きゃらきゃらと女の笑い声、ちんとんしゃんと三味線の音、けたけたと上機嫌な男の歓声。夜の茶屋町は大賑わいだった。
 二階の座敷で騒ぐ長曾我部元親とその家来達は日頃の憂さを晴らすように飲み、食い、女を侍らせて楽しんでいた。突然、階下が騒然とする。なにやら揉めている様子。小さく届いた声に、元親の顔がさあっと青くなった。
「野郎共、俺は逃げる」
 ぺいっと女を引きはがして腰を浮かせた元親が怯えているものを家来達も察して、わたわたしはじめた。
「ア、アニキ、もう逃げ場なんてないっすよ!」
 階段の方を覗いてへっぴり腰になって、
「いや俺らで時間を稼げばなんとか……」
「落ち着け……! 怒らせたら負けるぞっ」
「無理だろ、敵うわけないって」
 右往左往する。元親は家来達の騒ぎに乗じて隠れてしまった。
「ばっかやろう! やってみなきゃわかんねえだろ!」
 喧々囂々、そうこうしているうちに座敷の前に影が差した。


「逃げおおせられないんなら最初っから逃げんじゃないよっ玉無しども!」
 すぱぁんと障子を斬り捨てて、鬼の形相をした女が土足のまま乗り込んできた。男達は怯え固まり、遊び女達は唖然とするばかり。女はずかずかと大股に歩き、上座に飾られた一帖の屏風をぱたんと折り、裏に隠れていた元親の逃場をなくす。窓から外へ出るつもりだった元親は、帯を掴んで放り投げられた。
「ぐえっ」
 うつ伏せに倒れたその上に足を置いて、女は太刀を構える。見上げる元親から感情は読み取れない。周囲の様子はと見遣れば散々な状況だった。溜息を落とした喉許に白刃が差し込まれる。
「余程この首いらぬ御様子。今落としてしんぜましょう」
 わあわあと必死に女を止めようとする家来達。だが、誰一人として女に近寄ろうとはせず、二人を囲むように人垣ができていた。女がそれに注意を向けた刹那、元親は太刀を退けて足の下から抜け出した。
「悪かった、! すまねえ!」
 この通り、と両手を合わせて頭を下げる元親に鼻を鳴らし、不服げには太刀を鞘へと納める。
「わかってるんならいい加減逃げるの止めろくそったれ」
 ガン、と鞘で元親の頭を殴ると家来達に振り向き、
「お前らも一緒になって遊ぶんじゃない馬鹿共」
 まさか余波が及ぶとは思っていなかった男達はひっと縮こまって首を縦にした。これでは飲めや歌えの大騒ぎをしていた家来達もいい恥さらしである。憐みの視線を野郎共に向けながら、頭をさする元親。
「いってえな……。ちったあ加減ってもんを、いや、なんでも……」
 大柄な男が身の丈の肩ほどまでしかない女に小さくなっているのが奇妙で、座敷の女達からささめき笑いがもれる。毒気を抜かれたようには肩を竦め、太刀を担ぐと元親を立たせて尻を蹴った。
「なにすんだよ」
 太刀の柄を座敷の外へ向け、は顎で指した。
「さっさと歩きな。お前らも帰れ帰れ」
「はははいぃっ!」
 犬を追い払うようにが手を振れば、家来達は脱兎のごとく去っていった。


 一気に広く静かになった座敷で元親は項垂れる。
「野郎共……、俺を置いていきやがって」
「薄情な部下共に恵まれてよかったな」
「誰のせいだと思って……」
「己のせいだろ」
「俺のせい……、んなことあるか!」
「いいからさっさと降りろ」
「ぎゃあああ!」
 階段を蹴り落とされ、悲痛な叫びと共に元親は階下に消えた。ふと足を止めたは座敷に戻り、一番上座にいる女に懐から出した巾着を手渡した。
「いつもすまない。また何かあればよろしく」
「いいえ〜、さんもお仕事お疲れさま。男っていくつになっても馬鹿よね」
 巾着を袖に入れながら女がにっこりと笑う。それに同意するように口端を引いて、
「馬鹿な男ほど、女にとって仕え甲斐があるというもの」
 と返す。女はからからと声を立てて笑った。
さんはもの好きだわ」
「政だの戦だの、私にはわからないものは男にしてもらわなければ。その代わりに、いつどこから攻めてこられてもすぐ男が戦いに出られるよう国を預かっておくのが女の仕事」
「土佐で一番怖いのはさんね」
「それは、違うね」
 は苦笑する。、と下の元親が呼んでいる。屋敷に戻る気はあるらしい。
「あら、違うの?」
 女の問いには薄く笑むだけで答えなかった。


