特別展「戦国BASARA HERO武器・武具列伝」 2011/08/17(水)


月に二回ほど岡山に通っているのですが、あるとき電車を降りてビックリしました。
  戦 国 B A S A R A  H E R O 武 器 ・ 武 具 列 伝
ホームにでかでかと広告が! しかもキャラ入りで!
駅舎には他の美術館のポスターに雑じってBASARAが並んでて、もう天王屋のライフはゼロよー的な居た堪れなさでした。
備前長船刀剣博物館は毎年やっているお守り刀展で知っていましたが、行ったことはありません。それがこんなことをされては行かざるをえまい……。ということで、SANAさんを誘って行ってまいりました!

えー、大変な田舎にあります。交通の便が悪いです。心しておいてください。
特別展期間中と夏休み中ということで、平日にもかかわらず家族連れや私達のようなBASARA好き女子、刀剣趣味のお年寄りなど、そこそこのお客さんがいました。

行ったらまずババーン! Oh...



中へ入って最初に、常設の刀剣の世界コーナーで日本刀のイロハを学びます。こちらは無料。
まず刀工が玉鋼から地鉄をつくり、それを折り返したり包んだり伸ばしたりして刀の形にし、刃文をいれたあと熱して焼入れで一旦終わり。次に砥師が下地研ぎをして、白銀師がはばきを作って、鞘師が鞘を作って、塗り師が鞘を塗って、柄巻師が鮫皮を貼って紐を巻いて、鍔師が鍔を作って、砥師が仕上げ研ぎをして、最後に刀工が銘を切ってできあがり! 実際はもっといろいろ細かな作業がありますがこんな感じ。
手間暇かかってるんだねえすごいねえと話しながら見ていると、実物を持てるコーナーが! 試さずにはいられませんな。
……重いです。腕がプルプルするし持ち上げるだけでふらっとするしどこに重心置いて立てばいいかわからないし。刃は潰してあったんですが、これで藁でも切ろうと思うと結構大変。私はそもそも振り上げられない。人なんてもっと無理。こええ。SANAさんも意外に重たいと驚いてました。これ六本とか口にくわえるとかしてる日本刀使いの変態って……。
ビデオコーナーもあったんですが、ここでは何一つ写しませんでした。人が常にいたので。

では特別展行きましょう! 入場券とクリアファイルをもらってニヤニヤ。だがメインはこれからだ!
最初にBASARAの説明。博物館的な展示をされていてワロタ。


いろんな角度から撮ったり説明書きも撮ったりしたせいで、今回はいつもに増して写真が多くなりました。できる限り修正を入れましたが、ガラスケース越しでしたので反射して見えにくくなっているものもあります。ご了承ください。
また、日本刀だけものすごく詳細に補足を入れてありますが、ほぼ自分のための覚書になってしまいました。予備知識なしだと完全に異国語なので飛ばし読みしてくださって結構です。

1.百匁火矢筒(ひゃくもんめひやづつ)/江戸中期(砲身のみ)


2.鉄錆地六十間筋兜(てつさびじろくじゅうけんすじかぶと) 銘 野州住久吉作 永正十年五月日/室町中期/黒田家伝来



3.林心流八十匁大筒(りんしんりゅうはちじゅうもんめおおづつ)/八十匁玉鋳型/江戸前期/黒田家伝来


4.大馬印(おおうまじるし)/江戸中期/黒田家伝来


5.薩摩三十匁大筒(さつまさんじゅうもんめおおづつ) 銘 二重巻張 摂州住田中善五郎作/三十匁玉鋳型/江戸前期/島津家伝来


6.弾薬箱(だんやくばこ)、鋳鍋(いなべ)、尾栓抜(びせんぬき)、烏口(からすぐち)、胴の火(どうのひ)、火薬入れ(かやくいれ)、襷早合(たすきはやごう)、胴乱(どうらん)、早合(はやごう)


