「ごめんなさい。悪いけど、私、理解力も想像力も働かない人は好きじゃない。私があなたを見ていたことはないし、これから関係を築くなんて無理だと判らない? もう三年で、卒業も近いのに。――だから、止めておいた方がいいよ」

 顔だけ知っている男子に、好きだと告白された。いつものようにが放課後の教室で過去問やセンター対策の本を解いている時だった。カラリと開かれた前のドアから入ってきて、さんちょっといい、と言った。少しだけなら、と頷いたにはにかんで、彼は人目の少ない校舎の隅へと移動して、告げた。ずっと好きでした、付き合ってください。
 そうして、は冷たく返した。それでも、と取り縋る彼にぴしゃりと言い放った文句。肩を落してしばらく動かない彼を気遣い、は先に教室へと帰った。


 それほど目を引く容姿をしているわけではない。同年のかすがや猿飛佐助などは、ぱっと目に付いて焼き付くような容姿をしている。はいたって平凡。髪も黒く、制服も面倒くさいから校則通り、背も前から数えた方が早い。
 取り柄は勉強ができるだけ。
 そうやって必要以上の勉強をして、何をするのかといえば何をするでもなかった。ただ、興味の赴くままにのめり込んでいただけだった。だからだろうか、ときたま物好きな男子がに好意を打ち明けてきていた。あわよくば勉強を教わりたい、と思っているだろうのから、バリバリ数学について熱く語って同意を求められつつ付き合いを求められたこともあった。
 だが、はそれらの、男女の付き合いに一切興味はなかった。友達と話をしていても、恋の話になると聞き役に回っていた。小学生の時には淡い初恋があったかもしれないけれど、それももうおぼろげだ。

 いや、最近になっての心をかき乱して以降、やけに構うようになった男子が一人いたか、とは遠い目をした。




 教室に戻ると誰もいなくなってしまっていた。テキストを開いたままの自分の机を見て、はからりと呆れたようにこぼした。
「こういう時って、泣けばいいのかな」
 何の感慨も湧かない。涙が出る気配もない。冷血、と誹られても反論できないだろう。くすくすと笑う声が、の前の椅子に座った男子から上がった。
「俺様、泣かない女が好きなんだ」
「そ。じゃあ大泣きしようか」
 猿飛君。
 の口から出たのは挑むような音だった。彼には面と向かって私はあなたが嫌いだ、と言った。全く意に介さずに猿飛佐助は、折を見てはこうしてだけがいる時に現れていた。を慮ってか、自分のためかは知らないけれど。
「うーん、泣かないでいてくれるといいねえ。ちゃんって泣いたこと、ある?」
 秋口にはちゃん、だったのがいつの間にか、ちゃん、に替わっていた。
「随分ないかも。小さい時は泣き虫だったらしいけど、弟ができたら泣けないと思ったのか、よほどのことがない限り泣かなかった記憶しかないかな」
「あら、意外とお姉ちゃん気質なんだ。いいねえ」
「なら、猿飛君の前でだけ泣いてみせようか? そういうの、好きなんでしょ。男の子って」
「んー、俺様は好きじゃないな。そういう女って大体面倒なんだよ。経験上、ね」
 何故か、猿飛はに自分の事を話していた。誰にも言わないでよ、かすがと旦那には特にね、と言いながら。ノートに解答を書き込みながら生返事を返すに、何が面白いのか彼はけらけらと笑いながら多くの爛れた関係をあっけらかんと語った。

 唐突に現れて、突然消えるようにいなくなる。
 猿飛がいなくなって少しすると、必ず人が教室に入ってきたり、前の廊下を通ったりするのだった。
「目薬使って棒読みで言ってやろうか? 『猿飛君の前でしか泣けないよ』なんてバカみたいな台詞」
「そういう子、いたねー。あは、思い出したら笑えてきた。その子ってば可愛いんだけどちょっとお馬鹿さんでさ、天然を演じようとしてたんだけど、お馬鹿さんだからできてないのね。あんたにゃ飽きちまった、って言ったらそのままのセリフ言ったわ。あ、でも胸はおっきかったな」
 目の前でニンマリとする男は、何を考えているのが判らないから怖いのではない。実質は真田幸村の事以外を割り切って、何も考えていないから怖かったのだ。はそれを身をもって知った。ごく僅かの間に。
 それほどまでに猿飛佐助はに構っていたのだった。


