雨中の鞆(という名のほぼ太田家住宅探訪) 2010/03/15(月)


『Mar5』のエムサさんと、『キミユメ』のSANAさんと鞆の浦観光をしてまいりました。
きっかけは本当に偶然でした。メールのやりとりをしているうち、SANAさんとは海を挟んで向こうとこちら、ということで何回かお会いしたことがありました。エムサさんは私が日記でちょろっと書いた田舎のある祭りに反応をしてくださって、そこから母校が近かったことが判明。そしてなんとお二人ともが福山市のご出身であるということで……。世間は広いようで狭いものです。
そういうわけで、春休みくらいに鞆の浦行きますか! となりまして、阿藻珍味の練り物がおいしいからそれ食べましょう! となりまして、一月中旬に「あもちんみの会」が発足いたしました。不肖この天王屋、暇にあかせて会長をかって出ました。予定を決めたり、道を調べたり、まっぷるやるるぶを買ってきたり、レンタカーを手配したり、ドライバーを務めたりと、お忙しい二人に代わって諸々の雑務をやらせていただきました。
ですが、一人旅ばかりしていたため、連れのいる観光に慣れずにいろいろやらかしてしまいました……。そのたびに二人のフォローがすかさず入って、無事に「あもちんみの会」は終えることができました。
それでは、前置きはこのあたりにして、旅行記とまいりましょう!


朝、6時頃目が覚める。前日に準備は万端にして早く寝ていたので、する事がありません。集合時間は9時半だし、レンタカー借りに行けるのは8時だし……、と困りながらもとりあえず着替えて朝食へ向かいます。ところが、食堂は月曜定休。フロントの前で無料でいただけるパンとコーヒーがあったのでそれを部屋へ持ち帰ってもそもそと食べました。テレビの天気予報が今日は一日雨です、と言っていて、ますます悲しくなる一方。直前になって阿藻珍味のちくわづくり体験なども月曜定休だと知ったので、あまりのノープランっぷりにこれは会長辞職か……としょうもないことを考えます。
ホテルにいても仕方がないので、7時半頃ホテルを出て、レンタカー屋へ向かいました。駅の近くに一軒と、ホテルの近くに一軒あったのでホテルに近い方を選んだのが間違いでした。結構歩いた。駅とホテルが15分の距離、ホテルからレンタカー屋が15分、駅からレンタカー屋が20分。借りてから気付くも、まあいっか、と適当。一人旅なら適当でいいけど、今日はそうじゃなかったのを忘れていました、この時は。
それでもまだ時間があったので、福山城を見に行きます。駅を集合場所にしていたので、その裏手すぐにあるから大丈夫だろうと考えてのことでした。が、そこでもまた資料館月曜定休のお知らせ。運がないのか、なんなのか。しょぼくれて広場をうろうろしていたところで、石垣をしきりに気にするおっさんと遭遇。勝手に石垣おじさんと名付けた彼との暑苦しい石垣談義は福山城のページをごらんください。

石垣おじさんと思わず盛り上がってしまい、集合時間ギリギリになって焦りながらエムサさんとの集合場所へ。目印は武田レッドです☆と言われていたので、それらしき人を探すと、すぐ見つかりました。目立っていた。武田レッド半端ない……! そしてなんともまあ、可愛らしい方で。緊張。
はじめまして、とお決まりの挨拶をして、ちょっと遠くて申し訳ないんですが、とレンタカーを取りに向かいました。途中、卒業旅行のヨーロッパ周遊話を聞かせていただいて。景色はどこもすごくよかったけど、イギリスのメシがマズイというのは本当かと試しに食べに行ってその言葉に偽りはなかったとか、モン・サン・ミシェルのレストランで有名なふわふわオムレツを食べたらがっかりオムレツだったうえに、自分達のテーブルの上に雨漏りしていたとか、朝の9時からワインの試飲をしまくったとか、ドイツの変なアート? な家の写真を見せてもらったりとか。楽しかったです。
車を用意してもらってたので乗り込み、とりあえずあれこれチェック。いつも運転している親の車と配置が違うので微妙に戸惑いつつも、SANAさんを拾いに出発。