7.薩摩四匁馬上筒(さつまよんもんめばじょうづつ)/四十匁玉鋳型/江戸前期/島津家伝来


8.長巻拵(ながまきこしらえ)/室町後期
長巻は野太刀の柄(つか)を長くしたもので、徒歩の雑兵に持たせて人馬の足を払い倒すのに用いられたといいます。
拵なので刀身なし。上の赤っぽい部分が鞘ですが、形からして片刃らしくないような……。


9.白萌黄色威大鎧(しろもえぎいろおどしおおよろい)/江戸後期/島津家伝来




10.太刀 銘 備前国長船住真長造 嘉元二年三月日/鎌倉後期/島津家伝来
日本刀といえば備前。そんなふうに思っていた時期が私にもありました。実際現存する日本刀の半数が備前刀らしいです。
はじめに太刀と打刀(うちがたな)の違いを簡単に。太刀は騎馬戦で使うための重く長い刀で、刃を下にして帯を金具に通して腰に佩く。打刀は歩兵戦に適したもので太刀よりも短くて軽くなっており、刃を上にして帯に差す。
刀身の刃がある部分を上身(かみ)、柄に収めて持つ部分を茎(なかご)、その境目を区(まち)といいます。上身の面を見た時、背側の色の濃い部分を鎬地(しのぎじ)、刃を研ぎ出した側を平地(ひらじ)といい、刃文は平地に浮いた文様のことでさまざまな形状をしています。
鎬地に樋(ひ)を彫ることで重量の軽減や曲がりにくくなるメリットがあります。茎の一番右の穴あたりから鎬地をすーっと通って物打(ものうち)まで、光の反射で溝があるのがわかるでしょうか。
区の刃側を保護して鞘に刀身を固定するための、はばき(金偏に旧字体の祖旁)には鋤下彫(すきさげぼり)で丸に十文字の島津家家紋。
茎の尻に近い部分に欠けがあるのはどうしてだろう。
しかし、見るべき銘や刃文や鋒(きっさき)を軽くスルーした刀剣知識のなかったこの時の天王屋のバカバカ!


11.倣武蔵拵(ならうむさしこしらえ)/現代
倣〜、というのは複製のこと。
非常にシンプルな作りです。黒と朱の色彩センスもすごくいい。宮本武蔵は剣の達人なだけでなく芸術面にも優れた人だったようですね。鶯図のイメージしかなかったですごめんなさい。
柄は黒漆塗(くろうるしぬり)の鮫皮に、同じく黒漆塗の馬革を菱巻(ひしまき)にしています。刀身を柄に固定する目釘は木製のようです。鞘は赤い漆をざらついた質感に仕上げた、朱漆石目地塗(しゅうるしいしめじぬり)。
刀を腰に差した際に抜け落ちないようにするため帯に絡めて固定する紐を下緒(さげお)といいます。鞘の上部からでろーんと垂らされているのがそれ。下緒を通すパーツは栗型(くりがた)といい、そのすぐ下にあるのが刀身を鞘から抜く際に鞘ごと抜けないよう帯に引っ掛ける返角(かえりづの)という留め具です。

鍔(つば)は海鼠(なまこ)の形を模した透彫(すかしぼり)。
鍔を挟んで付けられる切羽(せっぱ)と栗型の下緒を通す穴の金具に用いられた金が全体を引き締めて見えます。切羽詰まる、の語源ですな。

