「佐助さん!」
久しぶりの上田の城下で、ひときわ目立つあかがねいろの髪。は背伸びをするようにしてその人物へ声をかける。声が届いたのか、きょろきょろと動く頭目指して人の間を通り抜けていく。
「佐助さんっ!」
もう、すぐそこ。喜びに緩む頬を隠しもせずに手を振れば、彼はの姿に目を丸くした。
「どーしたの、いきなりだね」
「佐助さんに会いに来たんです!」
笠を外して髪を整え、格子柄の着物のほこりを簡単に払う。にっこりと笑いかけたに、佐助は苦笑するだけ。
「はいはい、お上手なことで。――さーて、ホントのところは?」
ニイ、と悪戯っぽい表情を近付けられたは、思わず息を飲む。
「本当なのに。……ついでに善光寺参りと敵情視察」
むう、と軽く眉を寄せて言ったの額を、こつんとつついて佐助が笑う。こっちおいで、との手を引いて歩き出す。
「使ってる忍がこんなんじゃ、主の程度も知れてるよ。もよくクビにならないよねぇ」
「何度も言ってますけど、私、忍じゃないですから。佐助さんみたいに戦場に出るわけじゃないですし、術だって使えませんし、体だって普通ですし」
人にぶつかって手を離してしまわないようにとしっかり繋いで、は佐助の隣を大股に歩く。二人の歩幅が違うのを佐助は考えない。
「やってることは俺様と変わんないでしょ。あっちこっちフラフラして見てきたこと報告してるんだから。――ま、俺様はとは比べ物にならないくらい優秀だけど?」
「私だって優秀ですよ! 今回だって少ない旅費をなんとかやりくりして佐助さんに会いに上田くんだりまで来たんですから!」
旅費の内訳を指折り細かく説明するに、よくそれでここまで来れたねぇ、と佐助は呆れ交じりにを見る。
「そういうトコはちょっとうらやましいなァ。俺様お給料少なくってさー」
「ええ!? 佐助さんほどの天才忍が!?」
「……、演技力もないよね」
小さく肩を竦めて今にも吹き出しそうな佐助に、は項垂れる。
その間にも佐助は賑わう城下の中心から遠ざかり、街の外れへと向かう。もそれに何も言わない。
辺りには農繁期の今、ほとんど使われることのない物置のような小屋が立ち並ぶばかり。一軒の、手入れのされていない粗末なあばらやを前に、佐助はにんまりと唇を歪めた。
「おいで、」
わざわざ手を離し、一歩踏み出して言う。誘うように、突き放すように。はわざとらしく首を傾げて、見かけだけの難しい顔をしてみせる。
「……まだお昼ですよ、佐助さん」
「だから、何? は俺様に会いに来たんでしょ?」
絶対の自信を持って佐助はを見下ろす。ふ、と詰めていた息を吐いて、は半歩踏み出した。
「はいっ!」
差し出されたの両手を引いた佐助が、体をきつく抱き止める。くすくすとこぼれ落ちる二人の笑い声。
「いっそのことずっと俺様のトコにいればいいのに」
「それは嫌です。こうしてたまーに会うから喜びもひとしおなんです」
「そんなもんかねぇ」
「それに、そうじゃなきゃ私、佐助さんに会えません」
「まーね」
あっさりと答えた佐助にはふっと目を伏せる。心底幸せそうに。
「そういう、情抜きの損得勘定だけでいてくれるから、私は佐助さんが好きなんです」
「忍ってそういう生き物なの。知ってるでしょ?」
「こんなにキッチリしてるの、佐助さんだけです」
きゅう、と抱きしめてくるの体を遠慮がちに撫でながら、佐助は苦笑をもらす。
「――お馬鹿さん。俺様なんかを好きになってどうすんの? 他に良い人見つけて落ち着いて暮らすのがの為だ。なーんて言いながら、俺様はを手放す気なんてさらさらないけどね」
「佐助さんが手放さないのは私じゃなくて、私の情報でしょう?」
ふふ、と悪戯じみた笑みで佐助を見上げるの表情には、後悔も悲哀も何もない。ただただ、喜びだけが溢れんばかり。
「あーらら、この子も言うようになったねェ。卑怯って言われた方がいくらかマシだ……」
の髪を結えていた紐を解き、さらりと髪に指を通す佐助。うとりと瞼を落としたの顔を少し上向けて、唇を合わせた。
薄い布団に二人、一糸纏わぬ姿で倒れこんで、気だるい午後の日差しを感じていた。
抱き寄せられるままに佐助の、忍の体にするりと指を走らせて、は悲しげに呟く。
「佐助さん、……前より、傷が増えてます」
くつくつと、いつものように喉で笑う佐助は、の滑らかな肌を堪能するように手を這わせる。まだ興奮冷めやらぬといったはひくり、と体を強張らせ、佐助がまた喉を鳴らす。
「俺様は戦忍だから、しょーがないの。その分、が奇麗だろ」
忍じゃないんだからさ。――その言葉には佐助に一度だけしがみつくと、躊躇いなく身を起こした。佐助を見つめるの顔は、ほんの少し憂いを帯びていた。
「……だからもう、これで終わりなんです。最後に佐助さんに会えてよかったです」
つられるように佐助も起き上がっての正面で胡坐を掻く。
「私は本当に忍でもなくて、何処かに属しているわけでもなくて。――ただ、家から逃げていただけなんです。でも、もうそれもお終い」
ごめんなさい、と頭を下げるに何も言うことができず、佐助はその柔らかな体を抱き寄せて、呟いた。
「そう」
とくとくと響いているのはの命の音だろうか。温かくて、まろい女の体でありながら、旅をする者特有の手足。は忍だと言い聞かせて誤魔化してきたのも、これが限界のようだった。
「なあ、……を、抱いていい?」
ひとつ瞬いたは、本当に嬉しそうに相好を崩して、頷いた。
「はいっ!」
日も落ち、主の書斎へ断りを入れて控える。近隣諸国の詳細な現状を報告したところで、主はひとつ唸り、嘆息した。
「さすがは佐助。見事な働きだな」
年若い主の言に、畏まった姿勢を崩すことなく佐助はへら、と力のない笑みを浮かべた。
「それに関しては、俺様だけの働きじゃなくてね。実はとーっても優秀な目と耳を持ってたんだ。千里眼・順風耳ってやつ。――ま、もう無くしちゃったんだけど」
「なんと勿体のないことを!」
息巻く主をなんとか宥めて、佐助は障子の向こう、雨戸の先へと視線を転じる。それを同じように追う主に向き直り、作り慣れた笑顔を浮かべた。
「身に余る能力はいずれ無くしちまうもんなんだって。俺様は一介の忍ですからね」
「むう……。しかし、そういうものなのやもしれぬな」
そーいうものなの、と答えた忍は既に姿を消していた。
灯明の揺れがピタリと止んでから、それでもまだ近くに侍っているだろう忍に聞こえるように幸村は溜息を落とした。
「――そのくらい話したところで、なんとも言わぬぞ。たまにはお前も息を抜け」
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2010/02/09
私には……これが限界です……。
細かい設定は別項で。
よしわたり
→設定と言い訳