噂の女はすぐに見つかった。周りを畑仕事も手伝えないような、よちよち歩きの幼子に囲まれ、背に腹に乳飲み子をおぶって聞いたことのない節で歌を聞かせていた。
「さーんえーおーばざれいんぼー、えーあっぷらー。ぜーずあーいらんどはーどぶ、わんつあららばーい。メッ! ショータそんなもん食べたらお腹壊してあたしが怒られる!」
拾った何かを口にしようとした子供からそれを取り上げ、ぐずりそうなのをなだめている。声を掛けるなら今のうちだろう、男はずかずかと一団へ近寄った。
「Hey, この村に不思議な歌を歌いながら子供の面倒をみる女がいるって聞いてきたんだが、アンタだろ?」
「へい? あんさー、あたし今仕事中なの見てわかんない?」
子供から男に視線を上げた女は明らかに不愉快な表情で男を検分するように見ながら言う。予想もしていなかった返答に男はたじろぎ、顎を引いた。
「Ah..., sorry.」
「あたしに用があるなら仕事終わってから来てよね。あ、夜はダメ。それと雨の日は気分がノらないからイヤ。日中は子守りしてる」
「来んなってか?」
「あ、わかった? じゃあ帰ってサヨーナラ」
しっし、と犬でも追い払うような手つきで男から離れていく女。ぞろぞろとついていく子供。その場には男が一人ぽつんと取り残される形となった。
「Shit! I can't believe myself! 」
苛立ちを表すようにざっと地面を蹴り飛ばし、男は立ち去った。
「また来たよウゼー」
「なんと言われようが何度でも来てやる。アンタの歌を聞くまでな」
「最初の日のあれで全部だって」
「いいや。村の人間に聞いた。いくつか違う節の歌を歌うんだって大体の人間が答えたぜ!」
「どこそこ村民に聞きましたー、かっての」
ハッ、と強気に女を見下ろす男と、顔を引きつらせながら子供が遊んでいるのを見守る女。
数日といわず一月はほとんど日を置かずに男は通い続けた。その甲斐あってか多少の会話はできるようになったのだが、女はどうにも肝心の歌を聞かせる気はないようで、男の方はこちらもまた、いこじなまでに粘るものだから平行線の状態が続いたままだった。
「にーちゃーん!」
男の子の一人が二人の方を向いてぶんぶんと手を振る。棒っきれを持っているから打ち合いの真似事でもするのだろう。にやにやと女が言う。
「ホラ呼ばれてるよ、行って来い」
「Ha! ここの奴らはオレを誰だと思ってやがる!」
女はふっと鼻で笑う。
「奥州筆頭伊達政宗、じゃん。ゆーしー?」
「ああその通りだよ! ガキ共覚悟しやがれー!」
がりりと頭をかいた政宗は子供達の輪の中に駆け込んでいった。すぐにぎゃあぎゃあと賑やかになってきて、それを遠目に見ながら女は土壁にもたれかかった。ひんやりと土の温度が伝わる。
「伊達政宗、ねえ……。嘘言ってんじゃないとしたら、あたしホント、どうしたらいいんだろ……」
複雑な思いを女が巡らせる暇はなかった。
「ねーちゃんーっ! ハナがくせぇ! くせーっ!」
「わー! おしめ替えなきゃー!」
政宗とは別の場所から悲鳴が上がって布を引っ掴むとそちらへ急ぐ。子供相手に気をそぞろにしている時間などないのだった。
「今日は一段と疲れたぜ……」
陽が落ちてきて一人二人と子供が親に引き取られ、誰もいなくなった広場の隅に政宗と女は座り込んでいた。
「あーホント! てか、なんだかんだ言いながらよく付き合ってくれるよね。お殿様ってお城でお茶したり難しいことしたりしてるんだとてっきり思ってた」
「Ha, 帰ったらやってるさ。城には留守を預けられるだけの右目が残っていやがるからな」
わざとらしく眼帯をトントン、とした政宗に片唇をつり上げて女が笑う。
