私には常々不思議に思っていることがある。佐助の戦装束である。あの被り物はなんなのか。動きにくくはないのか。なくてもいいんじゃないのか。それを今から本人に質そうと思う。
庭に下りて両手を口に当てると適当な方向に声を上げた。
「さすけどのー」
音もなく濡れ縁に人影が現れる。と、彼は溜息を吐いた。
「……何その間抜けな呼び方。俺様馬鹿にされてんの?」
「馬鹿にしてません、佐助さまほどの忍の気配どころか人の気配さえ読めない私の前にそうやってすぐ現れてくれるところが大好きです」
「だ、大好きって……」
「言葉の綾です、照れなくていいです。単刀直入に訊きます。その被り物を脱いでください」
厄介なことになる前に畳み掛ける。佐助はひとつふたつ瞬きをして、被り物、と言った。失礼を承知で、びし、と彼の胸元に指を向けて捨てろと示す。
「その斑の羽織り物です。脱いでください」
「え、やだなに昼間っからちゃんってば恥ずかしい! 俺様もうちょっと恥じらいのある言い方が好き!」
結局厄介なことになる。佐助は私をなんだと思っているのか、こちらがまともに話していてもすぐにはぐらかしてしまうのだ。
「勘違いも甚だしい。その羽織り物の下に何があるか知りたいだけです。どうせ胴丸が出てくるんでしょうけど、その被り物は必要なんですか。忍なのに布を余らせて動きにくくはないんですか。そもそも、何のためにそんな被り物をしているんですか」
一息に問い掛けると、佐助が急に俯いた。何か重苦しい雰囲気がしてきた。よくない。非常によくない。
「……ちゃん、知りたい?」
「……はい」
それでも確かめられるのならばと頷く。にい、と唇の端を上げた佐助に冷や汗が出た。
それじゃ今日一日俺様についてきて、と言われて、ご機嫌な佐助に私は連れ回されている。あっちこっち行くからはぐれないようにと手を握ることを要求され、渋々ながら同意したのだが、わざと人目につくところを歩き回っているとしか思えない。振り解こうにも鋼の籠手はがっちりと私の手を握り込んでいるので力を抜いても入れても動く様子さえない。生温かい視線が私と佐助に向けられているというのに佐助は全く意に介することなく館中をうろうろするばかり。恥ずかしさに死ねる状態で人目に晒されて、ぐったりしてきたあたりでようやく佐助は歩みを止めた。
「旦那!」
「おお、佐助! ちょうどよいところに!」
幸村様のご登場である。佐助の主なのだから当然かもしれないが佐助はいいとして私の存在をこの男は忘れているのではなかろうかと、佐助の背にへばりついて身を隠しながら思う。
「ちょうどよいところにじゃない! 鍛錬の後どこほっつきあるいてたんだよ虫刺されを掻き潰して痛いから薬をくれって言うから持って行ったらいないから探しただろ!」
「む、すまん。お館様と新しい道場の案について話し込んでいたらつい時間を忘れてしまっていたのでござる」
「はいはい、軍神と竜の旦那に闘志を滾らせるのもいいけど熱中し過ぎると周り見なくなるんだから程々にしといてくださいよって大将にも言ったんだけど」
「負けるわけにはいかぬからな!」
なんだこの噛み合わない会話は。談笑しているようだが話の中身が右から左に流れて行っているだけだ。幸村様もお若いとはいえお館様との熱い拳の語り合いだけでなく日々の鍛錬にも精を出し、また真田家当主、上田城々主として立派に務めを果たしていらっしゃる御方のはずなのに、何かがおかしい。さては佐助が幸村様の偽物と会話をしているのではないかと首を覗かせた私が馬鹿だった。
「ん? 佐助、腹の中に誰かいるのか」
「腹の中って言い方止めてくれませんかね、旦那。ちゃんが俺様の事知りたいってんで一緒にいるだけですよ、ホラ」
