何から話せばいいのか。まさにそんな困惑を貼り付けた眼下のを見る。佐助と目が合うと、いつもの微笑。
 ――おのれよりも、相手を気遣う笑顔。その実は、他人を決しておのれの内側へ入り込ませない防壁。
 いつからか、佐助はのぎこちない笑みの本質を理解していた。本人は気付いてないのだろう。これだけ毎日顔を合わせている佐助でさえ最近になって確信を持ったのだ、しかも、忍の観察眼を加味して。職場の人間も、ひどい場合には家族でさえも気付いていないに違いない。
 それが昨年末のほんの僅かの間だけ仮面を取ったかのように外れていた。佐助に対してだけ、だが。十日と持たず再び仮面を纏ったは、佐助の目にはもう出来損ないにしか見えない微笑みを浮かべるばかりになってしまった。


 内心を吐露したことで多少楽になってか、佐助はすっかり傍観を決め込む余裕ができていた。が何を言おうと問題はない。促す様に微笑みかけて、頭を一つ撫ぜる。
 迷いに迷った末、渋々という状態のから転がり出た言葉に、早速、問題が生じた。
「もしかして私、佐助と同じような事になってたかもしれない」
「へ?」
「それこそ、笑わないで聞いてもらいたいんだけど……」
 しゅんと小さくなって、腿の上に乗せた両手をごぞごぞさせながらはぽつりぽつりと語りだした。
「佐助は知ってるかなあ、十五年前、大阪や兵庫の方ですごく大きな地震があったこと。私、その時そこにいて、家族をいっぺんに亡くして、友達も親戚もいっぱい亡くして、自分も瀕死の重傷を負って、集中治療室に入ってた、んだって。……はっきり言えないのは、私が気がついたのは地震があってから一ヶ月も後で、その間ずーっと昏睡状態だったから。何もかもなくしちゃってから、なくしたよ、って言われたの。お母さんもお父さんも、写真の中だけになってて、……なにより、その一ヶ月の間に、私は地震に遭ったのよりも悲惨な体験をしたから、実感が湧かなくて」
 息を呑む。の過去が、この世界のこの国の女としては充分に壮絶だ。だが、それよりも先の言葉が気になる。
「その、一月」
「佐助が話したみたいな、時代劇みたいな世界に独りで落されて、死んだ」
 あっさりと、は目を細めて笑う。ど、ど、ど、と全身を血潮が走り回る。額には、暑くもないのに汗までかいているようだ。
 ――死んだ。
「地震で目が覚めてとっても怖くなってお母さんとお父さんの部屋へ行こうとした時に本棚とかタンスとかが倒れてきて、それから覚えてない。気がついたら、パジャマのまんま畑に倒れてた。訳が判んなくて、お母さんお父さんって泣いてたら人が集まってきたんだけど、みんな着物着てるから何かあったのかと思った。化け物だとか神隠しだとか、言ってたんだと思う。その時はまだ子供だったから意味が判んない事を言われて、小さな昔風の集落みたいなとこに連れて行かれて、大人達にどこから来たかとか親はどうしたとかって聞かれた。私も混乱してたからお母さんもお父さんもどこへ行ったの、家で寝てたらおっきな地震があったのになんで私は畑にいたの、って泣き散らしながら喚いて。大人達は地震はなかったしお前の言うようなところもない、それだけ言うと私を押し入れみたいなところに閉じ込めた。……今、佐助がいるから、私は全然違う世界の知らない場所へ落ちたんだ、だから大人達も訳の判らないことを言う私を気味悪がったんだって理解できた」
 ふっと自嘲のような小さな溜息を落としたは膝を抱えて震えている。この恵まれた世界で平穏に生きていたまだ幼いにとって、それは苛烈過ぎただろう。同じ体験をした佐助でさえ苦しみにもがいたというのに。口の中が乾いて、声を出すのが難しかった。
「……そっちで寝ても、こっちでは目が覚めなかったんだよね?」
「うん。こっちの意識が戻ったのは向こうで死んだショックなんだと思う。それまで一回も目覚めなかったらしいから」
「死んで、戻った……」
 それきり佐助は言葉を失う。は人が最も恐れている死を、一度経験してしまっている。それがどんなものか知らないし、訊き出したくもない。だって答えたくないだろう。死に際だって衰弱したのか殺されたのか自害したのか、いずれにせよまともではなかったに違いない。


