「佐助! お前に何をした!」
 携帯越しにキィンと怒鳴られて、佐助はとっさに耳を離した。しばらくわめいた相手が一呼吸ついたところでそろそろと声を出す。
「あのー、かすが? 俺様何も知らないよ?」
 すぐさま腕の伸びる限り携帯を離して相手の返事を待つ。佐助の予想通り、何を言う、と叫び声がした。
が今日の講義に出ていなかったからメールしても『ちょっと体調が悪いだけ』としか返ってこない! 様子を見に行こうかと訊けば断られた! 電話には出ない! お前の家にいるんだろう!」
「いないって! それに俺様も学校だって! っていうかちゃん病気してるの!?」
「何故お前が知らないんだ!」
「俺様だってちゃんのことなんでも知ってるわけじゃないんだよ!」
「それでもの男か!」
「お互いを尊重し合ってプライベートはきっちりしてるんでね! 謙信様謙信様っていつでも押し掛けるようなどっかの誰かとは違ってさ!」
「いつ私がそんな行いをした!」
「気付いてないんだ!? ハッ、そりゃ判ってたらできないよな!」
「もういい!」
 口論に発展した二人のやりとりは電話の相手――かすがから通話を切られることで強制終了した。液晶ディスプレイを見ながら、佐助はひとりごちた。
「……かすがが心配してんのになんで俺様が知らないんだろ。ちゃんのバカ」


 ハンドミラー片手に、は溜息を吐いた。
 ――これじゃ学校に行けない。
 鏡を置いて、携帯を手に取る。かすがからのメールや着信が休み時間ごとに入っている。
 ――心配かけちゃってごめんって言いたいけど……。
 もう一度溜息を落とす。右手を頬に当てると、ふっくらとした感触。
 ――これだもん……。
 じくじくと持続的な痛みに頭を抱えて大きな溜息を残すと、はフローリングの床に倒れ込んだ。右側を上にして。床につけたらどうなるか、考えたくもなかった。
 昨日、奥歯の痛みに疑問を持って歯医者に行ったのだ。親知らずを抜くことはなかったけど、生えかかっているそこが初期の虫歯になっているからと治療をした。治療中の痛みはそれほどなかったし、術後もなんともなかった。なのに今朝になって歯が痛くて目が覚めた。そして洗面所で鏡を見て驚いた。右頬だけおたふくかぜのように腫れ上がっていて、それだけならまだしも、声も出しにくくなっていたのだった。朝一で歯医者に駆け込んで診てもらい、歯や歯茎に問題はないけれど施術によって神経が敏感になってしまっているのだろうと言われた。痛み止めは処方しますけど一日か二日で治まりますから安心してください、とも言われた。それ以上経っても痛みが引く気配がなかったらもう一度来てくださいね、と言われておしまい。
 だって女の子だからこんな顔で人前に出たくないし、話が巧くできないから友達に会うのも講義に出るのも億劫だ。だから自主休講を決めた。一限から同じ講義を取っていたかすがが「どうした?」とメールをくれたけど、そんなに心配させたくなかったから体調がちょっと悪いだけ、と返した。そうしたら次から次にメールは入る電話は入るでびっくりしてしまった。電話に出たら余計に心配をかけると思って出なかったら、それが逆効果だったらしい。メールの頻度が上がった。
 ところが、昼休みに入ってぱったりとメールが止んだ。不安に思いつつ、なんとなく判ってくれたのかな、とは好意的に解釈することにした。
 ――明日ちゃんと理由説明して謝らないと……。今日の分のノートも借りて、お礼に帰りにケーキ食べに行こうって言おう。あ、でも沁みるかな?
 ぼーっとしながら一向に進まない時計を見ていた。
 ――一日って長いなあ……。
 が溜息の代わりに欠伸を一つこぼした時だった。ポーン、とチャイムが鳴った。無視無視、と目を閉じては二回目の欠伸をした。


