、夕飯できたよ」
 コンコン、と壁をノックされた音にテキストから視線を上げると、佐助がドアの前に立っていた。
「あ、今行く」
 頷いたはそのページにしおりを挟んでノートに走らせていたペンを置く。資格取得のために勉強しようと思い立ったのはこの間。まだ最初の取っ掛かりくらいだ。なのに佐助はうんうんと感心していた。
「頑張ってるねー」
「全然まだまだだよ」
 首を振るに佐助は苦笑する。
「だって、今まで早く帰ってきてもぼーっとテレビ見てるか雑誌読んでるか、携帯いじってるかだったでしょ。持ち帰った仕事以外に何かに取り掛かるっていうの、みたことないし。いいことだと思うよ」
「……そうだったっけ」
「そうだったんです。気付いてなかった?」
 へら、と笑う佐助にあっけに取られた。言われてみればそうかもしれない。佐助はよく気が付くし、自身よりのことを判っていてもおかしくないような気がした。
「さー、冷めないうちに食べるよ」
「うん」
 ぱっと見、同棲しているような二人だけど実際はそうじゃない。それに加えて佐助は元々この世界の人間でもない。自分の事を異邦人だと言って、と面識すらなかった。
 だけど、この奇妙な生活も一年と少しが経って、お互いの事をきちんと話して――、かなり落ち着いたものになっている。居心地が悪いとは思わなかった。むしろ、最近はとても居心地がよくて、年の近い家族がいたらこんな感じなのかな、とは時々考えてみる。兄弟はいないし、小さい頃からの友達とも違って、たまに会うイトコやハトコとも違う、彼氏とは全く別のこの不思議な距離感。
 ――家族、だったらいいなあ。
ー?」
 ご飯をよそう佐助の呼び掛けに返事をして、部屋の電気を消した。
「はーい」


 皿洗いをが、風呂掃除を佐助が分担するのもいつものこと。が夕食を作る日は逆になる。
 二人分の食器の泡を流して乾燥機に入れながら、風呂場から途切れ途切れに聞こえてくる鼻唄にくすりと笑った。最近よく聞く、流行りの曲。恋愛をテーマにしていない、珍しい曲だった。だから佐助も気に入ったのかもしれない。どの世界でも好いた惚れたっていうのは話の種になるんだねー、特に女は、と恋愛ドラマを見るを横目に呆れ調子で肩を竦める姿はいい加減に見飽きた。
 料理番組を見てはに読めない文字でメモを取り、紀行番組を見ては世の中は広いねえ、と溜息を吐く。それは変わらない。だけど、ニュースを見てに訊ねる事は少なくなった。佐助なりにこの世界の事を学び、新聞や本を広げて印をつけたり下線を引いたり。こっそり覗き見たそれらは書き込みで元の文章が読みにくいほどだった。法律関係は難しいけれど、佐助は特にそっち方面を詳しくやっているようだった。
 異邦人に関する条文は法律にはない。どうにかしてその抜け道を探しているのだろうと思う。花見に行った時の佐助の言葉。
 ――一緒にいよう。
 佐助の行動は、その決意の表れに違いない。


 家事の分担は、佐助がいろんな物の使い方――ガスコンロさえ知らなかったのだから大変だった――、を理解してから二人で決めた。買い物、料理、皿洗い、風呂掃除、洗濯、部屋掃除、布団干し、その他諸々。の部屋には佐助は立ち入らないように決めたから、何も手をつけられることがない代わりに、自分の部屋の掃除はきっちり自分でしないといけない。居間の目につくところは常に佐助が掃除をしてくれているのか、が独りで暮らしていた時よりもきれいになっていた。悔しいけど。

 佐助はお武家さんのような立ち居振る舞いをするくせに、掃除や洗濯、料理をする事に抵抗がないのに驚いた。昔の人はそういう仕事は下男下女がやっていたんじゃないの、と訊いたら、佐助は考え込んで、下男みたいなものでもあるしね、とやや疲れたように笑った。
 その時はよく判らないまま頷いたのだけれど、忍者だから変装してどこかのお屋敷に潜り込んだ時に怪しまれないよう、基本的な事はできるのだろうか。それにしても料理の腕には説明がつかない。たぶん料理を作って人に食べてもらうのが好きなんだろうと思う。がおいしい、と褒めると嬉しそうに笑うから。
 そういえばゲンジロウさんに団子を作るのがなぜか任務に入ってるのに給料が出ない、とグチをこぼしていた。ゲンジロウさんは一度、こちらで佐助の料理を食べたら考えも変わるだろう。そしたら佐助は忍者じゃなくて料理人になってしまうかもしれない。やっぱりダメだ。猿飛佐助は忍者じゃないと。




