学生にとって、金曜の最後の授業ほど晴れ晴れとしたものはないだろう。それは社会人が金曜の終業を心待ちにするのと同じものだろうか。
 ――午後六時二十三分。あと二分。
 ぼそぼそとマイクもなしに話をする教授の言葉をノートにまとめながら、は腕時計を見た。周りの学生はほとんどが眠っている。独りシャーペンを走らせる音が大きくなったような気がして、はカチカチと無意味にシャー芯を出してみた。

 鳴り響くチャイム。ああとかうむとかなんとか言っていた教授はチャイムに耳を傾けて、ではここまで、と言った。この教授は滅多に板書しない。そのため、は授業後教授の許を訪れて今日の講義の疑問や不明点などを訊ねるのが決まりになっていた。
 ――まあ、心証をよくしようという魂胆も大いにあるけど。
 に、と笑って今日書き付けたノートと教科書片手に初老の男性教授に訊ねる。毎回そうしていたお陰か、教授もの事を覚えてくれたらしい。判らない所はそれとなくヒントをくれるし、参考文献のページまで教えてくれる。ありがとうございます、と深々と頭を下げて来週もお願いします、と言えば、彼は苦笑した。
 一礼して教授の前を去れば、教室にはもう誰もいなかった。自分の筆記用具が散乱しているだけ。ちゃっちゃと片づけて、カバンを肩に、クラッチケースを脇に抱える。友達がいないわけではないけれど、今日は特別。
 ――彼氏とデート。なんて素晴らしい響きだろう!
 ニンマリする頬をなんとか押しとどめて、トイレの化粧台でメイク直しをする。ナチュラルに仕上げていた大学用と別に、ちょっと遊んでもいいくらいの派手さを乗せる。髪も弄ってスプレーのヘアトリートメントを吹き付ける。この匂いを好きだと言ってくれた彼は喜んでくれるだろうか、と鏡の前の自分はこれ以上ないほどに幸せそうな顔をしていた。

 正門前の人だかりと女の子たちの歓声に、の心はものの見事に鋼鉄と化した。デートを喜んでいた自分の浅はかさを呪い、浮かれた心は沈没船の如く沈んで行った。
 の通っているのは郊外の小さな私大だ。こんな人だかりなんて入学式か卒業式にしかお目にかかれない。もしくは、――今は確実に――、の彼におまけがついてきたとき。
 ――せっかくのデートだったのに! どうして余計な人がついてくるのよバカ!
 にこにこと表情だけは変えることなしに、人だかりから出来るだけ遠い警備員さん専用の出入り口を使わせてもらう。丁度、走ってきたバスに乗るために駈け出した。
 が、聞きたくない声は易々と耳に届いた。
ちゃん! ちょっと!」
「知んない!」
 短く一言だけ叫び返し、バスに飛び乗って、後は知らぬ存ぜぬを決め込んで空いていた一人用の椅子に座って溜息をついた。
 ――確かに、みんなとっても素敵だし仲がいいっていうのは知ってるけど。何も揃いも揃って来ることないじゃない……。
 窓に映った自分の顔が寂しげで、早く下宿先に着かないかとは寝た振りを決め込んだ。携帯のバイブレーションがずっと鳴り響いている。サイレントモードに切り替えて無視をした。




 自宅マンション近くのバス停で降車ボタンを押し、ぽんと飛び降りた。せっかくのデート、と恨みがましく呟きながらは夜食を買い漁ろうとコンビニに入った。どうせ週末だから一切外出しないでやる、とダメな考えを固めたときだった。

ちゃんのバカー!」
 聞き慣れた、さっきは一番聞きたくなかったの大好きな声が雑誌コーナーからした。どうやって早回りしたのか、なぜここにいるのか、悪友たちはどうしたのか。が口にする前に佐助は公衆の面前でぎゅう、とを抱きしめていた。
 ポカン、と一瞬の間を置いてから離れようとしない男をべりりと引き剥がして慌ててコンビニを立ち去った。ありがとうございましたー、という店員の声が間抜けに響いた。

