音もなく粉糠雨(こぬかあめ)が降り続ける夜。屋敷の夜警に就いていた佐助の前に、ぼうと青白い火を指先に灯した女が不意に姿を現した。喉まで出かかった悲鳴を飲みこんで、じとりと視線をくれてやる。
「……
 忍以上に神出鬼没なこの女はふつふつと声を抑えて笑っている。
「何か用?」
「外法者の死体を見たことがあるか?」
「いや。ないけど」
「ならば後学のために見ておくといい。町外れの破れ屋に(むくろ)が朽ちていた」
 さらりと言ってのけられたが、の他に外法の輩が懐に入り込んでいたのは大問題である。
 外法師(げほうし)だ。兵士や忍が手に負えないものを相手にする代わりに、の行動には目を瞑る。ただし真田、ひいては武田に害してはならない。そういう取引をしているのだという。
 これまでの経験で、が先に処分していない場合はさほどの影響はないと判っている。が、おもしろいからという理由で度々危険な類いのものまで泳がしていることがあった。溜息を湿った空にこぼして、佐助は頭をがりがりとかいた。
「後学って……。ま、死んでるにしても確かめに行くのが俺様のお仕事だしね。報告どうも」
「凄まじいぞ」
 は楽しげにきゅうと目を細めると火を吹き消し、そのまま闇夜に溶けていった。
「十日は飯が食えなくなる」
「はぁ?」

 忍として生きてきて二十余年、惨澹(さんたん)たる光景に遭遇した数は少なくない。現場を検めて憐れな亡骸を山に捨てに行けばいい程度のものだろうと高を括っていた。
 何も語るまい。それから一月、佐助はまともに飯が食えなかった。文句を言ってやろうにもはぱたりと姿を見せず、遣り場のない苛立ちがぐるぐると肚のうちに渦巻くだけだった。


 忍装束を解いて町へ下りていた夕暮れ、易者の真似事をしているを辻に見つけた。目が合うなり手招きされた佐助は(いざな)われるままに怪しげな女の前に胡坐をかく。
「こないだはどーも。お蔭で何見ても平気になったよ」
 努めて軽く厭味を言えば、は声を出さずに笑う。
「それはなにより。早速だが仕事の話だ」
「あー、俺様用事あったんだわ……」
「残念だな。前金で不断(ふだん)の倍、終了時に同額。まあ、命の保証はせんが」
「やらせていただきます」
 しばらく辻占(つじうら)らしいことをあれこれと口にした後ではいつもの調子を崩さずに話を続けた。
「ここ一月で近隣に不審な人死にが幾つか出たろう」
「ああ……、あんたのせい?」
「莫迦を言え。私ならばもっと巧くやる。誰ぞが術に失敗して(かばね)を歩かせているぞ。放っておけばそう早くないうちに信濃の片田舎で(みやこ)よりも早く百鬼夜行が見られるな」
「はぁ?」
 要領を得ない物言いに首を捻る。舌打ちをしたがそれはおぞましく憎いものを見る様に佐助を睨みつけた。
「忍の癖に死臭も嗅げん、声も聞こえん、姿も見えんのか? 夜な夜な腐肉を滴らせ、怨嗟(えんさ)を喚き、(ごう)を撒き散らしている化け物の」
「判るかよ、そんなもの」
 あんたじゃあるまいし。皮肉を声に出せばはふっと正気に戻った目をした。口の中でぶつぶつと何かを唱え、頭を振る。
「……私としたことが瘴気にやられていた。今は辻に立つべきではなかったな」
 いつか、逢魔(おうま)が時は外法師にとって力にも毒にもなると言っていた。辻や橋もそれに準ずると。の人知を超えた力は正直なところ、羨ましいと思う。しかし、はその身に余る邪道の力を獲た代償に、信じられないほど強くもあるが驚くほど弱くもなる。
 そういえば魔王の妹もに近しい。闇に呑まれた姿は愚にもつかぬ。己で律することも困難な力など百害あって一利なしだろう。それならば人であるままでいいと、佐助は冷やかに思うのだ。
「仔細は追って報せる。逃げるなよ」
 人を食ったような態度に戻ったがふすりと笑う。一度決めたことを覆さないこの女に何を言っても無駄だと判っているから肩を竦めつつ渋々肯いた。
「はいはい、逃げませんよ。もー……、なんで毎回俺様なわけ? あんたの伝手なら、他にいくらでも手の空いてる奴らいるでしょーが。忍にしても、そうじゃないのにしても」
「欲がね、出てくるのさ」
「欲?」
「うん、外法に対してのな。この力を得ようと一瞬でも魔が差す、そうなってしまえばもう終わりだ。使い物にならん」
 背が凍った。
「……それってさァ、遠回しに俺様馬鹿にしてる?」
「いいや? お前はできた忍だと言っているだけだ」
「へえー」
 読心術の類でも使ったかと構えたが、そうではないようだった。意地は悪いが裏はない。外法を渡世(とせい)にするわりに性根は腐らせないのが天生(ひととなり)だ。だから、面倒くさいと思いながらも関わってしまうのかもしれなかった。