「可哀想に」
 吐息と共にの口をついて出たのは、それだけだった。あは、と猿飛は楽しげに笑う。
「なに言ってんの、ホイホイついてくる方が悪いんじゃない? 俺様わるーい狼だぜ、って言ったんだけど」
「その女の子も、……猿飛君も。――絶対にそういう話を真田君の前でもかすがの前でもしないよね。私は口が堅いと見て安全だと思ったから話してるんでしょ。自分が辛いから、嫌だから、傷口が塞がらないから、誰かに聞かせて少しでも楽になりたい。いい相手見つけたと思うよ、猿飛君は」
 カリカリとシャーペンが問題を解く音だけになった。饒舌だった悪狼は口を閉じ、黙りこくった。消しゴムで間違えた部分を消す。――音が、消えた。




「俺をそんな風に言うの、あんたくらいだよ」
 低い男の声が、沈黙を破った。
「それはごめんなさいね。口が悪くて」
 全くそうとも思ってないようなの声。明るくトーンの変わる猿飛佐助の、声。
「だから、話をして、もっと好きになったんだ」
「私は、猿飛君が嫌いだけど」
「嫌いって言う割に、すごく優しい。勘違いしちまうんだよね、だから今日はっきりさせて。誰とも知れないヤツに告白されてたじゃん」
「見てたんだ、悪趣味」
「そりゃ、好きな子が他の男に取られちゃ嫌でしょ。ま、ちゃんが肯くことなんてないって判りきってたからここで待ってたんだけどね」
 じっと見つめてくる視線に、はにこりと笑う。
「それはご苦労様。私は、猿飛君が嫌い」
 トホホ、と嘆く真似をして、彼は苦笑いを見せた。
「あっさり言ってくれちゃってまあ。……それは、俺が怖いから? 恋愛が怖いから?」
「猿飛君が嫌い、怖いから。恋愛には興味がない、面白いと思えないから。これでいい? 話はいつでも聞くよ。憂さ晴らしにはなるでしょ」


 そう言うと、はまた手許に集中する。使う公式を間違えていたらしい、だから解が変な値になったんだ、と納得しながら次の問いに掛かる。が全く見向きもしなくなって大人しくなっていた猿飛が、あー、もう! と、ガシガシと赤茶けた色の髪を掻き回していた。ガタンと椅子から立ち上がる。
「そうやって叩きのめした後に慰めるの止めてくんない? 俺、あんたが好きだから勘違いしちゃうの! いつかは振り向いてくれるんじゃないか、なんてらしくないこと考えて、落そうともしないで手も出さないでずっと待ってんの! あんたは、ちゃんは、下心がなくて俺を嫌いで、なのに優しいから! 最初は興味本位だったけど、ちゃんは人の気持ちをきちんと読み取って欲しい言葉をくれるんだって知っちまったから! 俺はもうあんたしか眼中になくなってんだってことわかってよ!」
 一息に切羽詰ったように、猿飛は言い切った。驚いて顔を上げたの目に映ったのは、これまで一度も見た事のない、彼の泣きそうな顔だった。両手でその顔を覆って、弱々しく呟いた。
「だから、俺を嫌いだなんて言わないでくれよ……。好きになってくれなくてもいい、嫌いだって思ったままでいい。だけど、口に出さないでくんない? ……本気で、好きなんだ。卒業までの少しの間くらい、俺のバカな話に付き合って、仮初の夢見させて」


 それは、飄々とした彼のいつもの様子とは全く異なっていた。は驚いたまま、声も出せずにいた。あは、と力なく笑って彼は椅子に座り込んだ。
「――今の、無し。忘れて」
 ぼんやりとに笑いかけて、どこか遠くへと視線を転じた。ひとつ、大きな溜息を残して猿飛は立ち上がる。
「じゃあね。邪魔して悪かった。また、来るかもしんない。いつもみたいに本読みながら、問題解きながら俺の話聞いてよ。……でも、もう諦めるから。ごめんな、――ちゃん」

