戦忍と違って、人に紛れて情報を集める忍は碌な戦闘経験がないことが多い。あったとしても大怪我を負って戦線離脱した者であるとか、情報収集に余程長けている者であるとかだが、そういった者は数えるばかりもいない。が戦を知っているのは忍の里に連れて行かれる前、戦禍で家族を失くしたそれきりである。
 同じ年の頃の子供達が術を覚え、技を鍛えていく中で、だけはどちらも上達しなかった。叱責され手が飛び、それでも里に入れてしまったからには捨てるわけにもいかず、始末するにもの持つある特技のせいで、あってなきが如き扱いを受けて育った。体は成長し切らず、棒切れのような腕と足をして、落ち窪んだ目だけが爛々と円い。
 ただ一つ、の得意なものがあった。声真似である。老若男女、相手の声を一度聞けばそっくりそのまま出すことができる。里はのその力を惜しんでしまった。しかし、がケタケタと笑いながら他の者の声を真似て混乱を招いたとて、里の者はを遠ざけた。その風貌も相まって、コダマ、と誰ともなくのことを呼ぶようになった。
 里の中にいられなくなったは山中をうろつき、木の上を寝床として猿のような暮らしをしていた。他の子供達が年上の者に教わる、食べられるものとそうでないものも、自ら口にして知った。知恵がないわけではなかったから、一度死ぬ思いをしたものは二度と口にしなかった。声真似も、一度真似たものは何度でも真似られた。がその才をしてようやく里を出ることになったのは、十年が経ってからだった。木の実を取っていたところを捕まり、村へ連れて行かれ、行商人のような男と一緒に里を出るように言われた。
 見回してみればと同じ年の頃だった者は誰一人として残っておらず、のことはコダマとして里では語られ、声を取られれば近いうちに死ぬのだとまことしやかに囁かれていた。それを聞いたはまたケタケタと笑い、聞こえた声を一つ残らず真似ていった。どす、と腹に衝撃を受けた後の事をは覚えていない。


 痛みを感じて目を覚ましたのは、民家だった。とっさに起き上がろうとしても、腹の痛みがひどく、呻き声が弱々しくもれただけだった。家主は里で引き合わされた行商人の男らしく、脂汗を浮かべてなお起き上がろうとするに、何をするのかを話して聞かせた。
 曰く、は男が遠出をした際に見つけてきた娘で、戦で村を失くしてから獣に育てられたらしく人の生活を殆ど忘れているという。山暮らしが長くとも話はできるはずだが、それよりも人の声を真似てしまうため、あまり喋らさないようにしている。できるだけ人に慣れさせて他の娘同様に育ってほしいと願い、家で妻と共に留守をさせるよりも男と共に旅をさせることにした。――その裏は、人の声を聞き分けて巷間にある忍を見つけ出し、情報を得たり偽の情報を流布したりする、ということである。
 幸い、獣同然の生活をしていたは気配を絶つこともできるようになっていたし、身軽にもなっていた。一度聞いた声をそっくりそのまま真似られるということは声の聞き分けもできるということである。が十年経ってそれなりに使えるようになったと判断した里は、正しい。
 そうしては、数年を行商人に化けて過ごした。は命じられた通りの役を演じて、与えられた任務を全うする。男の雇い主、つまりの主が何処の誰かは知らないが、任務を持ってくる媒はたまにへの労いの言葉も持ってくるようになった。その頃にはももう、人らしい喜怒哀楽をきちんと知り、忍たらんとする心構えを備えていたから、労いを有難く嬉しく思うようになっていた。そして、より一層役立てるようになりたいと願うのだった。




 を里から連れ出した男は、左腕が少し不自由だった。戦場で受けた傷が元で不自由になったのだと言っていた。それでも、生活に不便している様子はなかったと、は記憶している。
 目の前に、血に染まった男の体が倒れているのを見ながら、は見当違いな事を考えていた。男は呻き声一つ上げずに死んだ。影に喉をザクリとかっ切られてお終いだった。なんとも呆気のない、最期だった。
 今、の前には男が一人立っている。新月の夜だ、星がどれだけ明るかろうとも木の陰に入られてしまえば顔は判らない。やたらに背丈の高いその男は、三枚の刃を持つ手裏剣を隠しもせずに回している。――忍だ。
 万が一、こういった状況になった場合どうするか、は覚えていた。乾いた唇を一舐めして口を開く。出てきたのは今し方死んだ男の声。
「残念だが、そいつを殺しても俺を殺しても、もうお前の望むものは手に入らねえ。とっくのとうに俺の手を離れてらあ」
 今回の任務は終えて、手に入れた情報も既に他の媒に伝えてある。男もも、この件に関するものは全て処分し終えていたから、あながち間違いではない。この男がの口を割ろうとしない限りは。
「アンタ、そっちが本体かい? それにしては出来のいい分身だねー。あ、ヒトガタつかってんの? あんまソッチに手ぇ出しちゃダメだぜ」
 カラリと笑う男に眉を寄せて、は腰の小刀を構える。ヒュウ、と男は口笛を鳴らす。
「俺様相手にまるきり女の体ってのもツライんじゃない? 元の体に戻れば?」
「その必要はねえ」
 とて、相手の力量が判らないほど愚かではない。同行の男があっさりと殺され、ひしひしと感じる殺気は相手が並みの忍ではないことを雄弁に物語っている。震えを押し隠して、は跳んだ。
「お?」
 男を撒くことだけに精神を集中して、林の中をでたらめに抜けて行く。十年、人であって人でないような暮らしをしていたのだ、出来ぬはずはないと己を叱咤してただがむしゃらに跡を残さぬように、山深くへと分け入って行く。


