PROLOGUE
 田舎町の夏は静かだ。
 車も人通りも少ない道。あるのは蝉の声と学校のチャイム。
 唯一人気の盛んな商店街を見下ろして、明澄中学校はそこに在った。

 太陽が爛々と、彼が知る限りの世界を照り付けていた。
 夏の日。見つめる先は陽炎に揺れる、蒸し暑い季節。
 青々とした遠くにある空。そこに浮かぶ入道雲を眺めながら、海斗(カイト)はうんと背伸びをする。
 校庭に大きな影を下ろす校舎の屋上に、海斗以外の人影は無かった。
 なにせそこは立ち入り禁止。逆に言えば、人の少ない静かな場所。
 鍵がかけられていないのを良い事に、海斗はよくそこで授業をサボっていた。
 大きな給水塔に背中を預けて、影で涼む。
 五分休みのチャイム音を聞きながら、せっせと布に針を通す。

 海斗が眠気も溶け失せるようなその暑さにうんざりしながら手を動かしていると、屋上入り口の錆び付いた扉が開く音がした。
 自分が居る反対側――扉がある方を振り返ると、ひょっこりと梗夜(コウヤ)が顔を出した。
 目が合う。
 そして「うわ」と呟いてから、梗夜は笑いだした。
「不良が裁縫しとる。珍妙やな!」
 うわははと歯を見せて笑う。梗夜の視線は海斗の手元に向けられていた。
「…悪いかよ」
 うるさいのが来たと、海斗は深く溜息を付いた。
 二人はクラスメイトであり幼馴染。幼稚園の頃から互いを知っている。腐れ縁というやつだ。
 暑い日差しを手で遮りながら近づいて、梗夜は海斗の手元を覗き込む。
 数秒ほどじいと見つめて、不思議そうに首を傾げた。
「…それ、なんやの?」
 不思議そうな顔でそれを指差す。
「なにって…。茶巾袋…」
 手を止めて、糸が繋がったままのそれを見せた。
「………雑巾やなくて?」
 梗夜は訝しげな顔をする。
「…や、茶巾袋ってアレやぞ、袋やで? 少なくとも…多角形ではない気が…する」
 海斗は梗夜の顔から手元のものへと視線を移す。
 雑巾と言われたほうがまだ納得できるような――多角形のそれ。…雑巾としても使いにくそうに毛羽立っている。
 縫い目もなかなかに芸術的だった。そこに電車が走ったら脱線か衝突事故が起きそうだ。
「…いや、その…ヘタとは言わんが……。個性的やな…?」
 黙り込む海斗を見て、フォローを入れる。語尾が上がってしまったのは仕方が無い。褒めるべきところが見つからなかったのだ。むしろ、梗夜は笑いを堪えるのにいっぱいいっぱいの様子だった。

 だんまり。
 梗夜は海斗の顔色がみるみる赤くなっていくのを見て、込み上げる笑いを必死にこらえる。
「や、でも…初心者なんやから――」
 中学に入学しその手のことを始めて一年が経っても、彼の中では初心者に分類されるらしい。
「――仕方ないって」
 ぷぷ、と零れる笑いをこらえる。耐える。
 眉間に皺を寄せながら、やけくそに海斗は手に持っていた謎の物体――未完成の茶巾袋らしきものを、投げ捨てた。
「笑いたきゃ笑えっ!!」
 素直であると褒めるべきか、その合図と共に、梗夜は声を上げて笑い出した。
「うわははは!! 不器用やなあっ!!」
 腹を抱えて涙目になるまで笑う。遠慮無しだ。
「わははははは!! 多角形とかありえへん!」
 ひぃと笑いながら悲鳴を上げる。
「………」
 海斗は俯いたまま動かない。
「天才や――」
 梗夜がそう言い掛けたところで、

 ごす

 とても痛そうな鈍い音が校内に響いた。
 奇声をあげて脛を押さえながら、梗夜は地面を転げた。
「のうお…おぉう…!!」
「笑いすぎだバカ!」
 海斗は拳を摩りながらそう怒鳴った。