 チャイムを鳴らしたのは佐助だった。玄関ホールでの部屋番号が表示されたディスプレイ相手に首を傾げる。
「……出ない」
 これはもしかして、は部屋の中で倒れてるんじゃないだろうか、と佐助の頭を不吉な考えがよぎる。そんなことはない、と無理やり嫌な考えを追い払うようにもう一度チャイムを鳴らす。応答なし。
「こりゃちょっとヤバいんじゃないの……!」
 慌ててキーケースからの部屋の合鍵を取り出しつつ、電話を掛ける。出ない。
 もはや佐助の脳内ではは部屋の中で意識を失って倒れていることになっていた。一刻も早い救助が必要だ。呼び出し音が無情に響く携帯はそのままに、合鍵で玄関を開けて階段を上る。部屋の前に辿りつくと急いで扉を開けた。靴を脱ぐ暇がもったいない。事は一刻を争うというのに。
ちゃん! ちゃん! 意識があるなら返事して!」
 携帯の着信メロディが空しく鳴っている。佐助の焦りはピークに達していた。
ちゃん!」
「わー!!」
 ドアを開けたら、悲鳴と共にクッションが飛んできた。それを顔面に食らった佐助は何が起きたか理解できずに、ぼとりとクッションが床に落ちるのがやけにゆっくり感じられた。


「……で、どういうこと?」
 むっつりと不機嫌も露わにのお気に入りソファに沈み込んだ佐助が言う。タオルで顔の半分を隠していたが視線をさ迷わせてから、参ったように佐助を見た。
「……昨日、歯医者に行ったの」
 タオル越しにもごもごとがしゃべりはじめる。
「虫歯があったから、治したんだけど、今日になって、腫れちゃって。恥ずかしいし、しゃべりにくいから、サボっちゃった」
 話しにくさにか、眉を寄せるの声はタオル越しにしては少し奇妙だった。佐助はほっと息を吐いて苦笑する。
「それならよかった……。なんかあったんじゃないかって俺様すっげー心配したんだから。かすががすごい勢いで電話掛けてくるもんだし、電話してもチャイムにも返事はないし。倒れてるのかと思った」
「ごめん」
「いいよ。痛む?」
「ひどくはないけど、ずっとじんじんしてる」
 うう、とタオルの陰で右頬を押さえる。小首を傾げて、佐助はその言葉に疑問を持つ。
「メシ食ってないんじゃない?」
「……痛かったから」
「ちゃんと食べなきゃダメだろ! っていうかそのタオルなんなの!?」
 佐助が立ち上がってが顔を隠しているタオルをはぎ取ろうとすると、はさっと逃げる。ばっと手を伸ばす。すっと避ける。
「……なんで逃げんの」
「恥ずかしいから」
 じりじりと退くに迫る佐助。とん、との背が壁に付いた。しまったと顔に出たに対して、にいいと笑みづくる佐助。
「観念しな」
 わざと耳許で低く囁いて、佐助はの手からタオルを奪い去った。


「ゴメン! ホンットーにゴメンってば! この通り! だから許してよちゃん!」
 細かく刻まれた野菜やキノコのたっぷり入ったリゾットを口に運ぶは無言。土下座したまま謝り続ける佐助の方を見ようともしない。リゾットを作ったのは佐助だし、お気に入りのソファにも座っているし、かすがにもきちんと説明して「元気ならそれでいい。明日のランチでチャラにしよう」と心配も解けて万々歳だというのに、どうしてこうなっているのか。
 全てはの右頬に佐助が爆笑したことが原因だった。
 だからは外に出たがらなかったのだし、笑ってしまってからその理由に気付いた佐助が真っ青になった時にはもう、は涙目で佐助をものすごく睨んでいた。声を掛けても返事はなし。食べやすいご飯作って、とメモに書いてが佐助に突き付けた時には佐助の方も泣きそうになっていた。それで機嫌が良くなってくれるなら安いもんだと料理を作ってもこのありさま。
ちゃーん……ごめんなさーい……」
 今にもすすり泣きしそうな佐助を無視してリゾットを食べ終えると、はグラスにミネラルウォーターを注いでストローで飲む。ズッ、と空気を吸い込んだストローを口から離して、ようやくは佐助を見た。それはそれは冷やかに。
ちゃん……」
 救いを求めるように見上げる佐助など素知らぬ様子で、なにごとかをメモに書いている。ん、とが差し出したそこには。
「片付けして。あとうるさい。佐助のバカ」
「判った! 夕飯も作ってあげる! 片付け終わったら買い物ついでに一回帰ってくるね!」
 途端に元気になった佐助はをぎゅうと抱きしめて、幸せー、と呟くと皿を片付け始めた。ぷい、と顔を背けてはそれを後ろに聞く。


 佐助が大事に折り畳んでジーンズのポケットに入れたのメモの隅には小さくこう付け加えられていた。
 ――心配かけちゃってごめん。怒ってない。ありがと、好きだよ佐助!









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2010/04/22
自分が歯医者に行って酷い目にあったのでカッとなってやった。反省はしていない。
よしわたり



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