ぐいと腕を引かれて佐助の前に立たされる。目の前には幸村様ご本人。礼をするのも忘れてひっと青くなって直立した。ご丁寧に佐助が後ろからぺこりと私の頭を下げさせて、この時だけは佐助に感謝をした。
「面妖な……。とうとう人まで出すようになったのか、その被り物は」
「被り物!?」
幸村様の言葉に思わず反応してしまってからまたひっと直立する。今度は佐助も助けてくれなかった。
「あのねえ、別に被り物が出してるわけじゃないんだけど……。虫刺されの薬。しみるけど塗ると治りが早くなる」
繋いだ左手はそのままに、佐助は右手を被り物の中へ入れるとその手に何かを載せていた。
「薬が出てきた!」
私が叫ぶと、なに、と鋭い声がした。
「知らなかったのか!?」
「知りませんでした幸村様!」
幸村様の中では普通のことらしい。だからさっき、とうとう人までと言っていたのかと納得した。うむすまぬな、と佐助から薬を受け取った幸村様がにこりと笑う。
「こやつの被り物からはいろんな物が出てくるぞ。だから俺は佐助の腹の中はどこぞに繋がっておるのだと思っておる」
「た、例えば何が出てきたことがあるのでしょうか?」
「薬はもちろん、常時なら手拭い、包帯、襷、櫛、草履、皿、握り飯、塩、団子、苦無、手裏剣、書状、筆、墨、水滴、紙、水」
「水が出るんですか!?」
「佐助は忍だからな。水を出すことなど造作もない」
何もないところから水を出すのが忍には造作もないことなのか。身一つで過酷な任務につく忍はやはり並みの人ではないのだ。
「いやさすがの俺様も水なんて出せないって」
感心していたところに呆れた佐助の突っ込みが入る。
「しかし、顔を洗えだの喉が渇いてないかだの言いながら水を出してくるだろう」
幸村様が嘘を吐いているとは思えない。だが当の本人は出せないと言っている。どちらが正しいのか。問うように佐助を見上げるとうっと視線を逸らされた。
「それは、そりゃあ、出しますけどね……」
もう一度被り物に右手を入れた佐助の手には、手桶が握られていた。中には満々と水が入っている。失礼、と断りを入れて水を舐める。いたって普通の井戸水だ。
「すごい!」
「だろう!?」
佐助ではなくて何故か幸村様が自慢げにしているが、異論はないのでこくこくと頷いた。これはすごい。佐助に対して抱いていた偏見を解かなければならない。へらへらして妙に馴れ馴れしい変な格好をした忍とかいうよくわからない仕事をする幸村様の使いっぱしりという。そして、被り物は必要なのか、なくてもいいんじゃないかと思っていた朝の私にこの被り物のすごさを力説してやらねばなるまい。
その後私は一頻り幸村様と佐助の被り物についてお話しをさせていただき、ちゃんもう行くよ、と佐助に無理やり引きずられながらその場を後にしたのであった。
「この被り物が必要ないとか脱いでくださいとか言ってすみませんでした」
繋がれていない方の手で被り物をぎゅっと握って佐助を見上げた。幸村様と熱く語り合わせていただいたおかげで被り物は佐助の一部だと理解できのだ。これなしでは佐助ではない。つまり被り物が佐助であると言っても過言ではない。
「え、うん、なんか旦那と変な勘違いしてるみたいだから訂正するけど」
「訂正?」
佐助が何事かを言いかけたところに鼓膜が破れんばかりの大声が響いてきた。
「佐助ぇい!」
「はいよっと! ちょっと跳ぶよちゃん掴まってて!」
「え」
それがお館様のお声だと判った時には佐助に担ぎ上げられて館の屋根の上を跳んでいた。速いわ揺れるわで怖ろしくなって声も上げずに佐助にしがみ付いた。