国道2号線を走り、山陽本線を横に見ながら、二人して集合場所に決めたセブンはどこだろう……と悩む。何店か聞くのを忘れていて、途中で変な道に突っ込んだりどっかの駐車場に勝手に停めたりしつつ、記憶を手繰り寄せてこのあたりにあったはず、とナビが付いている車中で地図を広げる間抜けな図。拾いに行くのが少し遅れそうです、とSANAさんに連絡をして走ること十数分。あったー! と無事発見、無理やり曲がって駐車場に突っ込む。その時点でくたびれてしまっていたため、エムサさんにSANAさんを呼びに行ってもらう、なんという名前だけ会長……。SANAさんは武田菱タイツです☆とのこと。可愛らしい方、もう一人追加ー!
10時半、ようやく全員集合。よーしじゃあまずは阿藻珍味から行きますか! とナビをセットしてから、天王屋は一枚のCDを取りだす。「Are you ready guys!?」いきなりBASARAの伊達の声。そう、直前になってサントラを編集し、ネタ用にまとめてきていたのだった……。そんなことをするくらいなら下調べに時間を費やしておけばよかったです。
いろいろとよくわからんものをカバンいっぱい持ってきていたので、広げてもらう。はしゃいでもらえてなによりでした。


11時過ぎ、阿藻珍味に到着。すごく細い坂道の先にお客様駐車場の看板が。え? となりながらも登ります。はい到着ー、と降りてみると、そこから見えた景色がすごくてしばし見入る。雨にけぶる瀬戸内というのもいいものですね、と話しながらお店へ。やっぱり今日は体験や見学が全部お休みだったので、買い物だけすることに。いっぱい並んだ乾物に練り物。ほわあとなっているとささっと近付いてきたSANAさんが耳打ち。「よしさんよしさん、全部試食できますよ」。まじでか。大興奮して片っ端から試していく。鯛ちくわと、ししゃも天がやたらおいしかったです。一日観光するから生ものはダメだなあと思いながらもタコわさをつまんで美味いー! となる。残念でした。
お買い上げした時点で二人が私を微笑ましく見ていた。す、スイマセン……と小さくなりながら車へ戻る。
ちなみに、なんかかわいらしい車がありました。


これはなんだろう。


塀の上に焼き物が。


ここからはほとんど一本道で、鞆の浦はSANAさんが道を知っているというので、安心かなと思っていたら、驚愕の一言。「ドライバーは老いも若きも全部リサです」。リサとは『坂の上のポニョ』に出てくるお母さんで、細い坂道を荒い運転ですいすいと走る凄腕ドライバーである。びくびくしつつ、発進。
山道はどうってことなかったのだけど、町に入ってからが怖かったのなんの。細い道をすれ違う車。譲り合いの精神。車幅を把握し切れず悪戦苦闘する天王屋。後ろがいないと思い切りバックして逃げる。他に車が通らないような道に突っ込んでしまい、歩行者や住人に生温かい視線を浴びせられる。なんとも強烈な経験でした……。11時半過ぎ、駐車場になんとか置いて、お待たせしました、鞆の浦観光本格的にスタートです!