 通りを行く人もなくなっていた。爪の先ほどの月には薄く雲がかかり、明日の天気を危ぶませる。
「金か、米か? 他のものでも用意はできるが」
「金でいいよ。ありがたいことに飯は食えてるから」
 ふむ、とは空の袂からずっしりと重みのある袋を取り出した。寄越されたそれの中身は高純度に精錬した砂金の粒。確かに倍の量あるようだ。
「どーも」
朔日(ついたち)にな」
「三日もないじゃん!」
「造作なかろう」
 ひっそり笑むと、瞬く間には路地の闇に姿を消した。




 その夜は夏かと思うばかりに暖かだった。ぬるい風がさわりと肌を撫でていく。匂いを嗅げば生臭いような気がして、できるだけ呼吸に意識を向けないようにした。
「怖じ気ず来たか」
 提灯に鬼火を入れたが暗がりからぬっと顔を出す。毎度毎度趣向を変えてくるのは佐助を驚かせて悦に入るためだろう。来ると判っていれば驚きはしない。反応がなかったのがおもしろくないのか、青白い灯りは渋面を照らしていた。
「俺様って優秀なのに薄給だから。臨時収入逃したくないんだよねぇ」
「ぬかせ」
「それで、何すればいいわけ?」
 あの後、今日ここへ来るようにとの言伝があっただけで、詳細は何も知らされなかった。不満も露わに問えばは手裏剣を出せ、と言う。
「切っても屍だ、意味がない。それだけでは厳しかろう」
「え、あんたが相手するんじゃないの?」
「生憎だが私は弱くて化け物とは戦えない」
「ハァ!?」
 どういうことだ、と声を荒げれば三枚の紙を手に、しれっと言い放つ。
五行相剋(ごぎょうそうこく)、私は木行でな。金は木に剋つ。そこでお前の出番ということだ」
 一枚を佐助の胸に当て、印を結ぶ。ふっと体から力が抜ける感覚が走り、に刃を向けた。
「何をした」
「慌てるな。お前の行を禁じただけだ。早くそちらも寄越せ」
 は恐れる様子もなく突き付けられた手裏剣に紙を使って呪を施す。書かれていた文字が消えた様な気がして目を凝らすと、残った一枚に見覚えのある筆跡があった。が口角を上げる。
「真田殿の力を借りるのさ」
「火剋金、ね……。それなら旦那に化けてもいいんじゃないの?」
「相手が人であればな。奴に紛い物では到底勝ち目がない」
「あんたがそこまで言うならいいけどさぁ……」
 いっそ諦めに近い投げ遣りな思いで構えていた方を下ろし、もう一方を差し出した。ここまで周到なが恐ろしい。
「ちょっと備え過ぎなんじゃない?」
 積もる不安をかき消す様に、へらりと敢えて笑ってみせた。
「杞憂で済めばそれに越したことはない」
 は全くそうは思っていないであろう顔をして、また別の術を佐助に掛けた様だった。顔が強張る。忍でありながら邪術を使う者もあるが佐助は違う。体に異変はなく、の為したそれがどのような効力を持つのか皆目見当もつかない。
「行くぞ」
 提灯を持ったが歩き出した。


