帰りにウチに寄ってくださいね、と陸遜からメールが入ったのは昼休みも終わろうかという時間だった。りょーかい、といつものとおりに適当な返信をして、は友人達と次の講義の教室へと歩いていった。
遡る事数時間、午前十時。陸遜と馬超が堂々と自主休校をし、マンションの一室――陸遜の借りている部屋で、テーブルを挟んで向かい合っていた。
朝から捕まえられて勝手に連れて来られた馬超の機嫌はすこぶるよろしくない。だが、陸遜もそれを全く気にしない。少々険悪な空気が二人の間には漂っていた。
「陸遜、急に呼び立てて何の用だ」
「馬超殿、今日が何の日か忘れたわけではありませんよね」
「十月三十一日……。はて、特に思い当たるものはないが」
首を傾げ、サッパリ判らん、といった表情を浮かべた馬超に、陸遜は深い溜息を落とした。
「……だからあなたはいつもいつも告白されてはすぐ振られるんですよ! 莫迦ですか!」
「ば、バカとはなんだ! それなら今日は何の日だ!」
ダン、とテーブルを叩いた馬超をキッと睨み上げ、陸遜は呆れたように手許の紙袋を重そうに持ち上げた。
「ハロウィン」
「ああ、そういえばここのところジャック・オ・ランタンやら何やらをよく見かけていたな」
怒気などすっかり抜け切って、ポン、と手を打つ様は見ていて腹が立つ、と思いつつも陸遜は引きつらないように笑顔を努めて作り上げた。
「そういうわけで、を呼んでハロウィンパーティをしようかと。小道具は買っておきましたから請求書」
ス、とテーブルに滑らされた紙切れに、馬超が視線を落し。
「ちょっと待て! 何だこの内訳は! ほとんど俺持ちになってるぞ!」
再び怒りを湛えた馬超に、陸遜は清々しい笑顔で応じた。
「私が立案、準備を全部しましたからね。馬超殿は何もしていないじゃないですか。そしてはゲスト。何かご不満でも?」
「そういうことなら先に言っておけ! それなら、」
「よく言えますね。以前のサプライズパーティの時も同じ事を言い、あなたはその事をすっかり忘れてけろりとして当日現れました。それからどれだけ私が東奔西走したか、まさかお忘れではないですよね?」
ニコニコと笑いながらも、声音は低い。馬超の言葉を遮って、そう言い終えてから、もう一度確認するように、いや、脅すように請求書を、つと指差した。
「内訳に不満はないでしょう?」
「……ない」
ぐっと眉間に皺寄せつつも、陸遜の言葉は真実であるので反論はままならない。馬超は渋々、財布から記された金額を陸遜へと手渡した。
「はい、ありがとうございます。では、少々の飾り付けと食事の用意、仮装の仕度でもしましょうか。には私から昼過ぎにメールしますので、余計な事をしないよう。わかりましたね、馬超殿」
金額を確認した陸遜が、一変して爽やかな声を上げる。二度と逆らえないな、と馬超は内心悔しがりつつも、澄ました顔で立ち上がった。
「了解した」
、陸遜、馬超は幼馴染の仲だ。年齢が少しずつ違っているが近所に住んでいたのだった。他にも何人かの子供達は居たのだが、一緒に遊んでいた中で三人は最も仲が良かった。
馬が合うというのだろうか、最年長の癖に無茶ばかりしている馬超、それに続こうとする、最年少にもかかわらず、年上の二人を抑える陸遜。いつの間にか三人の立ち位置は確立していた。子供にあまり年齢は関係ないが、それでも学年が一つずつ違う。
馬超が小学校を一番に卒業したときには自分も卒業するのだ、と泣き喚くに羨ましいだろうとからかう馬超、を宥めて馬超に怒る陸遜。そんな姿が見られたものだ。
