平凡一日







古びた鬼の面が、旅籠の軒先に下がり、風に吹かれてくるくると回っていた。
この旅籠は、現在鬼兵隊の実質上の本拠地となっている。


似蔵、と声をかけられ岡田は夢と現を行き来していた意識を覚醒させた。
「……また子さんかィ」
目を開いたが、また子の姿が見えるわけではない。しかし岡田にはどこにまた子がいるのかははっきりと分かる。
「そんなとこ突っ立ってねェで、入ってくりゃぁいい」
「ここでいいッスよ。似蔵、今日の調子はどうだい?」
部屋の入り口に突っ立ったまま、また子はそっけなく似蔵に調子を尋ねる。
先の戦いで岡田は片腕を失い、顔には終生消えぬであろう横一文字の創。それ以外にも全身に創を負っている。
煎餅布団のような厚みの無い布団から岡田は起き上がると、この通りさね、と笑う。
「ちょいと起きて欲しいんスよ」
「……なんだィ、またドンパチやるのかい?」
楽しみだねェ、と岡田はククク、と笑う。
「違うッスよ……この部屋を使うから空けて欲しいんスよ。ちょっとの間だけなんだけど」
「あァそうかい、何だいあてが外れたねェ」
「ドンパチやんのはもうちょっと先ッスよ、ほらっ、どいたどいた!」
また子は岡田が座る布団を端から無理やり引っ張った。岡田はわぁ、と声をあげわざと大げさに布団から畳へと転がる。子供じみたことをする岡田に、また子が笑った。


岡田が部屋を追い出されたのは、夜通し密輸の船で詰めていた下っ端の連中が雑魚寝をする為だった。


長い廊下を、岡田はまた子に付き添われて歩く。
隻腕は思っていたよりも歩きづらい。身体のバランスがとりづらいのだ。何れは慣れる、と医者は言うが、岡田はもう若くはない。慣れるには時間が掛かるだろう。
「似蔵、左曲がるよ」「あいよ」
岡田の肩に掛けただけの羽織がずり落ちそうになり、また子は歩きながらそれを深く掛けなおしてやった。
「おや」
岡田がふと立ち止まった。また子も立ち止まった。
「あの子、来てるんだねェ」
スンスン、と鼻を鳴らしながら岡田が言った。
「――河上先輩の部屋ッスよ」
「そうかいそうかい……そうだろうねェ」
「よくわかるね」
「違う匂いが入るとすぐに分かるんだよォ」
「アンタ犬みたい」
ホラ行くよ、とまた子は岡田を促し、再び歩き始めた。


「あの子もよく飽きずに来るモンだよ、こんなむさッ苦しい所にさ」
三畳の布団部屋で、岡田は積み上げられた布団に凭れ掛かる。また子は岡田と自分の分の茶を淹れながら、『あの子』のことを話題にする。
たびたび河上が連れてくる『あの子』は、歳も近く同性であるまた子から見ても、異質な存在だ。
さっきも、また子は岡田を起こしにいきがけに『あの子』と廊下ですれ違った。河上の後をついて歩く、手毬柄の着物が鮮やかだったのを覚えている。
「あの子は河上さんの言うことなら何でも聞くって晋助様が言ってたけどさ……呼ばれたんじゃ来るしかないんだろうね。似蔵、ホラ熱いよ」
「あァ、すまないね。冷ましとくよ」
受け取った湯飲みを畳に置き、岡田は遠く聞こえる三味の音に耳を欹てる。
河上の部屋から聞こえてくる。小唄だ。それも、二つ。
玄人の美しい三味の音と、まだぎこちない三味の音。小唄はじれったいほど、幾度も幾度も途切れる。
河上が『あの子』に、三味を教えているのだ。ぎこちない音は『あの子』の音だ。
「この前はお茶の宗匠さんの真似事で、今度は三味かい。河上さんも飽きない人だねェ」
その前は確か花だった。
「長ーいことあの子から搾り取る算段なんでしょ」
若さを売りにするだけの歌い手では息も短い。貴重な資金源には長く稼いでもらわねばいけない。
だから『あの子』には何でも教えて身につけさせ、芸能の世界でずっといられるようにするのだと 河上が武市に話していたのをまた子は聞いた。
「搾り取るねぇ……でも、尻に敷かれてんのは河上さんの方でさァ」
「そうッスかぁ? あの子は河上先輩の言うこと聞く立場ッスよ? 立場的には河上先輩の方が上っしょ?」
「……また子さんよォ、それはあくまでも表層的なもんさね。何も見えてるモンだけが真実じゃあないんでさァ、」
「似蔵の話は難しくてわかんないッス……要するに、見かけはあの子が河上先輩に従ってるようで、実は逆だって言いたいんでしょ?」
「そうさねぇ……そうだねぇ」
そんなもんだねぇ、と岡田は何がおかしいのか一人クックッと笑った。
「そんな風には見えないッスけどねぇ」
「そのうち分かるよォ、また子さん」
岡田は湯飲みが温んだのを指先で確認すると、ぐいっと一息に飲み干した。



三味の音は二つ、まだ聞こえている。

(幕)




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