 元親は階段を下りたすぐの上がり框に座って待っていた。
「すっかり酔いが醒めちまったぜ」
「ご無礼をいたしました」
 が急に畏まる。大勢の男に向かって啖呵をきった女と同一とは思えないさまに、元親は苦笑した。
「いいぜ、誰も気にしやしねえ」
「明朝に開く評定のことで殿の意見を伺いたいと」
「しゃーねえ、帰るか!」
 にかりと笑った元親の横を通り過ぎ、は先に店を出た。部下は誰もいなくなっている。に任せて問題はないとわかっているのだろう。店の小僧から提灯を受け取って歩きだす。
 夜にも明るい茶屋町を過ぎれば、提灯の火だけが頼りになった。出歩く人もない眠りに就いた町を行く。は下げた太刀の柄に利き手は置いたまま、元親から離れすぎず近付きすぎずの距離を取っている。左手を衣服の隙間に引っ掛けて、呆けた様にの後に続く。
「なあ、なんで追いかけてくる時とこない時があるんだ?」
 首だけで振り返ったは軽く厭きれている様だった。
「遊ぶは結構。しょっちゅう国を空ける誰かのお蔭か、大抵のことなら国許に常在する家人衆で事は済みます。そうでない事案があればこそ、と思し召せ」
「嫉みはしねえのか?」
「四国を制した水軍の雄、その頭領ともあろうお人が子息なく、側女の一人もいないとは笑い物です。誰ぞ引き上げるのなら私も知っておいた方が悶着が起きた時にやりやすいでしょう」
「い、いや、そういうんじゃなくてだな」
 噛み合わない会話に二人は立ち止まった。は憮然として眉を寄せ、元親は視線をさ迷わせながら頬をかく。
「ほら、あんただから言えることがあんだろ、『他の女の所に行かないで』とか『私を構って』とか……」
 声を作ってそう言った元親は恥ずかしさにか落ち着きがなくなってしまった。それを心底疲れた様に見て、は淡々と口にする。
「私は主君たる長曾我部元親殿、また、その御家のために殿のお側にいるのです。殿に私情を申し上げることはいたしません」
「そういう覚悟決めたところが俺はたまらなく好きなんだが……、いやいや、」
 一瞬でれっと相好を崩しかけるも、すぐに真剣な目つきになった。
「それを言ってもいい唯一人が、あんたなんだぞ」
「だからそのような戯言を吐いてみせよ、と?」
 表情を変えずに冷たく言い返す。睨みあいの末、折れたのは元親だった。
「悪かった」
 少しばかり、どうしたらよいかわからないふうな笑みをして、
「俺はあんたが恋しい。手を出さねえんじゃなくて出せねえ。大事すぎてどうすりゃいいのか……。ま、大口叩いてる割に、情けねえ男だったってことだ」
 言い終わるや、すたすたとを置いて歩き出した。
 しばしその言葉を反芻していただったが、少女のような微笑みを浮かべて元親の背に告げた。
「いつか、あなたがどうしても恋しくなった時、誰に何を言われようと、側にいてほしいと言います。だから、その時は必ず側にいてくださいね」
「……おう」









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2011/02/01
最初はがしゃーんどかーんばりーんな恐ろしい嫁にガクブルするアニキだったはずなのに、気付いたらツンデレ夫婦になっていたでござるの巻。
お口が大変悪くてすみません。野郎共の間では口汚いのと容赦なく太刀を振るうことで恐れられています。
よしわたり



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