『鎖』
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年末の特番はここ数年、異種格闘技番組が目立つようになった。
本業の格闘家、タレント、畑違いのアスリートまでがここぞとばかりにぶつかり合う。
「……怖くないの?」
由紀はリングの上で腹筋をする男に、リングの下から声をかけた。
「別に、なんでだ?」
男は由紀の方を見ず、腹筋を続けていた。
佐伯四郎。軟派な精密機械の異名を持つ男は、この年末の特番で、現在若手で一番と目される、
年下の格闘家との対戦が予定されていた。
下馬評は圧倒的に若手が優位。ぽっと出の若手だがベテラン格闘家を何人もKOし、甘いマスクと
お笑いタレントも真っ青のしゃべりで、リングの外でも人気があった。
佐伯四郎は既にピークを過ぎた格闘家というのが、現在の世間での認識だ。
佐伯はそれを否定しない。
ここ最近、佐伯は自らリングに上がって戦うことよりも、後進の育成・指導、佐伯の名を冠した大会の開催、そして
そんな異種格闘技番組の解説やスポーツ番組でのコメントなど、明らかに一線を退いた人間がする仕事の方がはるかに多かった。
佐伯の年齢を考えれば、ピークを過ぎていて当たり前かもしれない。
肉体はいずれ衰える。それはこの世の理だ。
「それがな、負ける気しねぇんだなぁ……ちっとも」
佐伯は腹筋を止めない。
フッ、フッ、と短い呼吸をするたびに、汗が飛び散り、しっかりとついた筋肉が収縮する。
「それは凄いわ、フフ……」
「なんだ、俺がビビってるとでも思って来たか?」
「……少しはね」
由紀の心配とは反対に、佐伯の目の奥には炎さえ見える。
「戦うことが楽しくて仕方ないんだ、今……猛烈に戦いたくてたまらねぇ。
長いこと格闘家やってっけど、今ぐらい戦うことが楽しくて、戦いたいって思ったのは初めてだ……」
まるで子供がサンタクロースのプレゼントを待ちわびるがごとく、佐伯は数日後に迫った対戦を心待ちにしているのだ。
「心の底からワクワクするんだ」
今にも踊りだしそうな声だった。
佐伯は腹筋を止めると、ようやく由紀の方に顔を向けた。
「鎖が外れるって、素敵なことだ」
「鎖?」
「ああ、そうだ……鎖だ。俺は自分の鎖を外した。皆口由紀、お前も外してみたらどうだ……お前の中の鎖を」
佐伯が浮かべた不敵な笑みは、自らの中の鎖を外した者の証。
「素敵な世界が待ってるぜ?」
差し出された佐伯の手。
この手にかけてみようか。
そしてこの男と同じように、自分の鎖を外してみたら……その先には何が待っているのだろうか?
外してみようか。自分の鎖を。
由紀は恐る恐る、頷いた。
(END)
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