ちゃちく見えるのは気のせいです。現代物だからしょうがないのだと思いたい。

12.鉄錆地筋違鑢目面頬曲輪付(てつさびじすじかいやすりめめんぽうぐるわつき) 銘 柳河住明珍国貞/江戸中期


13.鉄錆地面頬曲輪付(てつさびじめんぽうぐるわつき) 銘 明珍宗周 門人国貞/江戸中期


14.鉄地金箔押桃形兜(てつじきんぱくおしももなりかぶと)/安土桃山時代



15.藍韋威胸紅威腹巻(あいかわおどしむねべにおどしはらまき)/室町後期
大山祇神社所蔵の鶴姫着用と伝えられる紺糸裾素懸威胴丸ではありません。ご注意。赤いスカートを穿いていたので藍色が見にくくなってしまいました。スミマセン。
腹巻は元々大鎧を騎馬の武将が着用していたのと同じ時代に徒歩戦をする下級武士が身に着けていたもので、動きやすいように体に密着する形になっています。そのため、鎧や胴丸に比べて腹巻は腹部が細くなっている形状のものがそれなりにみられます。「女性用だったのではと考えられる」というのは間違いです。
胴体部の脇板より上で紅色の組糸で威されている部分を立挙(たてあげ)といい、脇板より下で藍色の革で威されている部分を衝胴(かぶきどう)といいます。これは立挙二段、衝胴三段。
草摺は裾板を紅糸で、縁を模様入りの糸で威してあります。見えるのは六枚ですが、七枚が基本らしいのでもう一枚あるはず。
肩にかける綿噛(わたがみ)、立挙の上の胸板(むないた)には美しい模様が描かれています。なんで脇板も撮らなかったんだ……。

綿噛と胸板を繋ぐ高紐(たかひも)ですが、これがまたうまい作りになっています。唐草文様の鞐(こはぜ)という金物に綿噛からの糸を通し、それに胸板からの糸を引っ掛けられるようにして、着脱も長さの調節も容易にしています。昔の人の知恵すごい。糸も白地に紺と紫を金で縁どった矢絣らしい柄でおしゃれ。

立挙の最上部には八双金物(はっそうかなもの)がありますが、中央の留め金は八幡と文字を打ち出してあります。
八幡神は源氏が氏神として崇めたのをはじめとして全国の武士から信仰されていました。生きるか死ぬかの戦いの中に身を置く武士は神仏を今よりもはるかに深く信じ、身近に感じていたのだろうと思います。

引き合わせは背後にあり、右側にある鎧や胴丸との大きな違いになっています。
胴の裏面に革を貼ってあるのは着用時の摩擦によって小札がほどけるのを防ぐため? こういう普段は見えない部分はまだわからないことがいっぱいです。


16.重藤弓(しげとうのゆみ)/江戸時代
蟇目矢(ひきめや)、鏑矢(かぶらや)



17.鏃(やじり)(平根桜透(ひらねさくらすかし)、槙葉形(まきばなり)、蝿尾(はえお)、雁股(かりまた)等)



18.朱漆塗桶側二枚胴(しゅうるしぬりおけがわにまいどう)/江戸前期/松平家(森家)伝来



19.永楽通宝透轡(えいらくつうほうすかしくつわ)/安土桃山時代



20.南蛮鞍(なんばんくら)、鞭/江戸時代




21.鐙(あぶみ) 銘 奥州若松住金子安包/江戸時代



22.練革黒漆塗紺糸素懸威最上腹巻(ねりかわくろうるしぬりこんいとすかけおどしもがみばらまき)/室町後期


23.短刀 無銘 伝康継 (拵付)/江戸前期/徳川家伝来
拵のあまりの美しさに持って帰りたくなるレベル。
刀剣の形状を造込みといい、これは鎬筋(しのぎすじ)を立てず平面にした片切刃造り(かたきりはづくり)。元々は奈良時代の直刀にみられる古い形ですが、それを真似て江戸初期の短刀や脇差に流行ったそうです。
鞘は螺鈿の青貝微塵塗(あおがいみじんぬり)に蝶模様が見事。

刀身に倶利伽羅(くりから)の彫物があります。非常に緻密な彫で龍が生き生きと描かれています。鱗の一枚一枚まで細かく、今にも動き出しそう。倶利伽羅は龍が巻きついた剣で、不動明王の持ち物であることから不動明王の加護を願って彫られることも。

