あの日のあの子



(side:啓介)
二年前のことだ。
買ったばかりのFDで、チームじゃなく一人で、赤城じゃなく秋名の峠を走った夜があった。
時刻は確か、真夜中だった。
スケートリンク前ストレートで、路肩に止めた車が不自然に上下に揺れているのを見つけた。
真夜中の峠や海岸じゃよくある光景で、ああまたか、と思った。
その日は走り屋の車も少なくて、よろしくやるにゃあ丁度いい夜だった。
ただ変わっていたのは、その車がゾロ目や連番で必要以上にスモークを貼ったセドリックやシーマやクラウンじゃなく、おっさんが好みそうなハチロクで、車体の横には何かの店名が記されていたってこと。
何やってんだよ、店のクルマで。
FDを停めると、オレはそのハチロクに近づいて中を覗き込んだ。
興味本位、ってヤツだ。大した意味はなかった。
どうせ車も買ってもらえないヤツが、家の車を持ち出して彼女とよろしくやってんだろ、と。
どんな不細工同士か見てやろう、後でツレとの話のネタにしてやろう。それくらいの、軽い気持ちで。



車内では綺麗な色白の女の子が、倒したナビシートで男を受け入れていた。
茶色いショートヘアー。多分、高校生くらいだろうか。
白い肌にはうっすらと汗が浮かび、規則正しく激しく、揺さぶられていた。
「ッ……ぁ、……」
泣きそうな顔で、女の子は覆い被さっている男の頭を掻き抱いていた。
可愛い子だった。結構好みのタイプだった。
覗いているオレには気付く素振りもなく、かすれた声で喘ぎ、快感にその身を委ねていた。
「オヤジッ……ぁ、ああっ……!」
女の子の声が裏返った。男が暴れんな、と低い声で言った。
すらっとした女の子の脚が、エアコンの噴出し口に取り付けられたカップホルダーを蹴った。
ばりん、とホルダーが割れた。
黒いプラスチックがばらばらと落ちた。


オヤジ、という言葉に、オレは柄にもなくどぎまぎした。

頭に白いものが混じった痩身の、だが筋肉質な中年男が上から多い被さり、懸命に上下に動いていた。


「駄目、イく……ぁ……」

限界を告げる声とともに、一瞬、女の子がこっちを向いた……その茶色い目に、オレが写っている。はっとして、オレは慌てて逃げ出した。
FDのエキゾーストが聞こえていないのか、ルームミラーに映ったハチロクはまだ不自然に上下に揺れていた。



あれから何度か秋名の山には行ったけど、あのハチロクを見かけることはなかった。
申し訳ないと思いながらも、オレはあの子を夜のオカズにさせてもらった。
白い肌。茶色いショートヘアー。喘ぐ顔。切ない声。
ハチロクをオレのFDに、あの中年男を自分に置き換えて。FDはフルバケだから、あんな風にシートを倒すことは出来ねーんだけど、まぁその辺は……都合のいい妄想、ってことで。
名前も知らない、ただ男に抱かれてるところを見ただけの、喘ぐ声と感じる顔を見ただけの、可愛い女の子。
その子を抱く妄想で、どれほどの精子が虚しくティッシュに放たれたことか。



記憶は月日とともに薄れていく筈なのに、あの子の記憶は薄れなかった。
満たされない夜、何度もペニスを握りながらあの子を思い浮かべた。
妄想の中では何百回と犯した、茶色いショートヘアーの女の子。
車はハチロク。確か店の名前が車の横に書いてあった筈だったが、その名前はよく覚えていない。
目の裏がちかちかし、血液が沸騰する。白濁がペニスの先端から飛び出す。