中学、高校と三人は同じ所へ通いはしたが、馬超の大学進学にあたって、初めて本当の別離を味わう事となった。見送りの際に笑っていってらっしゃいと言い、もう泣き喚く事はしなかった。だが、その片手はきつく陸遜の手を握り締めていた。馬超も見て見ぬ振りをし、二人の肩を抱いて、いってくる、と笑顔で別れたのだった。
ところが、翌年にはが、その次の年には陸遜が、馬超の通う大学へと進学してきたのだ。あの感動の別れは何だったのだと呆れ半分、また三人で居られると嬉しさ半分で馬超はそれを迎え、結局、幼馴染三人は今も近所付き合いを続けている。
時には飢えた馬超がのアパートの前に落ちていたり、バイト先でもらったまかないを持ってが陸遜の部屋を訪れたり、女の子にストーキングされた陸遜が馬超の部屋の合鍵をこっそり作っておいて避難場所兼霍乱に利用したり。
三人はいつも一緒。がどちらかに恋をすることもなければ、馬超と陸遜も同様だった。恋愛よりも深い、家族の情――親愛――で結ばれている。だから、明け透けもなく恋愛相談はするし、説教もしたりする。兄弟よりも話しやすい仲ゆえに、たまにではあるけれども、そういった話をする事もあった。さすがに、は酔いに任せて聞く事が多いのだが。
つまるところ、成長しても仲の良い、珍しい三人だということ。
午後六時を少し回った頃、ピンポン、と陸遜の部屋に来客を告げるフォンが鳴った。あ、と動きを止めた陸遜が慌てて通話ボタンを押しに行く。馬超は寝室で着替えの最中だ。
「陸遜、来たよ〜」
「おかえりなさい、。今開けますね」
「お願い」
陸遜が住んでいるマンションはオートロックにセキュリティも万全、用のある住人にコールし、許可を得てはじめてマンション玄関のドアのロックが外れるタイプ。の到着を受けて、陸遜は手許のパネルを操作してロックを解除した。
と、寝室のドアが開き、ハハッと笑いながら馬超が出てきた。衣裳を着替えた彼は、威風堂々たる吸血鬼、ドラキュラ伯爵となっていた。
「陸遜! 来たんだろ? いきなり脅かしても怒られぬだろうか」
歯を見せて笑えば、八重歯に被せた牙が下唇に当たっていた。美青年な馬超がそうしていると本物のヴァンパイア――実在はしないけれども、映画でよくあるそれ――に見えなくもなかった。
「怒るに決まっているでしょう? あなたは昔からそうやって考えなしに行動するのが欠点だと何度言っても判らないようですね」
溜息を吐いた陸遜は、満州族の衣服に帽子、額には呪符が掛かっている。鬱陶しそうに時折持ち上げるものの、落ちてくるのは仕方がない。彼の姿はキョンシー、一昔前に流行った映画で有名になった中国のゾンビだ。色白の陸遜は衣裳だけでも充分キョンシーに見えるのに、わざわざ目の周りをアイライナーで黒く縁取るほどの気の入れようだ。
室内も照明を落とし、部屋のドアを入ってすぐのところには、本物のカボチャをくり抜いて作られたジャック・オ・ランタンの眼窩から蝋燭の火が揺れている。薄明かりに黒とオレンジで彩られた部屋は少々おどろおどろしいが、そのくらいが丁度よいのだ。
ハロウィンは、ケルトの宗教で新年を迎える行事が元だといい、死者の国からの客に連れて行かれないようにと彼らに紛れようと化け物に扮したのがそもそもの始まりだとも聞く。しかし、アメリカへ渡った移民の間で明るいパーティとなり、近年になって日本に入ってきたのはそのアメリカ流のハロウィンだ。
お菓子が出回り、仮装も可愛らしいものが好まれるし、大人も雰囲気を楽しむ。とはいえ、“Trick or Treat!”、のお決まりの文句はあれど、お菓子をくれなかった家に卵やカラーボールを投げるようないたずらは行われない。クリスマスやバレンタインが日本の風習と溶け合ったように、ハロウィンも溶け入りつつあるらしい。