鍔は木瓜形(もっこうなり)、片切彫りで花に流水? 瑞雲? どちらかわかりません……。知識不足です。

頭や縁、栗型、鞘尻には蒔絵がなされています。桔梗と尾花らしきものがわかるので秋の七草を表したものかと。
柄の中ほどにある留め具は目貫(めぬき)といって刀身と柄を固定するもの。茎に開いている穴に通します。徳川家の家紋である葵が写実的に象嵌されています。


短刀とは別の小刀は拵の差裏(さしうら)に収められるようになっています。この小刀の柄、小柄(こづか)も御簾に葵。御簾の目が細かい。これにはありませんがほとんどの打刀拵には差表(さしおもて)に笄(こうがい)が付されます。


24.太刀 銘 助房/鎌倉中期/徳川家伝来
備前刀。25の太刀と見比べてもらえればわかるのですが、こちらの方が反りが弱い。
棟から刃までの中ほどに鎬筋を立てた鎬造り(しのぎづくり)で、断面が五角形になる日本刀の典型的な形です。

左端、ライトが当たっている白い刃の部分に刃文がはっきり見えます。丁の字がいくつも重なって見えることから重花丁字(じゅうかちょうじ)。鎌倉時代の備前一文字派の特徴だそうです。
右端の方、鎬地に微妙に曲線が見えますでしょうか。地鉄を折り返し鍛錬することで木の年輪のように模様が表れたものを杢目肌(もくめはだ)といいます。
加熱した刀身を水で冷やす焼入れによっても模様が生じることがあります。そのなかで、平地に光を反射させると白い影のように見える映りがあります。乱れ映りも良く見える、とありますがきちんと写せませんでした。


25.太刀 銘 助真(古青江)/鎌倉前期/徳川家伝来
備中刀ですが「備前物に似タリ」とあるように、反りが腰のあたりで最も強い、まさしく備前の古刀といった姿です。
ちょうどライトが当たっているあたりが刃こぼれしているらしい影ができています。戦場で何かぶった切ったのでしょうか。
銘を撮り忘れたのを後悔。国宝の日光助真と号する太刀の作者と同じ!? と思ったらわざわざカッコ書きで古青江と書かれてやんの。別人かい。


26.三匁馬上筒(さんもんめばじょうづつ) 銘 江州国友平四郎重當/江戸後期/徳川家伝来



27.葵紋付胴乱(あおいのもんつきどうらん)/江戸時代


28.稲富流慶長鉄砲(いなどめりゅうけいちょうてっぽう)/安土桃山時代


29.鉄錆地六十二間筋兜(てつさびじろくじゅうにけんすじかぶと)/室町後期/本多家伝来



30.短刀 銘 於豊原下坂わかえ正宗写し 本多飛騨守所持の内(立葵紋) (拵付)/江戸前期/本多家伝来
こちらも写しなので複製。残念ながら正宗ではありません。名ばかり有名で正宗とはどういう人物なのか知らない私のような人に解説すると、生没年不詳であるが鎌倉時代末期、五箇伝(ごかでん)と称される特徴の強い伝法で知られる日本刀の主生産地の一つ、相模国の頂点に立っていた刀工です。五箇伝の他は備前伝、山城伝、大和伝、美濃伝。それぞれ有名なのは備前が友成や景光、山城が三条宗近や長谷部国重、大和が手掻包永や千手院延吉、美濃が志津兼氏など。何が何だかわかりませんね。
説明書きを撮り忘れたので補足。「江戸幕府の控え工である康継の正宗写し。大坂城落城の際、多くの名刀が戦火を浴びた。それを惜しんだ家康は、康継にそれら名刀の焼き直しを命じ、康継はその時の経験によって多くの写しを作っている。本作、本多家伝来でも忠勝の本多家とは違う家になる。」……と、これまた残念な。
鞘は青貝微塵塗。頭、縁、鯉口(こいくち)、栗型、鞘尻は黒漆塗。下緒は二色の唐組(からぐみ)。