 夕食を終えて、佐助が皿を洗っている。毎週見ているドラマがあったからはテレビの前に座っていた。風呂のお湯が入ったことを知らせるメロディが鳴って、先入るよ、と言った佐助が着替えを持って風呂場へ向かう。これが今の日常。

「そういえばさ」
 エンディングが流れてCMになったところで、ふと佐助がに話し掛けてきた。振り向くと、眉間に皺を作って悩んでいる。そんな姿も様になるが、深刻な話かと少し不安になった。
「……なに?」
はどうして俺を助けたわけ? 弱ってるフリして乱暴働いたかもしれないのに」
 なんだか拍子抜けしたはテーブルに突っ伏して顔だけを佐助に向ける。
「今さらそんなこと?」
「そんなことって……!」
 パチパチと瞬いて、あんぐりと口を開けて、佐助がこんなにびっくりする姿なんて初めて見た。
が何も言わないから俺様訊くに訊けなかったんだぜ!?」
「別に言うほどの事でもないし……」
「ウソだろー!?」
 あまりにショックを受けている佐助の様子に、渋々は重い口を開いて小さく呟く。――本当は言いたくなかった。
「……死にそうだったから」
「それ、だけ?」
 意外そうな声がした。佐助を見れなくてテーブルに組んだ腕の中へ顔を押し込んだ。
「うん」
「……親御さんやおじいさんの事があるから?」
「かもしれない」
「近くで人死にがあると厄介だって言ってたのは?」
「聞き込みとかテレビに映ったりとかあるかと思って」
「……くたばってたのが他の奴だったとしても助けた?」
「うん」
 佐助は何を当たり前のことを訊くんだろう。

 私の命はたくさんの人に助けてもらったんだから、その分他の人が困っていたら助けようと決めたのは、意識が戻っておじいちゃんと最初にした約束。世話焼きだ、おせっかいだと言われたり、いい事をしてるいい人な自分を演じているのも自覚してる。そんな自分が嫌になる時だってある。でも、それだけはずっと守ろうと思える経験をしたのだ。
 おじいちゃんから聞いた話だと、の家は一階が押し潰されてて絶望的だったのに隣近所の人はたちを探してくれたらしい。自分たちも着の身着のまま、家族を亡くした人だっているのに協力しあってできる限りの人を助けようとしていたそうだ。は二階の自分の部屋で家具の隙間に奇跡的に守られていたところを発見されて、呼吸はあったけど意識がなかったから近くの病院に運ばれて、それからすぐに少し距離のある設備の無事だった大きな病院に移されたという。
 意識が戻る見込みは絶望的だとの事で、いっぺんに家族を亡くしたおじいちゃんは目の前が真っ暗になってしまったと言っていた。それでもの傍にずっといてくれてて、が目を覚ました時には言葉にならないほどいろんな気持ちが溢れて出てきて、生涯で一番泣いたと耳にタコができるほど聞かされた。
 人を助けるのは簡単じゃない。は生い立ちのせいで親切にした理由を知られたくないし、同情されたくないし、恥ずかしいから、ちょっとした人助けでさえ無愛想にするようになった。そうすれば相手もあまり深く立ち入ってこないのだ。佐助を助けた時は死ぬというなら無理やりにでも家に引きずり込んでやる、くらいの勢いだったかもしれない。


 ――どうしよう……。
 思い出してきた事に恥ずかしくなってしまって、すでにちょっと涙ぐんでいるのを佐助に見られるのが情けなくて、顔を上げるに上げられない。だけど佐助はもうお風呂に入っているからが動くしかないのだけれど。
「それに、何もかもを諦めたようでなんかムカついたし、乱暴されたら警察に行けばいいことだし」
 悪あがきに、佐助が席を立ってしまいそうな言い訳を付け足してみた。
「……そっか」
 くつりと喉で笑った佐助の反応に、作戦は失敗したと確信した。
「それにしても、よく見知らぬ男を一緒に住まわせたよね」
「その見知らぬ男が家に着いた途端しばらくの食事と布団を用意しないと殺すって刃物出して脅したんじゃない! ついでに警察にも言うなって! 怖くて逆らえないよ!」
「アハー」
 佐助はが顔を上げられないのを判っていて言っている。声が楽しそうだ。
 すっかり忘れていたけど、最初の頃の佐助は本当に怖かった。何かあるとすぐにクナイっていう前に教えてもらった武器をかざして脅かしていたから、は自分の家なのにやることなすこと全て佐助に断りを入れて生活していた。ありったけの有給を使って上司に泣きついて無期限の休暇をもらうと、ほとんど付きっきりで佐助の面倒を見た。家の中では着替えとお風呂くらいしか一人になれなかったし、大きな物音を立てるのもはばかられて、もちろん携帯はサイレントモード。なのに着信やメールがあると気付いていたのには泣きそうだった。
「おかげで私、佐助の看病してる間ずーっとピリピリ気を張ってて。佐助がやっと慣れた頃にダウンしちゃうし」
「あの時は俺様も困ったなー。まだ金の下ろし方を知らなかったから飯を買ってくるたびに減っていく所持金との戦いで」
「私の心配ほとんどしてなかったよね……」
「してたよ? ちゃんと飯食わせてやってただろ?」
「部屋の入口にチンしてないレトルトのおかゆをパックのまま置くのは食べさせるとは言いません!」
「アハー! ま、すぐによくなったんだからいいじゃん」
「よくない……」
 いつの間にかじっとりと佐助の方を見ていた。ニヤニヤと笑みを浮かべつつ手の甲に頬を預ける佐助と目が合う。

