「お疲れ様です、お先に失礼しまーす」
やっと終わりだ、とバックルームでぐったりしながらは携帯の電源を入れた。
しばらくスタンバイの表示が出て、メールを自動的に受信する。振動音にたぶん佐助からだろうと画面を見て――危うく携帯を取り落としかけた。受信メール、10通。ともかく、は順にそれらに目を通していくことにした。
「バレンタインだから大変だろうねー。夕飯支度しとくから、バイト上がったらウチおいで。チョコ、楽しみ〜」
「今休憩中くらいかな? お疲れさま、でも早く帰ってきてほしいなー」
「まだ終わらないって判ってるんだけど、お願いだから出来るだけ早く!」
「チョコ期待したからバチが当たったのかな……」
「なにこれいじめ?」
「もうヤダ俺様実家へ帰りたい」
「助けて」
「help」
「SOS」
「・・・‐‐‐・・・」
「……佐助?」
独り言を呟いて首を傾げてしまうくらいに意味が不明だった。は慌てて着替えると軽くメイクを直し、荷物を持ってバイト先を飛び出した。
いつものようにマンションの駐輪場に自転車を置いて階段を上がる。玄関のドアの前に着いたところで、部屋の中が騒がしいのに気付いたに嫌な予感がよぎる。チャイムを押す直前、いきなりドアが開いた。
「いいよもう! 俺様が出ていく!」
「佐助!」
「ちゃん! ちょうど良かった、ちょっと出かけよっか!」
何がなんだか判らないままのの手を引いて佐助は黙々と歩いてマンションから遠ざかる。言葉を発するのを躊躇わせるような佐助の雰囲気に、は大人しくついていくのだった。
近くの公園のベンチにへたりと座り込んだ佐助。午後五時半過ぎ、日が暮れて街灯のついた公園に子供はもういない。たまに前の道を犬の散歩をする人やランニングをする人、帰宅する人が通るだけ。何も言わない佐助に微苦笑を浮かべて、も隣に座った。
「メール、見たよ。私が返信できないの判ってて、やったでしょ。説明してくれるといいんだけど。……でも、なんとなく想像ついてる」
小さくごめん、と呟いた佐助がの肩に頭を預けて、ぼそぼそと話しだした。
「朝からちゃんバイトだっただろ? 旦那は大将のトコ。で、俺は特に予定もなかったしボーッと本読んだりテレビ見たりしてたの。そしたら急に携帯が鳴ってさ、なんだよと思って出たら風来坊からでね。『ベルギー行って本場のチョコ大量に買ってきたから食べないかい? っていうか、玄関前にいるから上げてくれよ!』って言うんだよ。どうしてウチ来るんだよあの万年新婚夫婦のトコ行けよと思ったんだけど、一応上げてやったわけ。ほら俺様って心広いからさー。それからがひどいのなんのって。次に毛利の旦那が急に来て、竜が来て鬼が来て。言い訳はバラバラだったけど、目的は全員女の子から逃げてる、で一致。少しは応えてやんなよ、なんて言おうもんなら『仮に一人からでも受け取ってみよ、渡された全てを受け取らねばいらぬ噂が立ちさらに背ビレ尾ヒレが付き厄介になるのは目に見えておろう。それも判らぬのか』って感じで俺様が説教くらうハメになるし……。あいつらウチを避難所かなんかと勘違いしてんだぜ、絶対。旦那も帰ってきてまた喧しくなるし。ちゃん呼んどいて、やっぱりゴメン、なんて言えないし。あーもうあいつら今日くらい空気読め。ホント、勘弁してほしいよ実際……」
げんなりと言い終えた佐助は深く深く溜息を落として、の首筋でいやいやとでもいった様子で頭を緩く振る。くすぐったい、と肩を竦めたの体に腕を回してくっつこうとする。
「それで家出しようとしたところにちょうど私が来たんだ?」
「うん」
しばし、無言。ふっと笑みこぼしたは佐助の髪をぐしゃぐしゃとかき上げて、ぽかんとした彼の体に思い切り抱きついた。わ、と慌てながらもをしっかりと抱き止めた佐助は、どしたの、とささやく。
「お疲れさま」
「……うん」
それだけで通じる、幸せ。
