徳川との戦の最中にお館様が病に伏された。後を託された真田様がその場にて若き武田の総大将となるものの、戦況が劣勢は明白。猿飛様の指示もあって全軍退却し、――武田軍は惨敗を喫した。
武田が虎の牙は、ものの無残に折られてしまったのである。お館様の最もお傍にいた真田様の分までも。信玄公を師と仰ぎ、耐え忍び待つことを学んだ三河の徳川によって。
それを武田の家臣も、忍隊の頭たる猿飛様もよしとするはずはなく、お館様に静養を望み滋養のあるものを献じ、快癒を願う。そして、新たな大将となった真田様を支えるために昼夜を問わず皆が尽力していた。中でも特に猿飛様はこれまでの姿が偽りであったかのように冷徹な忍へと変じられた。
忍なればそれが当然、と言うものもあるであろうが、これまで真田様や部下に対してもにおちゃらけた面を見せていた猿飛様の影は霞のように消えてしまい、そこにいるのはただ、武田が若大将真田幸村様の副将として陰として、表に出るも厭わない歴戦の戦忍、猿飛佐助だった。口調は多少からかい雑じりなところもあるが、敵に向ける目は草を薙ぐように命を刈り取る忍のもの。
ぞ、とした。武田軍が、真田忍隊がある程度の規模になってから戦忍として配属されたはそのような猿飛様を見たことがない。
お館様と日々殴り合っては生傷の絶えない真田様の手当てを愚痴をこぼしながら行う。部下に対しても厳しくはあるが成長が見られれば褒めてくださる、その時に浮かべられる僅かな笑みがの心を励ましてくれていた。
今や猿飛様は、真田様には背を押すためとはいえ辛辣な言葉を投げかけて大将であることを自覚させ、成長しない部下には侮蔑の視線を寄越す。
――今の武田でお前は足手纏いにしかならない。ここで死ぬか、死に物狂いでそれを脱するか、あるいは敵に捕らわれ全てを吐くか。まァ、その前に俺様の両手がお前の血に染まるんだけどね?
薄い笑みは底の知れない猿飛様の暗闇を垣間見せるに充分だった。
誰も彼もが武田軍復興のため奔走していた。総大将となった真田様が何か悩まれているご様子だというのはさわりと将兵や忍の間にも広まっていた。それを払拭せんと格の低い忍のとて、できうる限りの命を受けては睡眠も飲食もないがしろにして各地を飛び回っては他国の戦場を見分し、慣れぬ諜報を行い、本来の戦忍としての任務以上のことをこなしても疲れを見せないように上役に報告した。
疲弊を隠すのには慣れている。種々の薬――あるいは毒薬、手酷い傷を負わない限りそれらで平静を装うのは戦忍の常套手段である。同類はそれについて深くは追求しない。所詮は使い捨ての飛道具。忍として生きることが定められた時から幾度も幾度も言い聞かされてきた言葉はの全てである。
睡眠を碌に取らず、食事は丸薬で誤魔化してきて一月、二月経った頃だったか。戦前に忍分隊が集まり、潜伏地と奇襲の確認を行い、解散した後だった。これまで重ねてきた無理がここにきて現出した。は視界が朦朧とするのを気付け薬を噛み砕いて堪えようとした。
――戦は目前、戦忍がその最大の功を発揮すべき場に向かえずにどうする。
だが、の必死の抵抗も空しく、その体は地に伏せたのだった。もはや誰の声も届いてはいなかった。
懐かしい夢を見た。
お館様がご健在で、真田様と熱き拳にて語り合っておられる。それを苦笑しつつ被害のないところで眺める猿飛様。館の者も、将兵も、忍も、それぞれに武田の安泰を疑うことなく眺めて通り過ぎていく。
の眼からボロボロと涙が溢れる。夢だと判っていても、もう見られることができない光景だとしても、失ったものは大きすぎたのだと改めて気付かされた。
「お館様! 真田様! 猿飛様! どうか、どうか私の話を聞いてください! どうか!」
声を振り絞っても、誰もに意識を向けはしない。全ての者に聞こえない筈はないというのに、だ。
「お願いします! どうか、私の、話を……!」
どれだけ叫んだだろう。涙声になっても、声が枯れても、息が切れてその場に崩れ落ちても、は懇願し続けた。
「どうか、どうか……! 話を聞いてから首を刎ねてくださって構いません……、私の、話を……!」
最後の力を振り絞って顔を上げた先、猿飛様の視線がを見ていた。はっきりと。――それきり、の視界は黒く閉ざされた。
目を覚ますと、知らない部屋で布団に寝かされていた。すぐさま飛び起きようにも疲労困憊した体は言うことを聞かないもの。無様に布団の中でのたうった程度に過ぎなかった。
「目、覚めた?」
「猿飛、様……!」