 これ以上何を言えばいいものか、佐助には判断できなかった。
 何も言わずに、震えるを抱き寄せて、子供にしてやるように背をゆっくり叩く。初めはおのれを守るように小さく縮こめていたの体から段々と力が抜けていき、佐助に頭を預けて顔を両手で覆う。静かに、けれども力いっぱいむせび泣いている
 ――この世界で生きて行く。そう決めたはずだ。を、支えよう。
 佐助は目を伏せて、が落ち着くまでずうっと背を叩いてやっていた。




「今までずっと、ひどい夢だって思ってた」
 細い涙声で言うに頷く。
「それは、そうだろうね」
「時代劇みたいな古い家に電気も水道もなくて、車も自転車もなくて、着物着てる人達ばっかりで。ご飯は食べさせてもらったけど、お水みたいなお粥と味のない葉っぱくらいで。何日か判らないけど閉じ込められてて、戦があるとかって男の人たちが何人か村から出て行って、少しくらいは働けるだろうって言われて出してもらったけど何にも出来なくて。寒いし、やり方も判らないし、力もないしで段々村の人達がきつく当たるようになってきて、私はお母さんとお父さんを探しに行きたかったから、暖かい格好をして山の中に枯れ枝を拾いに行けって言われた時にそのまま逃げ出したの。道は判らないしどっちへ行けばいいのかもわからないから、転んだり迷ったりしながら歩き続けて、夜になると道端で枯れ草を集めて被って眠って。お腹がすいても凍るくらい冷たい水が飲めたらいい方で、……二日か三日して、お腹すいたよお母さんお父さん、って思いながら動けなくなって、そのまま。死ぬんだなんて思わなかった。ひどい夢見ちゃったなあって」
 しゃくりあげながら話をするを佐助は止めなかった。相槌を打って話を聞く。それは佐助がよく知る、あちらの世界そのものだった。不作の年は飢えて死ぬ子供はいくらでもいる。子減らしに捨てられて野垂れ死ぬ子供も多い。を拾った村の人間達はそれだけ余裕があったということだろう。だが、はあちらで生きるには弱すぎた。こちらの世界もそれなりに生き難いが、別の意味であちらは生き難い。純粋に生き抜くだけの強さが必要なのだ。にはそれがなかった。あるはずがない。なにせこちらではそんなもの、必要とされていない。
「死んでも天国にも行けなかったし、お母さんとお父さんにも会えなかったし、川を渡ることもなかったし、本当に死んだのかどうかは判んないままだけど。私は、向こうで自分が死んだと思ってる。今は、だけど」
「俺が、いるから?」
「うん。いきなり変なところにいて死んだなんて、今話すまで忘れてたし、まだ信じられない。でも、佐助が向こうとこっちで生きてるんだったら、私がこっちで昏睡状態の間に向こうでいてもおかしく、ないよね……」
 ――俺はの話を信じる。
 心裡で呟いて、俯いたままのの気を軽くさせようと、明るめの声を出す。
「おかしくないだろうね。俺が特別なのかもしれない。忍だから並の奴より体は段違いに丈夫だしさ。怪我も病気もあっちが逃げてくよ」
 うん、とがほんの少し笑ったようだった。
「私は子供だったから……。あ、それに、身長も前から五番目だった」
 思い出したように付け足された言葉に、佐助は首を捻る。
「前から五番目?」
「小学校のクラスで、小さい方から五番目ってこと。あんまり体大きくなかったから」
 え、と驚いた。
「今は背が高いのに」
「中学でにょきにょき伸びたの」
「にょきにょきって……」
 思わず笑ってしまう。佐助が笑ったのにつられてか、笑わないでよと言いつつも笑う。今まで深刻な話をしていた分、抑えが効かなくて笑いが止まらなかった。


