アルケミストであるが、帝國図書館の特務司書として赴任して二年が経った。
本当にいろんなことがあったけれど、思い返してみればあっという間に過ぎていった気もする、とぼんやりと考えながら司書室へと向かう。
若干の肌寒さに軽く羽織ったストールをかき寄せたくなる十一月の朝。廊下の窓は大きく取られ、陽光が柔らかに差し込んでいる。今日も一日いい天気になりそう、と朝日を反射して白く輝く図書館を横目に廊下を曲がった角の司書室の前には、既に先客がいた。
「司書! おっはよー!」
を見とめるなり片手をぶんぶんと振り上げて挨拶をしてきたのは助手を頼んでいる太宰だった。足早に部屋に向かいながら、いつもはもう少し遅く来るのに、と小さく驚きつつ会釈を返す。
「おはようございます、太宰先生。本日もよろしくお願いします」
カチャリと鍵を開けて司書室の戸を引く。部屋の主であるに先んじて中へ入った太宰はポーズを決めるようにくるりとに向き直ると、珍しく朗らかに笑った。
「この天才小説家、太宰治にどーんと任せとけって!」
「なー司書。まだ?」
「もう少しなんですが……。お先にお昼、行ってきてくださいね」
正午を知らせる鐘が鳴って十分と少し。朝の意気軒昂なさまはどこへやら、太宰は既にソファに伸びていた。
筆を持てばこの世に二つとない文学作品を生み出す天才小説家はしかし、錬金術に関してはもちろんからきしだった。アルケミストの助手としてはアカとアオの方がもちろん適任である。太宰を助手にするのはアルケミストとしてより、特務司書としての仕事に関している。
「まだ?」
「まだです」
「まだかー……」
はあ、と大きな溜息を落としてうなだれる太宰。その姿に結局、は苦笑してペンを置いた。
「キリのいいところまで来たので、休憩しましょう」
の言葉で途端に飛び起きる太宰に思わず笑みがこぼれる。今日は木曜日。食堂ではカツ丼が食べられるはずだ。
「そうこなくちゃな! 仕事に没頭するのはいいが、寝食を忘れるのはよくない!」
力強く言い切られて、引き気味に頷いた。文豪と称される彼らのことだ、生前は寝る間も食べる間も惜しんで作品を生み出すことも多々あったことだろう。
「今日の昼飯は何だった? 例の調味料、いる?」
感慨に耽る余裕もなく、矢継ぎ早に質問が飛んできて思考を諦める。
「カツ丼です。かけると美味しさが増しそうですね。私は結構です」
「わーかってないな、司書も。後でいるって言ってもやらねーからな」
幼い子供のように唇を尖らせる太宰を視界の隅に捉えながら机上を整理する。
やはり、精神は転生体の外見年齢に引き寄せられてしまうのだろうか、と頭の片隅でアルケミストとしての自分が冷静に分析をしていた。アルケミストの手により転生した文豪は一部を除き青年の姿である。太宰はその中でも比較的若い方だった。まるで、学生のような。
「……司書」
太宰の低い声にハッと顔を上げる。
「変な考え事してるでしょ」
射るようでいながら揺れている視線にどきり、とした。
「わかりますか」
「アルケミストの顔してた」
数拍の沈黙。
先に破ったのは太宰だった。板張りの床をコツリと踏みしめてに背を向ける。彼の羽織っている上着の裾が揺れるのがスローモーションのように見えた。
「これは独り言なんだけど」
彼がどのような表情をしているのか見えないが、声は柔らかい。
「俳人連中も言ってたようにさ、俺達の生きたいという願いを司書が叶えて現世に再び引っ張り上げてくれたんだよ。……そりゃ、生前の俺とは違うかもしれない。でもそれは、そうあれかしと俺が望んで転生したからだ」
部屋の一面を占める本棚の錬金術書を興味なさそうに辿りながら太宰は続ける。
「器となる体はアルケミストである司書が錬成したかもしれない。だが、魂は確かに俺のものだという実感がある」
静かな、けれどしっかりとした口調で彼は言い切った。それから少し考えるそぶりをして、を振り返った太宰はニッと唇の端を上げる。
「つまり、司書はあんまり深く考え込まなくていいってこと!」
「……なんですか、それ」
ばっさりと切り上げられた結論に、の口からは思った以上に間抜けな声が出た。その声音が気に食わなかったのか、彼の笑みはすっと引いた。
「あーだこーだ悩むのはさ、俺達の専売なんだよ。それで死にそうになったら司書がまた引っ張り上げてくれるって、――俺は信じてるから」
黄金色の双眸がを見据える。こくり、と肯く以外の返答はできなかった。
「そういうわけで、これからもよろしくな司書!」
言うだけ言ってバンバンとの肩を叩いてから、太宰は一人司書室を出て行ってしまった。遠ざかっていく、あー腹減ったーという声。これは昼食を食べてくるまでは戻らないだろう。
「なんですか、本当に……」
力が抜けたようにソファに腰を下ろしたは、両手で顔を覆わずにいられなかった。
文学を守るために有碍書へ潜書すれば、文豪達は酷く精神をすり減らして帰還することもある。耗弱した彼らの心身の補修もアルケミストの務めだが、特に太宰は自死を仄めかすような呟きをこぼすことが多い。心中を誘ってきたことさえ、一度や二度ではない。
だからこその言葉が、にはとても重たかった。
「貴方が生きたいと、少しでも思っていてくれるなら。私はアルケミストでよかった。本当にそう思います、太宰さん」
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2019/7/14
よしわたり