「うほっ、いいねえー!」
佐助が何か言ったようだが聞き取れない。そんな余裕はない。がくんがくん揺れる頭は油断すると舌を噛み切ってしまう勢いだ。しっかりと歯を食いしばってきつく目を閉じた。
「大将、猿飛佐助ここに」
「うむ、入れ」
「は」
「……佐助、死人を出す気か」
「はい? ってちゃんごめん大丈夫なわけないよな俺様としたことがちょっと嬉しくってやりすぎた!」
「あ、ちゃん気が付いた?」
「おお、無事だったか」
一瞬どころじゃなく記憶が吹き飛んでいた私は、目を覚ましたら畳の上に横にされてていきなり佐助と目が合って頭の下に佐助の膝があってお館様の声が至近距離からしてびくりと跳び起きた。その拍子に濡れた手拭いが額から落ちる。慌ててそれを拾って畏まった。
「も、申し訳ございません!」
お館様の前で何という情けない姿をお見せしてしまったのかと小さくなった私だったのだが、はっはっはと快活に笑われたお館様は私の肩に手を置かれなさった。
「体は無事か? 意識はしっかりしたか? 忍でない者が佐助の移動に付き合わされては目を回しても仕方があるまい。おぬしは悪うない」
「体は……ところどころ痛みますが無事です。意識は戻ってまいりました。あの、……」
お館様の前に出ること自体年に数度だというのにこのように気安く話しかけられては別の意味で目を回しそうだ。汗だくになりながら必死でお答えしているとお館様が苦笑なさったのが判った。
「そう畏まらずともよい。顔を上げい、よ」
「なぜ名前を!」
思わずびくりと顔を上げると目の前にお館様がいらっしゃった。ぐらりと視界が揺れる。はっしと後ろから支えられる。アハーと笑うこの声は佐助の他にいない。
「はっはっは! 容易きことよ!」
「お館様……!」
「俺様がさっきから呼んでるからじゃないですか」
せっかくの感動が佐助の突っ込みで台無しになった。ぎりりと睨み上げるとごめんと小さく謝られた。私に謝らなくてもいいからお館様の万能さを台無しにするのだけは止めてほしい。と、私の手から手拭いを取り上げるとするりとそれを懐に、いや、被り物の中に仕舞い込んだ。
「ちょっと待ってくださいそれ濡れてませんでした!?」
ばっと被り物の上から仕舞い込んだ辺りを押さえても布越しには硬い鋼の感触だけ。さっきの今でここには確かに手拭いの感触がなければおかしいはずだ。いきなり触られて、へっ、と変な声を出した佐助だったがすぐにヘラヘラと笑いだした。
「やだーちゃん大将の前だってー! 俺様恥ずかしいー!」
「そんなことより今の手拭いどこ行ったんですか!」
ばさばさと布を振ったところで手拭いは落ちてこない。布をめくってもあるのは鋼でできた胴と鋼糸で編まれた籠手。手拭いなんぞ影も形も見当たらない。
「ちゃん……せめて一言……」
つい何の断りもなくめくってしまってから固まった。さらに布越しに佐助が少し引いたのが判って危うく真っ白になりかけた。これでは非常識な人間ではないか。普段は思慮深く慎みを持って生きている私としては情けないことこの上ない。
「なんじゃ、その被り物の原理を知らぬのか」
が、そんな私を現世に引き留めたのはお館様だった。びくりとお館様に向き直る。
「お館様はご存知なのですか!?」
「忍の術、よ」
ふっふっふと含み笑いにお館様が口にされた言葉に首を傾げる。
「それはどのようなものにございましょう?」
「わしは知らぬ! 佐助に訊けぇい!」
ばしーん、と痛いくらいに背を叩かれて涙目になりつつもお館様のありがたいお言葉と励ましに人生初の武者奮いというものを味わう。幸村様がお館様と拳を交わし合うお気持ちが、今なら少しだけ理解できる!
