佐助が、倒れた。と思ったら寝ていただけだった。
すやすやと寝息を立てて、呼び掛けても答えないくらい深く眠っていた。
――すっごく疲れてるんだ。
呆れつつも、子供みたい、と小さく笑って布団に引っ張っていって寝かせた。ベッドサイドライトがつけっぱなしで本も読みかけだったから、眠いのにもうちょっと頑張ろうなんて思って無茶したんだろう。
向こうの世界でもゲンジロウさんや大将さんについてってかなり無茶してるって言ってるのに、こっちでまでそんなに頑張らなくてもいいと思う。そんなことを考えながら、は布団をきせた佐助の横で膝を抱える。浴衣の襟が折れていたから、手を伸ばして直してやった。
――前はこんなこと、絶対できなかった。
が近くにいても、触れていても佐助が眠っているなんて。目を閉じていても絶対に意識はあったのに。本当に信頼されている事が嬉しくて、くすぐったい。
「おやすみ」
ふわりと笑ってライトを消した。も今日はここまでにして、寝る事にした。
佐助が休みの日に、も珍しく休日だった。ただ単に祝日だったというだけの話なんだけれど。
「大将さんってどんな格好してるの?」
「筋骨隆々の大男! んで、赤熊の威毛がもっふもふで、虎柄の体に合った服を着て毛皮をまとい、赤の佩楯、草摺、脛当てをしてる。そんで人の大きさはあるでっかい軍配を振り回してるごついお人だよ」
「ちょ、ちょっと待って! 判んない単語がいっぱい!」
アハー、と白々しく佐助が笑う。
ちょうどテレビで昔の鎧がどうのこうの、ってやってたから佐助に訊いてみたのに。佐助の世界はこっちで見るような鎧兜を着ている人の方が少ないみたいでびっくりした。普通は鎧兜をちゃんと着て、やあやあ我こそは、ってするんじゃなかったかなあと思って、そういえば向こうは異世界なんだと思い直した。炎や雷を体から出すのが普通。忍術が使えて普通。忘れちゃいけない。
「ええと、シャグマってなに?」
「馬の毛を赤に染めたもの」
「オドシゲは?」
「うーん……、見た方が早いな。、本屋行こうよ」
顎に手を当てて考えていたのもつかの間、佐助は何かを思いついたように目を輝かせた。
「どうして急に?」
いきなりな佐助の言葉に意味が分からないまま首を傾げていると、着々と出掛ける準備をする佐助が笑った。
「本屋に行けば写真のたくさん載った本があるだろ? 説明したってどうせは判んないだろうから」
「失礼な」
むうと怒ってみせるけどそれもそうかとは小さく溜息を落とす。慣れたようにヘラリと肩を竦める佐助が、ちょっと腹立たしかった。
これまで、大将さんもゲンジロウさんもどんな顔だとか姿だとか、訊いた事はなかった。深入りしすぎるだろうと思って故意に避けていた。
佐助の戦装束を見せてもらって、着たところを実際に見て、武器や防具を触らせてもらって、本当に忍者なんだ、と感嘆した。佐助は呆れていたけど。悔しかったので、似合っている、とは意地でも言わなかった。――向こうの猿飛佐助を教えてもらえた事、が佐助にとってそれを許せる人になれた事が、嬉しいし、誇らしい。
――この信頼を、裏切りたくない。
佐助よりも遅くなって、ささいだけれど、固い決意をした。
大きめの本屋で目当てのものを探すのは、やっぱり佐助が店員さんに笑顔で訊いていた。甲冑の本ありますか。はい、ご案内しますよ。大判の図鑑みたいなのに、いろんな甲冑の写真が載っていた。色もたくさんあって、形もいろいろで、特に兜はすごくバリエーションが豊富で、昔の人もなにげにファッションにこだわってたんだ、って楽しくなった。ちょっと感性が変なのも多いけど。
佐助に甲冑の基本のものを教えてもらったけど、向こうでそんな格好をしてるのは強いお武家さんに仕える、ある程度地位の高い家来の人が多いらしい。大将さんやゲンジロウさんなんかの強い人はすごく個性的になるし、一番人数が多い地位の低いお侍さんは軽装になって、忍者は目立たないような格好になるそうだ。