ですが、見所はバッチリ。刀身からいきましょう。片切刃造りで反りのない直刀、棟も直線的な角棟(かくむね)をし、茎尻(なかごじり)は左右対称な剣形(けんぎょう)をしています。
刃文は丸い碁石を続けて置いたような互の目(ぐのめ)に、ゆったり寄せる波を模した湾れ(のたれ)がまじります。非常にわかりにくいですが、平地の何ヶ所かに地沸(じにえ)といって砂粒を蒔いたような模様があります。
この角度では銘が読めない……。はばきが凹凸を噛み合わせるように作られていて、鑢(やすり)をそれぞれにぴったりはまるように鞘側を縦に、柄側を横にかけられています。細かい。

鍔のない合口拵(あいくちごしらえ)で柄に糸を巻かず白い鮫皮を着せただけであるため、23の短刀とは印象がずいぶん違うと思います。目貫と小柄には躍動感あふれる獅子をあしらっています。


31.首桶/江戸前期



32.鉄錆地七枚張雑賀兜(てつさびじななまいばりさいがかぶと)/安土桃山時代




33.二連式銃砲(にれんしきじゅうほう)/江戸後期


34.鉄錆地八枚張雑賀兜(てつさびじはちまいばりさいがかぶと)/安土桃山時代



35.四匁仙台筒(よんもんめせんだいづつ) 銘 仙台住今野甚右衛門/江戸前期



36.仙台四匁馬上筒(せんだいよんもんめばじょうづつ) 無銘/江戸後期


37.土俵空穂(どひょううつぼ)/安土桃山時代/伊達家伝来



38.脇指 無銘 伝景秀 (拵付)/鎌倉中期
展示が刀身に重点を置いているためか、刀身と拵がひとそろいの場合に拵の作りを解説してくれていないのが不親切だとようやく気付きました。ならば私ががんばればいいのね! わかった!
この脇差は磨上げ(すりあげ)といって、刀身を短くするために元の太刀を茎尻から切って縮める手法で作られています。特に銘が完全になくなるまで磨上げると大磨上げといいます。茎の形が上身(かみ)そのままの流れで、茎尻は一文字(いちもんじ)でいかにも切りましたという感じ。
「乱映り鮮やかに立ち、刃文は尖り刃(とがりば)に袋丁子(ふくろちょうじ)を交えた間隔狭い互の目乱(ぐのめらん)」とありますが、……わからん。難しすぎます。
朱塗鞘合口打刀拵。鞘は微妙に斑模様なので名称が何かあるんでしょうが、以下省略。ほんと難しいな。

鞘上部に挿した笄(こうがい)初登場。女性の髷に飾りとして使うのはもちろん、男性も髷を結っていたので髪を整えるために使ったそうです。本来は笄も小刀も実用のために添えられていたようですが、次第に装飾品として作られるようになっていったといいます。描かれているのは三つ葉葵紋。なぜ。目貫が何の植物かわからないのが残念です。

鮫着せを見ていて気付いたことですが、どれも頭の近くに大きな粒を持ってきています。巻いた糸を留めやすくするためでしょうか。今度どこかで聞いてみます。ちょっとずつわかってくると新しい発見があるのが面白い。

39.刀 金象嵌銘 正家 (拵付)/南北朝時代/伊達家伝来
黒漆塗打刀拵。柄巻の糸も下緒も黒で、赤銅の鍔や笄との対比がとてもスマートな印象を受けます。

目貫、笄、小柄のどれも何の植物かわかりません。笄も小柄も赤銅魚子地(しゃくどうななこじ)で、笄は桐や葛のような形の葉に花弁が十二枚くらい。小柄はつる性でハート型の葉、六枚の花弁。