「笑いすぎ」
 ちょっと怒ったような声と共にが佐助を睨んだ。ようやく、顔が見れた。みっともない泣き顔だけど、困惑も辛苦もみえないそれに、佐助はほっと安堵の息を吐く。
「もう、向こうに行った事はないんだろ?」
 確かめるために訊く。あちらのが生きているなら、佐助と同じように眠ることで世界を往来しているはずだ。
「一回も」
「んじゃ、もう済んだ事だって忘れちまえばいい。俺様はちゃんと判ってるから。それでいいんじゃない?」
 があのぎこちない笑みを浮かべる理由は判った。死にかけていた佐助を救ったのも、異邦人だと言ったのを大して疑わなかったのも、他人を気遣うようにしておのれの事に触れさせないのも、全てが繋がった。きっとは、佐助が理解してしまう事を恐れて過去に触れる事を避けていたのだ。だから、わざとそう言ってやった。
「……よくない」
 不満げなに首を傾げる。
「どうして?」
「……借り、つくっちゃったじゃない」
 佐助は微苦笑する。そんな事か。
は俺の事を理解してくれただろ? だから、おあいこでしょ」
 すっかり忘れていたかのような表情で、ああ、と口にしたは、案外、本当に忘れていたのかもしれない。そのくらいでいいと思う。
 「忍」の「猿飛佐助」は今ここにはいないのだし、生きているおのれは「人」であって、この世界の過去の「猿飛佐助」とは違う。佐助がよく知っている向こうの世界の人々と、この世界の歴史に名を残した同姓同名の人々は、よく似ているけれども別人だ。どこか近しい世界だから佐助はこちらへ落ちて、同じ体験をしたの許に辿り着いたのだろう。の過去からすれば、佐助がこちらで命を落としたとしてもあちらでは生き続けられる。こちらの出来事は夢だった、で済ませて。そんなつもりはなかったけれども。
 ――には、二度も救ってもらった。俺様の方が借りを作ってるよ。
 くつりと喉で笑って、の背を一度叩くと両肩に手をやって距離を置く。向かい合った二人の間が、少し寂しく感じた。それに気付かぬふりをして佐助は立ち上がった。
「風呂洗ってくる。それと、ひどい顔してるから冷やしといた方がいいぜ」
「ひどいって……!」
「腫れてて真っ赤。明日に響いちまうよー」
「先に言ってよ!」
 からかう佐助の言葉に顔を赤くすると、は台所へ飛び込んだ。勢いよく水を出す音がしてばしゃばしゃと顔を洗っているのだろう滴が跳ねる音がしてきた。小さく苦笑してから、部屋を出ると風呂場へ向かう。
 ――穏やかで、優しくて、なによりがいる事が幸せだ。
 知らず知らず、笑みが柔らかくなっていた。




 長湯をしたの後に佐助も湯を使って出てきた時に、は冷蔵庫にもたれてビールを飲んでいた。部屋に戻った佐助にはビールを投げて寄越したので、ありがたく受け取って蓋を開けた。プシ、といい音がする。喉を潤す、苦味の深い弾けるような舌触りをしたこの飲み物が好きだ。あちらにはない、独特の風味。始めは感覚の鋭敏な忍にはキツ過ぎると思ったけれど、慣れてみればその刺激がいいものだった。多くの種類があったので、が呆れるくらいにあれこれ試したが、落ち着いたのは七福神の一人を名に冠したものだった。
 の視線が気になって、ぐいと缶を飲み干すと首を傾げた。
「なーに」
「佐助は浴衣が似合うなあって改めて思ってたの」
 少し照れたように視線を逸らしながら、は言う。寝巻に着ている草色の単衣を摘まんで笑ってみせた。
「アハ、どーも!」
「いつも着物着てるんだから当たり前なのかな」
「そういうわけでもないよ。俺様の戦装束は見た目、こっちの服に似てるし」
「戦装束って?」
「その名の通り、戦に出る時に着る……んだけど、いっつも着てるんだよね、俺様ってば休みが少ないからさー。具足だけど、俺様は忍だから他の奴らよりちょーっと特別」
「へえ!」
 忍の話をした時のような期待感をの表情に読み取って、にんまりと口許が緩む。
「……見てみる?」
「見れるの!?」
 飛び上がるように反応したに空き缶を投げて渡す。忍装束、ひいては忍は、人を殺すための道具でもあるが、人を守るための道具でもある。はそれを判ってくれている。だからこそ、衣裳箱を開けてもいいと思えた。
 ――向こうの俺の事も知って欲しい。
 身に過ぎた欲を散らして、佐助はを手招いた。
「さーて、何から説明しましょうかね」









戻る

2010/04/10
2010/04/12 訂正
真珠星(しんじゅぼし)は和名でスピカのこと。
阪神・淡路大震災。たった十五年しか経っていません。背景にするには重すぎることは承知の上です。
互いに隠し通してきた過去と向こうとこちらの生活を曝け出すことでしか変われなくなるまで、何の手も打たなかった二人。とても怖がりなんだと思います。
書き手である私の手を離れそうなのが寂しくなってきました。
よしわたり



Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!