あの日のあの子 2



(side:涼介)
二年前のことだった。
彼女を亡くした心の傷は、まだ癒えてはいなかった頃だ。
それが同級生の心遣いだというのは分かった。そいつはいいヤツだったから、オレには分かる。
彼女が死んだ時、落ち込んでいたオレをとても気遣ってくれ、ノートも代返も買って出てくれたヤツだ。
ただの悪戯だとかからかいじゃないって言うのは、よく分かった。けれど女には縁遠いことを自虐ネタにする同級生の心遣いは、どうもちぐはぐな方を向いていた。
「知ってるか、高橋。渋川で女子高生が買えるんだぜ」と。
ゼミの休憩時間に耳打ちされて手渡された、小さな紙切れ。ここに電話すれば、女子高生が買えるのだという。
相場は初めてなら幾ら、口なら幾ら、と、万円単位を省略した数字を教えてくれた。
「ああ、そう……」
受け取って、その数字の羅列をぼんやりと眺めた。
彼女を亡くして以来、そういった方面にはとんと疎くなっていた。言い寄ってくる女は相変わらず多かったけれど……。



一度くらいなら良いか、と。
丁度その日は大学が早く終わったし、と。
ほんの、出来心。
出来心だったんだ、オレにとっては。



大学が終り、学生用駐車場に停めたFCの中で携帯のボタンを押した。仲介業者のような男に繋がった。
淡々としたマニュアルどおりの台詞。後ろ暗さの裏返しか。どんな女の子がいいですかと訊ねられた。
「――出来れば、初めてじゃないほうがいいんですが」
言うと、電話口の向うの男は笑った。
『お客さん、普通は初めての子を望むもんなんですが、珍しいですねぇ』と。望んだところで、来る女の子が本当に初めてかどうかははなはだ疑わしい。
何と言われても平気だった。
面倒くさいのは嫌だったから。




指定された場所――渋川の駅――に現れたのは、セーラーを来た、茶色いショートヘアの女子高生だった。
女の子にしては背は高いほうで、色白で、脚はすらっとしていて、胸は大きめでちょっとボーっとしていた。
あのセーラーは、渋高のセーラーか。偏差値は中くらい。渋高の子も、援助交際なんかするんだな、と少し驚いた。
「……初めまして」
先に挨拶したのは彼女の方だった。抑揚の少ない口調で、ハスキーボイスだった。
「初めまして。涼介でいいよ」
「……藤原、拓海です」
拓海でいいです、と、彼女は言った。
「ドライブでも、しようか。拓海」
オレにこれを勧めてくれた同級生は、とりあえず会ったらまずドライブにでも誘って、食事でもして、それからコトに及べばいいと教えてくれた。
「はい……」
拓海はコクン、と頷いた。



