がっつり武家屋敷 2010/05/05(水)


武家屋敷入口。提灯の紋は九曜でこの屋敷に住んだ武士の一人、塩見小兵衛の家紋です。


長屋門をくぐっておじゃまします。
裏手に山を抱えていて、めちゃくちゃ広いです。ここは六百石程度の中級武士の家。塩見縄手一帯はこんな感じの屋敷が並んでいたそうで今でもその面影を残す通りと家々が連なっています。小泉八雲旧居は小さいですがそのうちの一つ。


入ってすぐ左手に盛り砂というものが。説明版によると、「日本刀は普段使わない状態ではよく切れないことがあるので、一大事がおこった場合この砂に数回切りつけてすぐに実戦に使用できるようにするため、武家屋敷の門から玄関までの内には必ず設けてあったといわれている」。簡易砥石のようなものですね。


南向きの玄関から時計回りに外周を巡っていきます。室内の写真が時々ものすごくブレますが、ご了承ください。これからはもっと腕を上げるよう尽力します。
まずは玄関。といっても玄関は二つあります。公私できっちり別けられているのです。公には左側の式台玄関を使い、私には右側の内玄関を使う。
客は式台玄関で足盥を使って汚れを落としてから次の間へ。わかりづらいですが、屏風の裏に武者隠という空間があります。その名の通り人が隠れるためのものです。欄間には長得物がいくつも。


右側の内玄関の間の屏風一曲、これは松江城を描いたものでしょうか。正面奥には神棚があります。屏風に隠された先は奥方居間、右手は台所に続いていて、こちらから奥が家族の生活スペースになります。


姫駕籠は実際に使用されたもののようです。
駕籠の乗り心地は実際どのようなものか。一度、こんぴらさんででも試してみたいと思います。早駕籠は慣れないとゲロを吐いてしまうくらい最悪のようですが。


十畳の座敷には武士の日常が再現されています。表はこのように公事で用いられます。
秋山家にもありましたが、武家には甲冑が飾ってあるのが当然? 有事にはこれを着て「すわ一大事!」と飛び出すの? それともお飾り?


床の間は現代の一般家庭にも普通に見かけられるので名前は知っていましたが、左のスペースは見たことはあっても何というのか……と思っていたらパンフに床脇と書いてありました。まんまじゃないか。天井付近の収納棚は袋戸棚だそうです。奥の障子がはまっているところは書院。室町時代中期に成立した建築様式で書院造というのは、この書院を備えているものを指すようです。
床には香炉が、床脇には屏風があって、このくらいの風流は中級武士でもごく一般的なようです。


座敷から塩見縄手側に見える庭。一枚目の左端、切れかかってますが木の影に物見窓があります。


西の隅、雪隠。おトイレのことですな。
開けられませんが、ぼっとん便所のはず。手水鉢周りも粋です。



ぐるっと裏へ回ります。隣の家と接している狭い空間(とはいえ、それなりに広い)にも青々とした植木が。三枚目のモミジは個人的に会心作です。



裏は私生活の空間に。屋敷の北西から一枚。順路通りに行くので、右から家族部屋、当主居間、奥方居間、角を曲がって小間になります。
それぞれの部屋は隣接していて襖か壁で仕切られているので、屋内に今でいう廊下はなく、濡れ縁がそれにあたります。時代もののドラマを見る限りでは、大名屋敷や旗本屋敷くらいになると屋内にも廊下があるようです。しかも全面畳敷き。すげえ。
ここで北東に向いて撮ると二枚目に。整えられた白砂利の庭が途切れた先からは山が広がっています。


一番端は家族部屋。これでも六畳あります。まくらと玩具(江戸末期)が置かれているから子供部屋でしょうか。


屋敷のほぼ真ん中に位置する当主居間は八畳。調度品もあって生活感があります。


せっかくなので調度品をひとつずつ見ていきましょう。
まずは床、床脇。床には龍を描いた掛け軸があり、大小を置いた刀掛台の装飾は螺鈿と蒔絵ですかねえ。いい仕事してますねえ。真贋知りませんけど。刀たんすと書いてあるんですが、どれのことかわかりません。パンフレットによると「上中級武士はこの中に刀剣を多く蔵し、事あるときに家来にもたせるために備えた」とのことなので、全部そうなの?