部屋の隅で気配を消し、の様子を見ていたのは猿飛様だった。ヘラ、とここのところ滅多に見ることのなかった笑みをに向けて小首を傾げる。痛む体に鞭打って控え叩頭すると、隠しきる様子もない苦笑いが返ってきた。
「無理しなくていーよ。数日も生死の境を彷徨ったんだから」
その言葉にまず一番に戦のことを案じ、は猿飛様に詰め寄った。
「戦は、どうなりましたか!? これより支度を整えて参ります!」
動かすのも困難な体を引き摺って出て行こうとするの腕をを容易く掴むと、猿飛様はを板間に叩きつけてその腹に馬乗りになった。口許は緩く弧を描いているが、目は射抜いて殺さんばかりの威圧感をしていた。
「もう終わったよ。武田が僅差で勝利した。事前に念入りに忍を使っていたにもかかわらず、ね」
スウ、と猿飛様の目が細まる。そこに感情はない。猿飛様の指す忍の内にも入っていることが理解できない。表も裏も、何も出なくなるまで真贋を検めたはずだ。
「何故です……! 私達は偽の情報を掴まされたのですか!?」
「まさか。そんなヘマするような奴は今の武田にはいらない。アンタ達の情報は役に立った。……裏切り者がたった一人、いたことを見抜けなかった以外は」
眼前に迫る猿飛様の双眸からは何も読み取れない。両手を床に縫い付けられ、下半身に体重を掛けられ、更に追い打ちをかけるような言葉には瞠目した。
「それが、私であると……?」
「冗談。とうに処分した」
ニイイと口端を上げるその表情はまごうことなく真田様が大将になられる前の猿飛様のものでもあり、大将になられてからは裏で事を成す時のものだった。
「アンタの顔をどこかで見た覚えがあってさ」
忍隊隊長としては幾度も猿飛様と面識はあるが、使い捨ての戦忍であるを猿飛様が覚えていることがあるだろうか。眉を寄せたに、猿飛様は二度瞬きして記憶を辿るように視線をの頭上へとやった。
「お館様が倒れる前、真田の大将がまだ重責を負う前。……誰かの声を聞いたんだ。何事かを必死に叫んでいたけど俺様にしか見えてなかったようで、その場にいた誰に聞いてもそんな者はいなかった、と言った。戦前に倒れた忍がいると聞いて興味本位で見に行ったら、あの時の忍だった。生きるか死ぬかの瀬戸際でうわ言のように夢とも現ともつかないことをずっと口にしていた。俺様は今の武田軍では副将扱いだからね、真田の大将を守るためにも出陣しなきゃなんないわけ。だからアンタの傍に忍を置いて口走ったことを逐一報告させた。――裏切り者が誰か判ったのも、アンタの功績だよ」
くつくつと愉快げに喉を鳴らした猿飛様はを追い詰めるように耳許でその裏切り者の名を口にした。
「ま、さか……」
蒼白になるに猿飛様がさも楽しそうに瞬いた。
「ホント。なんなら体調が戻ったら確かめてみるといい。それと、これからアンタ――は俺様直属の部下にするからね。これからも武田の御為、その身を捧げてもらう」
ぐ、との両腕をより強く床に押し付け、全身をかけて身動きを一切取れないようにすると、猿飛様は恍惚とした表情で舌なめずりをする。
これが猿飛佐助の本来の姿なのか、を利用するための演技なのか、判りはしなかった。ニンマリと笑う顔から内面を読み取るにはは未熟に過ぎた。
「俺様もさあ、連戦で疲れはしないけど昂っちゃってるの。鎮めるの、手伝ってくれるよねえ……?」
熱い吐息が噛み締めたの唇をなぞり、赤い舌がゆるりと閉ざされた唇を解していく。食いしばっていた歯も呆気なく開かれ、舌を絡め捕られる。
「んっ……」
「イイ声」
は、と笑う猿飛様を見ていられずには目を固く閉じる。
に閨の経験はない。ただなんとなく、何をされるのかは判っていた。それを拒む理由を持たないことも。
猿飛様がに背を向けて髪をかき上げている。数多の傷を負った体にうっすらと滲んだ汗。これは夢の続きではないのだろうか、と一気に不安が押し寄せた。そうでなければおかしい。今や武田の若大将となった真田様が最も信頼を寄せている猿飛様が忍隊の中でも最下層のを直属とするなど。
抱いたのは拒否も裏切りも認めさせない楔とするため。そうであるなら得心はいく。
「私、は……」
切れ切れの息の合い間に裸のまま起き上がったは、猿飛様の背に向かって頭を下げた。
「このでよろしければ、猿飛様の望むままに働きましょう。この身が朽ちるまで」
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2010/08/08
3の真田関ヶ原ルートをやっていたら佐助が最高に男前すぎて鼻血吹くかと思いました。どうして! NPCなの!?
勢いだけで書いたので支離滅裂ですがまあいいや。バカルートの方もそのうち書くと思います。
よしわたり