雪割りの緋寒桜がほつほつと花を咲かせはじめる頃、は山に入る。
 冬のあいだ閉めていた茶屋の片付けをして店を出すために。雪の多い峠は麓の者でもかなりの準備をしないと越えられないため、冬場は回り道をするのが時間はかかるが安全である。
 しかし、雪中行軍をしてでも先を急ぎたい者、人目につかない道を敢えて選ぶ者、あるいは山に迷ってしまった者。
 山は恐ろしい。それが判っているからは、そういった輩がもしもの時に使えるようにと厩を頑丈にし、簡易な寝床と保存のきく食糧、暖を取るための薪を冬の入りに用意しておく。
 峠へ登ってが一番にすることは厩での確認だ。
 荒らされているかどうかではなく、冬を越せなかった命の。




 春にはもう少しという日差しの、晴れた天気だった。
 空気は冷えているし藁長靴でざくざくと踏みしめる道もまだ雪深い。それでも沢は雪解け水で嵩が増してきていて、開けた場所に出れば地面が見えて草木の新芽も萌えている。背負い籠一杯に入れた荷物の重みに息を弾ませながら、は通い慣れた道を登っていく。目印となる緋色の桜が見えてきたところで大きく呼吸をした。
「佐助さん?」
「うん、お久しぶり」
 母屋の下まで行っては驚いた。閉め切った玄関の雨戸の前に顔見知りが座りこんでいたからだ。目を丸くさせると、佐助はへらりと明るく笑った。
「お久しぶりですけど、どうしたんですか?」
ちゃんのお手伝いに。大変でしょ?」
 掃除に修繕、物資の運び込み。道の整備や山林の手入れもある。茶屋はの家が継いできたものだが、山はそうではない。領主の財産ともいえる土地は近隣の村落の住人に管理を委ねられている。
「大変とはいえいつものことですし、村の人も手伝ってくれますし……」
 客として通ってくれている佐助に手伝ってもらうのは悪いと断ろうとすれば、いいじゃないの、と苦笑される。
「今日は一人なんでしょ? 俺様頼りになるよー?」
 立ち上がってぐるりと腕を回し、ごりごりと首を鳴らす。すっかりやる気の様子にが折れた。
「それじゃあ、お願いしても?」
「まっかせなさい!」
 ぱちり、と片目を閉じた佐助は楽しそうに言うのだった。




 まだ佐助が足繁く通ってくる前に、一度問うたことがある。
「お客さん、近くに住んでいるんですか?」
「どうして?」
 まんじゅうを頬張った佐助はすっと目を細めてを見た。その視線に何故か息苦しさを感じながら、あの、ええと、と口ごもる。
「随分慣れた様子だったから……」
「ああ、俺様歩くのが仕事だから。藪をこぐのも沢を下るのもお手の物。峠越えなんて楽勝なの」
 へらりとした笑みに煙に巻かれ話をはぐらかされてしまい、それ以上は訊けなかった。佐助が何者なのか、知ってしまえばもうここには来ないだろう。だから、は気にしないことにした。――頻繁に、かなりの量を注文していくようになっても。




 真新しい土饅頭の前で膝を折り、は早咲きの桜の枝を供えて両手を合わせる。黙祷を捧げて顔を上げようとした時に佐助の呟きが耳に届いた。
「……こいつらは幸せだね」
 振り仰いだ表情からは何を考えているのか読み取れないが、口ぶりはまるで彼らを羨んでいるかのようだった。
「どうして?」
「たとえ生前に極悪人だったとしても気にせず、こうして死を悼んでくれる人がいる。それってすごく幸福だろ」
 からすれば名も知られず素情も知られず、身内に引き取られることもなくひっそりと山に葬られることはひどく寂しいものだ。佐助はそうではないらしい。どうだろう。濡れた土の匂いを肺に満たしては、それでもやっぱり、と首を振る。
「私はこの人達のことは何一つ知りませんし、きちんと弔ってやることもできません。それは寂しいでしょう?」
 佐助があきれたように目を細める。
「何言ってんの。ここで死んだ奴らは墓まで造ってもらってありがたいって頭下げるべきだぜ。世間様じゃ飢えや病いの野垂れ死にも、合戦跡に残される下っ端の死体も放っておかれて目も当てられないザマになってるのがよくあるってのに」
 厳しい言葉だった。そして、それが当たり前だとでも言わんばかりの佐助に、気付かれないようは唇をきゅっと噛んだ。
 佐助はのことを何もかも聞いてくるしよく気にかけてくれるが、自らのことは何も語らず立ち入らせない。




 桜をつつく数羽のめじろが鳴いている。急にそれがひどく遠いところで鳴いているかのように思われた。
「佐助さん……?」
「どうせ一人で生きて一人で死ぬんだからさ、死んだ後くらい良い目にあっても怒られやしないでしょ」
 いたずらっぽく嘯く佐助。胸を締め付けられる言葉と笑みに小さく眉を寄せながらも、はぎこちなく微笑んでみせた。
「私も生きてます。他にもたくさんの人が佐助さんの周りにはいるでしょう? 一人じゃないですよ」
「え」
 ぱちぱちと音がするほど大きく瞬いて、すぐに苦笑を浮かべる。
「そっか、そういうのもアリか……」
 首の後ろに右手をやって俯く。困っているというより、照れているように見えた。




 山の日暮れは早い。茶屋に人がいる印である松明が宵闇に皓々と灯っている。
「また、いつでも来てくださいね。お団子たくさん用意して待ってます」
「言っとくけど、アレ、俺様が食べてるんじゃないからね?」
 じと目の佐助にくすくすと頷く。
 佐助が甘いものを好まないのは知っている。町中の店もあるだろうに、こんな峠まで度々やってきて大量に買って帰るのは、誰か大事な人のためだということくらいにも判る。おいしかったって、と佐助づてに聞かされるのが嬉しく、励みになる。少しもその人がうらやましくないと言えば嘘になるが、それよりも感謝の方が大きかった。
「今日手伝っていただいたお礼に、茶屋の支度が整ったら、佐助さんが食べたいものを出しますよ?」
 深刻に悩むほどのことだっただろうか。両腕を組んで唸ってから、あのさ、とを見た。
「梅の甘露煮が入った大福、みたいなものを一度食べたことがあってさ。どこで食べたのかも、どこの店だったのかも覚えてないんだけど。おいしかった、という記憶がある。……それでどう?」
「梅の甘露煮入りの大福ですか。聞いたことはありませんが、作ってみましょう」
「頼んだぜ」
 佐助は灯りもなしに道を下っていく。山の闇に呑まれて見えなくなる前に、後ろ姿に声をかけた。
「必ずや。さようなら」










2012/03/28
よしわたり



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