下緒のこのような結び目は太刀結びといって、太刀緒を保管する場合の結び方だそうです。打刀なのになぜ。

梅花図頭は赤銅石目地高彫色絵象嵌(しゃくどういしめじたかぼりいろえぞうがん)。なんの呪文かというと、赤銅の石目地に高彫で色の異なる金属を象嵌して梅の花を描いた頭のこと。しべ部分、幹の一部に金を入れることで立体感を出しています。鍔は丸型で梅花鶴亀図。縁には龍も描かれています。

七枚目、小刀に「出羽大掾藤原國道」の銘あり。これによって作者と年代がわかります。藤原國道(國路)は山城国の新刀を代表する刀工、堀川国広の門下。慶長二十年(1615年)頃に出羽大掾(だいじょう)を受領、國道の銘は初期に用いたそうです。

銘は鑑定職の本阿弥家が磨上げて無名になった刀に鑑定銘を金象嵌(きんぞうがん)したものだそうです。



40.刀 額銘 備州長船住元重/南北朝時代/伊達家伝来
備前刀。額銘(がくめい)は大磨上げの際、銘を短冊状に切り取って茎に嵌め直したものをいうそうです。差表に刻まれていないので、時代的にみてもこれも元は太刀であったのでしょう。
刃文も地鉄もびっくりするぐらいはっきりしません。沸(にえ)なんてもってのほか。



41.黒漆塗十二間突?形兜(くろうるしぬりじゅうにけんとっぱいなりかぶと)/室町後期/伝長宗我部元親所用 土佐神社蔵



42.短刀 銘 備州長船長義 康暦二年十月日/南北朝時代/前田家伝来
表に見える銘は「備州長船長義」。生ぶ茎(うぶなかご)といって磨上げをしていない制作当初のままの状態を保っています。630年も昔のままなんてどうりで他のより古くさいはず……いやいや、歴史の重みを感じますね。


刀身には倶利伽羅が彫られています。23の短刀はリアルな表現でしたが、これは簡略化されていて目がちょっとかわいい。


43.長巻/南北朝時代
サイズの大きさが伝わればいいのですが……。装飾がほとんどなく、実戦武器らしさが溢れていて素敵です。大阪歴史博物館所蔵の『関ヶ原合戦図屏風』には腹巻姿の徒歩武者が列をなして鞘なしの長巻を肩に担いでいる姿が描かれているようです。

鉄地丸型文透図(てつじまるがたもんすかしず)鍔も質素。

柄は元々朱塗だったのではないかと思います。 持ち手の部分の使いこまれた感じがリアルです。

刀身の錆びっぷりが悲しくなってきます。研いでやってください。


44.短刀 銘 備前国住長船孫右衛門尉清光作 永禄三年二月吉日 (拵付)/室町後期/前田家伝来
なんだかとってもかわいらしい。短刀に前田家の梅鉢紋がズルイと思います。
刀身は片切刃造、拵は黒漆塗梅鉢紋蒔絵鞘合口打刀拵。反りはなく、刃文は直湾れ(すぐのたれ)のように見えます。四枚目に刃中の沸と、地中の乱れ映りがあるのが結構はっきりわかります。
下緒は納戸と茶の二色で瑞雲文らしき文様。茎尻が丸い栗尻(くりじり)をしています。
刀身に「本来無」と草書体で刻まれています。倶利伽羅といい禅語といい、仏教思想が広く日常に浸透していたのがよくわかります。


目貫と笄は金地に牡丹を色絵で高彫しています。牡丹の形の華やかさに、花弁の色の変化、葉の緑がとても美しい。笄のハート型も絶妙。


これには白鞘(しらさや)がついています。白鞘は朴の木で出来ていて、刀身を保管するためのもの。常時抜身にしておくわけではなく、白鞘に収めて休めることも大事だそうです。
右のものには「大聖寺前田家傳来」、「長サ七寸四分有之」と書かれています。大聖寺前田家は前田利家の孫、前田利治の家系。長さは棟区(むねまち)から鋒(きっさき)先端までの直線距離のことをいい、一寸=約3cmなので約22cm。


