残暑厳しい今日この頃。
一通り出かけられる所は訪れたし、軍資金たる通帳の中身は仕送りとバイト代が出ないことには寒々しく、かといって家の中にいたのでは蒸されてしまう。ここ数日はもっぱら徒歩圏内の森林公園や図書館、博物館の無料スペースで暇つぶしをしていた。
これまでなんだかんだでやってこれたから、まさか罠が待ち構えているとは思わなかった。
人もまばらな昼下がりの公園、と幸村は木陰のベンチに座っていた。セミの大合唱は第三楽章のあたりだろうか。耳が割れそうだ。
「暑いねぇ……」
「これしき、某はなんともございませぬ」
「汗ダラダラじゃん。見てる方が暑いよ。うかつだわ、お盆明けに休みがあるなんてね……」
「叱ってくだされお館様ぁ!」
「ひゃっ?!」
危惧の念はしっかり現実のものとなった。幸村の雄叫びによって。耳を防ぎきれずに顔をしかめる。
「あ、あー、あー。オッケ。ユキムラ、急に『お館様』しないって約束したでしょ?」
耳の調子を確かめてたしなめると、幸村はどもりながら平身低頭した。
「も、もも申し訳ございませぬ!」
「本当、気をつけてよね」
幸村は何かあるとすぐに「お館様」。一にも二にも「お館様」。あんまりうるさいものだから「お館様」禁止令を出したというのに効果はちっともみられない。じんわり垂れてくる額の汗をタオルで拭って、肩を落とした。
風がなくカサリともしない枝の向こうに見上げるのは憎たらしいほどに青い空。どこまでも晴れ渡って、雲一つ見えない。ため息と一緒にずるずるとベンチを滑り落ちると、視界の端に映った幸村が複雑そうな顔をした。
「行儀が悪うございますぞ」
「いいよ、別に誰もいないんだし」
「人は見ておらずとも、お天道様が見ておりまする」
そう言った幸村はビシリと背筋を伸ばして軽く握った拳を膝の上に置いている。いつもそんな姿勢でしんどくならないのだろうか。流れる汗もほどではない。昔の人は体が丈夫なんだなあと見当違いなことを考える。
「いかがなされた?」
ぼーっとしていたら幸村が少し心配そうに眉を寄せた。つう、と頬を伝った汗が男前の度を上げる。
幸村はの理想の男の子ど真ん中なのだ。がっちりしているように見えて実は細マッチョな体、意志の強そうな丸っこい瞳、均整のとれた少年らしさの残る顔、何事にも心を賭してまっすぐに突き進む純粋さ、鼻につかない程度の知性。若干初心すぎるところと暑苦しい部分は差し引いてもおつりがくる。
そんな幸村のいろんな表情が見たくてあちこち連れ回していたことを初心に帰って思い出す。
「……アイス食べたい?」
パッと輝きかけたのを慌てて抑え込んだみたいな複雑な顔をした。子供のように諸手放しで喜ぶのは恥ずかしいと思っているのだろうけど、隠し切れていない。クスクス笑ってベンチに座り直す。
「食べたいならおいしいジェラードのお店に連れてってあげるけど?」
「ぜらーど?」
耳慣れない言葉に幸村は首を傾げる。カタコトがあまりにかわいくて声を立てて笑ってしまった。
「そう、ぜらーど! 行こう!」
「楽しみでござる!」
笑われたことを不快に思うでもなく、破顔した幸村を連れて日差しの中へ出た。
公園から大通りを十分ほど歩いて路地裏に入ると、おとぎ話に出てくるようなヨーロッパ風の建物がひときわ目立って建っている。店先のパラソルの下もガラス張りの店内も満席で、老若男女がジェラードに舌鼓をうっている。いつ来ても客足が途絶えないのはそれだけ美味しいからだ。
冷房の利いた店内に入ってショーケースの前に並ぶ。そこには色とりどりのジェラード。
「おお、これがぜらーどでございますか!」
「いろんな味があるから好きなの選んでね」
「そうは言われても、某にはなにがなにやら……」
目移りしつつ頭をかく幸村に苦笑してひとつずつ説明していく。ミルク、いちご、バニラ、と普段からなじみ深いものはいいとして、ちょっと珍しいものもある。
「ブドウ、マンゴー、白桃は果物。グリーンティは甘い抹茶味。カフェオレはコーヒーにミルク入れた飲み物。シナモンは香辛料。オリーブ? ……えーと、このくらいの緑色の実」
「こちらのは?」
「あとはアルコール。お酒。ユキムラ、未成年だからダメ」
ジェラードだから本当は大丈夫なんだろうけど、これ以上説明するのは面倒だからパス。幸村はそれで納得したのか頷いて思案しはじめた。
「むう……」
真剣な横顔にちょっとトキメキつつ、いつまでたっても決められそうにないから助け船を出してあげることにする。
「果物のはそのものって味でおいしいよ。コーヒー苦手なユキムラはカフェオレも苦手かもね。でもジェラードの甘さがおいしくしてくれるよ」
「しなもんはどーなつで知っておりまする! 甘い!」
「それはドーナツが甘いの! シナモンだめ」