「すっごい優秀な右目! 目玉のおやじもびっくりよ」
「なんだそりゃ」
「こっちの話! そいや、年幾つ?」
「Ah? オレはアンタの名前も知らねェってのに年まで聞くのかよ」
迫力のある睨みに女は目を泳がせながら、失敗を隠しきれないような顔を背かせた。
「あー……、。あたしね。あと、16」
「。年は十六か。オレは十九。で? 生まれはどこだ」
にやりと笑う政宗。は鼻に皺を寄せてその有無を言わせぬ物言いに反駁する。
「チッ、頭の回るオトコはキライなんだよねー! 最初っからそんなカンジしてたし!」
「Bingo! 尻尾出しやがったな。どこの回し者だ? さっさと吐けば国から追い出すだけにしてやるぜ?」
次はねェがな、そう言いつつ眼力鋭くを見定める政宗に、後ろ手をついたはただ仰向いて息を吐くだけ。
「おい」
「帰る場所があったらあたしだって帰りたいし。あたしの帰るトコはこの世界にはないっぽいって言ったら、あんた笑う?」
政宗を見たの顔は無表情だった。
数日の休みを伊達軍兵士と引き換えに取らせて、は城下に迎えられた。頼りなげな兵は、筆頭ー俺子供の相手なんてしたことないっすよー、と涙ぐんでいたが政宗がひと睨みで黙らせ、やっていいこといけないことをが読経のように耳許で言って聞かせて置いてきた。帰った頃にはボロボロになっているだろう。
それなりに格の高い宿へ泊め、政宗はから事のあらましを聞いた。そして一言。
「そもそも初めからおかしいだろ。竜巻で別の世界に飛ばされた、だァ?」
「だって実際そうだったんだし。飼い犬と一緒に」
確かに、トトという名の大きな犬をはいつも連れている。頭がいいのか、危ないことをしそうな子に吠えたり、泣いている子をのところへ導いたりと子守りの役に立っている。
「オズの魔法使いかっ! て思ったらなんか時代劇っぽい人ばっかだし。てか時代劇まんまだし。もーどうしよーって時に村の人に助けられて、あたし声楽やるか児童保育やるか悩んでるトコだったから子供の面倒見る代わりに、ここにいたらいいよって言ってもらったわけ。ホント、やっててよかった児童保育」
ぐっと拳を握って言った後、何がおかしいのか一人でけらけら笑う。呆れに溜息を吐いた政宗は足を組み替えて半眼になった。
「ようするに、アンタはオレらのはるか未来の世界から来たってんだな?」
「たぶん? きっと? おそらくは?」
「はっきりしろよ……」
「ホントはさ、脳のないカカシ、ハートのないブリキの木こり、度胸のないライオンと一緒に、エメラルドの国にいるっていう魔法使いのオズに願い事を叶えてもらいに行かなきゃなんないの。それが日本のド田舎だなんて、死ぬまで願いは叶えられないじゃんっていう」
「Unique なメンツだな。で、アンタの願いは故郷に帰ること、ってワケか」
「ビンゴ」
べたりと尻で座っているは力無く答えて、俯いた。
「お、……」
政宗が言葉を言い切るより先にの口からいつか聞いた歌が紡がれてきた。じっとそれに耳を傾けていた政宗は、が歌い終わると目を閉じる。
「いつか虹の彼方へ、子守唄を聴いた土地へ。青い鳥は虹の彼方へ行けるのに、己はどうしてできないんだ……。――故郷を懐かしむ曲だな」
「ya. あたし、ミュージカル映画がすっごく好きでいくつも曲覚えてんだ。それって子供と一緒に歌えるのが多いからいつも歌って寂しい気分を紛らわせようとしたんだけどね、歌っても歌っても寂しいまんま。もうヤだってなってた時にあんたが来てくれて、ちょっと感謝してるし」
歪んだ笑顔に、政宗はわずかに目を伏せた。それも一瞬で、ぱっと明るくなったはそわそわとしはじめた。