 辺りに遮るもののない山あいの草地で、村を背にする様にして化け物を待ち受ける。おおん、おおん、と獣の様な咆哮が地を這って響いている。断じて人の声ではない。まだ気配もないのに強烈な腐臭が漂ってくる。酷い頭痛と吐き気に軽い気付け薬を口に含んだ。
 すうっと意識がはっきりして、顔を上げた先の木立に「何か」を捉えた。佐助を見ている。目が逸らせずに、じわりじわりと浮かぶ汗を拭うことも骨の芯から冷え出す感覚を追い出すこともできない。
 どれだけ時間が経ったのか、それとも瞬きの刹那だっただろうか。その姿は。
 ――鬼。
 荒れ放題に伸びた髪、襤褸から覗くところどころ腐肉の削げ落ちた体、皮ばかりが貼り付いた顔に目玉はなく、眼窩の闇は禍々と深い。一歩踏み出すごとにかちりかちりと上下する顎は、うっすらと笑みを浮かべているかにも見える。

 とん、と肩を叩かれて、佐助はがいたことを思い出した。
「……あ」
「あまり見るな。穢れが移って気が触れる」
 は厳しい顔つきでそう言いながらも動き一つ洩らさぬ様、それを注視したまま。
「あんたは?」
「私は外法者だ」
 そう、薄く口許を歪めた。
「あれ、何」
「鬼だ」
 本物のな、と加えられた一言にまだ余裕はあるようだとこっそり息を吐く。
(まじな)いにとり殺された女の成れの果て。いかほどの怨念を抱いたかは知らんが、無惨なものだ」
 ふと、何かが符合する気がした。
「一月前あんたに見せられたのは呪いに失敗した外法師。そいつは死んで、外法に頼ったかやられた側か、こいつは鬼と化して人を喰い散らかしていた、ってとこ?」
「ご明察。さて、あちらはやる気の様だ」
 唸り声はいつの間にか止んでいた。一町は離れているそれが、獲物を定めたのが判る。
「じょーだん!」
 手裏剣を回せば赤々と火の粉が飛んだ。

「速ッ!」
 動きは人より速い。屍と見ていたのが間違いだったらしい。おおお、と耳を劈く叫びを上げながら走る姿に戦慄した。
「呆けるな、斬れ!」
 の叱責が飛ぶ前に手裏剣を投げていた。炎が渦を巻いて鬼を襲う。
「うひょー! 旦那のよりすごくない!?」
「私をなんだと思って……、これくらいでは倒れないか」
 鬼は肉を焼かれつつ何事も無かった様に起き上がった。ぶすぶすと上がる煙が流れてきて目に痛い。鼻はとうに麻痺していた。
「人と同じと思うなよ」
「どういう意味?」
「そのままだ!」
 うおん、と鬼が跳んだ。初動がない。屈みもせず、脚に力を入れもしない。とっさに横へ避ける。
「なるほどね!」
 土を抉った腕を後ろへ捻ってに掴みかかろうとする鬼に斬りつけた。そのまま連携に繋ぐ。
「ほっ、たっ、よっと、くらいなっ!」
 蹴り上げてから、その感覚の正体を得た。
「……なーんか妙な感じ」
 吹き飛ばされながら咆える鬼、地に足が着くや駆け出した。
「筋も痛みもねーのかよッ!」
「退け猿飛!」
 両手を軸に背後に数度回転して、来るだろう攻撃にじゃきりと刃を構えた。
 が、鬼は何かに動きを封じられている。ぬらり、鱗が光って見えた。
「そいつごと焼き払え!」
 鬼を押さえているのはが使う蛇の(かい)
「はいよっ!」
 炎に包まれた刃が鬼を薙いだ。頭が転がり落ち、焼かれる(はらわた)を滴らせながら胴が傾いて足から離れて落ちた。蛇は切り口から霞んで消えている。
 斬られても、燃え続けていても、びくびくと感覚が通っているがごとくに動く鬼の体はなんだ。筋も神経もないはずだろう。おおん、おおん、と体の全てで喚いている様だった。
 酸鼻を極める情景に佐助は顔を背ける。