「すごい車ですね、コレ」
国道をのろのろ走っていると、拓海が言った。
「ああ、この車?」
「なんていうんですか?」
「ん? マツダの……RX-7……FC3Sっていうんだ」
「えふしー……?」
「そう。FC。拓海は、車とか好きなの?」
「いえ……よく分かんないです」
「家に、車はあるんだろ? お父さんは何に乗ってるの?」
「……トレノとかいう車です。仕事に使ってて……」
トレノか。いかにも父親世代の車好きが好みそうな車だ。
拓海は前を向いたまま、オレの方を見ようともせずに会話を交わした。
「……拓海は、幾ら欲しいのかな」
オレは拓海に訊ねた。花代はお気持ちで、と仲介業者は言っていた。あくまでも自由恋愛、なんだそうだ。わざとらしい逃げ口上だ。
「相場っていくらなんですかね? 初めてああいうところに登録したから、よく分からなくて……」
拓海はやっぱり前を向いたまま言った。短いスカートから、すらっとした脚が伸びていた。
本当かどうかは分からないが、拓海はああいう業者に登録して男を紹介されたのは、初めてなのだという。
「初めてなら……そうだな、5とかそのくらい?」
オレは適当に答えた。友人には、初めてなら3と言われた。10とか言ってくる強気な子もいるが、幾ら初めてでも今日日の女子高生は結構相場が下がっているのだと言う。10は中学生の初物の相場、高校生も中学生も東京ならもっと安い、と。
「もっと安くていいです。どうせ、オレ初めてじゃないし」
たばこを1カートン、夕食一回分、それと、車につけるカップホルダー。
彼女はこれが買えるだけのカネがあればいいと言った。
「……それだけ?」
オレは驚いて訊き返した。
「はい。幾らくらいでしょうか?」
「……そうだな。一万、くらいかな」
いや、一万でもお釣りが来るだろう。
「ガソスタのバイト始めたんですけど、まだ給料日までだいぶあるから……」
聞けば、拓海は父一人娘一人の家庭だと言う。
父親の誕生日に何かをしてあげたくて、慌ててバイトを始めたが、給料日を待つと誕生日を過ぎてしまう、だから手っ取り早く、と……。
正直、こんなところに登録して派遣されてくる女の子なんて、皆遊ぶ金欲しさだと思っていた。
だから驚いた。
そんな健気な子が、今時居るんだと。
拓海が嘘をついているようには思えなかった。
「一万なら、何もしなくても……オレと食事するだけでいいよ」
オレは拓海が可哀想で……といういい方はあまり良くないのかもしれないけれど、哀れを催したのは確かだ。
拓海がやっとオレの方を向いた。
「……そうですか?」
不思議そうに、首を傾げてきた。
「ああ」
オレは頷いた。
「拓海。キス、しようか……」
信号待ちで、FCを停車させた。
キスしようと思ったのは、食事だけじゃちょっと寂しいな、と思ったから。それと、拓海が可愛かったから。
顔を近づけて、拓海とキスをした。拓海は黙って目を閉じて俺の唇を受け入れた。
柔らかい唇だった。
「……タバコ、吸わないんですね」
唇を離した拓海が、そう言った。



何度か行ったことのあるレストランに彼女を案内した。外装は小じゃれていて、いかにも格式が高そうに見える。
注文したのは簡単なコース料理で、基本はナイフとフォークだが望めば箸も出てくる。見た目に反してくだけた店だ。
「美味しい?」
サラダを頬張る拓海に訊ねると、彼女は少し微笑んで頷いた。笑う顔を、車の中ではちっとも見なかったから、オレはホッとした。
「こんな美味しいの、食べたことないです。うち、ビンボーですから」
割り箸で器用に豆を摘まみ、ぽってりとした唇に運ぶ。
つやつやとした唇が、なんとも艶かしい。さっきキスをした唇。
「ビンボーとか、軽々しく言うものじゃないよ……」
その唇を正視できなくて、目をそらしながらオレはわざと思ってもいないことを呟いた。
最後に豆乳を使ったデザートが出てきた。オレはいつもと変わらない味だと思ったが、彼女は複雑そうな顔をした。
「どうかしたか?」
「……いえ、他のは全部美味しかったんですけど……コレだけは、ウチのほうが美味しいかなって……」
「ん? ウチ?」
「あ、ウチ、豆腐屋なんです。これ、材料豆乳でしょう?」
「ああ……なるほどね」
豆腐屋の娘さんなんだ。
店の名前を聞こうと思ったが、やめた。名前が藤原だから、きっと藤原豆腐店とかそんな名前だろう。




店を出て、またドライブをした。
日はすっかり暮れていた。夜景を見ようと、秋名の峠にFCを走らせた。
秋名山にも走り屋はたくさんいるはずだったが、その日はほとんど見かけなかった。そういえば今日は妙義でバトルがあるんだと思い出した。きっと皆、そっちへ行ってるんだろう。
バトルのカードを聞いたときから結果もある程度のタイムも予想がついたから、オレははなから行かないと決めていた。
「そういえば、タバコと夕食は兎も角、カップホルダーって?」
五連続のヘアピンをゆっくり攻めながら、オレは拓海に訊ねた。
滑らせないギリギリで……女の子に、走り屋全開のドライブは嫌がられるだろうと思って、”普通の”走りをした。
訊ねたのは、拓海がさっき言った欲しいものの最後に、カップホルダーというのがあったからだ。
「カップホルダーって……これですよ」
拓海はFCのエアコンの噴出し口についている、カップホルダーを指差した。
こんなもの、カー用品店で千円か二千円、高くても三千円もしないだろう。
「オヤジの車のカップホルダー、オレが蹴って、割っちゃったんで……」
カップホルダーをどうやったら蹴って割れるんだろう? オレは疑問に思った。
「そう」
拓海の脚をちらりと横目で見た。
確かに女の子にしては背は高いし、脚も長いけれど……。
拓海の家の車はトレノだと言っていた。いくら1600でも、そう狭いわけでもないだろう。
例えば、助手席側のドアが開けられなくて、運転席側から乗り込んで移動した時に割ったとか?
それか……思い切りシートを倒して、寝て、脚を上げた時とか……。
そこまで考えて、はっと気づいた。
ああ。
カーセックス。
初めてじゃないと、言っていた。



