――機巧仕掛けの女を拾った。
 口に出せば十人が十人首を傾げるであろう言葉だが、事実なのだ。先日、猿飛佐助の身に降りかかってきた、まごうことなき事実。用途も構造も不明の大小様々の機巧ごと現れたその女はと名乗り、自ら異世界から来たようだと言った。不審な者はまず疑って掛かるのが忍の仕事なのだが、不審を軽々と越えてきた者の扱いにはお手上げだった。
 様子見に、は佐助が仮使いにしている部屋に置いておくことになった。




 蝉の声も随分と静かになった。通る風も幾分かは涼しくなってきた。晩夏である。高くなってきた空に茜色の蜻蛉が飛びまわる。
 ひょいと伸ばした手はあっさりと空振りし、開いた手は行き場をなくした。白く、骨ばった女の手。視線を手前にすれば山葵色の着物の袖が見える。はこの衣服を嫌がった。佐助の目が届かなくなったと知るやすぐに脱ぎ捨てて、腕も足も丸出しの、筒型になった簡素な衣服に着替えてしまう。忍隊の部下も使う、町人が出入りすることもある長屋でそのような格好をされてはたまったものではない。しかし、何度忠告し、着替えさせたところで同じだった。
 ふと、人の気配がしては目を上げた。
「……何やってんの」
 の前に影を落として立っているのは風呂敷包みを手にした佐助。宙に突き出された腕を下ろしてやって隣に腰掛けた。
「これ、真田の旦那から。柿色の無地の反物。好きに仕立ててくだされ、ってさ」
「真田さんから? 着物じゃなくていいってことかしら?」
「これからの季節考えてくれると俺様としても旦那としてもありがたいねえ」
 何も言わなければまたわんぴいすとやらにしてしまいそうなに、ちろりと視線だけを向けた。佐助の無言の圧力には忙しなげに眼球を動かしながらゆるりと苦笑した。虚空に何かを探しているかのような瞳の動き。これで少なくとも他の服にしてくれるだろう。
「寒くなって辛いのは自分だぜ? そこんとこ、よーく考えてね」
 念押しの言葉は佐助の視界に入った、骨と皮ばかりの白く痩せ細ったの手足に引き出されたものだった。肉付きは悪く、血色もよいとは言えない。食は選り好みが激しく細いし、眠りも必要最低限。すぐに風邪を引く、些細なことで腹痛や頭痛を患う、年中咳をしている、が、病弱というわけでもない。裕福な武家や商家の娘、もっといえば忍の方がまだ健康にみえる。
 に言わせれば元々体を動かす仕事をしていなかったこと、の世界と大きく違う環境にまだ慣れていないせいだそうだ。
「こんなことなら体も機巧にしておくんだったわ」
 そうすればごく普通の娘の姿で、佐助にも幸村にも、信玄にも劣らない力を出せていたのに、と言う。そして決まってこうも言う。
「そのかわりすぐにガラクタになってたけど」
 佐助に掬われた言葉に微苦笑を浮かべて、は夏の終わりの雲が広がる空を背景に、斑を切り取った佐助を見上げた。すっと立てられた鋼鉄の指には蜻蛉が一匹停まっている。
「服ができたら真田さんにお礼を言いに行かなくちゃ。ありがとう」
「いいえー、どういたしまして」
 謝辞は立ち去る佐助の背に。ひらひら、と後ろ手に振られる指先から蜻蛉が飛び立った。




