「あっちで、作ってみる? 材料はあるのかな?」
「多分そんなにないだろうね。ま、作るんなら何とかしてみるよ」
 三月三日は雛祭りだといって、いつも見ている料理番組でかわいらしい春色のあられの作り方をやっていた。ソファの両端に座った二人の間に、封の切られた出来合いのあられ。が帰りに買ってきたものだ。時々それをつまみながらテレビを見る。絶対に手が触れ合ってしまわないように、さり気無い風を装って気を付けた。
 との距離は、見た目には縮まったようで、その実は全く変わらない。

 唐突に出掛けてから七日で戻ってきたは、佐助に何一つとして語らなかった。だから佐助も、に何も明かさなかった。二人の隠し事は溢れそうな位置まできているのに、互いに目を逸らしている。どちらかのそれが零れたとしても、きっと二人して知らぬ存ぜぬを通すのだろう。
 これまでどおり、いや、これまで以上に薄氷の上に立つようになってしまったのかもしれない。それに見て見ぬふりをして、日々を過ごす。佐助は自然と元の忍暮らしに傾倒していくようになった。も、佐助といる時間にぼんやりしていることが多くなった。
 こちらの世界でいるのがどこか夢心地だった。このまま戻れるのかもしれない、そう思いさえした。




 干し飯はある、砂糖はほとんどない、油もわずか、紅粉はない。炒った大豆が少しばかりと、塩もひとつまみ。
 火を落とす前の竈を借りて、干し飯をぱらりと揚げた。煮詰めた砂糖水にそれと大豆をからめて、少量取っておいた方には塩を振る。冷ましている間に鍋を片付ける。と暮らすうちに癖になっていた事がこちらにも現れていて、思わず独り苦笑してしまった。
 出来上がったあられを懐紙に包み、足音さえ立てずに主の書室へ向かう。時刻は八つ時近く。頃合いだ。

「旦那ー、猿飛佐助入りますよー」
 障子の向こうへ声を掛ければ、酷く不機嫌そうな唸り声が返ってきた。何を悩んでいるのやら、とこそりと溜息を落としてから戸を引いた。筆を握ってじろりと己が忍を見上げた主の眉間には皺が刻まれ、出てきた言葉もそっけない。
「なんだ」
「お疲れだろうと思って、有能な忍の俺様から献上品」
 硯と墨と、多量の紙の乗った文机の隅に包みを置いた。出入り口付近に胡坐を掻いて、主がそれを不思議そうに見るのにどうぞ、と示してみせた。
「あんまり根詰めても仕方ないでしょ。ちょっと休んだら?」
「お前は何をしておる」
 気楽そうに現れた部下をじっとりと睨む視線が痛い。やれやれと肩を竦めた。
「今朝戻ってきて、半日休んでいいって言ったのは旦那でしょーが。充分休ませてもらいましたからね、頼まれてた任に就く前にちょっと思い出したことがあってさ」
 懐紙を開いた主がすん、と匂いを嗅いで菓子か、と言った。そうだよ、と頷けば早速一つ摘まんで咀嚼する。
「うまい」
「俺様が作ったの。どうよ、菓子まで作れる有能忍! ってことで、給料上げてくんねーかな」
「莫迦を言え。忍の仕事を越えておる事まで勝手にされて給金をせびられてはかなわん」
 ぱくぱくとあられを口にしながら呆れたように言う主に、がっくりと項垂れる。なかなか厳しい男である。

「……しかし、いきなりどうした」
 あっという間にあられを平らげ、懐紙で手と口許を拭いた主が問う。まさか本気で給料を上げろというのではあるまいな、と付け足しながら。へへ、と忍は笑う。
「今日は上巳だろ。祓えをしてきたと思うけど。――聞いたんだ。ある処では、女の子の成長を祝う日だって。ひいなの、それもおそろしく精巧にできた奴を飾って祝ってやる。そんで、そのひいなあられを食べるんだ。幸せな話だろ」
「俺は女子ではない」
 尻尾髪を躍らせて文机に向き直った主は、言葉の割に満足気な声をしていた。団子を好むこの若武者のこと、あられも気に入るだろうと踏んだ忍の推測は当たったらしい。少しだけ目を細めてがりがりと頭を掻いた。
「アハ、悪かった。あられは誰でも食べるんだよ」
「そうか。旨かった」
「俺様大感激! んじゃ、行ってきますかね」
 ぐっと伸びをして、立ち上がる。障子を引いたところで主が振り返った。真っ直ぐな目。
「頼んだぞ」
「はいよっと」
 にっと笑い返して戸を閉めた。




 たん、たん、と身軽に屋敷の屋根へ飛び上がり、使いの烏を呼び寄せる。佐助の手を掴んで、烏はばさりと羽ばたいた。空へ飛び上がって、訳もなく笑いがこみ上げてきた。
 ――に、言おう。あられを作ったこと。旨いと言って食ってもらえたこと。俺の仕える、強く誇らしいけど甘味の好きな可笑しな主のこと!

 次に休息がとれるのはいつになるか判らない。そんな忍の暮らしの中、微かに温かな光が確かに存在する。それが、何とも言えない感情を佐助に与えている。
 こちらで初めて、を意識した。あちらで目を覚ましたら、と話をしよう。たわいもないことでいいから話がしたい。一緒にいたい。笑い合いたい。そして、いつもの微笑の裏の笑顔を見たい。贅沢な望みではないだろう。何故なら向こうの猿飛佐助は忍ではなく、ただの人なのだから当然の望みだ。おのれに対して最高で最低だと罵るにはこの言葉しかない。
 ――おバカさん!

 心中で呟いて、――猿飛佐助は忍に為った。









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2010/03/02
2010/03/12, 2010/04/11 訂正
えー……一番の問題からは逃げました。軟弱者!
雛祭りが広まったのは江戸時代からだそうなので、どうしようかと悩んだ挙句、文明の利器に頼ることにしました。
(一応)歴史ものやっておきながら有職故実にも弱いのでそれ違うんじゃない? という突っ込みは常時受け付けております。
よしわたり



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