「……ッ、……ぁ……!」
ベタベタに汚れた手をぼんやりと眺めながら、オレは思った。


あの子は、何処にいるんだろう。






再会は突然だった。
秋名の下りでオレを追い抜いたハチロクと、あのハチロクがまさか同じ車だとはオレ自身想像だにしなかった。
六月の土曜の夜。あれからきっちり、二年後。
秋名スピードスターズとの交流戦のタイムアタック。時間ギリギリに来たハチロクから降りたのは、オッサンかレーサー崩れというレッドサンズの予想を覆す、まさかの女。女子高生。
茶色い髪の、ショートヘアーの、ちょっと背の高い色白の女の子。あの日見た女の子。
乗ってきたのはハチロク。あの日の車。
カップホルダーが割れる一瞬が、オレをその目に映した、イく瞬間のあの子が、頭の中に甦った。
「若いなずいぶん…名前は?」
「藤原拓海」
動揺を抑えながら訊ねると、あの子は淡々と、そう名乗った。



そしてオレは、藤原に負けた。



藤原が中里に勝って少し後の土曜日。
FDは車検で、代車のオートマのデミオはどうにもかったるくて歩きで出かけた。
免許取って以来、あんまり徒歩移動ってのはなかった。電車とバスを乗り継いで、渋川にあるツレの家に遊びに行った、その、帰り。
「……あれ」
国道沿いを歩いていると、後ろからすげーやる気の無い声がした。
「あ?」
立ち止まって振り返ると、まさかのハチロク。藤原拓海が、道端に止めたハチロクに乗り込もうとしていた。
「藤原……」
「……高橋さん、でしたっけ……」
「ああ」
藤原は上はTシャツ、下は制服のミニの襞スカートにルーズソックスにローファーという随分無茶苦茶な格好で、プラスチックのケースを手にしていた。
「何してんだよ、藤原」
「……配達です。うち、豆腐屋なんで」
ホラ、と車体の横の文字を指差す。
「知ってるよ」
「高橋さんこそどうしたんですか。あの黄色い、空飛びそうな車はどうしたんですか?」
抑揚もやる気もない声。ぼーっとしてた。空飛びそうって、ああ、ウイングのことか。あんなんで飛ぶかよ。
「――車検」
「代車、借りなかったんですか?」
「オートマなんざかったるくて運転する気にもならねーや」
「……そうなんですか」
「ミッションの代車はディーラーのミスで来なかったんだよ」


会話が途切れた。
暫し、沈黙。
オレは藤原を、上から下まで見た。



二年前と同じ、茶色いショートヘアー。白い肌。
すらっとした脚は、あの日、カップホルダーを蹴って割った。
胸は結構でかい。
「……お前、乗せろ」
「は?」
「駅まででいいから、オレを乗せろっつってんだ」
なんとなく、そのまま立ち去るのは惜しい気がした。
もう少し話がしたかった……藤原と。じっくり、見たかった。
「いいですけど――」
うちの車、古いですよ。藤原はそういうと、オレにどうぞ、と言って自分は運転席に廻った。



車は確かに古かった。
チューンドなのは確かだが、シートはノーマルだし計器類もオニってるわけでもなさそうだ。
タバコの匂いがして、鼻を鳴らすと「オヤジが吸ってるんで」と藤原が言った。
高校三年の癖に、運転は確かに慣れていた。
無免してたろ、と訊ねると、ハイ、と素直に認めやがった。


エアコンの噴出し口のところに、カップホルダーがあった。
それほど古くはない、まだ新しい……。
「…………」
オレは二年前を思い出していた。
ちらりと横目で見ると、襞スカートから伸びる白い長い脚が、アクセルとブレーキとクラッチを忙しなく踏んでいた。
あの脚が、カップホルダーを蹴るあの一瞬が、脳裏に甦ってくる。
「なぁ、藤原」
「はい」
「お前ってさ――」


何であんなことを聞いたんだろう。
他に話題はあっただろうに。
どこ住んでるんだ、とか。
どこの高校通ってるんだ、とか。
ガッコで何が流行ってんだ、とか。
どうしてオレはあんな質問を、選んだのか。