町の中にこんな建物がたくさん残っています。昔は商家だったのでしょう。


まずは私のリクエストで医王寺へ。そこからの眺めは絶景らしいのでこれはぜひとも、と。坂を登るけど、松山の時も登ったり下りたりしたから大丈夫だろうと思っていたら、言われて気付く。そういえばヒールの高い靴でした……。が、がんばりました。
写っていませんが、この左手の家の軒先に色とりどりの折り紙細工が下がっていました。かわいいだのきれいだの言っていましたが、まさかこれが坂道の終了を知らせてくれる重要なアイテムだとは思いもよらず……。下って来てこの折り紙細工のお家が見えて、安堵の息を吐きました。
坂道きついねえ、と話しながらとろとろ歩く私達の前をすいすいと登って行くおばあちゃんが。そしてそのまま角を曲がって消えました。坂道の途中に自転車が無造作に止めてあって、これ登ってきたのかな、下りるのはいいけど登るのそうとうしんどいぞ、と息を切らせて話しながらようやく門前へ。


医王寺からの眺め。時折船が行き交います。時間がゆっくり流れているよう。
シーボルトはこのさらに上へ登って植物採集をしたそうですが、雨なので諦めました。時間もかかるようだし、私のヒールがね……。


下りてきて、今度は浜辺へ。
私が写真を撮っている間に、二人が何かを拾っていました。何かと見てみたら、不思議な形をした白いなにか。手触りは固めの発泡スチロールのようだけど、割った断面はきれいだし、沢山落ちているし、なんなんだろう……と三人して首を捻りました。どうでもいいっちゃどうでもいいんですが。写真を撮るのも忘れたので、わからずじまい。


こんな感じで道は綺麗に舗装されてます。普通、車は走らないのでしょうが、私は何を思ったか突っ込んでしまいました。もう二度と突っ込まないよ!
町家も綺麗に保存されています。


路地裏はこんな感じ。


常夜灯。昔は高い建物がなかったから、町の先にあれば海からは充分見えたのでしょう。金毘羅大権現は海運の神様として、今でも信仰厚いそう。


昔の蔵を改装してある、いろは丸展示館。幕末、坂本竜馬がいろは丸を接触、沈没させた事件について展示・解説しています。沈没現場のミニチュア模型だったり、引き揚げられた品々だったり、それから推測される史料との食い違いだったり、と。
二階には竜馬の隠れ部屋が再現されて、蝋人形が……。めっちゃこっち見てる! とわいわいやりました。それから、海援隊が出版した、「和英いろは便覧」のパネルがありました。いろは四十七文字のローマ字表記と、数や干支、簡単な単語を和英対比させてあるものです。今とは音が違うのがあるね、と言いながらみていったところですごいものを発見。干支の辰→dragonなのはそのとおりだからいいとして。ローマ字の上にふってあるルビが、ヅラゴン。ヅラゴンて。確かに聞き慣れない言語だからそう聞こえたのかもしれないけれど、我々はBASARAが縁で今日を迎えたようなものですから、もう某奥州筆頭しか思い浮かばなくて爆笑。エムサさんが「これ欲しい……」と笑い交じりに呟いていたのを聞き逃しはしませんでした。



さて、次は太田家住宅です。
鞆の名産、保命酒の製造は江戸時代ここでしか行われていなかったそうです。中村家の造る保命酒は御用酒として将軍家にも献上され、かのペリーも飲んだのだとか。明治になって、杜氏がそれぞれに蔵を持つようになって今では何種類かあるそうです。


保命酒は16種類の生薬を漬け込んでいます。これがその原料。販売店で試飲した二人の話だと、甘くてリキュールっぽいのに薬っぽい、不思議な味だそうです。


商家なので、まずは店の部分があります。その奥に広々とした私邸が続き、さらに奥は幾つもの蔵が立ち並んでいます。まあ広いのなんのって。造りも繊細で嫌味のない豪華さで、造らせた人間のセンスのよさを窺わせます。
平日なのでお客さんも少なく、おしゃべり好きそうなおばちゃんガイドさんがいろいろと説明してくれて、もう私一人テンションだだ上がり。自分の知識を引っ張り出してあれこれ訊ねてみたり、素直に感嘆してみたり。時間も二人を気遣うことも忘れて必死で話を聞き、写真を撮る天王屋。すいませんでした……。