「うう……! お館様、この、必ず果たしてみせましょうぞー!」
「ちゃんちょっと旦那入ってる旦那入ってる!」
「はっはっは! 見事やってみせよ!」
お館様のお部屋から出てきて佐助と話をしているいつもの場所までどうやって戻ってきたのか記憶がはっきりしない。何故か一緒にいた佐助を見るとあからさまに視線を外された。そんなことより忍の術について訊かなければならない。そしてこの被り物の秘密がついに明かされるのである。
縁に腰掛けるも、さてどう切り出したものか。やはり単刀直入に言うべきか。
「というわけで、その被り物を脱いでください」
「朝と一言一句違わぬ言葉をありがとう」
「……よく覚えてますね」
「まあね……」
なんとなく、佐助がくたびれているように笑った。それからおもむろに被り物を脱いでばさりと私に被せた。
「う、わ」
「好きなだけ確かめていいよ」
片膝を縁に乗せ、頬杖をついてにこにことこちらを見て佐助は言う。
「あ、ありがとうございます」
私には大きすぎるが、何の変哲もないただの斑の布だった。少し厚めの布地なのは防具としているからか。よく見てみれば破れた跡、焼け跡が繕ってあったり、糸目とは無関係な一文字の縫い目がいくつもあった。斑の模様に隠れていたけれど、薄く血の染みた跡もあちこちにあった。左肘のあたり、佐助が着ると二の腕に当たるだろう部分に、ざっくりと穴が開いたままだった。そこだけ鋏を入れたような、まっすぐな切り目。刀を、突き出されたのだろうか。腕は、無事なのだろうか。ふと、佐助の腕を見る。
「なーに?」
「……怪我は」
小さく問うと、佐助はきれいに目を細めて笑う。
「してないよ、布を斬らせただけだから」
「それなら、いいんですけど」
「へへ、ありがと」
気恥ずかしくなって被り物に顔を埋める。前から思っていたが、ごわごわしていて少し痛い。麻にしても硬すぎるし、何の布なのだろう。それはともかくとして綿糸で繕ってあるからそれで構わないだろう。
「この穴、繕っておいてもいいですか?」
「へ? ちゃん、繕ってくれんの?」
「よければですが」
「え、あ、じゃあお願いします……」
何故佐助が顔を赤らめるのか。落ち着きなさげになるのか。……どうして私の顔も赤くなっているのだろうか。答えは判りきっているのだけれど。
軽い沈黙の後、なにか思いついたように佐助が顔を上げた。
「それ、今ちゃっちゃと済ませられる?」
「ええまあ。でしたら裁縫道具取ってきます」
立ち上がろうとした私に、いいから、と笑いかけて、佐助は右手をひらひらさせた。
「見てて」
ぶわ、と黒い靄のようなものが佐助の右手を包み込む。え、と瞬いた時にはすっかり靄は晴れて右手に針と糸、糸切り鋏が乗っていた。
「え、ええ!?」
「アハー、驚いた?」
へらりと笑ってそれを私にくれる。どれも幻でなく、確かに本物だ。佐助の悪戯っぽい顔とそれとを交互に見遣って、大きく嘆息した。
「驚きました! 今のが忍の術ですか!」
「そんなもん。近くにあるもんを取り寄せる術。あんまりほいほい見せると面倒だから、被り物の下でやってたら旦那はそれの下からならなんでも取り出せると思っちまったようだけど、そういうわけでもないんだよねえ」
「ないものは出せない」
「当たり。水だって薬だって俺様が先に用意してんの。それを俺様が術で出してるだけであって、被り物はただの布」
だからもうそれに変な期待しないように、と苦笑されて、神妙に頷いた。目の前で忍の術を種も仕掛けもなく見せられれば納得する他ない。ちくちくと被り物を繕いながら、当然のように私の膝に頭を乗せてご機嫌の佐助に心の中で毒づいておいた。さっさとそう言ってくれれば無駄な一日を過ごさずにすんだのに、と。
その日を境に、お館様にも幸村様にも度々お声を掛けられるようになった私の肩書は「女中」から「女中で佐助の嫁」にされてしまっていた。それが全て佐助の計画通りであったと認めるのが癪で私は佐助のことを呼び捨てにするようになったのだが、肩書だけでなく本当にそうなってしまうとは人生判らないものである。
「ちゃん、ただいまー! 部屋掃除しといてくれた?」
「おかえりなさい佐助。忍の部屋が私に掃除できるわけがないでしょう」
「じゃ、この洗い物よろしくいってきます!」
「少しは人の話を聞いてください」
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2010/04/08
2010/04/19, 2010/05/13 訂正
タイトル変更。ちょっと冷静になって佐助がかわいそうだと思いました。ちょっとだけ。
コンセプトは某狸じゃない猫型ロボットから。「俺様青狸じゃない!」って言わせたかったけど断念。
とにもかくにも佐助のポンチョの中身が知りたい。
よしわたり