「素顔の行方」


最初は、帽子とゴーグルを取った『素顔』を見たかった。
興味は本当にただそれだけだった。



まさかこんなに惹かれるだなんて……自分でも、思わなかった。



「……うえ。にがい……」
湯気を立てるブレンドコーヒーを、それもブラックで。
白いカップからひと口啜ったあたしの感想は、上の通り。
「うへっ、まずいよぉ……」
顔をしかめたあたしを見て、向かいの席に座った深道は肩を揺らして笑う。
「子どもにはまだ無理だよ」
子供、と言われて、ちょっとムッとする。
「……まぁた子ども扱いするんだから……」
「ブラックの味は、大人にならないと分からないよ」
大きな手が伸びてきて、あたしが手にしていたカップを取り返す。
だって深道ってば、いつもとても美味しそうにブラックを飲むんだもん。
美味しそうに見えたんだもの。
ちょっと、真似してみたかったの。
「ホラ、アイス溶けちゃうよ、みおりちゃん」
深道は、テーブルの端っこにのけてあったアイスをあたしの前に置いてくれた。
ゴーグルの奥にある目は、いつもあたしに優しく笑っている。
まるであたしを包むように。




「デート」する時、深道はいつもこの喫茶店に連れて来てくれる。
裏通りの、古いビルの二階にあるこの喫茶店は、数ある喫茶店の中でも深道が一番お気に入りなんだって。
静かな雰囲気と、ずらりと並んだアンティーク。これは大人の空間、ってヤツだった。
『ここは他の人には余り教えたくないんだけど。みおりちゃんは、特別だよ』
初めて連れて来てくれた時に言った言葉は、あたしの心臓をドキッとさせるのには十分だった。
特別って言葉に、女の子が弱いってことを、深道は良く知ってる。
『特別? あたしが?』
『そう、みおりちゃんは特別、だよ』
香ばしいコーヒーをブラックですすりながら、深道は優しく言ったんだ。







思えばあの言葉で、あたしの心は既に半分、揺らされていたのかもしれない。







「みおりちゃん、次何処行こうか? ゲームセンターがいい? それとも水族館? プラネタリウム?」
「んとねぇ、……そうだなぁ、とりあえずはゲームセンターかな」
溶けかけたアイスを忙しく口に運びながら、考えるのは次に行く場所。
深道、遊ぶところも美味しい食べ物屋さんも、ここの喫茶店みたいな素敵なお店も沢山知ってる。
水族館に行ってもプラネタリウムに行っても、何だって詳しい。
深道がいれば、パンフレットなんか要らないんだ。
もちろんゲームは何でも上手くて、こないだもユーフォーキャッチャーで、いっぱいぬいぐるみ取ってくれたんだ。
ユーフォーキャッチャーならお姉ちゃんもかなり上手いけど、深道のほうがもっとずっと上手い。





一緒にいて、全然飽きないんだ。
大人だな、って思う。





本当に最初は、深道の『素顔』を見たかった。ただそれだけだった。
学校帰り、近道に通った公園で、ベンチに座ってる深道を見つけたのは2ヶ月前のこと。
『深道、みっけ』
『ああ、みおりちゃん、こんにちわ』
いつも目深く帽子を被ってる。その下にはバンダナ。
独特の格好は、遠くから見ても一発で深道だって分かる。
帽子とバンダナのその下に更にヘッドホン?みたいなのを。
おまけにゴーグルまで付けて、素顔が全く分からない。
『何やってんの?』
膝の上にある小さなノートパソコン、覗き込もうとしたら閉じられちゃった。
『ん、色々、だよ』
色々、ね。
さりげなくノートパソコンしまい込む深道の横顔。
そういえば一度も『素顔』を見てないことに気づいて、ちょっと気になったのもその時。
『……ねえ、深道』
『ん?』
弟の方は(アホだけど)結構カッコイイから、兄のこの人もそれなりじゃないかなって、 ある程度の予想は立ててた。
『帽子とバンダナと、ゴーグル。いつもしてるけど……それ取ったら、深道ってどんな顔なの?』
深道はちょっと考えて、それからあたしに言ったんだ。
『……そうだな、みおりちゃんが俺とデートしてくれたら、見せてあげてもいいけど』
『でーと?』
『そう、デート』
深道、意味ありげにニヤッて笑った……。
『デートねえ……してあげてもいいけど? 別にぃ』
割と、軽い気持ちだった。
ちょうどお腹もすいてたし。




その後、この喫茶店でお茶をして、特大のチョコレートパフェをおごってくれた。
あたしを『特別』だなんて、ドキッとさせる台詞を言って。
お腹いっぱいになった後は、いよいよ本題。
『見せてくれるんでしょ?』
『ナニを?』
喫茶店から出て、薄暗い階段を下りながら尋ねたんだ。
あたしの問いかけに深道はわざとらしく話題をそらした。
『ナニって、深道の素顔よ……デートに付き合ったら見せてくれるって言ったじゃない』
『ああ、そんなこと言ったっけな』
言ったっけな、だって。わざとらしすぎる。
『あたしは『特別』なんでしょ? だったら、見せて?』
『……そんなに見たい? みおりちゃん』
『うん、見たい!』
『じゃあ、もう一回俺とデートしてくれる?』
『何で?……そんなの、ずるい』
『ずるくないよ。だって俺、デートの回数は一回だなんて言ってないよ?』
『…………!!』
……やっぱりずるい。
最初から見せる気なんて無かったんだ、きっと。









でもここで引き下がるのはなんだか悔しい気がして。女がすたる、ってやつだわ。
『……わかったわ、何回でもデートしてあげるっ』
半分は意地とヤケ。
後の半分は、その時はもう……。








それが始まり。そして、何度もデートを重ねた。







それでも深道はあたしに素顔を見せてくれなかった。
最初は、会うたびに聞いてた。
『今日こそは、見せてくれるのよね?』
『……また今度、デートしてくれたらね』
はぐらかされて、またデートして、また聞いてまたはぐらかす。
堂々巡りを、くりかえして。
でもそのうち、……聞かなくなった。








そんなの抜きで、……いつの間にか、好きになっちゃった。
深道のことを、丸ごと全部。
謎だらけでよくわからなくて、結構敵は多いみたい。
でも優しくて大人で何でも知ってて、賢くて。
その横顔を見るたび、心臓はドキドキする。
デートを心待ちにして楽しんでいるあたしがいる。









……一緒に撮ったプリクラはあたしの宝物。








「ね、今日もユーフォーキャッチャーで、いっぱいぬいぐるみ取ってくれる?」
「ああ、いいよ。時間あったら映画も行こうか、ハリポタ見る?」
「うん……」
ゲームセンターに続く大通りを、いつからか当たり前のように手を繋いで歩いていく。
深道の大きな手は温かくて、ちょっとドキドキしてしまう。
本気でからかわれているのか、それとも。
結構忙しいくせに、こんな子供のあたしとしょっちゅうデートしてくれるってことは、 ……それなりに脈ありだと思ってもいいのかも。
深道の素顔を、まだあたしは見たことがない。下の名前も年齢も、知らないまま。
見せてくれる時は、くるのかな。
その時は、どんな時? ちょっと、期待していいのかな……。







もしかしたら最初から、あれは深道の作戦だったのかもしれないけど。
深道の素顔の行方は、同時にあたしの恋の行方だった。




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