店土間の床は、市松模様。色の薄くなっているものが江戸時代のもので、黒いのは新しく張り替えたものだそう。しかも店に上がるかまちの部分には梅の模様。普通、誰も見上げないだろう天井は網代編みで、明かり取りの窓までついています。紐を引けば窓が開く仕掛け。なんとも、考え抜かれています。


幾つもの工程を経て造られる保命酒ですので、それぞれの蔵が並んでいます。杜氏や家族くらいしか出入りしないだろう蔵や庭までキッチリと作り込まれているのですが、ガイドさんに言われないと気付きませんでした。そのあたり、本当に何か才能と金の無駄遣いだなと思います。
サイコロの目のように、数が違っているのがわかるでしょうか。



蔵の中には、保命酒を作るのに使っていた道具が展示してあります。今と違って全て手作業ですから、いろいろと工夫を凝らし、道具もより使いやすいように改良されているのがよくわかりました。奥に見えるのがてこの原理で原酒を搾る大きな装置。
ここも、梁の一本から格子模様の壁、蔵には珍しい大きな窓など、作業するための単調さでなく、美しく見せることも考えられています。


なんと、井戸があります。鞆は港町、井戸を掘っても塩水しかでないのでは? という疑問には、トイレに出てきたおっちゃんガイドさんが説明してくれました。これは溜め井戸で、山の方の井戸から水道管のようにトンネルを通じて水を引いていたのだとか。金があるからできることですね。


ついでに見つけた不思議な物。1メートル四方で、天井部分が斜めになっています。黒漆塗り、朱色の鉄で角を補強し、四方に取っ手が付いています。そしてこんな張り紙が。わからんのかい! と思わず笑ってしまいました。島の多い瀬戸内海だから、どこかから嫁に来た娘さんの花嫁道具が潮風で傷まないようにいれてたんじゃなかろうか、とはおっちゃんの意見。


ちょうど、町をあげてのひな飾りをしていたようで、ここでも雛人形を展示していました。実はこれは前日に終わっていて、そのせいで閉まっているお店が多かったのですが……。それも事前調査不足でした。
それはともかく、コレクターの方から借りて一つの蔵を丸々使って展示してあるのはすごかったです。大量! それも、いろんな地方で独特の珍しいものばかり。
一枚目、段に飾ってあるのが裃雛といって、すべて男の子のひな飾りです。下にあるのがおきあげ。裏面は新聞紙などで土台を作り、布で押絵をして作るそう。二枚目は名前を失念しましたが、一つ一つがお伽噺や歌舞伎の一場面を表現しているのだとか。親戚がそれぞれひとつずつ持ち寄ってくるんだそうです。もう一つ、明治天皇皇后両陛下のひな飾りを有名な人形職人さんが作った精巧なものがあったのですが、撮り忘れてしまいました……。三人官女の真ん中の人が既婚の方で、留袖に眉を落とし、お歯黒をしている、これも珍しいものでした。全部ガイドのおばちゃんの受け売りです。


母屋の方へ上がります。濡れ縁の他に廊下がなく、続き間ばかりの純和風邸宅です。当たり前ですが。中庭を臨む部屋には火鉢が。座布団も置いてあって、今でもこうして生活できそう。雨に濡れる中庭も、風情があっていいものです。



こちらは外庭。庭を見る目は残念ながら持っていないので、いいのか悪いのか判断がつきません。京都や金沢、松山でさんざんお寺や武家屋敷のお庭を見ておいて未だにわからないという……。


外から見るとこんな感じ。


こっちでも人形がいろいろと飾ってありました。武者人形にひな飾り。どれも名のある人形職人さんの作品だそうです。三枚目の五人囃子、右端の人が扇子を手に持ってるだけで楽器を持っていないということで、この人は何をする人だ、ということになりまして。適当なことを言っていたら、部屋の隅にいたガイドのおばちゃん(蔵を案内してくれた人とは別の人)が唄い手だと教えてくれました。



大広間の大黒柱、わざと削ってあるんだねえ、と言っていたらまた苦笑しながらおばちゃんが「それは百姓一揆の時に押し入られて切られたんよ」と。嬉しげにすごいすごいと言っていたものだから穴があったら入りたい気分になりました。他にもその時の跡が残っているところがあって、光あれば影が生まれる、というのを実感。


ここは母屋でも一番隅に当たる庭に面した、正直必要性を感じない二畳の部屋の入り口(屋内から出入り可能)なのですが、無駄に藁葺き網代編みという。なんなの? この凝りよう。バカなの?