「お前、二年前に秋名の峠で、このハチロクん中で男とセックスしてたろ――」


目の前の信号が赤になった。
ハチロクはゆっくりゆっくりと減速し、停止線ピッタリに停まった。
「はい……」
藤原は、目の前を見たまま肯定した。
ああやっぱり。と思ったのは一瞬で、その後は激しい後悔の念に襲われた。
何でそんなこと聞いたんだ、オレ! バカじゃねえのか! バカ啓介!
だが、オレの後悔を他所に、藤原は淡々と喋ってくれた。
「あれ見てたのアンタだったんですね。イく瞬間、誰か見てるなって思って目ェ開けたんですけど……顔まではっきりわかんなくて……」
「……あ、ああ……」
やっぱり、あれは、藤原、だったんだ。
「……相手、誰だったんだ?」
「オヤジです。ウチの……」
「そ、っか……」
そうだ、確かにオヤジって呼んでた。でもまさか本当にオヤジさんだったとは。
「藤原は、さ、……オヤジさんとは、いつから……なんだ?」
何聞いてるんだ、高橋啓介。バカだろ、お前っ。
もう一人のオレがオレを制したが、オレの口からは、そんな不躾でデリカシーの欠片もない質問が、ポンポン飛び出してきた。
「中学の頃から……無理矢理とかじゃなくて、誘ったの、オレの方ですから」
信号が青になった。ギアをローにいれ、藤原はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
「心配しなくても、赤ちゃんが出来て堕ろしたりとか、そういうコトはありませんから。避妊はしてます」
相変わらず真っ直ぐ前を見据えたまま、藤原はオレが聞きたかったことを、頼みもしないのに教えてくれた。
「あの日は、オレが山でしたいって言って、オヤジに酒飲ませて誘って……オレが運転してあそこまで行ったんですよ。でも、アンタ以外、誰も覗いてはきませんでしたけど」



藤原が中学に上がる前、お袋さんが男作って逃げちまったらしい。
女房を見ず知らずの男に寝取られたオヤジさんが可哀想だと思った、だとよ。



「最初はオヤジが可哀想だなっていうのが半分で、あとの半分はセックスに対する興味本位っていうか……知らない男に脚開くのもなんかヤだったし。コーラで洗えば大丈夫みたいな嘘信じてる同年代の男なんかお断りだったし……オヤジなら慣れてるしイイだろうなっていうのと……風呂で背中流した時に、アレがでっかいの見たから。
実際上手かったですよ、オヤジは……あんまり痛くなかったし……ああでもいざそういう関係になったら、なんかオレのほうが夢中になっちゃって――別に猿みたいに毎日盛ってるわけじゃないんですけど、最近オヤジったらオレを避けるんですよ」



ねえ、聞いてます、高橋さん。
藤原はひとしきり喋ると、オレのほうを漸く向いた。
「……啓介だよ」
オレは、搾り出すように、そう答えるのがやっとだった。


気付けば、オレと藤原を乗せたハチロクは、秋名の峠にいた。
「ね、啓介さん」
藤原が、オレを啓介さん、と呼んだ。オレは藤原を見た。
「しませんか?」
誘って、来た。
その時初めて、オレは気付いた。
あの日、峠の道端で揺れていたハチロクに、オレはいる。
あの日、実の親父に抱かれて喘いでイった女と一緒に。
あの日以来、何度も妄想で抱いた、女と。
あの日、藤原がセックスしていた秋名の峠に。
「いいでしょ?」
藤原が微笑み、スカートをちょい、と捲くる。
「お前っ……!」
その下は生身の身体。下着は、つけていなかった。髪と同じ色の繁みが、ほんわりとそこにあって。
「ね……」
手を取られた。
オレは藤原に導かれるがまま、そのスカートの下の繁みに、汗ばんだ手を差し入れた。
「ッ……」
藤原が顔をゆがめた。じゃり、と毛ごと擦ってやると、ぬめった温かな肉が、指に絡みついた。
「アッ……あ、あ、」
「すげ……もう濡れてんじゃん……」
藤原、と、オレは藤原を呼んだ。
シートベルトを外した藤原が、目を潤ませオレに身体を寄せてきた。
「……ん、」
顔を近づけ、オレは藤原にキスを、した。



あ。
なんか、今、箍が外れたみたいだ。ぱちん、て、音がしたんだ。



それはあの日見た、ハチロクのカップホルダーが割れる音とよく似ていた。



昼日中の、秋名の峠の木陰。
ハチロクは二年前の真夜中と同じように、不自然に上下に揺れていた。



オレは藤原の中に、何度も出した。

(終)





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