福山城 2010/03/15(月)
福山駅の目と鼻の先にお城があります。その名も福山城。近世の城郭建築の完成形と賞賛の声高かったそうですが、戦火に焼失して現在は鉄筋コンクリートです。
別名を久松城・葦陽(いよう)城といい、譜代大名水野勝成によって築城されました。小高い山の上に本丸があり、それを囲むように二の丸、三の丸と築かれる輪郭式平山城で、天守は五層六階の複合天守だそうです。あとからそういうことを知るとまたじっくり見に行きたくなります。
とりあえず登っていきましょう。
停まっていた軽トラの運転手がかわいい。
駅や道路があって現在の純粋なお城としての敷地は狭め。見上げればすぐ天守。
傾斜も緩いし道も整備されていて楽ちんです。
苔むした石垣、ツタの絡まる白壁、規則的に並んだ狭間、奥に見える櫓……。いいよいいよー!
復元された湯殿。こちらは木造です。
湯殿前から見た天守。
本丸には城主が住まう本丸御殿があったそうです。その後三の丸に新しい御殿が造られたそうですが。今は石碑が立っているだけ。
鐘櫓。お城には太鼓の方が一般的だと思いますが、福山城は鐘だったようです。今は自動装置で決まった時間に鐘がなるそうです。
ばばーん!
右側に櫓が付随している複合式の天守です。塔のように各階を貫く通し柱がある造りの層塔型で、上へいくごとに小さくなるので見た目にすっきりしていると思います。
この日は入れませんでしたが、17日に入りました。たくさんの甲冑が展示してあって一人大盛り上がりしながらじっくり矯めつ眇めつしてきました。まだ準備中ということで目録はなく、それが残念でなりません。変わり兜もたくさんあって生で見るのは初めての形ばっかりで満足でした。
京都の伏見城が解体された際に移築され、現在も残っているのが伏見櫓と筋鉄御門です。
筋鉄御門はその名の通り扉や柱に鉄を打ち付けた堅固な造りの門です。八双金物、でっぱった乳金具で扉と柱は装飾されています。乳金具は要するにおっぱいの形。二階部分は白漆喰で塗り固められてきりっとした感じがよいですなあ。
伏見櫓の方は簡素だけどこれだけで天守になりそうな望楼型の建物です。望楼型は入母屋造りの上に望楼部を乗せた構造で初期の天守に多いとか。
現存の櫓ではかなり古い方に入るそうです。どっしりしていて見事。
これは何門だ……。もはや記憶の彼方です。梁がいかしてる!
二の丸に下りて撮ったものですが、形状から見て伏見櫓かな。多分。
なにはともあれ漆喰が白くて美しいし石垣の勾配も美しいと思いませんか!
これは何櫓だ……。
ここに写っている男性こそが私に石垣の素晴らしさを説いてくれた石垣おじさんである。ほぼ毎日のように福山城の石垣を見に来ているのだそう。この日は小雨が降っていたのですが、雨にぬれることで表面の凹凸がはっきりして今まで気付かなかった印が見えてきたりと日によって見え方が違ってくるそうで見ていて飽きないとか。
石垣についていろいろご教授いただいたおかげで今ではすっかり私も石垣の虜です。
福山城の石垣は打込はぎといって、自然石を積む野面積み、方形に成形した石を積む切込はぎの中間です。石の形が不ぞろいながらも表面はあまりでこぼこしていないのが特徴といえます。
比較対照用に丸亀城の石垣も。こちらは切込はぎ。ほぼ同じ大きさの石で積まれています。いやあ丸亀城の石垣は世界一だね!
石を切り出してきた跡がくっきりと。
石には時々印が彫られていることがあって、産出地や切り出し・加工・運搬などに関わった人について記されているのではないか、と石垣おじさんは言っていました。ただ、こういうものは資料が残っていないのではっきりしたことはわからないそうです。
一枚目は丸に井の字、二枚目は菱に十字がはっきり。三、四枚目はちょっと中の文字がはっきりしませんが丸で囲まれています。
本当に駅目の前なんですって。新幹線のホームがすぐそこ。
天守からも駅がよく見えます。
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2011/12/20
天王屋よしわたり