人斬りの愚痴
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何度目かの会談の場所にと河上が指定してきたのは、色町の裏通りにある料亭だった。
屯所からそう遠くは無い場所だった為、伊東は仕事の後、そこへ向かった。
まだ日は落ちきっていないというのに茣蓙を抱えた夜鷹や千鳥足の酔っ払いとすれ違う。
帯刀する伊東を見ればみな避けて行くのだが、いかがわしい通りだ。
看板の無い暖簾だけの料亭は一見お断りの雰囲気で、こんなときでもなければ訪れることは無かっただろう。
入り口で女将を呼び河上と自分の名を告げると少し待たされて二階へ案内された。
先に河上は来ているらしい。狭い階段で攘夷浪士らしい柄の悪い男連中とすれ違い、成る程と合点がいった。
だから河上が待つ部屋に通されたとき、河上の横に可愛らしい少女がいることに伊東は驚いた。
(どういうことだ?)
河上の隣にいたのは、テレビや雑誌でよく見かける、アイドル歌手の寺門通だった。
「伊東殿、随分お早いお着きで」
「残業は他のものに押し付けてきたのでね」
既に二人分の膳が向かい合わせに用意されており、伊東は一つの膳の前に腰を下ろした。
河上と通は膳から離れた畳の上に楽譜らしきものを広げ、打ち合わせ中だったようだ。
「申し訳ない、伊東殿。表の仕事の方も忙しいゆえ、お通殿に来て貰って打ち合わせをしていたところでござる」
「いや、構わないよ。話し合いの席を持ちたいとったのは僕のほうだ。……何なら終わるまで席を外していようか?」
「それには及ばぬ。もう終わるところでござるよ」
(こんな場所に部外者を、それもあんな小娘を呼びつけるとは)構わないといったものの、いい気がするものではない。
通は入ってきた伊東に驚く様子も無く、万斉にこちらは伊東殿、と紹介されると手にしていた楽譜を置き、畏まって三つ指を突いた。
「初めまして、寺門通と申します」
「こちらこそ初めまして……伊東鴨太郎と申す」
通は下町の娘らしい雰囲気だ。河上の表の仕事のことは鬼兵隊の資金源の話の中で本人から聞いてはいた。
スキャンダルで人気が凋落し、事実上の引退を迫られていた通の才能をつんぽである河上が見出し、今や前以上の人気を博している。
芸能にあまり詳しくない伊東でも知っているほど、通の名と顔は今や江戸中に知られている。
「ではお通殿、この件はこれで……拙者の方から連絡しておく故」
「はい、わかりました」
畳の上に広げた楽譜を通が拾い集め、茶封筒に仕舞っていく。
河上と通はその間二言、三言会話を交わしていた。
楽譜を仕舞った茶封筒に河上が何かを書きつけようとした時、携帯が鳴った。河上の携帯だ。
「拙者の携帯だ。失礼」
コートのポケットから携帯を探りながら、河上は部屋を出た。
部屋には伊東と通が残された。
通は手持ち無沙汰なのか、仕舞ったばかりの楽譜をまた取り出して並び替えている。
通の様子を眺めながら、伊東が口を開く。
「テレビで見るよりも実物のほうが可愛いね」
「あっ、ありがとうございます」
通はメディアで見かけるときとは違って、今日は落ち着いた色柄の着物で、鮮やかなトンボ玉の簪をしている。
大人しい印象だ。派手なイメージがあったが、他のタレントがそうであるように、あれは作られた虚像なのだろう。
「ところで君は……知っているのか?」
「えっ?」
「君のプロデューサー殿の事だ。君はあの御仁のことをいったいどこまで知っているのだろうと思ってね」
そんなことを伊東が聞いたのは、河上が通をこんな場所に呼びつけたことと、先程、表の仕事、と言ったからだ。
まるでこの伊東との会談が裏の仕事だといわんばかりに。
伊東が表の仕事のことを河上から聞いたとき、音楽関係者でも河上の正体を知っているのはごくごく一部だ、としか河上は言わなかった。
「私、全部知ってます」
通ははっきりと言った。
そのの顔はいつもテレビや雑誌で見るような笑顔ではなく、強いて言えば怒っているようだった。
「ほう」
全部、とは随分言い切るものだと伊東は思った。
「自分の歌が売れる度に鬼兵隊に資金が流れることも? 万斉殿が世を騒がせた人斬りであることも?」
試しに聞いてみれば、通ははい、はい、と頷く。
(何もかもを知っているというのか? この娘が?)
