陸に上がれば波の音が聞こえない。――どこか落ち着かない。
船乗りの悪い癖で、元親は夜半に屋敷を抜け出して浜へ向かった。慣れたものだからと供もつけずに浜を一望できる松林の終わりで岩に腰掛け、何処までも続く黒い海を眺めていた。
「其の左の眼はどうしたのじゃ」
夜になると現れるのは、人ならざる何者か。
元親は幽霊だの神だのという類を信じていないため、こいつもまた人の情念の凝り固まった厄介者と軽くあしらっていた。それは女の形をしていて、公達のような衣裳をきっちりと着こなしていた。昔、四国が流刑地であったころに流されて無念の内に土佐の地に骨を埋めた名も無き何者かの女か娘であろう。
これまでは適当にかわしてきたものを、左目について触れられて、らしくもなく声を荒げてしまった。
「てめえには関係ねえ。知ったところでどうするんだ、アアン?」
「そう荒ぶるな、鬼の子よ。――見たところ、傷も病も負っておらぬようじゃ。何故隠しておるのかと問うたまで」
扇を手にくつりと笑う女に、小さく目を瞠って答える。
「……見えてんのか」
「人ではないと思うておる者が何を言わんや。……鬼の子よ、土佐の海は美しいのう」
「はあ?」
大海へと続く浜へ顔を転じて女は目を細める。ざ、ざざ、と等間隔に打ち寄せる波音が眠りを誘うかのようだった。
――わたの原八十島かけてこぎ出でぬと人には告げよあまの釣舟
雅な舞と共に歌われるのは古歌。田舎者だと思わぬようにしてきた元親だったが、この女の優美な歌舞には舌を巻いた。そして、この歌の背景も意味も知らず、言葉のままにしか受け取ることができないのが、歯痒かった。
戦乱の世に於いて教養などあってなきもの。貴族が遊びに興じ、政を疎かにして滅んだ平安の世とは違う。そう言い聞かせ、ぐっと奥歯を噛んで言葉を飲み込んだ。
音もなく舞い終えた女は元親を振り返り、空気をはらんだ袖がふうわりと落ち着くように瞼を落とした。
「京に住まわって居た頃は斯様に美しきものが京の外にあるとは考えもせざったものじゃ。皆が京を恋しがる歌を詠む中、この地を終の住まいとしたは妾だけじゃった。――こなたの瞳、土佐の海を映しておるのう」
「……だったらどうだって言うんだ?」
「誇るがよい、鬼の子よ。土佐の、四国の海を統べ、その瞳に何が見えるか妾にも見せてくりゃれ」
靄が晴れるように足許から消えていった女の声が頭にぼんやりと響く。
にやりと笑んで立ち上がった元親は、大海原を見下ろして眼帯を上げる。閉じていた左目の瞼が上がると、深い海の色をした鋭い双眸が現れた。
がつり、と地を踏んだ元親が姿を消した女に宣言するように朗々と声を上げる。
「はっは! 土佐だ、四国だ!? 俺が見てんのはその先よ! 世界の海を暴れまわってやるぜ!」
地面を蹴って堂々と屋敷へ引き返す。肩越しに静かな海を見遣って呟いた。
「……あんたが愛してくれた土佐の海は誓って誰にもくれてやらねえ。安心して眠りな」
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2010/01/07
公式設定がどうなっているのか知らないのですが、彼の目の色は海の色であってほしいと個人的に思っています。眼帯も調子づいてつけてるだけだとなお良い。
よしわたり