彼らの個性が強すぎるということは、その分だけアクも強いということ。もそれは散々身に沁みて理解しているから苦笑いに留めておいた。
「賑やかでいいけど、本当にしょうがない人達だよね。追い返さない佐助も佐助だけど」
「それを言われると俺様立つ瀬ないんだけどなー……」
本当に申し訳なさそうに言う佐助の頬を両手で捕まえて、にこりと笑う。額を合わせて、絡み合う視線。
「だから、今日だけは特別。うちに上がってもいいよ」
「……え?」
いつもは佐助が勝手に押し掛けて、の許可が下りてから、というのは滅多にない。言ってから照れたのか、は視線を外してぽつりとこぼす。
「嫌なら来なくていいけど」
「そんなわけ、ない。アハ、なんかこういう時って言葉が出ないってホントなんだねー……」
いつもはのらりくらりとしている佐助の本当に珍しい、にだけ見せる本心。それがなにより嬉しくて、幸せで、バイトの疲れもどこかへいってしまったかのようだった。ふっと柔らかに微笑んだ佐助はをぎゅうと抱きしめて、一言。
「ちゃんがいてくれてよかった。なにを曝け出しても受け止めてくれるちゃんだから、――俺様、本当に好きなんだよ」
滅多に聞けない佐助の本音に、はただ微笑むだけ。ありがとうも、私も好きだよ、の言葉がなくても通じる二人の関係は居心地がいい。
とっぷりと陽が暮れて夜はひたひたと空の色を変えていく。
帰ろうか、とが切り出した。二つ返事で佐助はの手を取って立ち上がる。自転車を取りに戻って、それから二人、たわいないことを話しながらの部屋まで歩いて帰った。いつもより時間はかかったけれど、なんの苦にもならなかった。現金なものである。
夕食を取って、バレンタイン前にデパートで買い込んだ国際色豊かな限定チョコをが広げて、二人であれこれ言いながらアルコール片手にゆっくりと味わう。
酔いの回ったに悪戯っぽくキスをしてきた佐助の吐息もとろりと甘くて、二人はくすくすと笑った。甘いね、とどちらともなく口にした言葉の意味は何を指していたのだろうか。
夜も晩くなってから、の携帯に幸村から着信があった。
一度目は佐助もいたから取らずにいて、シャワーに押し込んだ隙にから掛け直した。
「もしもし。真田君、さっきは電話取れなくてごめんね」
「お気になさらずとも構いませぬ。して、殿、佐助は?」
「大丈夫、家で預かってるよ。真田君、そっちは大丈夫?」
申し訳なさそうな口振り、電話越しにも聞こえる背後の騒ぎ。幸村なりに頑張ってくれているのだろう。
「某、これしきでへこたれる様な鍛え方はしておりませぬ!」
「頼もしいねー! 本当に悪いけど、そっちの見張りよろしくね」
「承知。ご迷惑をおかけして申し訳ござらぬ」
「迷惑? まさか」
からからとは電話口で声をたてて笑う。
向こうで幸村が困惑顔をしているのが目に見えるようだ。それじゃね、と何かを言われる前に電話を切った。
携帯をバッグに放り投げ、座り方によって自在に形を変えるお気に入りのソファに沈み込んで、しおりを挟んだ文庫本のページをめくる。
すると、まるでタイミングを見計らっていたかのように、ちゃんお風呂ありがとう、と佐助が背後からに抱きついてきた。ふうわりと漂うシャンプーとソープの香り。自分が使っているものなのに、佐助が使うとまるで別物のように感じてしまうのだから不思議だと思う。
ゆるりと顔を向けた先にはすう、と目を細めた佐助がいた。それは、私の、私だけの佐助。
――バレンタインだもん、私が佐助を独占してもいいじゃない?
くすくすと笑みこぼすの心裡を知ってか知らずか、佐助は挑発的に笑う。
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2010/02/24
2010/02/27 訂正
最後のメールはトンツーです。SOS。
バレンタインには間に合わなかったんですが、ほとんどできていたので勿体なくて……。
よしわたり