夜中に突然目が覚めて、くるるると小さくお腹が鳴った。

 は起き上がらずに寝がえりをうつ。それに合わせてもう一度きゅうと鳴く腹の虫。ここで食欲に負けるわけにはいかない、ときつく目を閉じてみたら余計に空腹を感じては溜息をついた。ローカロリーのゼリーとお茶くらいならいいかな、と渋々起き上がってみたけど時間はすっかり真夜中で、あいにく冷蔵庫の中に食べたいものは入っていなかった。昨夜使った残りの焼きそば麺と野菜と肉、保存のきく漬物に味噌やバター、炭酸飲料に牛乳。お菓子入れにしているカンバス地のボックスにはポテトチップスやドライフルーツ、グラノーラのようなものしか入っていなかった。
 十分ほど空腹と格闘して白旗を上げたは、軽く着替えて財布と携帯を持って家を出た。すぐ近くのコンビニは夜勤の店員が一人品出しをしているだけで、客はの他に誰もいなかった。パラパラとファッション誌やマンガ雑誌を立ち読みしてからゼリーとノンシュガーのアイスティだけを取ってレジに向かう。最低限の会話を無愛想に交わして店員は品出しに戻り、は店を出た。少し肌寒いかもしれない、と腕をさすりながら街灯の少ない道を歩いていた。夜の更け切った住宅街は時々遠くの大通りをトラックが走る音が聞こえてくるほど静かだった。


 佐助に会いたくなった。 
 理由はないのに無性に会いたくて会いたくて、突然涙が溢れてきた。驚くくらい何も考えられなくなって、佐助に会いたい、それだけが頭の中を占めていた。目の奥から次々に押し出されてくる涙を止める術をは知らなくて、どうしてか拭くことさえできなくて、どんどん大粒になって転がり落ちる涙は頬を伝い服に染み込み、アスファルトを濡らしもした。

 さすけ。
 水の膜に隔てられた視界の中、それだけのメールを打つとは大通りへと向かう。佐助の家まで歩いていくには距離がありすぎる。こんな時間だからタクシーで、しかも割増で行くしかないけど、そんなことはどうでもよかった。早く佐助に会いたい。




 ピンポン、とチャイムが一回鳴った。

 一回きりのそれに佐助は目を覚ました。開こうと頑張ってもくっつきたがる目蓋を無理矢理に上げて、布団の中から探り当てた携帯を開く。目に差し込んできた光に小さく唸って時間を確認すると午前三時になるところだった。画面の隅に新着メールのアイコン。寝る前に見ておこうと受信メールを開いて、佐助は飛び起きると慌てて玄関に向かった。

 カチリと鍵の音がして、静かにドアが開く。出てきたマルーンの寝惚け髪にはそっと息を吐いた。耳聡い彼がそれを聞き逃すはずもなく、今にも落ちそうな目蓋をこすりながらを見る。目に入ったの姿に驚いた佐助は無言でを玄関に引き入れると抱きしめた。

 泣かないで、落ち着いて、俺様がいるから大丈夫。
 の頭を抱え込んで優しく撫でながらの声には、答えを求める色はない。下げていたコンビニ袋を手放して、はぎゅうっと佐助にしがみつく。かすかな嗚咽の声がこぼれ始めて、震えるの背をさすりながら佐助はその場に座り込んだ。守るように抱きしめているが泣き止む気配はない。とんとん、ゆっくりと脈打つ心音に合わせて、佐助は胸に寄せられたの小さな頭から流れる髪に指を通していた。


 は泣かなかった。文化祭や卒業式でも泣かなかったし、佐助と付き合ってからケンカをしても怒った勢いで泣いてしまうこともなく、感動ものの映画や本でも涙一つこぼさない。女の子は多少なり涙もろいものだと思っていた佐助の観念を覆して、見事に泣かない女だった。
 だからといって冷血かといえば、全くない。よく笑ってよく怒り、悲しむこともあるしバカもやる、普通の女の子。
 幸村の面倒をつい見てしまう佐助に呆れながら一緒に世話を焼いたり、ふらふらと落ち着きのない佐助に文句を言うでもなく待っていたり、かと思えば佐助のことなど眼中にもなかったり。いつの間にか一緒にいることが多くなって、そのままの流れで付き合ったから、恋人というよりは親友や家族に近い感覚だった。
 ずっと一緒にいたような錯覚さえ覚えてしまうような、佐助にとってはそんな人だった。