忍者といえば黒っぽくて――佐助いわく、藍染めの布を使うらしい――顔も髪も隠すのが一般的だと思っていた。向こうでもそれは変わらないという。
「じゃあ佐助は?」
「俺様は忍の中の忍、猿飛佐助なんでね!」
ニッと唇をつり上げてを見下ろす佐助はカッコいい。だけど、変な佐助語録がまた一つ増えた。
自称は俺様。口癖はおバカさん。他にはたしか――、忍のやることさ、何でもアリだよ。俺様って忍なのに目立ちすぎじゃね? 世話の掛かるこって。さすがの猿飛佐助も、ここは本気だぜ。
どれもこれも、こちらでに言われても、はいはい、と適当にあしらうしかない。佐助もそれを望んでいるのからか、わざとらしい言い回しをしている節もある。向こうで佐助が命を取るか取られるかの戦争をしているなんて、は理解したいと思わない。自分の過去だけでいっぱいいっぱいなのに、佐助のことまで案じていては身が持たない。それくらいの分別はつく。
本屋へ来るまでに詳しく聞いた話によると、ゲンジロウさんは素肌にライダースジャケット――革の上着で形もまるっきりそれらしい、白地に炎を模した模様の入った袴を穿いて佩楯と脛当てをしている。短い茶髪を馬の尻尾みたいに一房だけ長く伸ばして、ギュッと締めた長い鉢巻。しかも衣装は真っ赤で揃えているっていうから想像もつかなかった。今はなんとなくだけど、衣装はイメージできる。顔は、いかにも日本男児、みたいな若者なんだろう。
ちょっとその辺見て探してくるわ、と言い残した佐助が、源次郎はこんな顔してる、と持ってきたのは男性アイドル雑誌のティーンズがメインのもの。表紙は今をときめく二十歳にしては少し童顔の舞台俳優さんだった。17歳だとは聞いていたけど、さすがにこれはない。バサッと手にしていた情報誌を落としてしまった。
「……誇張?」
「へ? なんで?」
「だってその子、すごくカッコいい舞台俳優じゃない。ゲンジロウさんってこんな顔してるの?」
「戦の時は凛々しいんだけどねー……。普段はこんなもんだよ」
「こんなもん!?」
その後も、ああこんなのもいる、これは敵の大将に似てるな、おっかすがに似てるけどちょーっと胸が足りないねー残念っ、なんて言いながら次から次にファッション誌、映画雑誌、テレビ雑誌をバサバサめくっていく佐助。それはみんながみんな、整った顔の人ばっかりだった。普通に一緒にいるから感覚がマヒしていた。
――佐助もその一人だ……!
愕然として佐助を見上げれば、当の本人はそんなのお構いなしにブッと吹き出した。
「こ、こんな奴もいるぜ……」
差し出されたページに載っていたのは、ハリウッドのコメディアンだった。太っちょな体を活かした笑いが得意な人で、さっぱりした頭は隠すよりも好感が持てる。外国人で隠す人ってあんまり知らないけれど。それよりも問題なのは。
「外国人もいるの?」
「あー、うん。なんかねえ、変な宗教広めようとしてる変な奴がいんの」
「へえ……」
「……あ、ついでに思い出しちまった」
眉間に小さく皺を寄せて、佐助は視線を泳がせる。よくないものだと判っていても、気になるものは気になる。
「なに?」
「いや……。あの、先に断っとくけど、俺様は絶対そういうの趣味じゃないから。むしろかわいそうだなーって思うから」
「だから、何?」
「……、先歩いて」
今まで目立つのも気にしなかった佐助が小さくなっての背をつつく。どこか別のところへ向かわせたいらしい。くすぐったいと言っても聞いてくれない。誘導されるままにテレビ雑誌が並んでいるコーナーに立つと、佐助はやっぱり指差すだけで取ろうとしない。仕方がないと溜息を吐いて、一冊手に取ってめくった。
「どの人?」
「人っていうか……。あの、子役でさ、最近人気の女の子いるでしょ。あの子」
「あ、可愛いよね。載ってるかな」
