「おい丸! さっさとしろよ!」
「蘭丸のことを丸って呼んでいいのは信長様だけなんだぞ! お前なんかが呼ぶな!」
「うっせー! どうでもいいだろ! いいから早くしろよ船が出ちまう!」
少年が二人、軍港をぐるりと見渡せる山の頂上へ駆け登っている。罵り合いはいつものことで、足も止めずに一目散に山頂の展望台を目指す。彼らが到着した時には、先客が既にいた。
「おめさんら、ちゃんと起きねえから遅れるんだべ!」
腰に両手を当てた少女が少年達に怒鳴る。
「女のくせにえらそーな口きくな、いつき! 船、まだ出てねーだろうな!?」
その横を走り抜けながら、一人は港がよく見える方角の手すりに飛びついた。
「女だ男だなんて関係ないだ!」
もう一人はガゼボにいる三人の女のうち、黒を基調とした衣服を着た女に問い掛ける。
「濃姫様! 信長様が乗船されているのはどの軍艦ですか!?」
艶やかな黒髪を結い上げた女がふふ、と微笑し、船団の中で最も大型の軍船を示す。
「まだ出港していないから慌てなくてもいいわ。上総介様がお乗りになるのは、あの主力艦よ、蘭丸」
「……長政様も、それに乗ってるの」
わずかに小首を傾けて、桃色の着物に袴姿の女が言い、活動的な洋装をした短髪の女がそれに続けて言う。
「犬千代様もでござりまする。陸軍将校の方々は皆、同じ船だと」
少女が、ためらいがちに、三人の、軍人の妻を見上げて小さく問う。
「なあ、将軍さんの奥方は間近でお見送りできるんだって、おら聞いてるだよ。どしてここで見送るだ……」
少年達の駆けっこについていかず、後から山道を登ってきた女は、いつきの声を聞いて立ち止まった。濃、市、まつがそれぞれに目配せをし合い、遠くで立ち竦んでいるに気付き、は彼女達に頷いた。
「いつき」
呼ばれた声に少女が振り返って、姉ちゃん、と言った。はゆっくりと足を進める。蘭丸と武蔵は展望台の手すりから身を乗り出すようにして騒いでいる。しばらくは放っておいても大丈夫だろう。
濃の凛とした表情、市の儚い美しさを持つ顔、まつの真っすぐで強い眼差し。夫を信じ、待つしか出来ない女達は、弱さも脆さも全て隠し、軍人の妻としてあらねばならない。加えて、夫君は三人とも将官位である。
いつきの前に屈んで、は柔らかく笑う。
「いつきも知ってるでしょう? 陸軍織田大隊は陸軍で一番の大隊なんですよ。武田騎馬大隊も、島津歩兵大隊も、徳川戦車中隊も、今川補給隊も、他のどの隊よりも強く、勇ましく、無敗を誇っています。だからこそ、奥方様はこちらでお見送りになられるのです」
「だったら励ましに行った方がいいと思うんだべ! 織田の大将さまも喜ぶに違いねえだ!」
一生懸命に語るいつきは、彼女なりの考えで三人を気遣っているのだ。その純粋な思いに目を細めて、はいつきの頭を撫でる。
「いつき、あなたは軍人さんの一面しか見ていないのですよ。戦場へ出れば軍人さんは命を掛けて戦います。それこそ、鬼のように。それでも、みな、人ですから、死にたくはないと心の奥では思うでしょう。なのに、一番死に近い戦場で、命令があれば死を厭うてはなりません。軍人となったからにはそれがさだめです」
の言葉に、いつきはうん、うん、と頷く。さだめ、と呟いた声は少しだけ震えていた。
「人に妻子はあれど、鬼に妻子はあらず。これから戦場へ向かい、鬼となる軍人さん、それも大隊長の織田様はじめ前田様、浅井様、……明智様もですが、が部下の前で人に戻ってなんとします。部下の軍人さんの為を思えばこそ、皆様方は先日お屋敷を出立の折にきちんとした別れを告げていかれたのですよ。いつきもと一緒にお見送りをしたでしょう?」
「んだ……」
ボーッ、と汽笛が上がり、軍艦の大きな煙突からもくもくと黒煙が湧き出してきた。いよいよ、出港である。大きな音にびくりとして、慌てて振り向いたいつきの肩に後ろからそっと手を乗せ、は三人が座っているガゼボへ向かわせる。
「さ、奥方様のところへお行きなさい。は蘭丸と武蔵が落っこちてしまわないように見張っています」
こくりと首を縦にして走って行き、まつの横へいつきはちょんと腰掛ける。それを見た三人が微笑んで、船に向かってめいっぱいに手を振るいつきを真似て、小さく手を振っている。さて少年達は、と視線を転じた先、手すりに登って両手をぶんぶんと千切れそうにさせながら叫んでいた。手すりの向こうは緩やかになってはいても、海へと続いている。落ちては事だ、とはそちらへ急ぐ。
ボッ、ボッ、ボッ、と立ち上る煙を残して、ゆっくりと巨大戦艦が港を出ていく。先導し、後続する護衛艦を何隻も従えて海を進む様はまるで織田大将そのもの。ちらりと背後に目をやった視界の隅、上げたままになった右の袂を押さえる濃の左手が、布が皺になるほどぎゅうと握りしめられていた。すぐには船の方へ向き直り、少年達へ危ないからそろそろ下りなさい、と促すのだった。
天気は晴朗、さやさやと青葉を鳴らして吹く潮風も心地よい。用意してあった食器や料理をまつと共にテキパキと広げ、見晴らしの良い展望台で昼食を取る。興奮冷めやらぬ蘭丸と武蔵が騒ぎすぎて粗相をしないようにしっかりと見張りながら、も同席する。本来ならば許されないことなのだが、上総介様がよいとおっしゃったのよ、との濃の一言ではいつからか彼女達の夫君がいない時には相伴に与るようになっていた。ありがたく思うと同時に、申し訳もなく、また、誰も決して口にはしないへの心遣いが言葉にできないほどに嬉しいのだった。