「じゃあ、僕と万斉殿が今日何のためにここで会うかも?」
「……はい。真選組の局長さんのことも……今進めている計画のことも……知ってます」
「………なるほど。全部知っていると言い切るわけだ」
伊東は感心を通り越し、呆れさえ覚えた。部外者に近い立場であるこんな小娘に、何もかもを喋る河上という男に。
そういえば二人は懇ろな間柄だと高杉がいつぞやの酒宴――そのとき確か河上はいなかったのだが――で言っていた。
俺は小便臭いガキを抱く趣味は無い、と高杉は一笑に付し、伊東も同じ意見だったのだが。
(睦事の種にでもしたというのか)
「つんぽさんから、全部聞きました」
「……そうか」
伊東は小さくため息をついた。
(随分なプロデューサー殿だ)
女という生き物を疑うわけではないが、自分がもし河上の立場なら、こんないたいけな少女に計画を話したり、ましてや引き摺り込んだりはしないだろう。
「君は自分がどんな暗い道を歩いているか、分かっているのかね?」
「ええ、……分かってます。鬼兵隊がまた粛清されるようなことがあれば、私だって無事では済まないって分かってます」
「随分見上げた覚悟だな。だがいったい何が君をそこまで駆り立てる? 攘夷派の思想に共感したのかね? それとも君は大衆に愛されるアイドルという地位だけでは不満なのかね?」
伊東の言葉に、通はかぶりを振り震えるような声で言った。
「そういうんじゃないんです。思想だとか地位だとか、そういう難しいことじゃないんです。私はただ、つんぽさんの言うことなら何でも聞きたいんです。どんな曲でも歌うし、何だってしたいんです。ずっと付いていきたいんです……それだけなんです」
「………」
通は俯き、ぎゅっと両の手を膝の上で握った。
「それはスキャンダルで人気が落ちた自分を、万斉殿が助けてくれたから……かね」
「それもありますけど、……それだけじゃありません」
通の頬が僅かに朱に染まる。
それだけではないのが何なのか、聞くのは野暮というものだろう。
「だから私、どんな暗い道でも平気なんです! ……つんぽさんに死ねって言われたら、私死ねます!」
「……!」
死などという言葉が、この少女の口から出てくるとは正直思ってもいなかった。
それ以上、伊東は通に尋ねる言葉を失った。
会話はそれきりだった。
気まずい沈黙が二人の間を流れたが、女将が酒を持ってきた。少しして河上が戻り、通は帰された。
店の前に迎えの車が来ていた。河上に付き添われ部屋を後にする通の後姿が、年齢よりもずっと大人びて見えたのは、伊東の気のせいだろうか。
「さっきお通殿と何か話していた様だが」
会談を一通り済ませ、窓の外が闇に染まり料理も酒も進んだ頃、河上がふとそんなことを聞いてきた。
「ああ。それが、何か?」
「お通殿が車に乗る時に、今にも泣きそうな顔をしていたんでござるよ。伊東殿に何か意地悪なことでも言われたのかと思った故」
河上は通を問いただしたかったが、そんなことをすれば本当に泣いてしまいそうだったのであえて気付かない振りをして見送ったのだという。
「意地悪を言ったつもりは無いがね。あの子が、何もかもを知っているというものだから、つい突っ込んだところまで聞いてしまった。
言いたくないところまで言わせてしまったかもしれないね」
「成る程、そういうことでござったか」
河上は手酌をしながら、フッと小さく笑った。
「あの子は随分万斉殿に心酔しているようだ。羨ましい限りだよ」
”私死ねます!”
そう言った通の声は、伊東の耳の奥に残っている。
少女特有の幻想交じりの言葉ではなく、崖っぷちで喉元に自ら刀を突きつけた女の言葉のように覚悟が感じられた。
「しかし彼女が幾ら資金源といっても、部外者に限りなく近いだろう? あの子にペラペラと何でも喋るのは頂けないね。過激派の幹部としては褒められた行為だとは思えないがね」
今回の計画が露見すれば、伊東の身が危うい。釘を刺すつもりで伊東はやや強めに言った。
「……拙者はあの子に嫌われたいんでござるよ」
「? どういうことかな」
人斬りは珍しく、口端を上げてにんまりと笑った。手にした空の猪口を弄んでいる。酔っているのだろうか。頬が少し赤い。
「鬼兵隊の資金源のつもりでお通殿を拾った。懇ろな間柄にもなった。……が、拾うのではなかった、抱いたりしなければよかったと最近後悔しているんでござるよ」
「ほう? それは一体」
「あの子は拙者の予想よりもはるかに売れた。結果として潤沢な資金が手に入った。戦艦を当初の予定よりも多く揃えられた。兵力も充実した。と同時に……だ。あの子は拙者の予想よりもずっと一途で健気で真っ白だった……正直、拙者はあの子が怖い」
人斬りの口から、こともあろうに怖い、という言葉が零れた。
「罪悪感やら情けやら慈しみやら……拙者がとうに捨てたはずのそんなつまらぬ感情を、あの子は拙者の心の底から拾い出してきては突きつけてくる。
そのうち拙者はそんなつまらぬ感情に振り回されて、人が切れなくなるやも知れぬ」
コト、と膳に猪口を置き、河上は特大のため息をついた。
「そうなる前に拙者はあの子に嫌われたい。もうこんな関係は嫌ですと、あちらから逃げてくれれば幸いだ」
酒の勢いだろうか。人斬りにしては随分と弱気な発言だ。
「だから嫌われたくて、汚いものを全て包み隠さずあの子に見せているんでござるよ。」
今日のこともそうでござるよ、と河上は伊東を指差した。
「辛気臭い話はさておいて。気分転換に一曲、如何かな」
河上は脇に置いた三味線を手にした。
「ああ、いいね。万斉殿の三味線は極上の酒の肴だ」
万斉殿の好きな曲を、と伊東が言うと、河上は頷いて小唄を弾き始めた。
ほろ酔いで三味線を弾く河上を眺めながら、伊東は心の中で呟く。
(万斉殿はあの子を突き放すどころか、心底惚れているんだろう? 嫌われたいだなんて、惚れているから嫌えないと言っているようなものだろう。
嫌われて離れていくどころか、あの子は万斉殿をどんどん骨抜きにして、いずれ心中する覚悟だよ)
口に出して言ってやっても良かったが、小娘に翻弄される人斬りを、伊東はその目でもっと見てみたくなった。
(幕)
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