左から莨盆(たばこぼん)、獅噛(しかみ)火鉢、手前から文箱、読書台?、脇息。
獅噛火鉢とは旺文社古語辞典によると「三脚の足に獅子の面の飾りのある金属の丸火鉢」とのこと。たしかに。どれもこれもささいな部分のデザインが凝っていて素敵。


熨斗目(のしめ)着物。
「『練り貫(ぬき)』の一種。練り糸を縦に、生糸を横にして織った絹布。また、それを用いて無地で、袖と腰、あるいは腰だけに縞が織り出してある衣服。江戸時代、武家の礼服に用いた」(同上)。ガラスが反射してわかりにくいですが、腰のあたりに白く二本の縞があります。帯の模様は残念ながら拡大してもはっきりせず。


文机、文箱、行灯。
文道具の年季の入り方にきゅんきゅんしますな……! 行灯については後ほどじっくりやります。


一番東に奥方居間、ここも六畳です。女の人らしい調度品が置かれています。


お歯黒道具と手鏡。
お歯黒の材料ややり方は知りたくないので追求しません。鉄漿、と変換されてなんとなく推測できたのが嫌だ。漢字ってこれだから……。


武家たんす各種。
側面に取っ手があるのは嫁入り道具だから? ぱっと見て普通のタンスとの違いは、引き出しだけでなく観音開きや引き戸の収納があること、鍵が付いていること、角を金属で補強してあったり蝶番が大型だったりと耐久性を考慮されていること、など。鞆の浦の太田家住宅でみた用途不明の漆塗りの大きな箱を思い出します。


裁縫箱。


着物と帯。留袖なのか小袖なのか、はたまた打ち掛けなのか……。不勉強でスイマセン。
着物の図柄が松竹梅に流水、裏地が朱色なので晴れ着でしょうか。こちらも帯の模様が不明瞭です。
さっきから絶対にガラスケースの正面から撮っていないのは自分の姿がきれいに写り込んでいたからです。着物に足が生えているのである。


次行きまーす。
縁側はここまでの三畳の小間。障子越しに仏間があります。この道具は何のためにどうやって使うんだろう……。


茶の間がありました。松江は特に茶の湯が盛んだったので住空間の一部に溶け込んでいるんでしょうね。


屋敷の一番北の端にある二畳小間。配置を忘れてしまって短い廊下が茶室のにじり口側にあたるのか庭側にあたるのかわかりません。おそらく庭側なんだろうと思いますが、そう考えるにじり口が仏壇の下になってしまう……。
ここにも武家たんすが。金具のデザインがかわいいです。アンティークの李朝たんすを個人所有しているのですが、どこか通じるところがあります。


幼少期と晩年をここで過ごした滝川亀太郎資言(すけのぶ)を記念する石碑。慶応元年生まれの昭和二十一年逝去で江戸から昭和までの四時代を生きた文学者だそうで。
こんな建物が昭和の頃は民家として使われていたことが驚きです。


東側にまわって仏間です。奥が西、小間越しに当主居間の掛け軸がちらっと見えています。仏壇を設置するのではなく張り出した小さい空間を使っているのが独特。仏壇自体は昔からあったはずなんですが。


今でいうところの収納庫、納戸です。いろんなものがありますね!
障子の向こうは奥方居間なので、実際に住んでいた時はたんすを置かずにそちらからも出入りしていたのかもしれません。


分銅秤、石臼、けんど(粉をおろすもの・ふるい)、座車(糸を木枠に巻き取るもの)、箕(み・穀物のゴミをのける)、たんすに大小の箱。


7

鴨居の上にはいろんな形の入れ物が。何に使うものなんでしょうか。



長四畳は内玄関から納戸と台所にそれぞれつながっています。左手が台所で、柱の位置を覚えておくと台所から見た時の位置関係が分かりやすくなります。お膳がある。


湯殿でございまーす。お湯は別の場所で沸かして湯桶に汲む仕組みのよう。直火で沸かした熱々のお風呂につかって極楽極楽〜というのはないんですね……。


長四畳の真東、湯殿と台所にほど近い場所に井戸はあります。ちゃんと釣る瓶もあって今でも使えそう。


井戸から東には北側と同じように白砂利を敷いて岩を配した庭が広がり、奥の階段を登った先には裏門があります。


最後に台所を覗いてきましょう。今までで一番力が入っていますがなぜなら私が炊事場好きなんだ!
いきなり甕が半分埋まっていて何事かとお思いでしょうが、これは後で非常に理に適っている事が判明するのである!