「りくそーん」
コンコン、とドアを叩く音との声がした。彼女はドアフォンを鳴らさない。カメラに映るのが嫌だから、と何があっても鳴らそうとしない。ドアを叩いて声を掛けて、それでもダメなら陸遜の携帯に電話する。そこまで嫌がる事もないと思うけれど、女心は複雑なんだから、と決して譲歩しない。
そんな彼女の可笑しな拘りに、くすくすと笑いながら、陸遜はドアを開けると同時に飛び出した。
「ハッピーハロウィン!」
「う、わ! 陸遜!?」
驚きに、ぱちぱちと瞬く。ふふ、と陸遜は薄く微笑む。
「トリックオアトリート?」
ひらり、額に掛かった呪符を揺らすようにへと顔を近づければ、満面の笑みが返ってきた。
「ふっふ! そんなことだろうと思った! クッキー焼いてきたの。昨日のだからちょっと油が回って味が変わっちゃってるかもしれないけど、ごめんね。手作り、ってことで許して!」
かさり、とが持ち上げた紙袋には、透明な小袋に分けられた二色のクッキーと、その下にピッタリとはまった箱があった。
「の手作りならいたずらなんてしませんよ。さあ、入ってください。パーティの準備は終わってます」
「おじゃましまーす」
奇麗に笑うキョンシーに突っ込みながら、は勧められるままに部屋に上がる。すると、馬超が仁王立ちでを待っていた。どこでどうやったのか知らないが、口内を真っ赤にして牙を見せつけるように叫んだ。
「トリックオアトリート!」
「はーい、お菓子です。馬超カッコいいね〜!」
ふっふ、と陸遜に向けたのと同じ笑みを浮かべて紙袋を目の前にした。くう、と馬超が項垂れた。が、すぐにの後ろに立っている陸遜に向かって怒鳴りあげた。
「陸遜! おまえ人に言っておいて自分はやりやがったな! 正義に反するぞ!」
「あなたと私は違いますから。馬超殿があまりに驚かせて、が怒って帰ってしまっては困りますからね。さ、、夕食です。ハロウィンなのでカブとカボチャ、それに秋の旬ものにこだわりました。デザートもちゃんとありますよ」
「やった、陸遜の手作りって久しぶり! おいしいもんね、馬超!」
「ああ! つま、あ、味見をしたが本当に美味かったぞ!」
「……馬超殿?」
なんだかんだと言いつつも、三人は笑いながら湯気の立つ料理の並べられたテーブルについた。
「りくそーん、おかわりっ!」
「ほら、この時期限定醸造のビールだ、グイっといけグイっと!」
「ありがと、馬超! っあー! おいしー!」
「こら。二人ともあまり飲まないでくださいよ? 戻したら容赦なく外に捨てますからね!」
「わかっているとも! 俺もおかわりだ!」
「はいはい、そこに置いてあるのはなんですか」
「おお! 気付かなかったぞ、すまん!」
出来上がった二人を横目に、陸遜は微苦笑する。陸遜の部屋で彼の料理を食べる事が出来るのはこの二人だけ。三人の暗黙の了解だ、他人は決して立ち入れない、立ち入らせない。成人しても三人でいるのが心地いい。
シチューにキッシュ、サラダや肉料理。所狭しと並べられていたそれらは減っては足され、を繰り返していた。その途中で、陸遜がふと、思い出した、とを見て目を見開いた。
「そういえばの衣裳も用意してたんですよ。私としたことが、忘れてました」
「うそ、それ早く言ってよ陸遜! どこ? どれ?」
飲みかけだったビールを一気にあおり、陸遜に赤らんだ顔を緩めて問い質す。酒臭いですよ、と追い払いながらも、陸遜は紙包みを持って来て手渡した。
「これです。寝室で着替えてきてくださいね。……吐いたら怒りますから」
「りょーかい! じゃ、いってきま〜す」
