――返り血を浴びていない夫君の姿を見ることの方が稀だ。
「……お帰りなさいませ」
こわごわ呼び掛けた声に男が振り向く。白銀の髪、するりと伸びた痩身を包む甲冑、白と紫を基調とした羽織、無駄な装飾の一切ない居合刀。そして見る者全てを怯えさせるような冷たい瞳。
「出迎えなど頼んでいない」
棘を含んで吐き捨てられた言葉に目を伏せる。彼に見えないように打ち掛けの袖をぎゅっと握って震えそうな体を叱咤した。
「お体をお清めしましょう。戦装束の血も落とさねば……」
「いらん」
「ですが、」
「たまには女の言うことも聞いてやれ、三成よ」
去ろうとする男を引き止めかけたところで、二人の背後から別の声がした。驚きに身を強張らせつつ振り向いた先の人物と目が合った。
――この方を前にすると正体のない不安が去来する。
「刑部」
三成も振り返り、ゆらりと宙に浮かんだ輿に座した大谷が独特の笑い声を上げる。
「ソレとてヌシの身を案じておるのよ。ナァ、夫人」
「もちろんでございます」
大谷の視線から逃れるように頭を垂れる。
経緯はどうあれ、今は夫婦だ。
「フン、好きにしろ」
大谷に言われてを瞥見し、三成は鼻を鳴らした。
が何を言っても聞かぬくせに大谷の言には耳を貸す。太閤存命の頃よりの知己と初見より一年も経っていない妻と、どちらに信を置くかは明らかだろう。だが、夫を支えようと妻として何かにつけ気を配っているのをことごとく断られ続けては、どれほど気丈にあらんとする心も折れてしまう。
「仲良うしやれ」
の心を見透かしたようにヒヒッと笑った大谷は、音もなく輿を滑らせて遠ざかって行った。
「……その必要はない」
背越しに聞こえた呟きに腹の裡で怨嗟を唱えた。
――ならばいっそこの首を刎ねませ。