思案に沈んでいたを呼び覚ましたのは鈴木の静穏な声だった。
「時空跳躍者の意識――特に強い意志と、時空跳躍によってわずかながらも脳神経細胞、シナプス、神経伝達物質に影響が出ると、こういったレアケースが起こります。私達にとっても脳はまだ完全に解明されたとは言えません。驕って分に過ぎてしまった人類を諫めるための、最後の砦なのかもしれませんね」
これまで論理的に話をしてきた鈴木が観念的なことを言って苦笑いをする。魂の抜けた面持ちのまま、力無く愛想笑いを返した。
ごとり、と銃を戻す音がやけに耳に付いた。
「結果が出ましたので報告しましょう。日本国製26年式リボルバー、製造番号59838。口径9mm、装填数6発。そして日本陸軍下士官用拳銃弾嚢。二点ともから複数人の強い思念が観測され、簡単なDNA鑑定をしたところあなた自身とあなたの血縁の方でした。ラボでの調査に回せば該当者は割り出せますが」
その必要はない。確信があった。
「曾祖父と曾祖母だと思います。これを私に手渡してくれたのは曾祖父で、その曾祖父が戦地へ向かう前に無事を祈願したのが曾祖母だと聞いていますから」
「なるほど。では時空跳躍後あなたがこれを初めて用いた時、何を思いましたか?」
こっちへ来てすぐ野伏りに遭って捕えられた。女と判るや襲われかけて、考えるよりも先に手はバッグの中から拳銃を取り出していた。
――死にたくない。助けて。
「……生きたいと強く願いました」
意識が戻った時には数人の野伏りの死体にいくつも穴が開いて血を流していた。返り血を浴びたことより、人を殺したことより、鼻がバカになるような人の血の臭いに吐いた。記憶は色や匂いも一緒に掘り起こす。胃液がせり上がってくる気がした。
そういうものなんだと思い込んで疑問も抱かなかったけれど、リロードもせずに撃ち続けられたのは? 弾薬が切れなかったのは? ろくな手入れもしないのに使い続けられたのは?
――私が望んだことだった。
ざあっと音を立てて頭から血が引いていく。ぺたりと顔を覆った両手がとても熱い。
「元々思念を込められた物でも、無限仕様化せしめるのは時空跳躍者当人の意志が大きく働きます。そのなかでも生死にかかわることは脳の最も原始的な部分が司るため、特に力が作用しやすくなっています」
鈴木は穏やかそうな雰囲気をしているが、もう笑んではいなかった。一枚の封書を差し出される。
「そこに地球連邦日本国法務省時空管理局長が時空難民へ下した処分が記されています」
震える手で受け取って封を切る。カサカサと手触りのいいOA用紙を開いて、初めて目にする公文書の堅苦しい文章にうっと詰まった。
「……無限性を有した技術を時空管理局に譲渡することを命じる。譲渡終了後は現時空での一切の記憶を焼いて本来存在すべき時空へ帰還を許可される。その際、経過した時間は遡行させないものとする。ただし、何らかの事情により上記が不可能である時は、40年の寿命と引き換えに現時空に滞在することを認める……」
遥か未来の年号に知らない人間のサイン。それと、の名前と40年の部分は手書きだった。
二年の空白を抱えて元の世界に戻ってまともに生きられるだろうか。きっと無理だ。他人にはあれこれ言われ、家族には腫れもの扱いされ、自分でも思い出せない「神隠し」のことで必ず苦しむ。
「ずいぶん重いんですね」
文書から顔を上げられずに何度も同じところを読み返しながら溜息を吐いた。
「歴史を変えるだけの力をあなたは持っています。無知だったとはいえ、それが重罪であることをどうかご理解ください」
「……私が改変してしまった未来がないとは限らない。そうなってしまわないうちに責任取らなくちゃ」
二十六年式と弾嚢を鈴木の方へ押しやる。白髪頭が慇懃に下げられた。
「確かに。……失礼」
すぐに受け取るのかと思ったら鈴木はなにやら顔色を変え、小声でメタリックカードと通話を始めた。
エマージェンシーと聞こえて、また耳鳴りと頭痛がぶり返してきた。さっきのよりもひどい。ぐたり、と前のめりに体を曲げて頭を抱える。何が起きたというのだろう。