土間に上がります。水甕に杵と臼。木臼は使いこまれた感じがいい。吊り棚には焼き物が並んでいます。私は右端のが好きかな。



台所の板敷き部分。障子の向こうが長四畳、その奥の納戸、小間、茶の間まで丸見え。


竹すのこが敷いてある部分が流し台のある方に少し出っ張っています。流し台は外と同じく大きめの砂利を敷いた土間に設えてあります。
右に半分だけの水甕がありますね。これがさっき外から見たのと同じものです。井戸がすぐ傍にあります。中で支度している時にわざわざ外に汲みに出るのはめんどくさい→甕を内外どちらからも使えるようにして、外に出た時に足しておけば調理中に水がなくなって汲みに出る必要なくね!? という楽したい精神からきたものではないかと思います。


ハイパー炊事道具タイム始まるよー。



今でこそ食卓を使っていますが、二昔前までは日常にお膳を使っていました。手前二つが祝膳。一番奥のが箱膳。


いろんな形の飯櫃があります。


一枚目は水屋。残り物なんかを入れておく、今の冷蔵庫のようなものです。サザエさんやドラえもんなんかで、カツオやのび太が一番上の戸棚の中に隠してあるおやつを見つけて食べて怒られる、というアレですね。もう今は通じないかな……。
二枚目はせいろ。餅なんかを蒸す時に使います。


以上で武家屋敷の母屋は終わりです。次に長屋門にある中間(ちゅうげん)部屋を見に行きます。
門の横に中間(門番や出入りする人の監視や案内などの雑務をする武家奉公人)の住居として使われていた部屋があります。ここでは続き間で三部屋見ることができ、灯火具の展示がされていました。灯火具ひとつにもいろんな種類があるんですねえ。時代の変遷も感じられます。


屏風には扇絵が貼ってありますが、半分以上剥がれてしまっています。残念。
左から吊り灯台、秉燭(ひょうしょく)、置きランプ(台付)、行灯。柱には掛行灯。




左手前から、弓張提灯、籠提灯、蔵提灯、提灯箱。奥は角行灯、手提行灯、丸(遠州)行灯、角行灯。
提げる灯りと書いてちょうちん。なるほど。



手燭、燭台。奥二つも燭台ですね。左のはひな飾りのぼんぼりの台っぽい。




敷地内には他に休憩所、便所、お休み処、鼕(どう)展示場もあります。
3月に訪れた鞆の浦の太田家住宅は商家でした。今回は武家屋敷で、身分=職種による住居の違いは大きいと感じました。建築年代はどちらも18世紀中頃と共通しているのに、道具と同じく、用途によって形を変えるということでしょうか。
例えば太田家住宅は店造りの奥は私邸につづいていましたが、武家屋敷では客を迎える式台玄関から座敷にいたる部分と家族の暮らす内玄関から裏の部分は決してつながっていない。部屋の数、造りもかなり違います。前者は豪華でありながらも各所に贅を凝らした嫌みのない繊細さを窺えましたが、後者は華美さの少ない座敷に、私空間は質素そのものでした。
はからずも商人、武士と当時の住まいを見てきたことになり、町人や農民の場合はどんなものだったのだろう、と気になりはじめました。京都の町家を訪れたことはありますが、そういった観点で見学したことはないのでまた行ってみたいですし、農家については現存しているものは地主などの豪農のものばかりなのではないか。大多数は時代劇で見るようなあばら家だったのだろうか。
このように、身分社会における住居の差異については調べがいがありそうです。


おまけ
パンフレット。邸内見取り図がわかりやすい。





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2010/12/15
天王屋よしわたり



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