 たまに佐助が様子を覗きに行くと、はいつも何かをしていた。機巧を繋いで。
 今回は手のひらに載るくらいの大きさの白っぽくて薄い箱と、の首が、数本の線で繋がっていた。小さな箱は機巧の一種で、見かけによらないほど多量の情報が書き込まれており、それを使うのには首の後ろに開いた穴に線を通せばいいらしい。機巧と化した脳と脊髄がなければできないことだと、以前面白がって線を首に突き刺そうとした幸村にが苦笑交じりで忠告していた。
 その時も、日が落ちているのに灯りも点けず、一心に文を書き散らしていた。呆れたのは言うまでもない。
「ホント、何してんだよ……」
 紙燭の弱々しい光を揺らして佐助はの手許を覗き込んだ。
「代筆?」
「そう。ここでは文字を書けない人が多いでしょう? でも消息を知りたいとか、想いを伝えるとか、誰だってしたいと思ったの。それを言ったら、そういう仕事があるんだって紹介してもらって、最近始めたのよ」
 ことり、と筆を置いて小さく伸びをしながらが数回瞬いた。暗夜には人の目には見えない光を見えるように切り替えることができるという。じっと見詰められていたは照れたような困ったような顔をした。
「眼球が特別なわけじゃないわ。これも脳機能が潜在的に有していたものを発現させているだけ」
「俺様が血反吐まみれになって身につけた夜目が、ね……。俺様の脳みそもいじくれない?」
 馬鹿馬鹿しさからへらりと肩を竦める佐助に、は同じような笑みを返す。曖昧な否定。
「佐助さんは、文字は?」
「ん? ああ、少しは……」
 話を戻す。佐助が一枚の文を手に取ってざっと流し読む。趣きのかけらもない、あまりにも率直な恋文に続く言葉が出なかった。それが顔に表れていたのか、くすりとが苦笑をもらした。
「物語も歌も知らない人々に風情を求めるのは酷でしょう? 心のままの言葉を文字にしますから飾らずに、といつも言っているんです。さもなくば肩が凝るような前置きや中身のない歌だけで文にしてくれと言うんだもの」
「あー、そう……。わかりやすくていいかもね、うん」
「伝わらなければ意味がありませんからね。文だからこそ伝わるものもあります」
 佐助の手からその恋文を取り上げると丁寧に折り畳んでいく。引き寄せた道具箱から一貝の練り香を取り出し、紅差し指の熱で軽く溶かすと紙面に指を走らせた。ふわりと香りが広がった。
「薄荷?」
「文面に似合わずすっきりした人なの」
 文を託した主を思い浮かべては柔らかに笑う。文箱にそれを仕舞うと手を拭い道具も片付け、散らかしていた文を集めて筆さえも納めてしまった。そうして佐助の方へ膝を向けた。
「何かご用?」
「いや、特に用っていうわけじゃないんだけど」
 ぽり、と佐助は頭をかく。文箱が目に入って、なんとなく尋ねてみた。
「元の仕事は?」
「佐助さんと似たようなものよ」
 悪戯っぽく答えるに瞬いて、佐助は僅かに眉根を寄せた。
「忍の類? その体で?」
「情報収集。ただし体は一切使わずに」
「どうやって」
 小さな光に照らされたの白い顔が乙のように笑う。とんとん、とこめかみを叩いた細い指は今や置物でしかない機巧を指し示した。ああ、と合点する。
「いくら脳みそが優秀でも、アンタが知ってることなんて限られるんじゃない?」
 佐助の疑問を待っていたかのようには一つ頷いた。
「私の世界では意識を『繋がった世界』へ持ち上げることで動かなくても世界のほとんどの情報を知ることができたの。以前、脳は機巧だと言ったことがあるでしょう? 私の世界はほぼ全員がそうしてて、ひっきりなしに『繋がった世界』で情報を出し入れするの。……そうね、例えて言うなら今の私がこの部屋から動かないのに、日の本は元より世界の全てのことをすぐに知ることができるようなものよ。しかも、正確に、詳細にね。密談だって筒抜け、処分されたはずの密書だって見つけてこれる、今この時起きていること、過去のことなら何でも調べられる。――さすがに未来の先読みまでは専門外だわ」
 私だって人だもの、とくすくす笑うは佐助が解りやすいようにと言葉を変えて説明してくれるのだが、全く異なる世界のこと、佐助にはどうしても理解が及ばないところもあった。話半分に聞いていても、その半分もさっぱりだった。ただ、便利なのだろうということはわかる。
「今、それはできないわけ?」
「環境を整えなくちゃ。世界を繋ぐための『世界』を築き上げるところから」
 がすぐ傍の白っぽい箱のような機巧から伸びた幾本もの線を引く。うなじに繋がれていたそれらはぷつぷつと音を立てて床に散らばった。ちらりと見えた首筋の穴。の手で一撫ですれば何もなかったかのように消える。
「……便利だと思うんだけど」
「『繋がった世界』がなければ、書物に満たされたたくさんの蔵と、知りたいことをすぐに調べてくれる丁稚を大勢抱えた若隠居のようなもの。孤立した個は何もできないのよ」
 じんねりした佐助の呟きは、の苦笑に飲まれてしまった。