45.鉄錆地白檀塗六十二間筋兜(てつさびじびゃくだんぬりろくじゅうにけんすじかぶと)/室町後期/上杉家伝来



46.あられ、鎖鎌(くさりがま)、万力鎖(まんりきぐさり)
NHKのドキュメンタリー風歴史番組『タイムスクープハンター』で実に地味な忍者だったり、別の番組で甲賀忍者の末裔の家に伝わる古文書を解読するのを見て、忍者って実際どこまで忍者なの……と最近すごく思います。妖術使いでスゲーNINJAのイメージは江戸や明治の講談とかが元なのでしょうか。
あられは所謂まきびしのようなやつ。まきびしは菱の実をかたどったもので、平らな地面にばらまくと絶対トゲが上を向く形をしています。つまり刺さる。
鎖鎌も万力鎖も武芸十八般のうちだとは! 特に忍者に限って使うというわけではないようですが、武士が戦場でこういうので戦う姿をイメージするのは難しい。槍も捨てて刀も捨てての最終手段とか? どちらも専門の流派があるみたいです。

鎌の柄には花菱の紋入り。


47.忍者着/明治時代



48.十文字槍 銘 大和守藤原宣貞/江戸前期



49.刀 銘 村正 (拵付)/室町後期/真田幸村指料
指料(さしりょう)とあるので真田幸村(信繁)が差した刀のようですが、妖刀伝説をどこまで信じていいものか……。村正は古刀期伊勢の刀工で、その刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」と名が知られていたそうです。加えて徳川家康の身内の死傷に関わった刀として次第に話が大きくなっていった、というのが実際のようです。
反りが緩やかで茎は下端部が細くなるタナゴ腹型。刃文も地鉄も様子がわからず。


黒漆千段塗打刀拵。柄糸、下緒とも朱色です。このように目貫、小柄、笄が同じ意匠で作られたものを特に三所物(みところもの)といいます。
目貫は虎が二頭戦っている図、笄と小柄は松の木に巻き付いた龍と虎が睨み合う図が細かに描かれています。読み取れませんが小刀に在銘。


柄頭にも高彫色絵で雲間に飛ぶ龍の姿があります。縁は頭と対で虎だと思うのですが笄が邪魔で見えないよ。鞘も竜虎図。若干、わざとか? わざとなのか? と思ってしまいました。


50.名物石田正宗写し(川崎昌平刀匠作、埼玉県)/現代
当たり前のように説明書きがありませんが、刃を上にしているので打刀であります。
実物は東博蔵。刀身の先の方、物打の棟に切込みがあるそうです。石田三成が所有するより以前に戦でついたものだとか。この刀が人を斬る道具として人の手を渡りながら使われ続けていたことの証ですね。
鋒(きっさき)も美しいのにアップで撮らなかったなんて。鋒の刃先がこのように直線的なのをふくらかれる、というそうです。

写し方が悪く刃文がはっきりしません。

「倣正宗 昌平」の銘が力強くり刻まれています。柄から茎が抜け落ちるのを防ぐためにやすりをかけますが、見えない所までこだわるのが和物。これは勝手下り鑢(かってさがりやすり)という模様です。茎尻は鎬筋を棟側に寄せた入山型(いりやまがた)をしています。

作州=美作国。結城秀康から彼を祖とする美作(津山)松平家へ伝えられたそうです。

51.野点茶道具箱(のだてちゃどうぐばこ)/安土桃山時代/豊臣秀吉所持
野外でお茶を点てる野点の際、茶道具を入れて持ち運ぶために使う箱です。これを見て、最近『へうげもの』が熱い天王屋は一人心の中で「北野大茶会! ゲヒヒヒヒ」と思っておりました。
黒漆塗に堂々と豊臣の五七桐が描かれています。金物は黒いから鉄かな。光の加減で天板の蒔絵がどれだけ分厚いのかよくわかります。さすが関白様だぜ……。



ふう……。
ひたすらいい画を撮ろうと何十回も同じところをウロウロする変人と化した天王屋を辛抱強く待っていてくださった天女のようなSANAさん。いつもすみません……。
展示室を出てゲーム体験コーナーのある研修室へ。3とCHで遊んでいる人を見て、私も思わず自分のPSPを引っ張り出しかける。勇気がないので話しかけられませんでしたけど。等身大パネルも設置してあってなんだか異様な空間ができあがっていました。
入口の石田と徳川を写したらうまい具合にミスったよ!


