「本日付で日本国海軍西方艦隊参謀長竹中半兵衛中佐の秘書官に転任いたしました大尉です。よろしくお願いします」
カツ、と軍靴の踵を揃えて美しい敬礼をしたのは、濃紺の背広を着こなした年若い女だった。
国旗と海軍旗を背後に、中将の階級章をつけた大男が上座で彼女に対して返礼をする。西方艦隊の上層部が顔を揃えている場であるが堅苦しさはあまりなく、気をつけの姿勢に戻ったにもさほど緊張はみられなかった。
「よく帰ってきた」
西方艦隊司令官、豊臣秀吉が口を開く。ついで竹中半兵衛が微笑を浮かべて隣席の椅子を引き、を手招いた。幾人かが驚いて場がざわめくも、当人達は意に介していないようだった。
「おかえり、大尉」
「大尉ですか……、くすぐったいですね」
眉尻を下げたは向けられた好奇の視線に臆することなくドアの前から部屋の奥へと歩いていく。女らしい柔らかさを排した軍人らしい足の進め方であった。
「すぐに慣れるよ。――東方艦隊はどうだった?」
「学ぶことが多すぎて五年があっという間でした。東方艦隊には北条氏政中将以下、優秀な将卒はいらっしゃいますが……」
テーブルに手をついたは一度言葉を切り、一同を見渡す。そして、秀吉に向き直ると弧を描いた薄い唇を開いた。
「我が豊臣艦隊にとっては相手にするのも愚かしい。そう判断いたしました」
三人以外の者が退出した会議室で秀吉と半兵衛とは歓談していた。
「見たかい秀吉、君の発言を耳にした時のあの者達の顔を」
笑いをこらえ切れずに口許を隠す半兵衛。うむ、と頷いた秀吉も微苦笑している。
「戻って早々に問題を起こしそうだな」
「君が何も起こさないことの方が珍しいじゃないか」
過去の話をされては敵わないと、は眉を寄せつつ溜息を吐いた。
「お二人共……。私がこの五年、東方艦隊でどれだけ苦労したと思っているんですか。あのくらいの愚痴は許されてもいいはずです」
あちらに縁の深い方もいらしたのでしょうし、と出席者の顔を思い出すように視線を宙へ遣った。
「我らのやり方が気に食わぬという者もいる。特に年寄りはな。若輩の分際で、と思っているのだろう」
「牽制にもならない老人達を寄越したところでどうしようもないというのにね」
「それが判らないまでに耄碌しているのが東方艦隊です。北方もおそらく同様かと。現在の海軍主力艦隊は間違いなく我々です」
秀吉も半兵衛も何も言わない。君、と部下を嗜めるような声をした半兵衛の、仮面越しの双眸が厳しい光を宿していた。
「驕ってはいけない。秀吉の目指すところはさらなる高みだ」
「失礼いたしました!」
はっとしては叩頭する。
「私はなんと浅慮な発言を……。お許しください、中将」
「半兵衛の言は尤もだが、現況はの分析で合っている。――貴様はそこに甘んじようとするか!」
秀吉からの一喝に、顔を上げたは迷いなく即答した。
「いいえ。海軍統一、そして陸・空軍をも統べ、中将がこの国を真の強国と成す日まで。私は尽力いたします」
「よき返事よ。その頭脳、半兵衛の下で我の為に発揮せよ」
「はっ」
まるで中世西欧絵画に見られる主君と従者のような関係だった。
個性豊かな陸海空軍にあって豊臣秀吉を司令官とした西方艦隊は、力を貴び全てとする秀吉を圧倒的強者として崇拝する傾向がある。秀吉の持つ覇気がそうさせるのか、彼の右腕たる竹中半兵衛からしてほとんど秀吉に陶酔している風であるから下士官や兵は言うに及ばずであった。も例に漏れることはない。
「そうだ、君。顔馴染みと積もる話もあるだろう?」
半兵衛がテーブルに置いてある軍帽を手に流麗な動作で立ち上がった。彼の顔は妙案を思いついたように微笑んでいる。
「君の淹れてくれる紅茶をまた飲みたいんだけど、どうかな?」
「もちろん、喜んで」
わずかに驚いたは、ふっと柔らかに目許を綻ばせた。それはよかった、と笑みを深めた半兵衛は二人を促して会議室を出る。
「君達は先に行っていてくれるかい? 僕は彼らを呼んでくるよ」
「わかった。行くぞ、」
「どちらへ?」
大階段を下りていく半兵衛を見送り、歩きだした秀吉には従う。コツコツと重さの違う二人の足音が静かな廊下によく響いた。