 悲しげに笑って背を向けた彼の腕を、は無理やり掴んでいた。ぽかんとした彼に近づいて、ぱしんと額をはたいた。
「言うだけ言って逃げるなんて卑怯! なに勝手に人を好きになって勝手に諦めてんの!」
 唖然とする猿飛に、が続ける。攻守交替したかのように。
「本当に嫌いなら相手にするわけないでしょ! テストでも首位争いしてて、放課後になったら話をして、嫌いだったはずなのに、ひっくり返る事だってあるんだって知った! 私はね、あなたのことが好きなの、猿飛佐助!」
 二度は言わない、と締め括ってからは机の上を片付け始めた。カバンに全部詰めて、ドン、と重くなったカバンを机に載せて、は猿飛を見上げた。
「帰らないの」
「今の、ホント? 俺、喜んでいいのかなあ」
 現実感がない、といった様子でぽんやりと言う彼に、は俯いて、小さくもごもごと口にした。
「猿飛君が、好き。本当。喜ばなくてもいいけど」




 一気に空気が変わった。

 猿飛は机を乗り越えてをぎゅうと抱きしめると、ふるふると肩を震わせていた。何事、とが問う前に、彼は叫んだのだった。
「俺様最高に幸せ! うわー、マジで!? マジでちゃんが俺のこと好きだって言ってくれた! あんなに嫌われてたのに! 長かったぁ、よかったぁ、もー、幸せっ! 佐助って呼んで! ね、今、佐助って!」
 テンションが高くなってもう制御も利かないのだろうか、佐助はぎゅうぎゅうとを締め付ける腕を緩めようとしない。苦しい、と訴える事もできず、がとんとん、と腕を叩いたのに気づいて緩めるが、決して腕の中から放そうとはしなかった。
「さ、佐助君、放して」
「ダーメ、佐助」
「さす、け」
「もいっかい!」
「佐助」
「うう、もっかい呼んで!」
「佐助! 放せ!」
「うあっ、ごめん! 変になってた、ごめん! 最後に一回だけ!」
「佐助なんか……、」
「嫌いって言えないんだ? あは、ちゃんかーわいい! ねえ、折角こうやって両思いだって判ったお祝いにさ、一緒に帰らせてくださいって言ってもいい?」
「止めて、迷惑だから」
「あはー、照れてる? なんかちゃんってすっごくかわいいんだ。初めて知ることばっかりで幸せだわ」
 放課後の教室、二人きり。緩くを抱きしめた佐助が感慨深く呟いて、は不覚にもほろりと涙をこぼした。

「泣かない、女じゃなかった」
「ん? 気にする事ないって。ちゃんなら、俺は何でも受け入れる。気にしないで、思い切り泣いちまえばいいんだよ」
 しばらくはほろほろと涙を流して、その頭を佐助は優しく撫でていた。


 すん、と鼻をすすって、目の周りを赤くしたが恥じらいに俯きながらも、礼を述べた。
「ありがと、佐助」
「どーいたしまして。ほら、一緒に帰ろ?」
「……うん」
 ぎこちないの手を取って、佐助は笑う。自然と手を繋いで、街灯の下を二人で初めて帰った。
 途中で道が分かれるのに、佐助はの家まで送ってから、また明日ね、と言う。頷いたに嬉しそうに笑うと、ひらひらと手を振って佐助は帰っていった。
 その後ろ姿へ、小さくも手を振り返した。








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2008/09/23
2009/12/09, 2010/01/11 訂正
こんな感じで高校生な二人の馴れ初めでしたという話です。
要望があったのでオチを足しました。下にカーソル当ててくだされば出ます。
よしわたり


 翌朝、登校した時には既に猿飛佐助がと付き合う事になったとあちこちに広まっていて、質問攻めに遭ったは大層疲弊し、佐助を恨んだという。その後かすがが喚き騒ぎながら追い討ちをかけに来たとか。もうこれ以上は無理と机に伸びたの前、遅れて登場〜、などとほざいて現れた佐助に、はクラスメイトから観衆からいる前で怒鳴りつけたともいう。
「佐助! これは一体なんなのか三十秒で説明!」
「ええ!? ちょーっと俺様事情わかんないんだけど!」
「嘘! 昨日の今日でどこまで何を広めたらこうなるの! かすがにもみっちり尋問されてきて!」
ちゃんのバカー! なんで俺そんなに信用ないのー!?」
「自業自得ッ!」



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