学校が終わって、部活を終えてヘトヘトになりながら帰宅していた。夕暮れ時、田舎道だから街灯もろくにない。黄昏時、「誰ぞ彼」といった古文の中の人たちは風雅だね。例え帰路のど真ん中にピンクのドアが唐突として出現していても、さらっと通り過ぎることができる。誰かも何かもわからないしね。
 だが、私の体はいかにも、なドアの取っ手に伸びていた。悪いけどそんなことしようだなんてちっとも考えてないから。脳かな、ニューロンかな、シナプスかな、とりあえず私の体を止めてくれ!
 悲しいかな、私の強固な意志は冷や汗となって顔と背中を垂れ落ちただけだった。何が嫌か。これはいわゆるドラえもんの最強アイテムの一つ(?)、「どこでもドア(仮)」じゃないか。マンガだからアレは許されるのであって、実際は理論すら不明だ。ココに居る自分が一瞬にして他の地へ移動する。力学は? 物理法則は? 質量保存は? 距離に応じて発生する時間はどこへ? そもそもアチラ側に出る自分は本当にワタシなのか? 全く原理のわからないものに手を出すな、とは母の言。でも助けてください、勝手に手が動くんです。
 さようなら、短い一生だったよ。神隠しにあって行方不明で捜索届が出されて、でも痕跡すら見つからず、山狩りや聞き込みが大規模に行われても結局見つからずに、最終的に空の棺桶に好きだったものや花だけが入れられて燃やされて、私は墓の下になるんだ。両親も兄弟もきっと泣くんだろうな。むすっとした父さんも、元気いっぱい口やかましい母さんも、ニートに片足突っ込みかけてる大学四年の兄ちゃんも、こ憎たらしい年頃の弟も。
 ごめんなさい、親不孝ばかりして。先立つことをお許しください。

 走馬灯の巡る中、無理やり開けさせられた扉は、やはり別のどこかに通じていた。踏んじばっている足も言うことを聞かないし、その扉の向こう側へと、私は移動していたのだった。




 死んだ、と思った。私はマンガのキャラクタじゃないし、どこでもドアやタケコプターの理論を考えて、実現不可能、と言い切ってしまうから。ああ、もっと楽しく長く生きたかったなあ。
「おい」
 お迎えっていい男が来るんだ。しかも美形、立派な鎧がキラキラと。戦乙女がよかったけど、私は勇敢に戦死したわけじゃないんだった。でも、眼福。
「おい、女。なにをぶつぶつ言っている。その扉はなんだ、急に現われて……、さては間者か!?」
「馬超殿、間者が堂々と広堂にぱっと出現するわけがないでしょう。どうせ会議も進まなくなっていたことですし、この女について訊きましょうか。その後ろの扉も」
 何人もの奇異の視線を一身に浴びて、私はガッチガチに固まっていた。ちょっと、脳の処理能力が追い付かない。ごめんなさい、そんな殺気のようなものをビリビリと向けないで。ごくごく普通の女子高生が一生のうちにそんな殺される気満々の状況に陥るなんて、あるかないかでいえば、ないよ。よっぽど身持ちが悪いやつじゃなければ、必ず体験することはない、と大声で言いたい。でも、動けない。向けられた気迫のせいで。
「話してくださいますね?」
 比較的警戒心の薄い、と思われる羽根の生えたうちわを持った人が有無を言わさない口調で私を見た。私だってサッサと説明して、どこでもドア(仮)を通って帰りたいよ。部活でヘトヘトで、しかも宿題やってないんだよ。譜面に目も通しておかないといけないし、女子高生は楽じゃないんだ。こんな変なトコロで、変な人たち相手に油を売っている暇は、はっきりいって、全然ない。
 でも、彼らは私の口から話し始めるまで目で殺すぞと言わんばかりに睨んでいるし、そんな風にやられると「私は蛇に睨まれた蛙」、という現状を表す最適の諺で持って応じるしかない。
 つまり、両者膠着状態。

 ようやく私の固まりっぷりをわかってくれたのか、うちわの兄さんは他の人たちに向かって言った。
「この者は今、ここへ突然出現しました。急に現われた扉、それを開けて。みなさまもご覧になったでしょう? 間者ではない。兵仗を持っている姿でもない。何より、みなさまの訝しんでいるだけの視線に動けなくなっています。――以上の点から、敵の者ではないと判じます」
「そうか。では孔明の意見を私は採ろう。他の者はどうだ? 怪しさは否定できぬ。異論ある者は、気にすることなく孔明に訊ねるといい。女子は怯えているようだからな、一度隣室に下がってもらおう。扉はどうするかな」
 段上の高座にいた男の人が困ったと顔中に表して、少ないアゴヒゲをなでた。両脇に控える巨人のような大男二人の髭はご立派だけど。どこでもドア(仮)なら、四次元ポケット(仮)がないと困る。でもきっとないんだろうな。
「すみません、ちょっと試してみてもいいですか?」
 一言断ってから、ドアノブを回す。ガチャガチャというだけで、開きもしない。一方通行ということか? まさか。次に引きずってみた。予想より軽く、まあ、障子より重いくらいだったから、ズルズルと移動させることはできる。ちょび髭のお兄さんと、うちわのお兄さんに、説明する。
「今は開かないみたいです。動かすことはできるみたいですけど。ちょっと話がややこしくなるので、隣の部屋でお話しすることまとめさせてもらっていいですか?」
 できる限り腰を低く、誠心誠意を見せるようにする。ごめんなさい、と床を見ていたら、うちわの兄さんの声が聞こえた。




