「優しい一日の終わり方」
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一日の終わりに、キスを交わすことを覚えたのは、幾つの時だろう。
いつしか忘れかけていたそれをするようになったのは、つい最近。
みおりちゃんという、小さな恋人ができてからのこと。
冷えた夜の空気は、知らずに二人を近づける。
「じゃあ、また明日ね」
「ああ、また明日」
朝から一日掛りでデートして、最後に映画を見てシネコンを出た頃にはすっかり夜になっていた。
マンションの前までみおりちゃんを送っていって、その別れ際。
当たり前のように彼女は顔を上げ、目を瞑る。
「……ん、」
それは小さな恋人からの、合図だった。
その華奢な肩に手を置いて、触れるだけのキスをし、その日の二人の時間の終わりにする。
柔らかい唇は、禁忌を犯している、と自覚させるだけの甘さと幼さを感じさせる。
「……ありがと、深道」
唇を離すと、みおりちゃんはすぐに目を開いて言う。
「ん?」
「……今日も楽しかった」
感謝の言葉とともに、はちきれんばかりの笑顔をくれる。
一日を終えるのに、こんなに優しい締めくくりは、多分ないだろう。
「そう言って貰えると、光栄だな」
言葉ではさらりと流しながらも、いい歳をして、柄にもなく緊張している自分がいる。
ああ、声が上ずっている。
「深道って、優しいから大好き」
駄目押しの言葉が、俺の心臓を跳ねさせる。
後を引く、触れた唇の柔らかさと暖かさ。
俺に手を振るみおりちゃんを乗せたエレベーターは十四階へと昇っていく。
その姿を見送って、夜の街へと再び消えていく。
「……柄にもないな、本当に」
呟いて、自分の唇に、親指を当ててみる。
……震えている、俺の唇。
キスをするだけで心臓バクバク言わせて、……幾つだ、俺は。
その手を握るだけでもためらっている自分がいる。
あのはちきれんばかりの笑顔を、守りたいと思っている自分が、確かにいる。
どうかしている?
俺は、どうかしているんだろうか?
こんなに優しいだなんて。
こんなに、臆病だなんて。
何気に紛れ込んだ夜の繁華街。いかがわしいネオンと喧騒。
あの子には見せたくない街。
ふらりと立ち寄った行きつけのバーで、
先に来ていたリーにからかわれた。
「最近優しい顔してんな、お前」
「俺?」
「ああ、すっげえ優しい顔してる」
からかうリーに、とっさに返す言葉がなかった。
「フカミチらしくねぇ」
「……」
思い当たるのは、唯一つ。
優しくなれるのは、自分がひどく弱いことを知ったときだと、言ったのは誰だったか。
一日は終わり、また新しい一日が訪れようとする。
「リー、飲めよ。今夜は奢るから」
バーテンダーに飛び切りの酒を注文すると、リーは小さな目を見開いて驚いていた。
「お前飲まないっつってなかったか?深道」
「今日は特別だよ」
「んじゃあ、奢ってもらうとするか」
甘い酒を口にしながら、優しい一日の終わりに、俺はひどく上機嫌だった。
小さな恋人は今頃、きっと夢の中。
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