「俺様、自分でも結構見目がいいと思ってるんだけど。は夜のお相手に誘っても全然ノってくんねーから、ちょっと傷付いたなー」
 そう言って笑う顔はすごくカッコよくて、わざとらしく組んだ長い足、ソファの背もたれに乗せたしっかりした腕、いい感じに流した長めの髪にグリーンの浴衣がよく似合っている。でも、それは計算ずくなんだろうな、と思って半目になった。
「こっちだとそういうのは好きな人とするもんなの。顔やスタイルがよくても、異世界から来ましたって言ってるような不審者を好きになるなんてありえない」
「厳しいねー……。でも、がそうだから俺様は随分恵まれてるって思うよ」
 ふ、と視線を落として微笑んだ佐助。からはそれがどんな感情からきているのか読み取れなかった。――喜び、哀しみ、それに幸せ。佐助は笑顔でいる事が多いけれど、あからさまな作り笑いの時もあれば本当に嬉しそうに笑う時もある。かと思えば今のようにさっぱり判らない時も。
「どうして?」
 はちくりと瞬いて、は純粋に疑問をぶつけた。
「男でも体売って日銭を稼ぐ輩はいる。そうしてりゃ金は稼げてたかもしれないけど、真っ当に生きるってのは知らないままだっただろうな。それが、最初はまあ、少し脅したかもしんないけど……、がこの世界の仕組みや生き方を教えてくれて、居場所までもらって。恵まれ過ぎてて夢心地だ」
「大袈裟すぎ。それに、向こうの佐助からしたら実際に夢じゃない」
「アハ、そうだね」
 穏やかに笑った佐助にもつられて笑う。恥ずかしかったのなんかどこかへ行ってしまって、こっそり佐助に感謝しながら立ち上がった。点けっぱなしだったテレビからは深夜のハイテンションなバラエティが流れていた。
 着替えを持ってリビングを出る間際、佐助が呼び掛けてきた。
、お背中流しましょーか?」
「遠慮します!」
 あははは、と笑う佐助の大声をシャットアウトするようにドアを思い切り閉めた。




 佐助の休みは平日で、その日は特に見たいテレビもないしご飯の後に二人で何でもないような話をしていた。くあ、と小さく欠伸を呑み込んだ佐助は、まだ早い時間なのに眠そうに瞼をこすっている。
「眠い?」
 が訊ねると、佐助は苦笑しつつゆるりと首を振った。
「ゴメン、最近なーんか妙に変な時間に眠くなる時があるんだよね……。ちょっと今日は早寝するよ」
「わかった。佐助もバイト増やしてるし、疲れが出てるんだと思うよ。体、気を付けなよ」
 大欠伸をかました佐助にくすりと笑って、チクリ、釘を刺しておいた。目だけをに向けてぎょっとした佐助はちょっとした見物だった。佐助からはバイトの事を何も聞いていないけれど、もう一年も一緒にいるのだから、バイトを変えたり増減させたりしたら簡単に判る。たぶん今は、二つ掛け持ちしているはず。
「じゃ、おやすみ」
 なんだか佐助に勝ったような気分では笑う。ガリガリと頭をかきながら照れくさそうに視線を逸らしている佐助に声を掛けてソファから立ち上がった。
「おやすみ、
 そう言うと佐助は大きな欠伸を隠しもしないで布団を敷き始めた。


 ドアを閉めて部屋の明かりがリビングにもれないようにして、勉強の続きに取り掛かる。デスクに向かってテキストとノートを開き、シャーペン片手にには今一つ理解できていない問題に挑む。初級の問題は解けるようになってきたから、ひとつひとつ手掛かりを探して向き合えば訳が分からないというものでもないと知った。――それはどこか少し、佐助ととの不器用な関係に似ていて、の口許は自然と小さく綻んでいた。
 ――うん、頑張ろう。









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2010/05/09
2010/05/16 訂正
佐助は蛇口をひねると水が出る、くらいは知ってます。放浪の間に。でも電気やガスの通った家は使わなかったのでコンロやお湯が出るのは知らなかったというこぼれ話。
よしわたり



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