こ、これは……!
昔、曾祖母が住んでいた家は押し入れの中に階段があったぞ! その下が引き出しになってたぞ! 同じだ! と私が大興奮。昔の建物は天井が低いから、箪笥にしても手が届くんでしょうね。省スペースで来客のときは襖を閉めてしまえば見た目もすっきりして、なんと合理的。


お風呂はもちろん五右衛門風呂です。タイルも昔のままだとか。そして何故か三人ともが五右衛門風呂を知っているという……。ええ、田舎出身ですがなにか。



空腹など感じずに知識でお腹いっぱいになった天王屋はほくほくとしていましたが、お二人はガイドマップを見たりお店の人に聞いたりと何やら真剣な様子。お昼ご飯の話でした。もう14時になっていました……。途中で、乾物屋さんのおばあちゃんとやたら話を合わせるのがうまいSANAさんの会話術にエムサさんと二人呆気に取られてみたり、ホテルに帰ってからのビールのアテにおつまみを買ってみたり、試食しまくってみたり。
なにやらおいしそうな料理があるということで、お昼を食べるお店は決定。町家の佇まいを残しながらモダンな、御舟宿いろは。こちらで昼食をいただくことになりました。


鯛ご膳かキッシュランチという究極の二択。それ以外なし。二人は鯛ご膳。迷ったものの、私も鯛ご膳に。だってここでキッシュって! こんな昔の町並みで、中庭の見えるお座敷に座って、小さめの箪笥とかお琴とかあるようなところで、キッシュって!
というわけで、鯛ご膳です。まずはヅケをご飯に乗せて醤油を垂らして、半分くらい食べたらダシで茶づけにしてどうぞ、とお店の人。お腹が空いているのもあって大騒ぎで写真を撮ったらいただきます! と三人でご飯をかきこみました。蓋を取って写真を撮ったら何故かすごくぶれたので、中身が見えないままどうぞ。


おいしいおいしいとそればっかり言いながらひたすら食べまくります。と、SANAさんがいきなり慌てる。なにがあったのかと不思議に思っていると、煮物だと思って箸を付けたのが、柚子か何かの甘露煮だったようです。「ご飯うまい鯛うまい、煮物もー! と思って食べた時の私のショックを想像してみて下さいよ!」とは彼女の弁。私はそれを見て、ニヤニヤしながら最後にそれをいただきました。鯛ご膳、おいしゅうございました。
それから少し、お互いの学校の事や就職の事、専門的な事や与太話、ゲームの事などいろいろと話をしました。他にお客さんは近所の人が何人か来て駄弁ってたくらいなので、まあいいや、と。共通するのが郷里が近い事と、たまたま同じゲームが好きな事だけで、二人の話は私にとって縁遠かったりそうでもなかったり。話題は多岐にわたりました。それに、普段妹としかゲームしないから、他の人がゲームをする話を聞くのは新鮮でした。

ご飯食べてすぐ、向かいにあったあずみ野というアイスクリーム屋でダブルを頼む三人。デザートは別腹です。私はカボチャとホウレンソウ、エムサさんとSANAさんは保命酒アイスとなんだったかでした。保命酒アイス、おいしかったです。なんか不思議な味でした。カボチャとホウレンソウはそのまんま! な味でした。これもおいしかった。
ご飯を食べる前、トンビが普通に電柱に止まったのを見て驚く。トンビだって止まる事もあるだろうけど、それにしたって……。



