜息を落としたに苦笑した佐助が、こっち、との手を引いて歩き出した。
「え、なに?」
「いいから」
 細い路地を入っていって、裏庭と間違えそうな砂利道を抜けて、長々と続く生垣の屋敷を越えて、着いた先は広い空き地だった。張られた鉄線を先に乗り越えた佐助ががくぐれるように鉄線を広げて手招きする。じっと眉根を寄せて腕を組んでいたは建築計画と書かれた看板を横目に、咎めるように言った。
「勝手に入っていいの?」
「今はただの荒地だし、いいんじゃない? 見つかったら謝ればいいでしょ」
「そんなのでいいのかなあ」
「いいんだって。ほら、こっからならよく見えるぜ」
 なんともないようにへらりと笑う佐助に再度促されて、結局は折れた。スーツを引っ掛けてしまわないように用心しながら鉄線をくぐった。
「足許気をつけて」
 小石が多いから、と差し出された手に手を重ねて気付いた。佐助の手は大きくて温かい。手のひらにはささくれのような細かい傷痕がたくさん走っていた。普通に生活している分には手のひらを怪我することはまれだし、痕が残ってしまうほど繰り返し繰り返し何かをすることもほとんどない。
 佐助の過去は知ろうと思わないけれど、は少しだけ、握る手に力を込めた。


 空き地の真ん中に二人、突っ立って夜空を見上げる。大小様々な星が静かに煌めき、天の川が滔々と光を湛えていた。
「明るいから見えないと思ってたけど、そうでもないもんだね」
「天の川見たの初めて。でも、うーん……、どれが織姫でどれが彦星か判んない」
「ちょうど真上に来てるよ。でも月が満ちてるから見えにくいな」
「どれ?」
「あの白っぽいのがおりひめぼし」
 佐助が指差す方を探して、ひときわ輝いている星を見付けた。白っぽいから多分合っている。嬉しくなったがくすくす笑うと、苦笑まじりの溜息をもらした佐助がつい、と指を動かした。
「なにがそんなに嬉しいんだか。で、天の川挟んで向こうにあるのがひこぼし」
「見えた! すごい、ちゃんと織姫と彦星見付けられたの初めてかも!」
「よかったねー」
 興奮気味に話すをいなすように返事をされる。はしゃいでしまった恥ずかしさから赤くなったであろう耳を空いている手で押さえて、は星を見る。佐助の視線が突き刺さっているけれど無視を貫いた。
 ふ、と吐息で笑った佐助も頭上に視線を移したのを目の端に捉えた。
「……ありがと」
「どーいたしまして」


 数分か数十分か、何も話さずに星を眺めていた。
 唐突に、暗く広い宇宙に一人ぽんと放り出されたような感覚になった。冷たい光が射すだけの無音の世界。不安になって繋いだ手をぎゅうと握ると、佐助は何も言わずに握り返してくれた。ほっと安堵の息を吐いたの視界の隅、光が尾を引いて走った。
「流れ星!」
「ホントだ」
 あっという間に消えてしまった光を名残惜しく探すの手を引いて、帰ろっか、と佐助が歩きだした。
 先を行く佐助の表情は判らない。後ろへ流して跳ねさせている色素の薄い髪が、夜を含んで鈍く輝いていた。
「あのさ」
 振り返らずに掛けられる言葉に、は短く返事をする。
「帰ってくるの待ってた」
「うん」
「ケータイ、持ってないから連絡できないし」
「うん」
「言いたいことがあって」
 入った時と同じように身軽に鉄線を踏み越えた佐助が、人がくぐれる隙間を作ってを待つ。通り抜けたはスーツを叩いてから、ちらりと佐助を見上げて手を差し出した。一瞬驚いた後、眉尻を下げた佐助にうやうやしく取られた手は、くすぐったかった。
「……もし、夢が覚めないでこのままでいられたら」
 え、と顔を上げる。真剣な佐助の瞳とかち合った。
「これからも一緒にいてくれる?」
 パチパチと瞬いてから、は小さく笑って佐助の手をぎゅっと握り返した。









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2009/07/07
2009/07/12 訂正
七夕後編。手を繋ぐというのは簡単なようで難しいと思います。
よしわたり



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