「まだ終わらん」
 は鬼の頭、腕、胴、足、それぞれに呪いを唱えながら油と葉を撒いていた。
「今のうちに手裏剣のまま九字を切れ。これを灰燼に帰す」
 呻きのた打ち回る鬼から顔を上げた。歯を剥き出し、凄みのある笑顔の相をしていた。逆らえそうもなく、こきり、と首を鳴らした。
「へいへい」
 が別の何事かを唱え始めたのを後目に、鬼へ手裏剣を向けた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、裂、在、前、っと」
 これでよいのか訊こうとすれば、急に煌々とした明かりが広がって眼を刺した。視界が戻ってくるまで待ちはしないだろう。狭くなった視野の隅にを見つけた。
「耐えろよ」
 大きく息を吸ったが掌の白い火を吹く。たちまち大きくなったそれは佐助に襲いかかってきた。
「うそだろおおお!?」
 咄嗟に防御した。
「……熱くない」
 不思議と、恐れていたことにはならなかった。佐助を渦に巻き込みながら炎はさらに大きくなっていく。手裏剣から上がった赤い炎をも飲み込んで巨大な火柱と化した。
「劫火を返せ!」
 の号令で意志あるものの様に佐助を離れた炎は鬼へと降り注いだ。鬼を燃料に青い炎が夜天を焦がす。
「ぐおおおおおおお!! おおおおおおおん!! ぐううおおおおおおおおおお!!!」
 山が揺れんばかりの断末魔の声に、耳を塞いでも鼓膜が破れそうだ。動いてはいるが、苦しみから逃れようと暴れているふうにみえた。これで決着はついたのだろう。知らず、安堵の息が漏れた。
 はといえば、何食わぬ涼しい顔で立っていた。
「ご苦労。火が消えるまで私はここで待つ。先に戻っていろ」
「そうさせてもらうわ……。俺様もうヘトヘト」
 がっくりと肩を落として鷹を呼び寄せる。腕に掴まらせ、毛並みを撫でてやって、首を傾げた。
「あんたもちゃんと戻って来るんだよね?」
「案ずるな、礼金は払う。この髑髏(されこうべ)はよい外法頭になる」
 楽しみだ、とまだ呻き続ける鬼を前に舌なめずりをしそうな女が鬼よりも恐ろしい。
「それじゃ、お先にー!」
 逃げる様にその場から飛び立った。


 東の空がゆっくりと白んでいく。それは、夜の闇ごと人ではない化け物どもを掃い去っていく神々しいものに思える。
 風に乗り高さを上げてから、振り返ってみた。はその場に佇んで、残り火を見守っている。不意に佐助を見上げ、口を開くとほんのわずか微笑んだ。
 ――消えやしないさ。
「ま、当たり前か」
 佐助は独り、小さく声を上げて笑った。









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2011/05/12
なんでこんなに長くなるの! 化け物と戦わせたかっただけなのに!
外法者の設定がどんどん膨らんでいって収拾つかなくなったので、ひとまず拾うのは後からにして話だけ終わらせようと思いました。
よしわたり
参考webサイト
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、<http://ja.wikipedia.org/>



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