「わかりました。では、話ができるようになったら戻ってきてください。それまで会議を進めておきましょうか、殿」
 俯いたままだからわからないけど、どうもうちわの兄さんがちょび髭兄さんをいじめているようだった。
「う、うむ……。時に、そこの女子、姓名は何と言う?」
 急に話を振らないでくださいよ。自分が逃げたいだけでしょうに。でもま、心優しい私は、顔も上げずに答えてあげた。
です」
「……聞いたことがないな。姓と名を別々に教えてくれぬか?」
 姓は苗字、名は名前でいいのかな。微妙な、違和感があった。ちらっと目線を上げる。
「姓が、名がです」
「ふむ、異民族なのだろうな。衣裳も異なっていることだ、何か我らの持たぬ技術を知っているかもしれんな」
 あごに手を当てて考えているようだったけど、やっぱりちょび髭をいじっているようにしか見えない。隣の素敵なロング鬚のおいちゃんや、ピンピンした髭のおいちゃんと比べてしまってごめんなさい。
「では、。その扉を持って別室へ行きなさい。そうですね、馬超殿。貴方が居ると会議が進みません、もとい最初に声を掛けた、ということで彼女の監視と話し相手をお願いします」
 うちわの兄さんって辛辣だね。キンピカ兄ちゃんのテンションがダダ上がりになってしまった。
「諸葛亮殿! いくらなんでもそれはひどいではないか! 俺とて蜀の為にと献策している! それがなぜこんな女の哨兵をせねばならんのだ! 兵卒にやらせておけばいいだろう!」
 すごくうるさい。ギャンギャン騒ぐな、犬じゃないんだからと言ってやりたい。でも、それはうちわ兄さんの役目だった。
「馬超殿。貴方がいちいち人の話に正義がない、間違っていると口を挟むせいで会議は大幅に遅れています。正義は結構。ですが、時と場合を考えてこその正義と知りなさい」
「くっ……!」
 反論できなくなったキンピカ兄ちゃんは涙目になりながらどこでもドアを引っ張って行こうとした、けど、動かなかった。
「おまえ、怪力か? この重さ、尋常ではないぞ」
「え? 障子より軽いドアですけど」
 ここでまた、うちわ兄さんがきれいに内角をえぐるような突っ込みをくれた。
「扉はに運んでもらいましょう。不可解な事が多すぎます。会議が終了次第、この場の武将全員の前で説明をしてもらうことになるので、理路整然と話をまとめ、いかなる質問にも応じられるようにしておいてください。馬超殿、隣室へ」
「わかった。こい、女」
 ぶすっと、美形がもったいないくらいの不機嫌そのものの顔をして、キンピカ兄ちゃんは先に大広間らしき出口へ歩きだした。その後を、私にとっては軽い扉を引っ張りながらついていく。一度振り返って、うちわ兄さんとちょび髭兄さんに頭を下げた。ちょび髭兄さんが優しそうに笑ってくれて、少しほっとした。