「しなもんも、ぜらーどの甘さがおいしくするのでござる!」
「言ったけど! 違う!」
しょうもない言い合いで騒いでしまったので店員や客の視線が集まっていた。そのほとんどが声を抑えてほしいといったものでなく、ジェラード初体験まるわかりな幸村に向けられた温かなもの。も、店員や客も、誰もが知らず知らずのうちに微笑んでいた。
「……先に買うよ? まだ悩むの?」
「もうしばし待って下されぇ……!」
幸村はまだべったりとショーケースに貼りつく勢いで唸っていた。時々お館様と呟きもする。「お館様」禁止令は「叫ぶこと」を禁止したわけではないので、後で言ってきかせよう。
急かすつもりで店員さんに声をかけ、注文を聞いてもらう。
「白桃とオリーブのダブル、コーンでお願いします」
わかりました、と笑顔で答えた店員は早速コーンカップ片手にアイスを掬った。軽く固まっているジェラードを大きめのスプーンでチャキチャキとコーンに盛っていく。それに気付いた幸村の目は、その鮮やかなスプーンさばきに釘付けだ。
円い両目が驚きに満ちてそれを見つめ、子供のように無垢な笑みを浮かべる幸村は見ていて飽きない。
「お待たせしました。450円です」
「ありがとうございます」
代金を渡して紙を巻かれたコーンを受け取る。
ミルクにグリーンのオリーブの粒がたくさん入っていて、白桃は生の果物をそのまま絞って凍らせたような柔らかいクリーム色をしていた。
「ユキムラ、溶けちゃうから早く」
選びきれないと興奮している幸村を急かす。
「三つにまでは絞れたのだが……」
ジェラード食べる時点で贅沢だもの、ちょっと上乗せしたって変わらないよねと奮発を決意した。
「しょうがないからトリプルにしてあげる。どれ?」
トリプルは三つのせだと店員に言われ、一気にテンションの上がった幸村。「お館様」がこないかと焦ったけど、約束を思い出してぐっと我慢した様子だった。
「では、いちごとまんごーとかへおれをお願いいたしまする!」
「承知いたしました!」
ノリのいい店員が楽しそうに声を張り上げた。
店から一歩外へ出ると、むわっと暑気が押し寄せる。敷地内のウッドデッキに置かれたイスに座ってジェラードを食べることにした。
「これがぜらーど……!」
おおお、と感激している幸村を横目に、スプーンを口に入れながら注意する。
「早く食べないと溶けちゃうからね。白桃うまーい」
「うむ!」
笑顔でばくりとかぶりついた。全部一緒くたにしちゃって、もったいないと突っ込む余地もない。
「美味でござる……!」
「よかったね」
その幸せそうな表情は反則だとにやけつつ、おいしいジェラードを味わった。
「あーあ、早く食べないと溶けるって言ったじゃん……」
手も口の周りもべったべたにしてなお、ジェラードだった液体を掬って食べる幸村を頬杖ついて眺める。テーブルに垂らしてしまう前にティッシュを敷いておいて正解だった。
柔らかくなってしまったコーンも全部食べ終わって、一息ついたところにティッシュを差し出す。
「かたじけない。某、冷たい菓子は食べているうちに頭が痛くなることを忘れており申した……!」
きれいに手と口を拭いた幸村はがっくりと項垂れる。かき氷じゃないし、そんなことを聞いたこともない。不思議に思ってじーっと見ていると、視線に気づいた幸村がもごもごと言い訳した。
「……こちらの方々は食べるのに慣れているご様子で、言い出せませなんだ」
辛抱強さが日本人の美徳みたいな古くさい考えだったようだ。それに、いつも小さいカップアイスしか食べなかったから、気付けなかったのかもしれないとため息をつく。
「そういうの、すぐ言えばいいよ。私、いろいろ気付いてないこと多いと思うし、」
「貴殿に落ち度はなく候」
ごめんと続けようとしたのを強い口調で遮った幸村は人の心を読んでいるかのような眼をしていた。普段は突っ走りがちなのに、時々すごくしっかりしていて年よりもずいぶん大人びていると感じる。
「某は殿のお心遣いに常々感謝いたしておりまする」
かっちりと折り目正しく礼を述べられて、自己嫌悪なんかどこかへ軽く吹き飛んでしまった。
「ごちそうさま!」
恥ずかしがってほとんど名前を呼んでくれないくせして、こういう時だけ呼ぶのはずるい。照れを隠すようにパンっと両手を合わせた。
「ごちそうさま。まこと美味でござった」
本当に嬉しそうにそう言われて顔がほころぶ。
「また食べにこようね、ぜらーど」
にっこり笑って頷いた幸村の希望は案外早く叶うだろう。
「帰る前にトイレで手と口ちゃんと洗ってきて」
「……承知」
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2011/11/15
もんのすごく久しぶりに書ききった!
よしわたり