 月がないのは運が良かったが、時が判らない。どれほど経ったのだろうと、一瞬樹上で足を止めた時だった。
「ざーんねん」
「ぐ、う!」
 先程の男の、楽しげな声がしたと同時に、は腕を捩じられ、地に落とされた。腐った葉が重なり合っていなければ気を失っていただろう。だが、頭に、腹に、酷い衝撃を受けて思わず声真似を仕損じてしまった。
「ん? アンタ、女?」
 ぐい、と顎を持ち上げられて顔を覗き込まれる。胴の上には男が乗り、上体を無理に反らされているせいで碌に声も出ない。ゲホ、と咳をするのがやっとだった。
「体は完全に女なんだよねー。でも声は男だし。……どんな術使ってんの?」
 俺様興味あるなあ。そう言って口唇を歪ませた男はの上から退き、仰向けにさせてに白状を促す。舌を噛み切ってしまわぬよう、鋼で覆った指をの口に突っ込む事は忘れずに。
 よもや、このような状況までは考えていなかった。の声真似が知られた場合は同行の男がを殺す手筈だったし、が出る直前の里の中で、山林を跳ぶのにより速い者はいなかった。事ここに於いて、気が触れたようにはケタケタと笑い始めた。
「教えたところでお前は使えないよ」
 男が目を剥く。の口から、己の声が出てきたのだ。
「気味が悪いだろう! 他人の、女の口から男の、己が声が出るのは!」
 ケタケタと笑いながらは声を変える。この男に殺された、世話になった男の声。
「俺を含めて、これまでどれだけの人を殺してきた?」
 男の妻の声。
「戦忍は人を殺すことが仕事、そう思っている? 武士なら人を殺した数で称賛されるけど、忍は違うわ」
 村の老婆の声。
「確かに、戦に出ない忍の方が多い。お前達は数少ない選ばれた者だ。だが、実際はどうだ?」
 前日に発った町にいた、子供の声。クスクスと笑って無邪気に告げた。
「血濡れるほど、恐れられる。あなたに向けられる目を見てごらん?」


 の顔のすぐ両脇に、深々と刺さって刃を煌めかせる手裏剣が一対。しん、と下りた沈黙も一瞬のことで、それでもはケタケタと笑い止まない。男は、荒い呼吸を整えているようだった。まじまじとの体を見分し、顔を見る。
 育ち盛りを逃したせいで、の落ち窪んでいながら爛々とした円い目と、細い手足はいつまでたっても変わらなかった。
「……お前、コダマか」
 コダマ。そう呼ばれていた事もあったとはまたケタケタと声を立てて笑う。
「そうだよ。コダマだ」
 男の声を真似て肯定すれば、男は鼻に皺して嫌悪を顕わにした。
「……相変わらず薄気味悪いこって。だけど、使えるな。里もそう考えて外へ出したんだろうけど、戦国の世は世知辛いねー。アンタのトコと俺様が仕えてるトコ、敵同士になっちゃってさ」
「お前もあの里の出か。ならば、この声を惜しむような考えは起すな。後の禍を呼ぶのは判るだろう」
 まだ里と繋がりがあるのだろう男の口ぶりに、はもはや忘れかけている己の声で警告する。はほとんど何も知らされずに動いていたから、同じ里の者同士、切り捨てるなら末端の方だ。そして、今、この男ととでは、比較するのも莫迦らしい。
 男は、スッと忍らしく感情を削ぎ落とした顔になった。
「世の習いってもんを判ってるねー。んじゃ、恨みっこなしだぜ」
 が一つ頷いて、男は口端を少しだけ上げた。




 信玄と幸村に今回の報告をし、殴り合いに突っ込みを入れ、それから佐助は解放された。
 力の限り叫び合い殴り合っているというのにどちらも声が枯れず怪我一つないというのは可笑しいだろう、とぼんやり思いながら館の警備を引き続き部下に任せて街へ下り、さらに歩いて山へと入って行く。山道を逸れて獣道を随分と進んだところに朽ちかけた一軒の庵がある。
 にんまりと唇だけで笑んで、佐助は庵の扉を引いた。
「たーだいま、かすが」
「佐助か? 帰ってきていたのか」
「さっきね。大将と旦那のところへ行ってきたところ。あれはもう、一連の儀式みたいなもんだよ」
「だが、ないと安心しないのだろう?」
 クス、と小さく笑った女は、――佐助が名を呼んだ女ではない。乱雑に草履を脱いで上がり、佐助は声の主の頭を撫でた。
「よくできました。一度真似た声は完全に我が物にしちまうんだねー。さっすがコダマ」
 無言で頭を下げる女。それはだった。両目を覆うように何重もの布を巻き、左右の袖口を縫い合わせて手を出せないようにした造りの衣服を着、両足は投げ出している。をどこへも行けないようにしてこの庵に閉じ込めたのは佐助で、佐助の望むままの声を出すようにさせた、は謂わば佐助だけの声真似鳥である。
「次は誰の声を覚えさせようか――」
 クツクツと喉を鳴らして笑う佐助は、ひどく楽しげだった。


 佐助はを殺さなかった。
 の声を残す代わりに腱を切り、両目を抉り出した。たとえその声が比類なきものであっても、忍としてはおろか、人としても生きるのが困難な体になったに価値はない。決して佐助を見ることがなくなった二つの円い目を布越しに撫でながら、佐助は言う。
「俺のコダマ。命尽きるまで俺の為にその声を響かせな」
 ケタケタと、は笑っている。――誰かの声で。









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2010/03/19
2010/03/21 訂正
短い話の中にいくつものファクターを織り込むのは難しいと思う次第です。
精進あるのみ!
よしわたり



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