「しかも金はあんた持ちで遊び倒していいって言い出すしさー! マジ感謝してるー!」
「Shit! 引き換えにテメェの知識全部置いてけよ」
「ゴメーン、あたし日本史取ってないんだよね! 地理のが楽だし!」
「Ah?」
「あんたの役に立つようなことなんかひとっつも覚えてないってこと。歌と子守りしか能がなくって正直進学もムズいって言われててさー。今時高卒なんかどこも雇わねーっつーの」
「Arlight, so sorry. ...No good.」
「あんた、あたしがそれわかるのわかっててやってるよね」
「Ha, どうだかな。ま、数日休んでいけ。案内は下の女に任せりゃいい」
取引に応じなかったに何を言うでもなく部屋を出る政宗を不思議そうに見上げる視線に、溜息一つ。
「……なんだ」
「や、ホントにそれでいいのかなーって。あたしお殿様との約束守らないって言ってんだよ? それなのに牢屋に入れたりしないわけ?」
「どこの暴君だ、そりゃ。噂の本人から話を聞いて、どうこうするまでもねェとオレが判断した。それで終わりだ。You see?」
「はー……。あんたが今スッゲー立派な人に見える」
肩を竦めて同意を求める政宗に、はあんぐりと口を開けていささか失礼なことを言う。
「Hahn..., どういう意味だ?」
にい、と目を細め唇を三日月に。凶悪な顔になった政宗に慌ててが首を振る。えへへへ、とから笑いが空しく響いた。
今度は、政宗が思い出したようにを振り返った。至極真剣な表情の政宗に対して、はまたぞろ何か言われるのかと笑うでもなく怒るでもない半端な表情。しかし、その尋常ではない眼力に、居住いを正す。
「、一つ聞く。村を出るか? 当分のあご足はオレが工面してやる」
「は?」
「若い女の一人旅が不安ならウチのを使え。そいつは返してくれるとありがてェがな」
しばらく首を傾げて考えていただったが、納得がいったように頷いて、へら、と笑った。
「……いいよ」
「……そうか」
あのさ、と視線を外して、はどこか愉快そうに小さな溜息を落とした。
「オズの魔法使いはホントは魔法使いなんかじゃなくて、ドロシーはオズに背を押されて自分で帰り道を見つけるんだよ。……だから、あたし、もうしばらく頑張ってみる」
上げられた瞳には真っ直ぐな光が宿っていた。それを満足気に見下ろして政宗は背を向けた。
「OK. たまにはガキ共と遊ぶのも悪かねェ」
「今気付いたんだけど! あんたがあたしのオズだったんだねー!」
宿の窓から身を乗り出してが手を振っている。何ができるわけでもないオズ。を利用できず、手助けもできない政宗。どこが違うだろう。
「Ha! テメェに切っ掛けをやっただけのな!」
「そのキッカケが、ドロシーを故郷へ帰したんだから! ありがとー!」
憑き物が落ちたような顔をして、はまるで子供みたいに力いっぱい手を振っている。それに軽く片手を上げると、政宗は歩みを止めずに答えて返す。
「高くつくぜ? Are you ready!?」
「Sure!」
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2010/07/12
ミュージカル映画『オズの魔法使い』から名曲、「Somewhere over the rainbow」を拝借して。あと、もう一つ使いたかった映画もあるんですけど、入れると長すぎるので泣く泣くカット。でも一言だけ詰め込んでみました。
最近の中高生の言葉っぽくがんばってみたんですけど、無理がにじみ出ている……。多くを知るのもいいことでしょうが、新鮮な言語に満たされた感性は大切です。取り戻したいなあ。
よしわたり