 大広間らしき部屋から出て、隣の小さな小部屋に移された。なんかおかしいと思っていたんだ。諸葛亮とか孔明とか馬超とか。しかも、見たことあるよ、このキンピカ兄ちゃん。
 言ってもいいかな。
 真・三國無双シリーズでしょ。
 兄弟と一緒によくやってたんだよね、コレ。不機嫌そのもの、でどっかり長椅子に座ったキンピカ兄ちゃんは話を振ってこようともしない。
 つまり、下校途中に突如としてどこでもドア(仮)に引き込まれて、私は異次元どころか、亜空間? 完全にゲームそのものの世界に入り込んでしまった。現世を往来するだけならいい、だけど、ここは現実世界じゃない。ゲームの世界だ。あり得ない。
 その上、さっきから何度もドアノブをガチャガチャしてるけど、ドアを蹴りもしたけど、うんともすんとも言わない。消えてないってことはいつか開くのかもしれない。だから淡く期待をしておこう。そしてこのドア、他人にはどうにもできないらしい。さっきのキンピカ兄ちゃんを信じるなら。
「ああもう、早く帰ってご飯食べて宿題して譜面読みもしないといけないってのに!」
 さすがの私もいい加減にしてほしいと思った。ドアをがっつんと蹴り飛ばして、キンピカ兄ちゃんの向かいに座る。カバンやその他、帰宅途中に持っていたものを隣に置いて。キンピカ兄ちゃんがちょっとびくっとしたけど、気にするものか。先に譜面だけ目を通さないと、明日いきなり合わせがあるんだよ。
と言ったか。それはなんだ?」
 どうしてこういう、人が集中したい時に興味津々の声を出すのかね。空気を読んでもらいたい。むかっとして顔を上げたら、美形の兄ちゃんは目をキラキラさせていた。
「これは楽譜、私のパートはTrp. 2nd。ま、わかんないでしょけど。楽器、見ます?」
「楽器? 音が出るのか? こんな線にちょろちょろと点やわけのわからん印があるものを見て?」
 キンピカ兄ちゃんは非常に興味を持ってくれたらしい。ちょっとだけ得意げに、ペットのケースから、愛用のそれを出した。マッピを慣らし、バルブの確認、オイルの調子を見る。うん、いつものとおりいい感じだ。音が出ることに興奮したのかそわそわとこっちを見てくるキンピカ兄ちゃんに軽く頭を下げて、笑う。
「では、トランペットだけで悪いんですけど。スーザのワシントン・ポストをば」
 すうう、と息を吸う。音を出すためにいつもはバリバリに鳴らす曲だけど、今は音色に気をつけながら、けれどテンポよく音を出す。楽譜がなくても余裕。木管部分も柔らかな音で再現する。この曲は本当にスーザが吹奏楽の為に書いたんだろうな、と脳内に響くパーカスや低音金管、木管の音に悔しくなった。一人で吹いても味気ないんだ。
 二分半、行進曲を演奏し終えて、ペコリと頭を下げた。キンピカ兄ちゃんはひどく驚いた顔で私を見ている。なんなのさ、今は感傷に浸りたいんだけど。
「素晴らしい! 俺は感動したぞ! その小さなトラなんとか、だけで様々な音色が出せるのだな! 城に上がる妓女や楽師にも負けんぞ!」
「ありがとです。でも、ほんとはもっと大勢で、いろんな楽器でするんですよ、合奏っていうんだけど」
「ほう、それはできないのか?」
 聞いてみたいな、と楽しげに笑う姿なんて、ゲームでは見たことない。この人、生きているんだ。なんだか非常に複雑な気分だ。俯いて、ゆるりと頭を振った。
「できませんよ、楽器も人もいないし、何より私が帰れないもん」
「……そうか。残念だ。今の他にも何かできるものはあるか? できれば、一人でできるものがいい」
 美人さんはキンピカでもお得だね。つい、ほっぺたが赤くなってしまった。真剣に、私の演奏を所望するものだから、仕方なしに苦笑した。

「じゃ、あんま得意じゃないけど、ジャズを。”Fly Me to the Moon”」
 フランク・シナトラがカバーしたんだっけ。基本はピアノとヴォーカルだけど、ペットも悪くないと、私は思うよ。ま、エヴァのせいで女性ヴォーカルのが好きだけどね。そんな事を思いながら、「私を、月に連れてって……」とばかりに情緒たっぷりと吹き終えた。三分半、好きな曲だからって練習しておいてよかったな。
「ご静聴ありがとうございました」
 またペコリと頭をさげると、キンキラの美青年はぼうっとしていた。やっぱり理解できなかったかな、ジャズなんて。
「いいものを聴かせてもらった。感謝する。諸葛亮殿や劉備殿には俺が頼み込んでおまえが扉の向こうに帰れるまでなんとかしてやる! だから、その音を、おまえの音色を他にも聴かせてくれ。激しくも優しい、美しい音だな。戦場にない時は、俺に教えてくれるとありがたい」
 ちょっと目を恥ずかしげにさまよわせながら、キンピカ兄ちゃんはそう言った。つられて真っ赤になる私。なんだこれは、告白ですか? 完全に告白だろう。ほっぺが赤いよ、お兄さん。
「俺は馬孟起。名は超という。、と呼べばいいか?」
「ああ、えっと、でかまいませんけど。馬、将軍、ってお偉いさんなんじゃないんですか?」
「だから、どうとでもできる!」
「職権乱用っていうんじゃないんですか?」
 トランペットが取り持ってくれた馬孟起さんとの仲。帰るのが惜しくなってきたぞ。恰好いい美丈夫にこうやって言われると誰だってときめいちゃうよ。ゲームの中でも人って息をしているんだね。生きているんだ。

 でも、私にとってこれは、異次元か亜空間。現実には深い隔たりがあって、そこはこことは違う世界を持っている。――そこへ、還らなくちゃ。
 馬孟起さんがトランペットの音だけ出せるようになったら帰ろう、そう決めて私はとりあえず彼に予備のマウスピースを渡した。

 少しだけ、彼――プスープスー、と音が出ないマウスピースに顔を真っ赤にさせて挑んでいる馬孟起さん――、から視線を逸らせて。









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2008/06/01
よしわたり



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