 泣き声をこらえてぐずぐずと鼻をすするがしがみついている男は、何を思っているのかほとんど判らない。他人とはいえ佐助はの彼氏で、家族やごく少数を除けばが一番身近にいるはずなのに、飄々とした態度と人好きのする笑顔の他に知っていることはとても少ない。
 頭が良くて手先が器用でいろんなことを軽々と造作なくやりのけて、背は高いし顔はいいし人当たりもよくて男にも女にも好かれやすい、向かうところ敵なしの完璧超人だ。あまり認めたがらないけど実は幸村に負けず劣らずの熱血漢で、信玄や幸村を見る佐助の表情はほんの少しの呆れと大部分の誇らしさで微笑んでいる。はその横顔を見るのが好きで、そんな佐助の横にいられるのが幸せだった。
 が好きだと飽きるほど口にするし体で伝える佐助に、嘘も偽りもないのはだってよく判っている。だけど、それ以外の本心は見せてくれない。幸村は「あれはなかなかに気難しい」と五つも年上の佐助をよく理解して苦笑し、信玄は「ちと憶病な嫌いがあるからのう」ととてもには考えられないことを言う。
 どれだけ仲良くなろうとが佐助を理解しようなんて身の程知らずもいいところ、と突きつけられているようで空しかった。




 の呼吸が落ち着いて、それが寝息に変わってどれくらい経っただろうか、真っ暗だった玄関がほんの少しずつ外の明かりで物の輪郭を取り戻し始めていた。
 佐助にもたれて安心しきって眠っているの体は、気をつけて抱いていないと床をベッドにしてしまいそうで、佐助は動けないままだった。もとより動かす気はなかったから、が目を覚ますまで二人身を寄せ合っているのも悪くはないと思っていた。そこが玄関で、――朝の早い同居人が起きて来なければ。

 規則正しく定時に起きてきた幸村は、日課の早朝ジョギングに出かけようとして佐助が玄関に座り込んでいるのを見つけた。赤のハチマキを締めながら声をかけようとして口を開いた途端、振り返った佐助に睨まれた。何事かと問い返す前に佐助の腕の中の女に気がついた。顔は見えなくてもそれがだということはすぐに判ったし、破廉恥と口にしようものならどうなるか。
 バカではあるかもしれないが、愚かではない幸村は瞬時に状況を判断して部屋に戻った。できるだけ音を立てないように扉を閉めるのは忘れずに。脈拍が上がってどきどきとうるさい。窓を開けるとお館様、とひとつ念じてから、ベランダのつっかけを履いて地上へ飛び降りた。じいんと痺れる足が普段通りに動かせるようになると、幸村は全力で駆け出した。


 ゆっくりと意識がはっきりしてきて息をしたは、匂いを確かめるようにもう一度呼吸をする。佐助の匂い。そしてベッドに横になっていることに気がつく。玄関を入ってすぐ、何も聞かないで甘えさせてくれた佐助にしがみついて眠ってしまったようだった。起き上がろうともぞりと体を動かしたところで、佐助の腕がそれを阻んでを抱き寄せた。
 見上げた佐助は眠そうな半目。おはようと言えば、うんと返事があって、はごめんねと謝った。深夜にいきなり来たこと、みっともなく泣いてしまったこと、起こしてしまったこと、いろいろな意味を込めたごめんねのつもりだった。何も答えなかった佐助はの目の上に手をかざして、目蓋を閉じさせる。もう少し寝ようよ。寝起きに掠れた声で佐助がそう言って、こっそりあくびを噛み殺したは文句なしにその提案にのった。

 ちゃんのこと、全部受け止めるから安心して泣いていいよ。

 とろとろとまどろみ始めたの耳に、夢かうつつか幻か、ひどく幸せな言葉が聞こえた。








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2009/09/03
書いている途中で変なことを思いついたのでやってみた。玉砕!
よしわたり



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