下りのスケートリンク前で車を路肩に停車させた。
家まで送って行くよといったら、峠を降りると家はもうすぐだし、商店街で道が狭いから下りた所でいい、と拓海が言ったからだ。
「はい、一万円と……五千円」
財布から出した札を二枚、ナビシートの拓海に手渡した。
オレが仲介業者に後で手数料を払うのは分かっていたが、もし拓海も業者に幾らか跳ねられるならかわいそうだと思い、少し大目に渡した。
「一万で、いいんですよ、涼介さん。その約束でしょう?」
拓海は五千円を返そうとした。
「いや、いいんだよ。受け取っておいてくれよ……お小遣いだよ。それと拓海、もうこんなことは……」
やめろよ、と言いかけて。
オレは自分の下半身に、違和感を覚えた。
「たく……」
一万五千円が、はらりと足元に落ちた。
「拓海……っ、」
拓海の手が、オレのデニムの股間に触れていた。
細い手が器用に動き、ジッパーを下げ、オレのモノをあっさりと取り出した。
その、手際の良さと言ったら……。
「じゃあ五千円分くらい、サービスしないと……ね?」
涼介さん? と名前を呼ばれ。
拓海が身を屈めた……オレの股間に顔を寄せて。
「ん、っ」
半勃ちのオレのものを、咥えた。



FCはプアマンズポルシェと呼ばれる。真田十勇士の名前。貸借対照表。グレイビーソース。緒美が作っていた、シフォンケーキの材料とその手順。
そんな、どうでもいいようなことが頭にぽんぽんと浮かんでくる。
浮かんでくるのではなく、浮かべているのだ。別なことを考えていないと、すぐにイってしまいそうだった……オレは関係ないことを頭に浮かべて快楽を少しでも持続させながら、フェラチオをする拓海を見下ろし、時折喘いでいた。
「う……ッ、く……ぁ、」
拓海の茶色い髪が上下に揺れる。
温かにぬめった口腔がオレ自身を包みこみ、ざらりとした舌がくまなくあちこちを嘗め回す。口をすぼめ、じゅぽじゅぽとまるで女のアレの様に使い、喉の奥で吸われ、軽く歯を立てられ、鈴口に舌先が触れる。
「あ、あ……ぁっ……」
下半身を直撃する拓海のフェラテクは……経験の余りないオレでも、慣れているとわかった。
根元を手でがっちりと抑え、時折扱いて煽る。陰嚢を、まるで玩具の様にふにふにと撫でたり掌で転がしたり……。
「涼介さん、……て、あんまり経験ないんですか?」
唾液と先走りに塗れた口元を拭いながら、拓海が見上げてきた。
「ああ……だとしたら、何か……?」
「こんなに男前なのに……変なの」
拓海はオレのペニスに……唾液塗れのそれに愛しそうに頬を寄せ、繁みとの境目からじゃりじゃりと、陰毛ごと舐め上げてきた。
……なんて、いやらしい光景だろう。
背筋がゾクゾクした。
「……拓海、ッ」
名前を呼んだ。こんなに性的な何かを喚起する女だったのか、と……あんなにボーっとしていて、健気な少女だと思っていたのに……。
そういえば。
そういえば、こんなはしたないこと、死んだ彼女には一度だってしてもらわなかった。そこまで恥知らずな関係ではなかった。
自分というものを持ったしっかりした女ではあったけれど、オレとは奇麗事と理想論と夢を並べ立て、お茶を飲んで手を握りあい物陰で抱き合うような、割と清い関係だった。抱いたことはあったけれど、こんなことはさせたことも望んだこともなかった。
もっと生きていたら、彼女ともこんなことをしただろうか? 否、きっとしなかった。
そういう関係では、なかったから。
「あ、ッ……拓海、ッ」
「出そうなら、出していいですよ……飲みますから」
「そんな、汚いッ……!」
「平気ですよ」
拓海はオレ自身から口を離し、根元から先へと大げさに扱き上げながら、上目遣いでオレを見た。