「殿? おられましょうか」
「……ゆ、き、むら」
――最悪だ。
ちらりとめぐらせた視界に、鈴木の姿はなかった。
幸村は障子一枚隔てた室内の気配を必死に探っていた。
につけていた忍がらしくもなく血相を変えて現れたのがつい今しがた。室内で銃を構え、誰かと話すような言葉を発して、突如、が姿を消したという。パチンと破裂音がするやいなや、その場には誰もいなくなっていた、忍の術なら見破れるがその様子は全く感じなかった、まるで神隠しに遭ったようだ、と。
何者かが城内に侵入したという報せも受けていなければ、が外へ行くとも聞いていない。鍛錬を途中で放棄して離れへと駆けだした。
「殿? おられましょうか」
逸る心を抑えながら、物音のしない部屋へと注意深く問い掛ける。
――異界の不可思議な品を持つに、同じく異界の者が我等の想像を絶するやり方で接触を図ったのかもしれない。どうして今まで考えが及ばなかったのか。
考えるだけ思考は冷静になっていく。拳の骨が皮膚を破りそうなほど両手を握り締めて耳をそばだてた。
「……ゆ、き、むら」
「殿!」
わずかに聞えた弱々しいの声に、拳を握ったまま障子を蹴り開けて室内を見回した。うつ伏した以外に人はいない。だが、誰かを迎えた形跡がある。ひとまず近くにはいないと判断しての傍へ寄った。
力いっぱい畳に額ずいて腕の中に頭ごと閉じ込めている。体を楽にさせてよいものかと窺おうとして、ギラギラと刺すような双眸と目があった。
「さ、あく……」
かぼそくも声を発したせいでこめかみが痛んだのだろう、ぐっと押さえて顔を歪めたをもう見ていられなかった。
――申し訳ござらぬ。
強張ったの体をそうっと抱き起こして帯を緩め、傍にあった座布団を枕に横臥させる。
顔を仰向かせて安心するよう小さく笑んでやり、汗で額に張り付いている短い前髪を梳いた。それ以上はどうすればよいのか判らず、そうっと声をかけた。
「今は何もお気に病まれず、どうか休んでくだされ」
「むり……」
ゆるりと重く頭を振ってはうめく。このまま苦しむ様は見ていられないと細く細く息を吐いた。
「佐助」
声なき声で佐助を呼べば、背後に人影が生まれた。
「眠り薬を」
差し出された丸薬と水筒を受け取っての口許に寄せる。嫌がって引き結ばれた唇を無理やりに開けて薬を舌に乗せ、苦いそれを吐き出される前に水を垂らす。はおとなしく水で薬を流し込んだものの、幸村に恨みのこもった目を遣した。
「おぼ、て……」
言い終えぬうちにゆっくりと瞼が下りる。まだ痛みに顔をしかめてはいるが、眠りから覚める頃には幾分かましになっているだろう。さらりとした頬を指の背でたどれば人心地ついたと実感した。
「佐助、どうだった?」
気のきく佐助が上掛けを持ってきて、に着せてやりながら首を振った。
「近辺を捜索した忍隊は空振りだ。――はここから出ていないし、誰も来ていない。だけど、消える直前に独り言にしてはおかしな物言いをしていたって。ま、ここに見えざる何かがいたのは確かだね」
「ああ」
二枚の座布団。滅多なことでは人に触れさせないの銃が革袋ごと置かれている。こちらへ引き寄せて緩く開いていた手に握らせてやる。これについて話をしていたのだろうか。
――何故。
南蛮伝来の鉄砲とは構造が全く異なる短筒は、この世とは違う世界が存在するというたったひとつの証拠。の心のよりどころ。それを手放すことは大きな意味を持つ。
今はこんこんと眠り続けるが何を思ってそのような行動に出たのか、相手は何者なのか。安らかならざるその寝顔をじいっと見下ろしながら、話すべきことは山のようにあるようだと思った。
「……もう少し調べさせようか?」
「いや、よい。どうせ何も出るまい。忍隊はご苦労であった、持ち場へ戻れ」
遠慮がちに佐助に問われてふと苦笑した。今悩んだ所で解決はしない。
「了解。どうせ旦那はが目覚めるまでここから動く気ないんだろうし、目を覚ましたら覚ましたで長話になるだろうし。なんか用意してきますよ」
佐助はいつものように軽口を叩く。コキリと首を鳴らして部屋を出ていった。