「どうしてここにいるの」
「だって、ちゃん逃げたじゃん」
「真田君は?」
「大将の所に泊まり込み。週末でしょ」
「他にも何人かいたよね?」
「さあ? 女の子引っかけて飲みに行ったんじゃないの」
「で、佐助はどうやってここに来たの?」
「竜の旦那の自慢のアレ、借りてきたから。高くついたけどね……」
 の部屋のリビングで佐助とは互いに向き合って正座をしていた。は不機嫌そのもの、対する佐助は申し訳なさからか縮こまっている。
「ふうん。だから駐輪場に似つかわしくないごっついバイクが止まってたんだ」
ちゃんが逃げるのが悪いんだぜ。俺様なーんも悪くないのに竜の旦那に頭下げて拝み倒してなんとかバイク借りて追いかけてきたわけ。今日はデートだー、って浮かれてたらバレちゃってさ、ヒマな人達がぞろぞろ付いてきちゃって。そのせいで学校の前で女の子に囲まれるわ、ちゃんに逃げられるわ。俺様散々だよ」
 がっくりと項垂れてぐすんと鼻を啜る佐助に仏心が湧いて、は苦笑しつつ膝を進めた。ん、と佐助が首を傾げたのにへらっと笑い返して、抱きついた。
「へ?」
「ごめんね」
 佐助の薄い胸板に頭を寄せて細い腰に腕を絡めて謝った。の行動に佐助は驚くばかり。
ちゃん!? どしたの、明日は槍が降る!?」
「ひっどーい!」
「だってさ、ほっとんどこういう風にしてくれることないじゃん? ベッド以外で」
 えへへ、と笑って言った佐助を胸元から見上げて、ぺしりと額を叩いた。それでもへらへらと笑っている。
「さ、最後は余計。――でもさ、真田君の面倒見なくていいんでしょ? 週末」
「え、うん。まあね。もしかして、」
 きらきらと嬉しそうに満面の笑みを浮かべた佐助がその先を言うのをは封じて、きっぱりと言った。
「一日三食、ご飯作って。それと、私外出する気ないからお買い物はお願い。後、伊達君に早くアレ返してきた方がいいよ」
「何でもする! ちゃん大好き! 飴と鞭の使い分けが巧い所が俺好み! ホントいい女!」
 喜色を浮かべた声音の佐助にぎゅうっと抱きしめられて、は苦しいよ、と文句を垂れながら彼を引っぺがした。
「一瞬で態度変えちゃうところも好き! あーっもう俺様幸せ者! じゃ、とりあえず買い物ついでに竜の旦那に連絡付けて返してきますよっと」

 がどう扱おうと佐助はニコニコとしたまま。名残惜しそうにしつつも、佐助は携帯を片手に立ち上がって玄関に向かう。
「うん、お願い。晩ご飯は佐助の作ってくれるものならなんでもいいよ。お金、玄関に財布があるから使って?」
「やだよ。俺様、彼女にお金使わせる趣味はないし」
「だって二人分でしょ、折半しなきゃ」
ちゃん……! ホント好き!」
 む、として眉を寄せたをまたしても抱きしめようと戻ってきた佐助をするりとかわして、財布を投げつけた。
「早く行ってきて。お腹空いた」
「じゃあさ、行ってらっしゃいのキス!」
 にっこりとその奇麗な顔を緩めて、佐助は靴を履きながらにねだる。
 ――ああもう、敵わない。
 は一つ溜息を零して、少し爪先立ちになって佐助の唇に軽く触れた。いってらっしゃい、の言葉と微笑と共に。佐助がの腰に両腕を回して首筋に顔をうずめる。はあ、と幸せそうな吐息をもらして佐助は深呼吸した。
「俺様の好きな匂いがする。可愛い。……ね、買い物後でも、いい?」
 希うような、色気のある声が耳許でささやく。佐助の頭を掴んでは笑顔で玄関から追い出した。ぴしゃりと言い放つ。
「さっさと行ってきて。期待してる。佐助のご飯はおいしいから」
「……俺様大感激ー。じゃ、行ってきますかね」
 へらりと片手を挙げて苦笑した佐助に、止めの一撃をは刺す。
「ご飯食べたら、ベタベタしよっか。デート、できなかった代わりに」
「マジで!?」
 途端に元気になる佐助にちょろいもんだ、と内心で思いつつ、自身も満更ではないことに気付いていた。
「マジ。だから早く、ね」
 言い終わる前には玄関の扉を閉めて赤くなった顔を気取られないようにしたけれど、どうせ佐助は見ていただろう。ここは三階だというのに飛び降りた気配がした。
「身軽ね、ほんと。そうでもなきゃ真田君の面倒も見切れないんだろうけど。――好きだよ、佐助」
 独り言と呟いただったが、俺様も大好き、とどこからともなく叫び声がして、びくりと肩を震わせた。
「どこまで超人なの!」




 佐助が帰ってくるのに一時間も掛からなかった。料理はものの十五分で仕上げてしまった。おいしい、とゆっくり時間をかけて食べているの隣には早くも食事を終えて膝枕をしている佐助。顔は緩んでだらしがないし、行儀は悪いし、見る人が見たら破廉恥であると言いそうな、そんな二人。
 ――そんなもの、幸せだから気にならない!









戻る

2009/07/18
2009/09/02 訂正
暑いのでべたべたさせたくなりまして。反省はしていない。
なんだかヒロインがツンデレなのが多いですね……。たまには毛色の違う子も書いてみないと。
よしわたり



楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル