松山城と道後温泉本館 2009/12/25(金)
クリスマスイブの朝。世間様は幸せだねえと遠い目をしながら用事のために通う岡山へ降り立つ。駅前広場がクリスマス一色です。ま、負けるもんか! と自分を励ましながら用事を済ませ、友人とバカ騒ぎ。今冬公開の映画を二本見、ランチに飲みにオールでカラオケ。これこそ正しい一人身学生のクリスマスの過ごし方、という一日を過ごす。学生じゃないですけどね、私。
そして、翌朝。クリスマスです。朝もやの中、駅でお疲れっしたーと別れを告げて瀬戸大橋線から予讃線直通の特急しおかぜに乗りました。最寄り駅まで一時間強。さすがに久々のオールは辛い……、と仮眠を取ったのが間違いでした。
起きたら電車は、海岸線を走っていました。
ア、アレ……? 一瞬意識飛んだだけだよね? なんで到着予定時刻を一時間も過ぎてんの? なんで見える景色がちょっと違うの?
混乱する天王屋。そこへ無情にも車掌のアナウンス。「えー、次は壬生川、壬生川です」。壬生川(にゅうがわ)……だと……。聞いたことがない。なんだそこ。車掌のアナウンスは続く。「壬生川を過ぎますと、次は今治、今治です」。
いまばり。
この四文字がこれほど頭に響いたことはなかった。いまばり。そう、私は遠い土地に来てしまったのだ……。
(地図及び路線図は後で載せますが、岡山→香川→愛媛と通っている予讃線で、今治から先の特急の主な停車駅は松山と宇和島。香川からは随分と離れてしまっている。時間にして二〜三時間はゆうにかかる。)
今治で降りて折り返しの特急に乗ろうかと一瞬考えたのですが、次の瞬間には、「あ、松山行って道後温泉いこ」と考えを変えていました。めちゃくちゃポジティブ。楽天的。そういうわけで、乗り越し分の乗車料金と特急料金を払って終点松山まで揺られて行ったのでした。
その時ちょうど、松山出身の人物を主役にした作品、『坂の上の雲』がドラマ化されていたのもあって、松山城を見て行こう、とも考えました。時間があればまだ作品は読んでいないながら、作品ゆかりの地を巡ることができれば、とも。
結果として、松山城にほとんどの時間を費やしてしまい、後は温泉に入っただけなのですが。松山城がすごかった。何がすごいって規模もさることながら美しさも、その分だけかかる時間も! そして、中には大変なものがあったのである……。それは後ほど。では、主にお城観光、行ってきます。
まずは松山駅。平屋建てで、改札も駅員さんが立ってます。中は木造な感じでレトロな感じ。
近くにはこんなポストが。懐かしい!
駅のすぐそばには松山を代表する俳人、正岡子規の俳句を刻んだ石碑が。
春や昔 十五万石の 城下哉
古臭い路面電車が走る街並みにレンガの建物。
一方では昔、商いをやっていたのだろうなあと思われる和風の家も。
松山城のお堀の前まで来ました。あれ、お城は?
水鳥が毛づくろいをしていました。
堀の中に入って少し歩いたところ、広い土地が整備中です。その先にある小高い丘というか、むしろ山。その頂上付近に見える建造物。え、もしかしてもしかしなくても松山城ってあれなの? 遠くない? というか、高すぎない? 手前の建物、何?
左側の一群をズーム。天守はこちらだろうか。
堀の内には役所や市民会館、図書館や博物館などの公共施設がたくさんあります。このドーム屋根の建物もそのひとつ。なんだったかは忘れてしまいましたが……。
地図によると、堀から歩いてきた広い部分がかつて三之丸があったところ、山腹に出張っていたのが二ノ丸跡、そして山頂に本丸があるそうです。この山をこれから登るのか……。とげんなりしている私の横を、すいすいと走って登っていくどこかの高校の野球部員達。自分を叱咤して歩き始めます。
ぐねぐねの坂道です。車は通らないので本当に昔からの道という感じです。ちなみに、箱根の時と同じブーツでした。
ここにも句碑。子規。
松山や 秋より高き 天守閣
松山には俳句ポストというのがあちこちにあります。俳句を詠んで投函すると、一定期間で優秀な作品が選ばれて発表されるという、街ぐるみの文化活動を行っています。そのあたり、藩政期から続く文化の街だなあとしみじみと感じます。
松山城古図。実はここでリフトとロープウェイがあったことを知る。登山道を三十分かけて登ってこなくても、ロープウェイなら七分で同じところまで登ってこれたのである。乗り場が三之丸のある側からすると裏側にあたるので、駅から歩いてそのまま堀の内に入ってしまった私は気付かなかったのです。げっそりしてそこで十分ほど水分補給を兼ねて休憩していました。
いよいよお城らしい石垣が見えてきました。美しく組まれた石垣には感嘆を覚えます。四枚目の曲線など、素晴らしいの一言に尽きる。城郭建築の何がいいってこういった基礎から、内部の構造・装飾に至るまで美しいことです。
大手門は焼失して現存しないので、実質最初の門に当たる、戸無門。
筒井門。正月前なので飾りがありました。筒井門の横には隠門という、小さい門が。
内側から見た状態。右が筒井門、左が隠門です。門の上は櫓になっており、防衛のために兵が入れるようになっています。
ここからみる城下。少しけぶっていますが、辺りを一望できます。ずいぶんと登ってきたものです。
ちょっとした広場に出ました。長い塀に所々開いている穴に注目。石垣の下の赤いのは消防施設なのでお気になさらず。
太鼓門。この門をくぐればいよいよ天守閣があります。
この穴、さっきの塀の穴の裏側なんですが、さて、何のための穴でしょうか? 城郭建築を少しでも気にしたことがある方ならわかるかと。
よく見てみましょう。ピントが一定してなくてすみません。
こんな感じで並んでいます。もうおわかりでしょうか。鉄砲を撃ったり矢を射ったりするための狭間(さま)です。
井戸が残っています。松山城は度々焼失にあっているのですが、その都度再建されてきているのできれいな姿を保っています。
松山城の創設者は加藤嘉明という戦国大名です。その後、松平定行が松山藩主十五万石に封ぜられて明治に至った、と。藩主は加藤嘉明、蒲生忠知、そして松平(久松)氏と変わっています。
標高132メートルの勝山山頂に本丸、中腹に二ノ丸、山麓に三之丸(堀之内)を置いた典型的な連立式平山城だそうです。松山城の沿革、松山城年表という看板による。それにしても、堀之内まで含めると本当に広い。いや、山だけでも十分大きいのですが。
ようやく天守閣です。
ここにもありました、狭間。乾門というのは乾の方角、つまり北西にあります。
おお、と思わず見上げてしまう美しさ。だけどカメラが少しずれているよ……。
見上げた屋根に乗っているのは何ぞな……。
一ノ門。
一ノ門を入ってすぐ右手にある塀も、もちろん防衛の備えはばっちりです。
本壇というのは、一ノ門から内側の天守のある土地のこと。一番重要な部分です。城の安全を祈ったにもかかわらず、落雷で天守閣が焼失しているあたり、天神さんらしい。
この格子戸、こうやって開けるみたいです。面白い。
三ノ門。
三ノ門を内側から。小さいけれどしっかりとした造りになっています。
もうひとつ、門が構えていました。その名も筋金門。名の通り鉄によって補強された頑強な門です。櫓部分は二つの天守閣を繋ぐ通路になっています。
いよいよ天守閣……! と思ったら案外狭い空間でした。
まずは小天守閣から。
こちらも通路の多門櫓。
屋根の上の何かはやっぱりしゃちほこでした。
十間廊下。もう少しひねった名前は思いつかなかったのだろうか。
玄関多門。天守閣の入口です。松平家なので丸に三つ葉葵の家紋が用いられています。
青空に映える黒板の美しい三層の天守閣。ほれぼれしますな。
さて、建物内に入りました。傾斜のきつい階段は昔の建造物ならでは。頭上注意があれば完璧。
きゅっとするような階段。昔の人は手すりもなくよくこんなものを上り下りしたものです。
玄関多門を内側から。階段の上の部分に扉があり、閂ができるようになっています。
二階部分は櫓になっています。天井は自然の曲線を活かした太い梁に、釘を使わず木を組み合わせています。それにはいろいろなやり方があって、場合に応じてうまく使い分けるそうです。釘を使う場合は和釘という四角い釘を使って、かつ釘隠しで見目よく隠してしまいます。そういう建築技法は今も寺社仏閣などに使われているため、少数ではありますが職人さんはいらっしゃるのだとか。これは昭和の修理の時に書かれたものだと思いますが、昔の落書きが残っている木材もありました。
窓から見た景色。太陽の位置からして西側に窓があったのかな?
十間廊下の内部は展示室になっていました。武具や書画がなんでもないように展示してあります。
総螺鈿槍毛房付。見事な作りです。
が、思わずお館様の赤いもふもふ!? と反応してしまった。説明書きの「〜威毛とか槍の〜」の「とか」はないだろうと真面目に考えてしまいました。下の英文も適当だなあ、しかし。
堀之内を望む。戦中には陸軍駐屯地が置かれたそうですから、相当な広さです。
天守閣。見れば見るほど美しい。
内部は思ったより簡素な造りです。360度城下を見渡せる、その展望は最高でした。
ここで大変なものを眼にすることになるのですが、それは別項にて詳しくやっておりますのでそちらをご参照ください。
櫓と廊下によって通じている天守閣と小天守閣は四角形の構造をし、四方への防御は万全でした。加えて随所の門。かなり堅牢な造りをしています。
最後に二つの門を。先に内門。
次に仕切門です。
ただ、そもそも麓から山頂まで、登ってくる時点でかなりの時間がかかる上、大手門から天守閣までも結構な距離があるので、ここまでする必要はなかったのではないかと思わんこともないのですが……。そこはまあ、城郭だから、と言っておけば何の問題もなくなります。どこかで聞いたフレーズですね。
天守の見学も終えたのでロープウェイ乗り場まで下りてきて、一人乗りリフトで麓まで降りることにしました。あっという間に着きました。登りの苦労はなんだったのか。
それからもう面倒くさくなっていたのでタクシーで道後温泉本館まで行くことに。
趣きあるたたずまいの道後温泉本館です。『千と千尋の神隠し』の湯屋のモデルにもなったとか。明治の初め頃に造られたそうです。
浴場は霊の湯と神の湯があって、男女合わせて五つあります。休憩所もあるのですが、浴場と休憩所、利用時間によってお値段が違います……。一番高いのは、三階個室霊の湯で一時間半。坊ちゃんの間と又新殿の見学もついています。せっかくなのでそれにしました。いいじゃない贅沢したって!
個室は六畳で、建物の内側向きに窓があります。わかりづらいですが、いい感じのお部屋ですよ。
浴衣に着替えていざ湯船へ。他に一人しかお客さんがいない中、ゆーっくりできました。ほっこりして上がってきたら、お茶と坊ちゃん団子のサービスが。落ち着きます。
その後、坊ちゃんの間を見て、皇族専用浴室の又新殿を説明を受けながら見学して出ました。下駄箱のところに坂の上の雲のロケが行われたという説明パネル、俳優さんのサインが。他にも、廊下にはこれまでに映像化された「坊ちゃん」などのパネルがあって、松山の人は道後温泉本館を愛しているんだなあとしみじみ。
外へ出たら雨が降っていました。なんということ。またタクシーでJR松山駅まで。特急に乗って帰ります。切符を買って改札通ってホームへ。
駅構内で駅弁を買いました。醤油飯。名物……なんだろうな、駅弁なんだから。包み紙がおもしろい。箸袋にも何か書いてある! こういうのがあるから電車の旅は楽しい。
今度こそ乗り越してしまわないようにと思っていたのに、疲れて眠ってしまい、ギリギリのところで目が覚めてものすごくビクつきました。危ない危ない……!
鈍行に乗り換えて下車駅へ。親に駅まで迎えに来てもらって、呆れられながらの帰宅。
こうして、岡山から松山への思わぬ一人旅は幕を閉じました。
「三豊市 わお! マップ」から香川県の周辺と予讃線路線図。
線路は海沿いを走っているのです。
特急に乗って、岡山―宇多津(特急の止まる香川で最初の駅)間がおよそ40分。岡山―松山間は三時間。遠いです……。
おまけ
松山城パンフレット。かなり詳しいです。チケットもね。
道後温泉本館パンフレットとチケット。こちらは道後温泉の歴史が書いてあります。
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2010/03/09
天王屋よしわたり