ここには工房も併設されていて、刀匠、塗師、白銀師、刀身彫刻師の方々が毎日作業をなさっているそうです。鍛刀場で刀匠が作刀するのを見学できたり(火を使わない時もあるそうですが)、工房では塗師、白銀師、刀身彫刻師、砥師、鞘師、柄巻師の作業を目の前で見ることができます。私達が見に行った時はちょうど塗師の方が手際よく作業をしていたのですが、若い方で驚きました。
漆は臭かったです。

その後、敷地内でそうめんやらスイカやら物産市をしていたのを冷やかし、ミュージアムショップで日本刀の本を数冊買うかどうか迷って結局買わず、夢吉なりきりシールとコットンバッグを買いました。グッズ買わないとか言ったのはどの口だー! しょっちゅう買ってるじゃないか!


ついでだから瀬戸内市立美術館で開催されている『戦国BASARA』イラスト展〜バサラの世界〜も見に行きましょー! と牛窓まで足を延ばすことに。
牛窓は自称日本のエーゲ海でして、景色は良好気候は温暖でマリーナやオリーブ園などがございます。あんまりそれっぽくない風景ですけど……。


オリーブ園においしいジェラードのお店があるというので連れて行ってもらいました。「ボイス21に出た」と言えば岡山香川の人間はわかります。
牛窓ジェラード工房コピオ。地中海沿いの石造りの家っぽい! 平日なのに辺鄙なところなのにお客さん多い! 期待できそう! とワクテカがとまりません。


オリーブとスイカのダブルコーンで!
オリーブは細かく刻まれた実が入っていました。味は特に……ミルク。スイカはスイカだ! とわかる味でした。おいしかったです。


牛窓についたので腹ごしらえを。古民家を改装した、てれやカフェで遅めの昼食をいただくことにしました。ごろっと横になってしまいそうなくらいゆっくりできる雰囲気のお店です。



床の間に竹筒のぶら下がった楽器があって、なんじゃろなと二人でつついていたらお店の人が鳴らしてみせてくれました。音階があって木琴のような形ながらベルのように揺らしてして音を出す。ウッドブロックとか木魚の音に似てるようなないような。不思議な音です。
調べたところ、インドネシアのアンクルンという楽器だと判明しました。
ああ、写真撮ればよかった……!

おまちどう! 豆入りカレーおーいしーいぞー!
ご飯はバターライスだったのかピラフだったのか覚えていませんが、ともかくうまい。豆がたくさんで嬉しい。お漬物もうまい。満足でした、ごちそうさま!



イラスト展は……しょぼ……かった……です。
未発表作品はないし原画じゃないし。二人の落胆っぷりといったらなかったね!
誰もおらず写真撮影の可否がわからなかったので撮りませんでした。


岡山ブルーラインを通って帰る車内でもマックでも、ずーっとゲームにアニメに映画に同人誌にサイトにと日も暮れるまでBASARA話に花を咲かせ、解散いたしました。
車を出してくださったSANAさん、いつも本当にありがとうございます!




資料・参考サイト
井沢翔氏監修、『【決定版】図説・戦国甲冑集 歴史群像シリーズ特別編集』、2002.12、学研
稲田和彦監修、『【決定版】図説・日本刀大全 歴史群像シリーズ特別編集』、2006.03、学研
大山祇神社宮司三島喜徳編、『大山祇神社 改訂版3』、2010.07、大三島宮 大山祇神社社務所




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