ふっふ、と嬉しそうに紙包みを胸に抱えて、が寝室へと入って鍵を掛けた。
こそ、と馬超が陸遜に耳打ちする。
「どんな衣裳なんだ? エロいか?」
む、と眉を寄せる陸遜。だけでなく、馬超も酔っている。ヘラヘラとだらしのない顔で寝室のドアをぼんやりと見ていた。
「馬超殿、私達の姿は正統なハロウィンの衣裳ではないですか。なぜだけ別だと?」
「それもそうだな。しかし、クリスマスにはミニスカートのサンタクロースがいるんだぞ、ないと言い切ることはできん」
「風呂場で頭から水を被ってきてくれますか? 非常に不愉快です」
ヘヘ、といやらしげに笑う馬超を、陸遜がまたも清々しい笑顔で、今度は額をしっかりと叩いた。うお、と仰向けにカーペットの上に馬超が倒れた後、カチリと静かな音がして寝室のドアが開いた。
「お待たせ。陸遜、すごいね〜! ピッタリだよ」
照れたように微笑みながら出てきたは、全身真っ黒のロングワンピースに身を包み、くるりとスカートを摘んで一回りしてみせた。
「よくお似合いですよ、。はい、魔女の帽子」
転んだ馬超をそのままに陸遜は立ち上がると、テレビに掛けてあった黒いとんがり帽子をへと被せた。
「わ、それ飾りじゃなくて私が被るやつだったんだ! ありがと! ばちょー、寝てないでちょっと見てよ!」
ツンツン、と爪先でが馬超を突付く。勢いよく上半身を起こした馬超は、ぶるりと一度頭を振ると、にかっと笑った。
「おお、魔女か! 何か魔法を使ってみてくれ!」
「オッケー! ちょっと二人とも目つむって?」
「承知した!」
「はい」
大人しく目を閉じた二人を前に、は自分が持ってきた紙袋からクッキーを取り出す。カサカサとナイロンの音がして、クッキーですね、と陸遜がくすくすと笑う。おお、と馬超もつられて笑む。それから、そっとは底の箱をテーブルの上に取り出した。静かにその蓋を開ける。
「馬超、陸遜。魔法をかけたよ。目、開けて?」
の言葉に二人の目が開かれる。そこにあったのは、ふうわりと丸い形をした、オレンジ色のシフォンケーキだった。きちんと悪戯っぽい顔も描かれている。
「……すごいですね」
「ああ、食べるのがもったいない」
率直な反応をした陸遜と馬超。しばらく無言でそれを見つめる。二人はの魔法にすっかりかかってしまっていた。幸せそうに二人へ礼を言う。
「えへへ、ありがと。クッキーも自作だけど、これもがんばってみました! 魔法みたいでしょ」
「みたい、ではなくて、魔法ですよ」
「このようなケーキ、魔法以外でどうやって作るというんだ? 」
二人の言葉に、はしばし呆気に取られ、そして本当に嬉しそうに声を出して笑った。
「そうだった! わたし魔女だもんね、魔法使って作りました! さあさ、デザートに食べよ。味はもちろんカボチャね」
馬超がそれぞれのグラスになみなみとビールを注ぎ、陸遜が魔法のケーキを丁寧にテーブルの端に飾り、はニコニコと料理を取り分ける。三人のグラスと皿さえもが魔法にかかったようにパーティの始めに戻ったようだった。
変わったのは、吸血鬼とキョンシーに魔女が魔法を掛けた事。
「それでは、もう一度!」
馬超の掛け声に、三人はグラスをカチン、と合わせて笑い合った。
「ハッピーハロウィン!」
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2008/11/01, 2009/10/29
去年のハロウィンにある方へお贈りしたもの。そのままです。え、エコ!
自分でも結構気に入っているので眠らせておくのがもったいなくて……。季節ものは時期を逃すとアレですから……。
よしわたり