「食堂だ。軽食を用意させてある」
「私を口実に、食事をさせようという魂胆ですか?」
秀吉が小さく笑う。
「彼は相変わらずなのですね」
軽く苦笑して、は声を固くした。話題を予測するかのように窓から差し込む陽光が雲に遮られる。
「……徳川君のことは聞いています。東部方面軍三河独立大隊長、ですか」
「元々陸軍士官学校の者だ」
両者の表情からは無感情さしか読み取れない。淡々と事実と推量を述べているだけだ。
「彼が何を思って海軍に志願し直したのか、当時は判りませんでしたが……。はじめから、彼には明確な理念があったようですね。多様な経験を積み、視野を広げることでそれをより強固なものとしたのではないかと」
「半兵衛も同様に言っていた。故に、現在最も警戒すべきであると」
「はい。織豊という国軍二大勢力のどちらにも属した過去がありながら第三の勢力として独立した。――陸軍で内部瓦解が始まるのも時間の問題ですね」
「フン、咆えたい者には好きにさせる。徒労に疲弊した時、旌旗空を蔽い尽くしてくれるわ」
ゆっくりと雲が流れ去った。日に照らされた短髪の女は刻薄な笑みを佩き、髷を結った男の瞳には赤黒い炎が渦を巻いていた。
秀吉が重用する部下達を集めた、ささやかな食事会が始まった。すぐに賑やかなものとなったが。
「元気そうだな、金魚の糞!」
「貴方もお変わりなく、禍津星」
「だああっ! お前さんが戻ってくるって知ってりゃ小生は転属してたんだよ!」
「ヒヒッ、無理な話よ。ぬしは太閤の御車の馬車馬として死ぬのだ」
「やはり君の淹れる紅茶は美味しいよ。僕が君の教えてくれた通りに淹れてもこうはいかなかったのにな」
「ありがとうございます。天候気温湿度茶葉の種類そして何よりその日その時の気分。最良の一杯は無限に存在します。その深遠さに向学の念はやみません」
「フフ、期待しているよ」
「……お前達の話がみえぬ」
「私もです、秀吉様」
「ところで、石田君は何日ぶりの食事ですか?」
「黙秘する」
「やれ聞いて驚け、五日ぶりよォ」
「刑部、貴様ッ!」
「やれやれ、君は……」
「その間ずっと錠剤と点滴で?」
「いとしやな、ぬしからもなんぞ言うてやれ」
「そんなんだから身体検査に引っ掛かるんだろうが。小生を見習え!」
「黙れ、官兵衛!」
「味わって食事をすれば心身ともに満ち足ります。勉学も修錬も捗るでしょう。私達軍人は体が資本です、それを疎かにするなど中将に背くも同義。お判りですか」
「……わ、私はなんということをッ! 秀吉様、私に食事をする許可を!」
「……うむ」
「うわあああああ……!」
「ヒヒヒッ」
「泣きながら飯かっ込むなよ……」
「そこで提案です。中佐、石田君もブランチに同席させませんか?」
「いいね、賛成だ」
「よろしいのですか、半兵衛様!」
「君のためでもあるし、秀吉のためでもある。断る理由はないだろう?」
「はい! ――礼は言わんぞ、大尉」
「結構です、石田中尉」
「アマちゃんどもめ」
「……星が見えぬな」
「馳走であった」
腹の探り合いをするでなく馴れ合うでなく。秀吉の掲げる一念の下に集う者達はそれぞれの思惑を抱きながらも、着実に軍を強くさせていくのだった。
狙うは日本国軍総司令官織田信長。いつか迎える雄飛まで、雌伏の日々は続く。
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2011/04/15
2011/04/18, 05/10 訂正
ちょっとずつですが軍パロのおおまかな設定が固まってきています。近代でも近未来SFでもどっちでもおいしいです。
豊臣は戦に女子供が加わるのをよしとしない考えの人なので主人公男にしようかとも思いましたが、紅一点が好きなので信念を曲げさせてしまいました。ごめん。いやでも人並み以上に体を鍛えることは前提で、女脳してない女なら一定数軍内に組み込むことで組織がより柔軟な思考をできるのではないかと思います。まあその分風紀は厳しくせねばなりませんがな。
よしわたり
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