昼食を終え、少しの休息を取ってから山道を下る。奥方の先導を意気揚々と務める少年達、続く三名の細君、少し離れてといつきがしんがりである。の横をとぼとぼと歩くいつきはふくれ面をしている。
大船団を見たせいか、子供達は先導は自分だと言って取っ組み合いの一歩手前まできていた。が仲裁をしたところで、今のこの子達は聞かないだろうと見ていたら、考えた末にじゃんけんで決着をつけることにしたらしい。すぐに喧嘩をしていた頃よりも成長したのね、と市が呟いて、子供達に聞こえないよう、四人でこっそり笑った。
しばらく歩き続けて、不意にいつきがの着物を引き、姉ちゃん、と言った。を見上げるいつきの目は、真剣だ。
「……姉ちゃんの言うこともわかるだ。でも、おら、争いはよくないとしか思えねえ。争いが終わって平和になっても、死んだ人は戻ってこねえだ……」
いつきの言うそれが、誰のことなのか、は痛いほどに判っていた。戦死したの夫、彼もまた陸軍の兵で、織田隊に属していた。
彼は軍医としてずっと前線にいた。織田隊の兵に、同じく織田のお屋敷のお手伝いとして働いている。その縁があって結婚を勧められ、互いの家も快諾して二人は夫婦となった。ささやかに済ませるはずだったのが、誰が何を言ったのか織田将軍に所縁のある方々が集い、大宴会が催されて恐縮しきってしまったのも良い思い出である。一軍医の夫や、下級士族の出の娘のが一生の内にお目にかかることなどないだろうというような方々に声を掛けられ祝福され、何もかもが終わって二人きりになって、震えたり泣いたり喜んだり、大忙しだった。
皆が皆、同じ軍に属している軍人の妻であるから、夫がいない時に幾度か濃や市、まつと話をすることがあった。手伝いの身分で、と断ろうものなら祝宴のことを持ち出され、手伝いの合間を縫っては話相手を務めるようになった。子供の面倒を見るのが好きだと言ったが、織田将軍の居ない間、やんちゃ坊主の盛りだった蘭丸を見るようになり、そこへ、どこから噂を聞きつけたのか武蔵が加わり、さらにいつきも来て、今では軍が動くたびに大所帯になる。
いつきに微笑みかけて、は顔を上げて前を見る。
「そうですね。戦争は、いたずらに人を殺してしまっているのかもしれません。でも、平和を夢見て、そのために人は戦っています。軍人さんだけではありませんよ。奥様方も、町で働いている人も、いつきの村の人も、もちろんも同じです。子供達が平和に暮らせるように戦う大人をよく見ておきなさい。そして、将来大きくなったらどうするべきか、よく考えなさい。いつき、あなたが大人になった時、きっとこの国は平和になっていますから」
「姉ちゃんはそれでいいだか……? 兄ちゃんが戻ってこなくても?」
と同じく夫も子供好きで、戻った時にはいつき達とよく遊んでいた。その光景を思い出して、まだ真新しいと思っていた記憶が実は遠くなってしまっていたことに驚く。記憶の中の子供達は、今よりもっと幼い。
「あの人が、そう言っていましたもの。はそれを疑いません」
視線を合わせ、はっきりとが言う。ぱちぱち、と大きな瞳を瞬かせて、いつきはを見つめている。
えへへ、といつきの顔が綻ぶ。
「そっか! そったらおら、もっといーっぱい米が作れるように、ちょっとでも楽にできるように、頑張るだ! 体力つけて、べんきょもして、……村一番、ううん、国一番の米作りをしてみせるだ! 姉ちゃん、応援してけれ!」
輝くような笑顔でいつきは夢を語る。途方もないけれど、叶わないはずはない。
「いつきならきっとできますよ。がしっかり応援しますから、帰ったら早速お勉強しましょうか」
「い、今はまだえんりょしとくべ……」
慌てて首を横に振ったいつきに苦笑して、はまた前を向く。蘭丸と武蔵はきっと心身ともに強くたくましい将になり、敬愛する将官と共に平和の世を守ることになるだろう。濃も、市も、まつも、遠方にいる夫を案じることなく、心穏やかに日々を過ごすようになれる。
眩しい未来を夢見て、平和を子供達に託すために、も形なき戦に立ち向かっている。
平和へと着実に歩みを進めていたこの国が、その後まもなく、大きな動乱によって内部から瓦解してしまうなど、その時の彼らに想像がついただろうか。
各々を決して相容れることのない信念を掲げて互いに争い合うことにさせてしまおうとは、――ごく一部の者を除いては、考えもしないことであった。
それは、嵐の前の最後の静けさだったのかもしれない。
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2010/02/06
2011/05/10 訂正
軍パラ、織田勢+α。しかも相手はいないっていう。誰得の極みです……。こういう日常があってこそ、非日常の場面も際立つかと思ったらもう止まらない。
ゲームではバリバリ大活躍の彼らですが、軍パラにおいては後ろに下がらせました。
よしわたり
・相手がいません。あえて言うなら兵卒A(故人)です。
・登場人物はいつき、宮本武蔵、森蘭丸、お市、濃姫、まつです。主に、主人公といつきの会話によって成り立っています。
・書いている途中で何が何だかわからなくなってきたので登場人物の言動が支離滅裂になっているおそれがあります。