 昼間に蝉よりも虫の声がよく聞こえるようになっていた。裏に積んだ薪の山から響いてくる秋の音は夜になればさらに大きくなるだろう。朝晩の冷え込みがそろそろ厳しくなってくる頃だった。生身の人はこの時期、体調を崩しやすい。人一倍ひ弱なは当然寝込んでいるだろうと様子を見に来た佐助の予想はあっさりと裏切られた。
 少し厚着をしているくらいで、火鉢を抱えて灰をかく姿は顔色の悪さは相変わらずだが、おかしなところは何もなかった。複数の機巧を繋いでいる以外は。
 は独りでいる時、よく「孤立した」「繋がった世界」にいるようになっていた。何か手すさびをしていてもどこか上の空だからすぐわかる。そういう時のは無表情で無機質で、まるで体まで機巧のようだった。
 何もできないのだろうに、との言葉には、一人の脳でさえ深淵で広大なのよ、と含みを持った答えがあった。
「例えば、今日の夕餉は何にしようかしら? 今日の、ということは昨日、一昨日、明日に明後日があることを示唆しているわ。夕餉の様々の品を思い浮かべるけれど、それは朝餉の品とはやはり違っているでしょう? 私は電算化しているから全てがはっきりしているだけで、佐助さんだって同じ過程を経ているはずなのよ。言葉と意味、考えを分解し、結びつける仕組みが常に働いているの。四方八方にね」
「へえ……、よーくわかりました。俺様お手上げ」
 苦笑いを浮かべて降参するように両手を上げる佐助に、は楽しそうに微笑んだ。
「意識したら、――世界は変わるわ」
 すっと目を細めたの視界に、佐助の姿は映っていなかっただろう。
「無限に広がる海が、脳にはあるの」
「俺様には一生かかっても理解できないよ」
 の海が透き通って凪いだ静かの大海なら、佐助の海は暴風吹き荒ぶ濁った溜め池だ。何かを深く考えることなんてしないし、あれこれ思い巡らせることもない。必要な時に必要なことだけがあれば、それでいい。
 そう言えばはまた笑った。
「佐助さんは手近なところに箪笥を置いているのよ。それだけで事足りてしまうというのも、新鮮ね。そうだとすれば、私達は肥大した脳によって動かされているのかもしれない。自我だと思っていたものが、実は脳が作りだしたまやかしの人格だったりして」
 近頃、との会話がまともに成立しなくなってきていた。言葉数は増えた。しかし、話し相手のことをほとんど考えずに一方的に喋ったり、抽象的なことを言ったきり無反応になったりする。それは心を病んで人でなくなった者が辿る道によく似ていた。の場合は機巧と同化しつつある、というのが正しいかもしれない。
 機巧の脳。それがどのようなものか佐助にはわからず、それを有したは決して他の人より優れているというわけでもなかった。考えを放棄して、佐助は目を閉じた。
「アンタ達は脳みそが肥えすぎてるってのには同意。たまには真田の旦那みたいに直感で物を判断してみたら?」
「直感――それも脳の支配下よ。私達は脳なしには生きられないの」
 自嘲気味に微笑を浮かべるの声が、どこか寂しげだった。




 衣文掛けに、柿色の小袖があった。裾に刺繍された茜色の蜻蛉と黄金色の稲穂は布地の色から夕暮れの風景に見立てたものだろう。綿を入れられるように裏もある。とても丁寧に作られたそれは、着る人もなく、座敷を飾ることしかできない。――陰りによって少し、佐助の髪と同じ色にも思われた。
「どっちにしろガラクタになるさだめだったのかなあ、……?」
 繋がった機巧にもたれかかって手足を投げ出し、視線を中空にさ迷わせたまま、身じろぎも瞬きもしないに向けた佐助の問いに、答えは返ってこなかった。









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2010/08/31
やってしまった……。トリップでも異色の、いわゆるクロスオーバー物です。主人公は士郎正宗の描く『攻殻機動隊』や『アップルシード』の世界から来た、電脳化しただけの人間です。
補足説明、専門用語の言い換え、言い訳全部リンク先に突っ込んでおきます。
よしわたり

すいませんでした



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