「毎晩飲んでるんです……オヤジのを……」




「――……ッ!?」
一瞬、何のことだか分からなかった。次の瞬間、ひときわ強く扱かれた。
「あ・アー……ッ!!」
全身の血液が、下半身に集中する。
拓海が先端を咥える。髪を掴んで離そうとしたが、手が滑った。




ばりん、と、滑った手がカップホルダーに当たって、砕けた。



長い長い、射精感が続いた。
ドクドクと何回も何回も…………。
「――……ぁ……あ、あ……」
オレは情けないくらい声を裏返らせ、拓海は喉を鳴らした。ゴクン、と、美味そうに飲下した。
「……ッふ……濃い、ですね。涼介さん」
拓海が口を離し、オレを見上げて微笑んだ。
「拓海……ッ!」
「もう、ここでいいですよ。歩いても帰れますから……」
落ちた二枚の札のうち、拓海は一枚だけを拾った。
「ああ……割れちゃった……ごめんなさい、涼介さん」
拓海のローファーが、足下に落ちたプラスチックの欠片を踏んだ。ドアが開き夜気が入り、拓海を攫って、また閉じられる。
おやすみなさい。
ハスキーボイスが、ドアの向うからした。



オレは下半身を露出したな避けない格好のまま、ハザードをつけたFCの中で蹲っていた。




あの日以来、オレはFCにはカップホルダーをつけなかった。



願掛けのようなものだった。



またあの子と会えるまでは、つけない。そう決めていた。



あれから何度か出会い系で拓海を探してみようかと思った。渋川高校の前で待ち伏せをしようか、峠の下の商店街に行こうかと思ったけれど、どれも実行できなかった。




会えば、もっと拓海に溺れてしまうのが、分かっていたからだ。



二年後の、六月の土曜日。
再会はやって来た。
啓介を追い抜いたハチロクが、レッドサンズと秋名スピードスターズとの交流戦に姿を現した。
ドライバーはオッサンかレーサー崩れだろうと言うオレの予想を覆し、時代遅れのハチロクから出てきた少女に、オレは驚いた。
まさかの、あの。
「若いなずいぶん…名前は?」
「藤原拓海」
啓介に尋ねられ、答えた名前はあの日のもので。
セーラー服を着ていたあの子は、ラフなジーンズにスニーカー、だぼっとしたTシャツ。
相変わらずボーっとしていてショートヘアーで……変わらなかった。
拓海はオレのことなど忘れました、知りませんという素振りで、淡々とハチロクに乗り込んだ。




バトルは拓海の勝利だった。



ああ。
オレは、また拓海に会ってしまった。



あの日の続きをしたい。
拓海と、したい。
あの日拓海が言っていた言葉の意味を、知りたい。
親父のを毎晩飲んでいるって? どういう意味だ?



想いは日を追うごとに膨らみ、淫らな妄想がオレの頭を支配していった。




「あれは……?」
秋名の峠の木陰に拓海のハチロクを見つけたのは、それから少しした土曜の昼下がりのことだった。
啓介とのバトルに勝利した拓海は、その後妙義の中里とのバトルにも勝利した。
そのすぐ後のことだった。
一念発起とは大げさな四字熟語だが、それ位の決意でバイト先のガソスタに拓海を訪ねたが、生憎家の手伝いで休みだとかで不在だった。
仕方なく秋名を流すかと、FCを走らせていたのだ。



ハチロクは木陰に停められ、不自然に上下に揺れていた。
「……?」
オレはFCを降りて、そっと近づいてみた。
金色と茶色が、中で動いていたのが遠目にもわかった。



その中で繰り広げられている、拓海と弟のあられもない姿に、全身の血液が沸騰するとも知らずに。
オレは、ハチロクの中を覗き込んだ。





(終)





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