「この世の終わりみたいな顔してるけど、大丈夫か…?」
 梗夜が教室に戻り机に突っ伏していると、隣の席の朔馬(サクマ)が話しかけてきた。一年の時からクラスが同じの、良く話す友。
 湿った雰囲気を纏う梗夜を見てられないといった感じで、朔馬は心配そうに名前を呼ぶ。
「もし本当にこの世の終わりが訪れたら、俺は逃げ後れて死んでしまう」
「この世の終わりだったら誰も逃げらんねぇよ…って、どうかしたのか?」
 のそりと顔を上げて、朔馬の方を見る。
「足が痛い」
「足? 転んだのか? その歳で」
「殴られた。痣やで、痣。容赦ってもんを知らんわあいつは」
 殴られたという暴力そのものを表す単語に、朔馬は驚きを隠せないようだった。
「おまえが喧嘩か? 何かあったら真っ先に逃げるようなおまえが!」
 珍しいこともあるもんだな、と冗談気に笑う。
 しかし、梗夜は渋い顔をしたままだ。
「喧嘩やないけど、無防備なところをやられたのは確か」
 自分の事は棚に上げて話す。
「次は体育やろ。これで走れって言われたら俺はもうアレやで、死ぬ」
「よし死んでこい。おまえなら三途の淵から臨死体験してる美女連れて帰ってくるだろ」
「俺をなんだと思っとるんや」
「おまえって実は人間じゃないんだろ?」
 けらけらと朔馬は笑う。
 溜息を付きながらも、梗夜も笑う。

 始業のチャイムが鳴った。
「あー…」
 面倒くさそうな声を出して、梗夜は立ち上がる。教室に居た皆も同じように立ち上がって、廊下――グラウンドへと向かっていった。
 どの生徒も浮かない顔をしている。仕方が無い。夏の体育は地獄だ。
「サボるわ俺」
「どの道サボる気だったんだろ? 着替えてねぇもんそれくらい判る」
 朔馬は体操着。梗夜は制服のままだった。
「保健室で涼もうかなー」
 ふふんと梗夜は笑う。
 朔馬は、保健室という単語に何か思い出したのか、教室から出て行こうとする梗夜を「そういえば」と呼び止めた。
「保険の篠(シノ)先生、産休で休むんだってよ。臨時保険医は男らしい」
「ええ!?」
 それこそ世界の終わりのような顔をする梗夜の肩を、ポンと叩く。ドンマイと目で語って、朔馬は教室から出て行った。
「ええー…」
 教室に一人残された梗夜は、がっくりと肩を落とし、とぼとぼと教室を出て行った。



「先輩ー! センパイセンパイ!!」
 柊(ヒイラギ)はにこやかに笑いながら、海斗を呼んだ。かまって欲しいと鳴く犬のようだ。
「うるせぇよ…。なんでこう、うるさい奴しか居ないんだここは」
 本日数度目の溜息を付いて、海斗は柊を見遣る。
 普通なら関わらないはずの一年と二年だが、諸々の事があり柊は海斗に懐いていた。
「授業はどうしたんだ? 始業ベル鳴ったばっかだぞ」
「サボりっス! 先輩のために俺は先生の目をかいくぐって此処まで来たんですからね!」
「別に頼んでないけど……大丈夫か?」
「…大丈夫じゃないっス」
 給水塔の上に登ったは良いが降りられなくなり、飛び降りようとしたら鉄筋に足を引っ掛けて動けなくなったうえ、逆さ宙吊りという状態になってしまった犬もとい柊を――海斗は見た。

「助けてください先輩〜。可愛い後輩のピンチっスよー!」
「………」
 じいとそれを見上げたまま、海斗は動かない。
 柊は、必死に尻尾を振りながらも絶体絶命なのをアピールする。何気なく嬉しそうなのは気のせいだろうか。
「先輩〜、ピンチの俺を助けてくだい〜」
 ちょっと嬉しそうだ。あわよくばお姫様抱っこをとか考えているのだろう。
「……犬は、高いところから飛び降りても大丈夫なんだろ?」
 ぷいと顔を逸らして、海斗は持っていた毛糸に視線を移す。
「それは猫っスよー。センパイ〜…」
 そんなあと呟やいて頭を垂れる。そして何かに気が付いたのか、海斗の手元のものを指差す。
「…何やってるんですか?」
「…マフラー」
「編み物っスか!」
 膝の上には参考書。隣には毛糸の玉、手にはぐちゃぐちゃになった毛糸と、毛糸に隠れて見えなくなった編み針がある。
 編み針はそれでも動いてるらしく、もそもそと毛糸の集合体が動いていた。
「俺の為に編んでくれてるんっスね!? クリスマス楽しみにしてますよ!!」
 無視。未だ宙吊りのままの柊を放置しながら、海斗は無表情に手を動かした。
 まだ夏なのにだとか、もはやマフラーじゃないとか、ツッコミどころが多すぎてどうしようもない。柊は素でツッコミをしない体質らしい。
 収集が付かないまま、二人の時間は流れた。

「ところで先輩。そろそろ降ろしてくんないと頭が破裂するっス。血が上ってクラクラしてきました」
「知らん」

日常は相変わらず、だらだらとした夏の暑さと共に続く。
Back to Top / 2007.04.01(2007.04.04修正)

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