ぺらり、ぺらり、とめくっていけばちょうどその子の特集ページがあって、思わず佐助を仰ぎ見た。顔を赤くしてぶんぶんと首を振っているけれど、これは訊いてくれと言っているようなものだ。にんまり笑って小声で問い掛けた。
「佐助って、……ロリコン?」
「だから! 最初にそういうの趣味じゃないって言っただろ!?」
「しーっ!」
大声を出した佐助をも大声で叱ってしまい、二人して店員やお客さんの視線が集まる中、――何も買わずには帰れなかった。
午後六時を過ぎたこの時間でも、まだ日が沈んでいない。昼も長くなってきた。桜の木も青々と葉を茂らせて、いよいよこれから梅雨を迎えて夏になる。
背後から照らされる夕日によって自分の前に伸びる影を踏みながら、は口を尖らせた。
「あーあ、佐助のせいで予定外の出費」
「俺様だってだよ……。そもそも念押ししたっていうのにがわざと訊くのがいけないんだって」
時々隣の佐助の影を踏ん付ける。途中からはの子供じみた行動に気付いた佐助が影を踏まれそうになるとサッと避けるようになって、全く踏めなくなった。ぶつくさ文句を言い合いながら、本屋のビニール袋を提げて帰る夕暮れ。
これから夕食の買い物も行かないといけない。でも、にはタイムセール中のスーパーに突撃する気力はなくなってしまった。佐助が提げてた本屋の袋を取り上げて、代わりに財布を渡す。
「了解、っと」
――これだけで意思疎通ができるなんて。……まるで家族みたい。
緩む頬をそのままに、だけど不満げには言う。
「レシートはちゃんともらってきてよ?」
「わーかってるって」
「しばらくおかず一品減らす? それとも今月のビールナシにする?」
「これだけ買ったら両方我慢するしかないでしょ……」
「だよねー……」
はあ、と二人揃って溜息を落とす。おかずは減らした分の材料で次の日に回せるけど、これから暑くなってくるのに週に一度の楽しみがなくなるとつらい。佐助は特にビールが好きだからより悲しいだろうけど、これは身から出た錆だと思って反省するといい。
「でも、なんで急にあの子?」
隣を歩く佐助を見上げると、少し考えてから、肩を落とした。
「変な宗教の奴は南の端で、女の子は北の端でそれぞれなーんか変な集団作ってるからさ。……つい連想しちまって。その北の集団の旗頭が、いつきって女の子で、雪ん中薄着でぴょんぴょんしながら人の大きさの木槌を軽々振り回しててさ。それはまあいいんだけど、その集団がまさにロリコン。『い・つ・き・ちゃーん!』なんて言って跳び上がる男共だぜ? 初めて見た時はさすがの俺様もぞっとしたね」
「う、うわー……」
佐助が通行人が誰もいないのをいいことに跳ねるような動きをしたのは、その子の応援の振り付けなんだろう。アイドルオタクがコンサートでそういうのを決めるって、前にテレビで見たことがある。嫌悪というより、驚きに溜息がもれた。
「ま、そんなわけで、あの女の子がテレビに出るたびにその集団がふっと浮かぶんだよな……」
うん、とひとり頷く佐助。ロリコンって便利な言葉だな、と呟いているのは気のせいだ。
の感想はこれしかない。
「……佐助の世界って、やっぱり異世界」
「アハー」
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2010/05/17
二人にとって今が一番穏やかに、幸せに過ごせていると思います。そんなある日常の一コマ。
ケプラーは惑星運動についての三つの法則を解明しました。第1法則は惑星の軌道が楕円であるということ。太陽はその楕円の中心ではなく、焦点の一つなのです。円ではない、というのが習った当時は不思議でした。
要するに、これまで「こちら」を焦点に円軌道を描いていたのが、「あちら」も焦点に入れた楕円軌道を描くようになりましたよ、というメンドクサイ理屈。
よしわたり