それから少し歩いて、対潮楼へ。江戸時代、朝鮮通信使をもてなすために建てられたそうで、ここからの眺めは日本一だと朝鮮通信使は記しているとか。座敷から手前の弁天島、奥の仙酔島がよく見えて、景観のよさはずっと眺めていても飽きないほどでした。


弁天島のズーム。この階段は満ち潮になったら船を寄せて上がるのだろうか……。


お座敷の隅に置かれていた高座。なんだこれは、と思って帰ってから家族に写真を見せると、お雛様やお内裏様を乗せている台と同じものだろう、と言われました。そうなの?


エムサさんとSANAさんがカバンをほったらかしにして奥の方を見に行ったので、不用心だなあと思いながらカバンの傍で座ってぼーっと景色を眺め続ける天王屋。他にいたのはやっぱり近所のおじいちゃんたちと、少しの客だけでした。観光地で閑散期の平日はお店をやっていない事も多いけど、そういったなにげない地元の人たちの交流があったり、暇だからと親切にしていただけるのがなにより嬉しい。この日もあちこちで親切にしていただいたり、話を聞かせていただきました。
あんまり戻ってこないので気になって行ってみると、対潮楼を訪れた外国人観光客が置いて行ったコインや紙幣を熱心に見ていた二人。何故そんなに熱心に、と聞けば「コレ(お金)ですよ、コレ。大好きですから」と声を揃えられました。君達……。
そして、なにをとち狂ったか、iPodを取り出してカチカチやり始める天王屋。無言で二人を呼び、まずはSANAさんにヘッドホンを渡します。再生。SANAさん突っ伏す。次にエムサさんへ。同じく。えー、何を再生して何が起きたのかは、三人の秘密と言うことで。


しばらく対潮楼でゆっくりして16時半になり、気になっていたカフェでお茶する事に。お店に入ると、今片付け終わったばっかりなんです、と言われ、お菓子も昨日までのお祭りでほとんど出てしまって用意できるものが少ない事を謝られました。こちらこそ申し訳ない、となりながらもちゃっかりテーブルこたつに入り込んでぬくぬくさせていただきました。窓辺にあったお人形さん。お店のお姉さんがざっくりした方で、「いやー実はあんまりいらないんですけどね」と苦笑い。なんかの先生がくださったものだから、オーナーも捨てられずにいるとか。確かに少々アレではありますが……。


紅茶と焼き菓子を頼んだら、すごくかわいいお皿とカップで、ちっちゃな花を生けてあって、たまらん! と写真を撮ったのですが、ブレてしまっているうえ、見切れてしまったので残念ながらアップは諦めました。デジカメの機能を使いこなせそうかも、と変にいろいろいじったせいでおかしなことになってしまったのでした。
ここではお茶をいただきながら、ひたすらゲーム話をしました。いやー、楽しかったです。いつかゲーム大会をやれたらいいなあとこっそり思います。


薄暗くなっていく外を見ながら、鞆とのお別れが近付くのを感じます。同時に、エムサさんとSANAさんともお別れです。
たった一日でしたが、とても濃い日を過ごす事ができて、いつもの一人旅とはまた違った経験ができて、本当に楽しく、時間を忘れてしまうようでした。これでお別れかと思うとつらくてつらくて……。まあ、その後、日付が変わるまで語り明かし、エムサさんのご実家からお電話があって渋々の解散となりました。
お二人ともとっても素敵でかわいらしくておもしろい方でした。エムサさん、SANAさん、お付き合いくださってありがとうございました!




おまけ
エムサさんからのお土産。紅茶とお菓子。メシマズの国かつ紅茶の国のアフタヌーンティはやはり本気だったそうです。 ミルクティにしてガブガブいただいてます。おいしいです。





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2010/03/25
天王屋よしわたり



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